二年だなんて聞いてない
「俺以外の塗師に頼めるだろ、お前なら」
「でも、わざわざ克己を指名してくれたんだし、物は試し。な?」
「駄目だ。なぜそんなに粘る?」
「いやあ……その、なあ……」
途端に歯切れを悪くさせる辻口に代わり、ライナスが教えてくれる。背中のリュック――体が大きすぎて分からなかった――を下ろし、中から細長い箱を取り出す。
「オミヤゲです。カツミさん、どうぞ」
「いらん。持って帰ってく――あっ」
包装紙でもしてあれば、俺は迷わず拒めていた。だが銘柄が書かれた箱が剥き出しで、開けずともそれが何かを分かってしまい、俺の言葉は止まってしまった。
年代物のアイラウイスキー。
土産の正体に俺が気づいたことを察した辻口が、ぼそりと呟く。
「めっちゃ美味かったぞ」
「お、お前……っ、酒で買収されたのか!」
「買収だなんて、そんな……頼まれる前に、先、飲んじゃった。てへ」
「てへ、じゃない! まったく、お前というヤツは!」
一方的な俺と辻口の口論にそわそわしながらも、ライナスは俺に酒を差し出した。
「あの、コレ、ただのオミヤゲ。お願い、違う」
「……もらっても教えんぞ、俺は」
「カツミさん、喜んでくれたら、ウレしい。それだけ」
はにかみながらライナスが俺に微笑む。なんで人相も人当たりも悪い俺に、こんな好意的な笑みを向けられるか理解できん。
俺が宇宙人を見る目を向けていると、ライナスは玄関の土間の上に土下座を始めた。
「昨日、キンチョーして、話せなかった。怖がらせて、ゴメンナサイ。カツミさん、シッキのこと、教えてくだサイ」
慣れない日本語で必死に伝えようとするライナスに、俺も少しは心が揺らぐ。
ここまでするほど俺に価値があるとは思えないが……。
戸惑いながら息をつくしかなかった。
「頭を上げてくれ。そんなに知りたいなら見せてやる」
「ホントですか! ウレシーです!」
「……もし何が起きても後悔するなよ?」
「……? ナニがあるんですか?」
きょとんとなるライナスをよそに、辻口が「あー……」と理解して苦笑する。
「それは運だからなあ」
「人によっては、ここの玄関に入っただけでもアレになるんだぞ? それを知らずに連れて来たとは言わせんぞ、辻口」
「分かってるが、日頃から漆器を愛用してるみたいだし、極端なことはないと思う」
「商品と製作中の現場を一緒にするな」
軽く言い合う俺たちを見交わしながら、ライナスが尋ねる。
「もしかして、ウルシかぶれの心配?」
「おっ、よく知ってるな。漆は肌につくとかぶれる。そして触らなくても、こういう塗師の家に出入りするだけでかぶれる奴もいるんだ」
日頃から漆を扱う者や塗師の家に住む家族以外は、部屋に揮発した成分でかぶれる時がある。
俺の亡き母が他県の出身で、こっちに嫁いできて家に入ったら、顔が腫れあがって大変だったと聞いている。この色男が同じことになったら、騒ぎ出して恨みを買いそうな気がしてならない。しかし、
「分かりました。カクゴします」
ライナスは顔を力ませ、真っ直ぐに俺を見据えてきた。
どうやら本気で見学したいらしい。まったく怯まないライナスに、俺は短く頷いた。
「じゃあ上がって見ていけ。道具や製作中の物には触らないでくれ」
「は、はい!」
了承を得た途端にライナスは表情を輝かせる。昨日俺を見ていた時のように。
今日だけのこと。良い旅の思い出になればいい。
心の中で割り切りながら背を向けると、ライナスと辻口が中へ上がってくる音がする。
そして――ゴンッ。作業部屋に入ろうとした直後、やっぱりライナスは頭をぶつけていた。
彼にはさぞ低くて過ごしにくい家だろう。流石に同情しながら、俺は中の案内と漆器の話をしてやった。
◇ ◇ ◇
次の日。てっきり俺は一度だけの訪問だと思っていた。
「オハヨーゴザイマス、カツミさん!」
朝からライナスが玄関に立っていて、俺は顔を引きつらせてしまう。しかも今日は辻口がいない。レンタカーでライナスだけでここへ来たらしい。その上、
「……顔、大丈夫か?」
見事にライナスの顔はパンパンに腫れ上がっていた。
「コレぐらい、ダイジョーブです! ツジグチさんが、ナレたらハレなくなる、イッテました!」
辻口……いや、確かにそうだが、旅行期間中に慣れるもんじゃないんだが。
無責任なことを言うなと心の中で辻口を責めてから、俺はふと気づく。
「ライナス、今さらで悪いが……いつまでこっちにいるんだ?」
「ビザで来てます。あと二年ほどあります」
二年だと!? 驚いて思わず俺はカッと目を見開いた。
「昨日のツアー客と一緒じゃなかったのか!?」
「アレは、たまたま一緒になっただけです」
話を聞きながら、俺は嫌な予感が確信に変わり始めて口端を引きつらせていく。
「まさか俺に教えて欲しいっていうのは、昨日の見学みたいなものじゃなくて……」
「デシ入りです! これから毎日、カツミさんのトコロで学びます!」
「話が違うっ! 俺はそこまで許したつもりは……ちょっと待っててくれ」
俺は慌てて居間へ行き、スマホを手にして辻口へ電話した。
『おはよう、克己――』
「おいコラ辻口っ。俺ん所にライナスを押し付けるな! 無責任だぞ!」
『え? だって、昨日お前、了承しただろ?』
「昨日だけのつもりで受け入れたんだ。まさかビザが切れるまでとは思わんだろ」
『違う違う。ライナス、将来は日本に帰化するから。つまり――』
「つまり、なんだ?」
『――生涯師弟だ。良かったな。弟子は大切になー』
無責任に言い放たれた辻口の言葉に、俺は思わずその場に膝を着く。
「俺はっ、認めていない!」
『昨日一日受け入れたんだ。もう師弟の縁が生まれている。諦めろ』
「なぜお前はそんなにライナスを俺の所へ置かせたがる?」
『担い手が欲しいからに決まってるだろ。今の時代、熱意持って来てくれる人材は貴重なんだ。育って欲しいから、できるだけ望みに応えたいんだよ。分かるか?』
意外にも真面目な答えを返され、俺は言い淀む。
「それは分かるが……」
伝統工芸の後継者問題は珍しくない。どれだけ素晴らしい技術を持っていても、後継者がおらず廃れていく――この業界に居ればよく耳にすることだ。
辻口はこの山ノ中漆器に携わる人間たちをまとめ、技術を繋ぐことに尽力している男。廃れる危機感を強く持っているのは当然だ。
『ライナスは冷やかしじゃないとお前も感じただろ? どうか新しい職人を育ててくれ。頼む』
真剣な心持ちで辻口に頼まれ、俺は渋々腹を括ろうとした。
「……お前なあ、もっと最初からそう言ってくれ」
『ハハ、悪かった。やってくれるか克己?』
「そこまで言われたらやるしかないだろ」
『良かったぁぁ……克己、昨日のウイスキーに口つけた?』
「あ、ああ、美味かったが……」
『まともに買ったら約三十万な。もし辞退するなら、ちゃんとその金額ライナスに返してやれよ』
ふ、懐に痛い……っ。
自分の勘違いに呆れながら、俺はため息を吐きながらスマホの通話を切った。
ふぅ……と息をついて心を落ち着かせ、冷静を装いながら俺は玄関へ戻る。土間で立ち尽くしていたライナスが、俺と目を合わせた瞬間にビシッと背筋を正す。
見事にまぶたも唇も腫れて元の色男は台無しになっているが、わずかに覗く瞳はどこまでも真っ直ぐで、否応なしに俺に訴えかけてくる。
俺は腕を組み、しばらくライナスと見つめ合いながら黙ってみる。
――まったく揺らがない瞳に、俺が先に折れて口を開いた。
「……ライナス。本気で俺の所でやりたいんだな?」
「はい。お願いします!」
「後でやっぱり辞めたいとか他の奴がいいとか少しでも思ったら、絶対に遠慮するな。人間引き際が肝心だ。時間を無駄にするな。いいな?」
どう考えても俺は人受けするタイプではない。黙々とやり続けるだけの、面白みのない男だ。機嫌も態度に出る。我ながら面倒な奴だ。
可能な限りの心遣いを言葉に出してやれば、ライナスは満面の笑みを返してくる。
「それはナイです。ゼッタイです。カツミさんにホレましたから」
「は……?」
「カツミさんは、ワタシのミューズです」
……おい、日本語間違ってるぞ。別の意味に聞こえるだろうが。
しかも男に向かってミューズはないだろ。ましてやおっさん。ありない例えをするな。
母国語以外の言葉をこれだけ話せているのは、むしろ良いほうだ。まあどうせ居つきはしないのだから、多くは望むまい。俺は間違いを正さず、「ついて来い」とライナスを促す。
横目で見たライナスは心なしか頬が赤くなっていた。