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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
一章 押しかけ弟子は英国青年
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二年だなんて聞いてない

「俺以外の塗師に頼めるだろ、お前なら」


「でも、わざわざ克己を指名してくれたんだし、物は試し。な?」


「駄目だ。なぜそんなに粘る?」


「いやあ……その、なあ……」


 途端に歯切れを悪くさせる辻口に代わり、ライナスが教えてくれる。背中のリュック――体が大きすぎて分からなかった――を下ろし、中から細長い箱を取り出す。


「オミヤゲです。カツミさん、どうぞ」


「いらん。持って帰ってく――あっ」


 包装紙でもしてあれば、俺は迷わず拒めていた。だが銘柄が書かれた箱が剥き出しで、開けずともそれが何かを分かってしまい、俺の言葉は止まってしまった。


 年代物のアイラウイスキー。

 土産の正体に俺が気づいたことを察した辻口が、ぼそりと呟く。


「めっちゃ美味かったぞ」


「お、お前……っ、酒で買収されたのか!」


「買収だなんて、そんな……頼まれる前に、先、飲んじゃった。てへ」


「てへ、じゃない! まったく、お前というヤツは!」


 一方的な俺と辻口の口論にそわそわしながらも、ライナスは俺に酒を差し出した。


「あの、コレ、ただのオミヤゲ。お願い、違う」


「……もらっても教えんぞ、俺は」


「カツミさん、喜んでくれたら、ウレしい。それだけ」


 はにかみながらライナスが俺に微笑む。なんで人相も人当たりも悪い俺に、こんな好意的な笑みを向けられるか理解できん。


 俺が宇宙人を見る目を向けていると、ライナスは玄関の土間の上に土下座を始めた。


「昨日、キンチョーして、話せなかった。怖がらせて、ゴメンナサイ。カツミさん、シッキのこと、教えてくだサイ」


 慣れない日本語で必死に伝えようとするライナスに、俺も少しは心が揺らぐ。


 ここまでするほど俺に価値があるとは思えないが……。

 戸惑いながら息をつくしかなかった。


「頭を上げてくれ。そんなに知りたいなら見せてやる」


「ホントですか! ウレシーです!」


「……もし何が起きても後悔するなよ?」


「……? ナニがあるんですか?」


 きょとんとなるライナスをよそに、辻口が「あー……」と理解して苦笑する。


「それは運だからなあ」


「人によっては、ここの玄関に入っただけでもアレになるんだぞ? それを知らずに連れて来たとは言わせんぞ、辻口」


「分かってるが、日頃から漆器を愛用してるみたいだし、極端なことはないと思う」


「商品と製作中の現場を一緒にするな」


 軽く言い合う俺たちを見交わしながら、ライナスが尋ねる。


「もしかして、ウルシかぶれの心配?」


「おっ、よく知ってるな。漆は肌につくとかぶれる。そして触らなくても、こういう塗師の家に出入りするだけでかぶれる奴もいるんだ」


 日頃から漆を扱う者や塗師の家に住む家族以外は、部屋に揮発した成分でかぶれる時がある。


 俺の亡き母が他県の出身で、こっちに嫁いできて家に入ったら、顔が腫れあがって大変だったと聞いている。この色男が同じことになったら、騒ぎ出して恨みを買いそうな気がしてならない。しかし、


「分かりました。カクゴします」


 ライナスは顔を力ませ、真っ直ぐに俺を見据えてきた。

 どうやら本気で見学したいらしい。まったく怯まないライナスに、俺は短く頷いた。


「じゃあ上がって見ていけ。道具や製作中の物には触らないでくれ」


「は、はい!」


 了承を得た途端にライナスは表情を輝かせる。昨日俺を見ていた時のように。


 今日だけのこと。良い旅の思い出になればいい。

 心の中で割り切りながら背を向けると、ライナスと辻口が中へ上がってくる音がする。


 そして――ゴンッ。作業部屋に入ろうとした直後、やっぱりライナスは頭をぶつけていた。


 彼にはさぞ低くて過ごしにくい家だろう。流石に同情しながら、俺は中の案内と漆器の話をしてやった。



   ◇ ◇ ◇


 次の日。てっきり俺は一度だけの訪問だと思っていた。


「オハヨーゴザイマス、カツミさん!」


 朝からライナスが玄関に立っていて、俺は顔を引きつらせてしまう。しかも今日は辻口がいない。レンタカーでライナスだけでここへ来たらしい。その上、


「……顔、大丈夫か?」


 見事にライナスの顔はパンパンに腫れ上がっていた。


「コレぐらい、ダイジョーブです! ツジグチさんが、ナレたらハレなくなる、イッテました!」


 辻口……いや、確かにそうだが、旅行期間中に慣れるもんじゃないんだが。

 無責任なことを言うなと心の中で辻口を責めてから、俺はふと気づく。


「ライナス、今さらで悪いが……いつまでこっちにいるんだ?」


「ビザで来てます。あと二年ほどあります」


 二年だと!? 驚いて思わず俺はカッと目を見開いた。


「昨日のツアー客と一緒じゃなかったのか!?」


「アレは、たまたま一緒になっただけです」


 話を聞きながら、俺は嫌な予感が確信に変わり始めて口端を引きつらせていく。


「まさか俺に教えて欲しいっていうのは、昨日の見学みたいなものじゃなくて……」


「デシ入りです! これから毎日、カツミさんのトコロで学びます!」


「話が違うっ! 俺はそこまで許したつもりは……ちょっと待っててくれ」


 俺は慌てて居間へ行き、スマホを手にして辻口へ電話した。


『おはよう、克己――』


「おいコラ辻口っ。俺ん所にライナスを押し付けるな! 無責任だぞ!」


『え? だって、昨日お前、了承しただろ?』


「昨日だけのつもりで受け入れたんだ。まさかビザが切れるまでとは思わんだろ」


『違う違う。ライナス、将来は日本に帰化するから。つまり――』


「つまり、なんだ?」


『――生涯師弟だ。良かったな。弟子は大切になー』


 無責任に言い放たれた辻口の言葉に、俺は思わずその場に膝を着く。


「俺はっ、認めていない!」


『昨日一日受け入れたんだ。もう師弟の縁が生まれている。諦めろ』


「なぜお前はそんなにライナスを俺の所へ置かせたがる?」


『担い手が欲しいからに決まってるだろ。今の時代、熱意持って来てくれる人材は貴重なんだ。育って欲しいから、できるだけ望みに応えたいんだよ。分かるか?』


 意外にも真面目な答えを返され、俺は言い淀む。


「それは分かるが……」


 伝統工芸の後継者問題は珍しくない。どれだけ素晴らしい技術を持っていても、後継者がおらず廃れていく――この業界に居ればよく耳にすることだ。


 辻口はこの山ノ中漆器に携わる人間たちをまとめ、技術を繋ぐことに尽力している男。廃れる危機感を強く持っているのは当然だ。


『ライナスは冷やかしじゃないとお前も感じただろ? どうか新しい職人を育ててくれ。頼む』


 真剣な心持ちで辻口に頼まれ、俺は渋々腹を括ろうとした。


「……お前なあ、もっと最初からそう言ってくれ」


『ハハ、悪かった。やってくれるか克己?』


「そこまで言われたらやるしかないだろ」


『良かったぁぁ……克己、昨日のウイスキーに口つけた?』


「あ、ああ、美味かったが……」


『まともに買ったら約三十万な。もし辞退するなら、ちゃんとその金額ライナスに返してやれよ』


 ふ、懐に痛い……っ。

 自分の勘違いに呆れながら、俺はため息を吐きながらスマホの通話を切った。


 ふぅ……と息をついて心を落ち着かせ、冷静を装いながら俺は玄関へ戻る。土間で立ち尽くしていたライナスが、俺と目を合わせた瞬間にビシッと背筋を正す。


 見事にまぶたも唇も腫れて元の色男は台無しになっているが、わずかに覗く瞳はどこまでも真っ直ぐで、否応なしに俺に訴えかけてくる。


 俺は腕を組み、しばらくライナスと見つめ合いながら黙ってみる。


 ――まったく揺らがない瞳に、俺が先に折れて口を開いた。


「……ライナス。本気で俺の所でやりたいんだな?」


「はい。お願いします!」


「後でやっぱり辞めたいとか他の奴がいいとか少しでも思ったら、絶対に遠慮するな。人間引き際が肝心だ。時間を無駄にするな。いいな?」


 どう考えても俺は人受けするタイプではない。黙々とやり続けるだけの、面白みのない男だ。機嫌も態度に出る。我ながら面倒な奴だ。


 可能な限りの心遣いを言葉に出してやれば、ライナスは満面の笑みを返してくる。


「それはナイです。ゼッタイです。カツミさんにホレましたから」


「は……?」


「カツミさんは、ワタシのミューズです」


 ……おい、日本語間違ってるぞ。別の意味に聞こえるだろうが。

 しかも男に向かってミューズはないだろ。ましてやおっさん。ありない例えをするな。


 母国語以外の言葉をこれだけ話せているのは、むしろ良いほうだ。まあどうせ居つきはしないのだから、多くは望むまい。俺は間違いを正さず、「ついて来い」とライナスを促す。


 横目で見たライナスは心なしか頬が赤くなっていた。



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