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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
四章 試練と不調と裸の付き合い
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誰よりも最初に認めてもらいたい

「いいえ! ここにいるために、蒔絵を知りたいです」


「温泉が取りえの山ノ中で、温泉入れんのになしてここおりたいんや?」


「漆を学びたいからです」


「他にも漆やってる所あるんやぞ? ここでなくてもいいやろ」


「カツミさんがいます。カツミさんの漆が良いんです」


「ほんなら、幸正のせがれに習えばええやろ。一応できるハズやろ」


「カツミさんと一緒にいるために、水仲さんの蒔絵が必要なんです」


 ライナスの言葉に水仲さんが顔をしかめる。


「なしてオレの蒔絵が必要なんや?」


 思いがけず耳を傾けてくれた水仲さんへ、俺はすかさず「実は……」と事情を伝える。

 海外に通じる作品を漆芸で作らなければ、ライナスがここにいられなくなる。そのための技術を水仲さんの蒔絵を見て学びたい。水仲さんの手間は取らせない。ただ蒔絵をしている姿を見せてくれるだけでいい。


 たった一回。本気で蒔絵に向き合う水中さんを見ることができれば、ライナスは多くを学んでくれる。だから――。


 俺の話を聞きながら、水仲さんは服を脱いで風呂へ入る準備を進める。そして肩にタオルをかけながら、ボソリと呟いた。


「オメェ、幸正の所にどれだけいる気なんや?」


「ずっとです。家族になって、ずっと、一緒にいます」


 ライナス、さりげなくプロポーズするな。

 思わず俺はうつむき、赤面していく顔を隠す。ライナスの言葉をどう取ったのか、水仲さんは小さく唸るだけで何も言わなかった。ただ背中を向けて浴場へ向かおうとした時、


「一回で済む訳ないやろ。気が済むまで来りゃあいい」


 水仲さんからの予期せぬ承諾に、俺は弾かれたように頭を上げた。


「水、仲さん……本当に良いんですか?」


「余所もんやないなら応えるだけや」


 俺たちに背を向けたまま水仲さんが浴場へ消えていく。

 しばらく俺たちがポカンとなっていると、周りで様子を見ていたじいさんが俺に話しかけてきた。


「水仲のじいじ、あれ、喜んどるわ」


「喜んで、ますかね?」


「誰にも相手されんって、いつも愚痴っとるから。家族もよう寄り付かんし、黙々と仕事するだけやから……あれ、ぜってぇ照れとるわ」


 昔気質の職人は仕事に没頭するあまり家族との交流が薄く、自分の領域に立ち入れられることを拒む人が少なくない。俺の親父がそうだった。どれだけ凄いことをしていても、身内だとその凄さがよく分からず、雑な扱いをされるというのも珍しい話じゃない。


 俺が知っている職人の中で、水仲さんは扱いが難しい人だ。家族も接するのが大変だからと距離を置いているのが見て取れる。


 人を拒んでいるようで、本当は必要とされたかったのか?

 心の中で首を傾げていると、苦笑しながら近づいてきた辻口がポン、とライナスの肩を叩いた。


「思った展開じゃなかったけど、話が進んで良かったなあ」


「はいっ、ありがとうございます! 辻口さんのおかげです」


 おかげ、なのか? まあ確かに辻口が連れて来てくれなかったら、話は進まなかった。俺は「そうだな」と頷いてから、濱中にも礼を伝えようとその姿を探す。


 ――いつの間にか服を着た濱中に気づき、俺は軽く驚く。


「濱中、もう上がるのか?」


「俺も軽くのぼせたので……ライナスの付き添いは俺がしますから、館長と幸正さんはゆっくり入られて下さい」


 どうやら無防備過ぎる辻口は、濱中にとっては刺激が強すぎたらしい。今も全裸で堂々とする辻口を直視できず、濱中の目が泳いでいる。これ以上は彼の目には毒だ。


「ありがとな、濱中。じゃあ辻口、さっさと入って出るぞ」


「分かった。じゃあ頼んだぞー濱中」


 何も知らない辻口が濱中に近づき、肩をポンポン叩いてから浴場へ向かい出す。

 罪作りな奴だ、と辻口に思う日が来るなんて……。息をついてから俺も立ち上がり、ライナスを見る。


「じゃあ行ってくる。しっかり休んでいてくれ」


「はい、待ってます。早く家に帰りたいです」


 にこやかに微笑むライナスの目に、明らかな熱が宿っている。

 俺だけに向けた、俺にしか分からない気配。危うく「コラ」と言いかけて、どうにか飲み込む。


 頼むから不意打ちで俺を動揺させないでくれ。せめて人前だけはやめてくれ。頼むから。

 切実にそう思いながら、俺は浴場へ向かった。




 帰りの車の中は静かだった。いつもなら行きも帰りもライナスが俺に話しかけ、俺が相槌を打つなりツッコミを入れるなりするが、今日に限って無言だった。


 山のほうへ向かう間際の信号で停まっている間、俺は横目で助手席のライナスを見やる。やけに引き締まった横顔でドキリとした。


 真っ直ぐに先を見据えている目。総湯で倒れたことを落ち込んでいるようには見えない。ふと気になって俺からライナスに話を振った。


「何か考え事でもしているのか?」


「はい。カツミさんとの先を、考えていました」


「あんな豪雪でヘクサも多い辺境で、ずっと俺と一緒なんてつまらんだろ?」


「ずっと二人だけでいられるなんて、サイコーです!」


 溜めなしの即答に思わず俺は吹き出してしまう。


「普通は俺みたいなおっさんと二人きりなんて、むさ苦しくて遠慮したいもんだがな」


「ワタシにとっては大切なミューズで、たったひとりの愛しい人です」


 ライナスらしい答え。もう疑いも反論も俺からは出ない。そして普段なら恥ずかしくて何も言い返さないが、今日だけは俺の口も軽くなる。


「俺も……後にも先にも、お前だけだ」


「ではさっきの答えはイエスですか?」


「保留だ。まず目的を果たさんと、どうしようもないだろ」


「頑張ります! ローレンにも、他の人にも、認めてもらいます」


 不意に視界の横で、ライナスがこちらを向く動きをとらえる。


 そして身を乗り出し肩を叩かれて振り向けば――チュッ、と音を立てながら軽く唇を奪われた。


 もう辺りは薄暗く、前後に車はない。それでも俺の羞恥を煽るには十分だった。


「ライナス、お前……っ」


「カツミさんにも、絶対に認めてもらえる物を作ります。誰よりも最初に、カツミさんに認めてもらいたいです」


 言いたいことだけ言って、ライナスはさっさと助手席へ座り直す。停止中でも運転している時はやめろ、と言いたかったが、あいにく信号が青になり、走り出すしかなかった。

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