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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
四章 試練と不調と裸の付き合い
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間の悪い対面

 一瞬なんのことだと首を傾げたが、すぐ察しがつく。


 バッと振り返り、洗面台に備え付けられた大きな鏡に顔を近づける。

 しっかりと首元に刻まれたキスマーク。いつの間に……っ、と俺は慌てて手で押さえた。


 羞恥で顔が赤くなっていく自分を鏡で見ながら、俺は体を震わせる。なんてことを、と怒鳴ってしまいたいが、人前でそうする訳にもいかず、耐えるしかない。


 不意に濱中が俺に近づき、小声で告げてくる。


「幸正さん、変に意識しないほうが良いですよ。ソワソワすると、余計に目立ちますから」


「ああ、そうだな。浴場へ行けば煙で見えなくなるしな」


 濱中の声に俺は落ち着きを取り戻す。事情を知っているのが思慮深い彼で本当に良かったと思っていたが、


「は、濱中、大丈夫か? 目の焦点がブレてるぞ」


「ええ、はい、まだ直視する覚悟が、できなくて……」


 一見するといつもの淡白な濱中の顔。しかし目の焦点が揺れている他にも、うっすらと汗をかいて動揺を滲ませている。


 俺たちから少し離れた所にいる辻口が、俺たちを見て苦笑している。その姿が鏡に映ってしまい、濱中は顔を逸らす。


「早く入るぞー。ひと風呂浴びて待てばいいだろ」


 何も知らない辻口が俺たちを促してくる。ぎこちないままの濱中と、ソワソワするライナスを連れ、俺たちは浴場へ向かった。


 立ち上る湯気に出迎えられ、互いの姿がわずかにぼやける。これなら誤魔化せるかと思いながら、かけ湯をしてだだっ広い風呂へ体を浸す。


 肩まで入れば完全に安堵して息をつく。思いは違うはずだが、隣に来たライナスも同じように息をつき、俺に笑いかけてきた。


「すごいですね! こんな大きなお風呂、初めてです」


「だろうな。こっちのほうが体が芯まで温まるから、家の風呂が入りにくくなるぞ」


「でも、家のお風呂もいいです。嬉しくなります」


 まさか俺が入った後だから、なんて言い出さないよな?

 嫌な予感に動悸を覚えていると、ライナスからフッと優しく息をつく音がした。


「いつも家でお風呂に入ると、独りじゃないと思います。それが嬉しいです」


 予想外に共感することを言われて、俺は一瞬真顔になる。そして勝手に顔が緩む。


「そうだな。俺も、そう思う」


 先に入ろうが、後に入ろうが、自分以外の誰かの気配を色濃く感じる。それがホッとして、愛おしくも思う日が来るなんてなあ。


 これが家の中なら喜びのままライナスに飛びつかれているだろうと思っていると、ボソリと低い呟きが聞こえてきた。


「……やっぱり、家がいいです」


 俺への想いがジワリと滲み、強引に体の奥から熱を引き出されてしまう。ああ、一回り以上違う年下の男に振り回されている自分が情けない。


 湯の中に頭まで沈めてしまいたい思いに駆られていると、湯の中を進んできた辻口と濱中が現れた。


「念のために洗い場のほうも探してみたが、水仲さんはいなかった。のぼせない程度に長風呂して待つしかないな」


 肩をすくめながら辻口は湯に肩を沈める。少し離れて濱中も湯につかるが、もう首から上が赤い。


 倒れなければいいが……と心配していると――こてっ。俺の肩に何かがぶつかる。


 視界の脇に映ったのは、しっとりとした金髪。

 ライナスの頭だと分かった瞬間、俺の背筋から血の気が引いた。


「ライナス……っ、おい、大丈夫か!」


 ぐったりと俺にもたれかかる姿に、辻口と濱中も血相を変える。


「もう茹ったんですか! ライナス、しっかりして下さい」


 すぐに濱中が近づき、俺に目配せしてそれぞれにライナスの肩を持って引き上げようと息を合わせる。


 異変に気付いた者たちが俺たちを囲み、ざわざわし出す。それに気づいた辻口が説明に回っている中、ライナスがピクリと動いた。


「あ……す、すみません」


「意識が戻ったか! 大丈夫か?」


「熱くて……ガマンしていたら、目の前が暗くなって……のぼせました」


「まだ入ってすぐなのにか?」


「こんなに熱いのが耐えられるなんて、みんなスゴいです」


 しまった。俺たちはこれで育ってきたから普通だが、ライナスは慣れていない。家の風呂はぬるくなりやすいが、ライナスにとってはそれが丁度良かったということか。


 考えが至らず、申し訳なくてたまらない。思わず顔をしかめながら、俺はライナスを覗き込む。


「立てそうか? 肩を貸すから、脱衣所で休むぞ」


「はい……すみません」


 フラフラと起き上がるライナスの腕を肩に乗せ、俺と濱中でどうにかずっしりと重みのある長身を、脱衣所のベンチへ寝かせてやる。


 心配半分、好奇心半分なじいさんたちを、辻口が簡単に状況を伝えて愛想よく「もう大丈夫だから」とやんわり追い返す。さすが館長だ。人の扱いが上手い。


 濱中はライナスの腰にタオルを置いてくれたり、自販機でスポーツドリンクを購入して、ライナスに渡してくれたりと、こちらも頼もしく動いてくれる。


 俺だけが出遅れて、何もできずベンチの隣で床に膝をつき、ライナスに付き添うことしかできない。何をやっているんだ俺は……と自分に呆れたその時。


「何があったんや、幸正のせがれ。そんな所に寝そべられたら、邪魔でしょうがないやろ」


 突然話しかけられて頭を上げれば、それはもう嫌そうに顔をしかめながら俺を見下ろす水仲さんの姿があった。


「み、水仲さん……っ、あ、いや、これは……」


「余所もんには熱いやろ、ここの湯は」


「ライナスは温泉に入る経験がなかったみたいなので、厳しかったみたいです」


「ちったぁ考えんか。余所もんはオレらが思ってるよりヤワなんや。安易に混ぜようとすんな」


 相変わらず地元民ではない者には厳しい水仲さんだが、今回は言いたいことは分かるし、一理あると思う。提案をした辻口が悪い訳じゃない。ライナスのことを把握できていなかった俺が悪い。


 水仲さんと接点が持てたとはいえ、これでは意味がない。仕切り直したほうがいい。

 俺は「すみません」と頭を下げる。その時、ライナスが上体を起こして水仲さんを見上げた。


「カツミさんたちは、ワタシのために、ここへ連れて来てくれました。水仲さんと会うために」


「なんやと? なしてオレと?」


「蒔絵をしているところを、見せて欲しくて――」


 慌てて俺は首を振り、ライナスの言葉を制す。

 焦る気持ちは分かるが、いきなり本題に入るのはいかんだろう。反発しか返ってこないと思っていたら案の定、


「余所もんに見せとうないわ。他あたれ」


 水仲さんが即座に突き放してくる。これはもう顔を合わせるだけ悪く思われるだけだろう。それなら――と、俺は話を切り出す。


「水仲さん、話を聞いてくれないか。ライナスは――」


「どうせ余所もんに見せても、知って満足。それで終わりやろが。意味ないわ」


 苦々しいものを吐き出すように、水仲さんが言い放つ。苛立ちの中に心なしか悲しげな色が見える。昔、何かあったのかもしれないと察して、俺は言い淀んでしまう。


 これは別の人を探したほうが早そうだ。俺が内心そう判断していると、唐突にライナスが首を激しく横に振った。


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