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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
四章 試練と不調と裸の付き合い
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独りの危うさ

   ◇ ◇ ◇


 案の定、ガス抜きしたライナスの調子は劇的に良くなった。


 ライナスの良さは、集中力の深さにある。他の者は作業を始めて徐々に集中していくものだが、ライナスは作業机の前に座った瞬間、一気に集中して精神の奥底まで沈む。


 塗師の家に生まれた俺が、何年もかけてようやくたどり着いた所へ、一瞬にして入り込んでしまうのだ。純粋に凄いと思いながら、その才能が少し恨めしい。


 極寒の時期を過ぎそうな頃には、ライナスは下地から上塗りまですべてをこなせるようになっていた。まだ一通りの基本が出来たに過ぎないが、応用に入る土台はしっかりと作れた。


 問題はここからだ。どうやってローレンさんやライナスの絵のファンたちが納得できる作品を作ればいい?


 ローレンさんに約束したものの、漠然とした方向性しか見えていない。

 蒔絵を取り入れるのは必須だ。しかし、どんなものがライナスの良さを活かせるのかが分からない。


 困ったことに、俺は簡単な蒔絵はできるが専門ではない。

 やはり蒔絵のことは蒔絵師に習うのが一番だ。この山ノ中で腕利きの蒔絵師に――。




「ここで蒔絵師って言ったら、あの人しかいないけど……難しいなあ」


 三月の初め、俺は漆芸館の控室で辻口に相談を持ち掛けた。


 ライナスに腕のいい蒔絵職人を紹介して欲しい。

 山ノ中の漆器業界の中心にいる辻口は顔が広く、職人たちからの信用も厚い。だから辻口が頼めば通常は話は通る。


 だが、辻口の反応は渋い。理由は察しがついている。この町で腕の良い蒔絵師といえば――。


「水仲さん、ここの町民以外の人には良い顔しないからなあ。前にライナスのこと、顔見ただけで怒ってたし」


 前に研修室にいたライナスを怒りつけていた水仲さん。あの人が腕利きの蒔絵師だ。


「だよな……同郷でも変わり種ばっかり作っていた俺の親父を毛嫌いしていたし、その息子の俺に対しても風当たりはあんまり、な」


「他の人にしたほうがいいと思うんだが、ダメなのか?」


「時間がないからな。できる限り一流の腕を見せて、ライナスに覚えさせたい。呑み込みは恐ろしく早いからな」


「じゃあ他県の職人さんをあたるとか……」


「それも時間があればできるんだがな。今まで人間関係を作ってこなかったツケが、ここで来るとは……」


 俺は頭を抱えながら低く唸り続ける。


 もっと俺が社交的だったなら、上手く段取りをつけて他県の職人にコンタクトを取れただろうに。今から腕の良い蒔絵師を探して、交流を持ち、作業を見学させてもらえるよう交渉していたら、あっという間にローレンさんとの約束の時を迎えてしまう。


 水仲さんは頑固で扱い辛いが、仕事は確かで、絶対に手を抜かない人だ。技術を出し惜しみすることはない。同じ地域内なら何度か通うこともできる。漆芸の基礎を磨きながら、蒔絵の技術を学んでいく――ライナスにとってはそれが一番良い環境だ。


 しばらく各々に考え込んでいると、唐突に辻口がポンと手を打った。


「まったく馴染みがないから抵抗感があるんだ。つまり馴染みを作れば、水仲さんの態度も変わるハズ」


「馴染み? どうやって?」


「フッフッ……俺に良い案がある。今日は漆芸館が閉まるまでライナスと待っていてくれ」


 辻口の含み笑いに俺は顔をしかめる。若干嫌な予感がするが、俺は考えてもお手上げ状態だ。辻口の案に乗ってみるしかない。


 俺は短く頷き、しっかりと了承を伝える。


「分かった。頼りにしているぞ」


「おう、任せてくれ――ところで話は変わるんだが……克己、なんか肌ツヤ良くなってないか?」


 不意打ちの話題に俺は思わずゴフッと咳き込んだ。


「な、何を言い出すんだ、急に……っ」


「気のせいかなーと思ったんだが、近くで見ると顔がツヤッツヤだもんなあ。何か良いもん食べたか?」


 自分のことは鈍いくせに、なぜ人のことは細かい所まで気づくんだ……。

 俺は口端を引きつらせながらため息をつく。ライナスと寝るようになってから、確かに肌ツヤは良くなった。明らかにハリが違う。ずっと色恋に無縁な干物でいたのに、一気に水を与えられてプルッと生魚に戻ったような感覚だ。


 俺に自分の想いを浸透させるように、アイツは丁寧にじっくりと俺を抱く。恥ずかしいからさっさと進めてくれと訴えても、体に負担をかけたくないからと却下される。黙ってやれと言っても、言いたくなるのでムリです、と愛の言葉を散々聞かされ続ける。


 普段は俺の言うことを聞くのに、俺を抱く時はまったくだ。しかしそれが辛いかといえば……まあ、うん。嫌ではない。恥ずかしくて死にそうなだけだ。


 一瞬昨夜の情事を思い出し、俺の顔が熱くなる。慌てて顔を背けると、辻口は押し殺した笑いを漏らした。


「ククッ、そんな照れることはないだろ」


「べ、別に照れてなんか……っ」


「もしかして好きな人できたとか? 恋は人をキレイにするって言うし――はっ、まさか俺の良さに今ごろ気づいて惚れたとか?」


「馬鹿を言うな。お前は趣味じゃない」


「だよなあ。だって克己、人体より漆がいいもんなあ。自分の世界に深く付き合える子がいい――」


 笑いながら話していたが、途中で辻口がハッとなる。

 真顔になり、口元を手で押さえて考え込むように首を捻った後。辻口は真顔になって俺の肩に手を乗せた。


「押しかけ弟子が女房になったんだな。おめでとう」


「ち、違う、な、何を言い出すんだ!」


「女房じゃなくて旦那か。良かったなー」


 気づかれると面倒なヤツに気づかれてしまった。素直に認めるのが面白くなくて、俺は「勝手に想像していろ」と突き放す。


 にっこり、と。視界の脇で辻口がそりゃあもう嬉しそうな顔で笑った。


「これで雪の日に何かあって孤独死、なんてことは避けられそうだな」


「別に前のままでも問題は――」


「独りだと、色んなものが鈍くなるんだよ。その分、自分の興味のあるものに深くのめり込む……で、気づかぬ内にパッタリご臨終。前の克己なら、そんな未来になってたって想像しやすいだろ?」


 癪だが思わず俺の頭が勝手に想像してしまう。生活は最低限のことしかせず、不要な外出はせず、ただひたすら漆黒を求める――。


 以前なら漠然とした想像しかできず、薄い危機感しか覚えなかった。だが今は鮮明にその姿が脳裏に浮かび、ゾゾッと悪寒が走る。


「あ、ああ。そうだな。いつかやらかしてたかもしれない」


「今はどうだ? ライナスが悲しむ真似はしたくないだろ? 平和な大往生が見えてこないか?」


 言いたいことは分かるが、俺らが往生のことを話すのはまだ早いだろうが。

 まあ、辻口がどれだけ俺を心配していたのかは、よく分かった。込み上げるまま俺は口角を上げ、フッと笑う。


「ずっと不安がらせて悪かったな、辻口」


「分かればよろしい。じゃあそろそろ開館だから、俺はこれで。また後でな」


 手をヒラヒラと振りながら辻口が控室を出ていく。


 パタン、とドアが閉じた後、俺は細長く息を吐き出していく。あそこで独りでやっていくことが、どれだけ厳しいことか。独りをやめてようやく痛感した。


 おもむろに立ち上がり、俺は塗りの様子を見せる部屋への移動を始める。


 もうあの日々には戻りたくない。ずっと独りで寒さを堪え続けるあの頃には――。


 胸の奥が凍てつきそうになって、思わずライナスの顔を思い浮かべる。

 ……今はライナスの望みに集中しよう。後のことはまだ考える時期じゃない。俺は小首を振ってから控室を後にした。

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