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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
四章 試練と不調と裸の付き合い
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異邦からの来客

   ◇ ◇ ◇


 雪が落ち着き、町に出られるようになったのは、一緒に寝るようになって二日後だった。


非番の日だったが挨拶も兼ねて漆芸館へ向かうと、雪かき中の辻口と濱中に会うことができた。


「おお克己、出られるようになったか!」


 車を降りた俺たちに気づき、辻口が駆け寄ろうとする。

 日陰はまだ凍っている。不用意に走ると足を滑らせてしまう。気をつけろと俺が言うよりも早く、辻口は足を滑らせて前に倒れかけた。


「わわっ」


 言わんこっちゃない、と目を覆いたくなったその時――ガッ。いつの間にか駆け付けていた濱中が、辻口の腹部に腕を入れ、見事に転倒を防いでいた。


「大丈夫ですか、館長?」


「た、助かったぁぁ……ありがとうな、濱中」


 ふにゃりと辻口が強張った顔を笑顔に緩め、濱中を見上げながら礼を告げる。俺も安堵で胸を撫で下ろしていると、濱中が「いえ……」と愛想なく応える。


 今までなら相変わらず反応が薄いな、としか思わなかっただろう。しかしライナスと触れ合うようになり、濱中の事情を知った今、俺は気づいてしまう。


 濱中が腕の中にいる迂闊なおっさんを見つめる眼差しに、熱がこもっていることを――。


 濱中、お前が惹かれている相手は……そいつなのか?

 思わず頬を引きつらせた俺に気づいた濱中の口元に、フッと苦笑が浮かぶ。


 ……俺を選んだライナスもそうだが、お前もなかなかに趣味が悪かったんだな、濱中。

 心の中で思わずそう呟いていると、何も知らない辻口がその場へ立ち直し、今度は慎重に歩いて俺たちの所へ近づいてきた。


「いやあ、今日も濱中のおかげで助かった」


「今日も、だと?」


「ここ最近の豪雪で雪かき三昧なんだけどな、こうやって何度も転びそうになってんだよ。いやー、もう若くないなー。でも、その度に濱中が助けてくれてな」


「もう少し歩き方を考えろ。年のせいにするな、辻口」


「分かってるよ。ただ雪が積もる前の歩き方が抜けなくて、つい、な」


 笑いながら頭を掻く辻口の隣で、濱中が小さなため息をつく。


「気を付けて下さい館長。貴方に万が一のことがあったら大変なんです。自分を大事にして下さい」


 淡々とした声だが、濱中の切実で優しい心が垣間見える。それなのに、


「俺は昔から迂闊でこんなヤツだから。また助けてくれ、濱中」


 明らかに冗談で流そうとする辻口に、俺が呆れてしまう。濱中からは仕方ないと諦めの気配。そして、この悪ふざけのノリも愛おしいと言いたげな目線を辻口に送る。


 なんて愛が深い。なのに辻口はまったく気づかないまま、俺とライナスを見交わす。


「おっ、雪に閉じ込められて距離が縮まったか?」


「……っ、な、なんで急にそんなことを」


「だって立ち位置が前より近いから。一目瞭然だろ」


 辻口に指摘されて俺はハッとなる。

 俺のすぐ斜め後ろにライナスが立っている。体温までは分からずとも気配が近い。最近はこれぐらいの距離感が当たり前だ。


 チラリとライナスを見やれば、惚気たようにニンマリしている。対して俺は顔が熱い。多分赤くなっている。動揺を隠せない俺を見て、辻口が吹き出した。


「そこまで恥ずかしがらなくてもいいだろ。仲良し師弟、良いじゃないか」


 ……辻口、お前、鈍かったんだな。

 四十にして辻口の新たな面に気づくあたり、俺も鈍いと思わずにいられなかった。大きく息をついてから、俺はライナスに振り向く。


「手分けして雪かきするぞ。手伝ってくれ」


「はいっ、カツミさん!」


 今までと同じ笑顔の返事――だが、眩しさが増して見えるのは日を浴びた雪の輝きのせいだろうか。自分の口元が緩んでしまうのを辻口たちに見られたくなくて、俺は足早にシャベルを取りに行く。


 ついて来たライナスが俺の顔を覗き込み、小さく笑う。


「カツミさん、可愛いです」


「くっ……外で、言うな」


 日常が日常にならないことに羞恥を覚えつつ、俺はライナスの頭を軽く小突いた。




 しばらく雪かきを手伝った後、事務所でお茶をもらい、休憩している時だった。


「館長、すみません。ちょっと来て頂けますか?」


 館内スタッフの女性がドアから顔を出し、俺の向かい側に座っていた辻口を手招く。


「分かった、すぐ行く。克己たちはゆっくりしていてくれ」


 立ち上がった瞬間に、辻口の緩み切っていた顔が外部用に引き締まる。この切り替えは俺には真似できない。


 立派な館長の風格を漂わせながら事務所を出ていく辻口を見送ってから、俺はボソリと呟く。


「昔から外面は良いんだ。中身は面白いもの好きのガキのままなのに……」


「そう言えるのは幸正さんだけですよ。さすが館長の幼なじみです」


 ズッ、と茶をすすってから濱中が言葉を返す。俺に妬いているのかと一瞬考えたが、濱中の顔は穏やかだ。どうやら心から感心しているらしい。


 もう隠す気はないと察し、俺は考えてしまったことをそのまま漏らす。


「アイツはなかなか手強いぞ。何年も前に離婚して独り身だが、娘さんと漆器業界のことしか考えていないヤツだ。あと致命的に自分の恋愛に鈍い。あんなに鈍いとは……」


「知っています。でも、それがあの人の魅力ですから。鈍いから近くで支え続けることができますし」


 うっすらと笑う濱中から憂いはまったく感じない。辻口の人柄も事情もすべて受け入れているからこそできる顔だ。あまりに報われないと苦しむことも多々あるだろうに。


 濱中にはライナス共々世話になった。何かしら礼ができればと、俺は小声で告げる。


「アイツのことで知りたいことがあったら、いつでも頼ってくれ」


「ありがとうございます。じゃあ今度、卒業アルバム見せて下さい。昔の姿を見たいです」


 互いに事情が分かっている者同士になったためか、濱中が遠慮なく俺に頼みごとをしてくる。押し入れに片付けてあることを思い出して頷くと、


「ワタシも見たいです! 小さいカツミさん、見たいです!」


 隣に座っていたライナスが俺に振り向き、身を乗り出して訴えてくる。予想以上のがっつきぶりに軽く引いてしまう。


「見ても面白くもなんともないぞ。我ながら可愛げのない子どもだったと思うし」


「今度、絵に描いて飾りたいです」


「ライナス、やめろっ。お前の才能を無駄に使うな!」


 どんな風に描いてくれるのかと胸が騒いでしまうが、俺の子供の頃の姿を見ても嬉しくない。むしろ直視できないほど恥ずかしい。


 本気で焦る俺をよそに、濱中がライナスへ熱視線を送る。


「俺も小さい館長を描いて欲しい」


「オッケーです。描きます!」


 即座に親指を立てて受け容れてしまうライナスへ、濱中が満足そうに大きく頷く。


 二人とも、少し落ち着け。まさかこんな調子で意思疎通して、交流を深めていたのか?

 このまま固い握手でも交わしそうな勢いを感じている最中、ガチャ、とドアが開く。ノックもなく開けるなんてよほど焦っているのかと思っていたら、入ってきたのは軽く息を切らした辻口だった。


 ライナスのほうに目を向け、辻口は困ったように眉をひそめる。


「ライナス、君に来客だ。すぐに来て欲しい」


「えっ、ワタシにお客さん?」


「ローレンさん……よく知っている人だろ?」


 俺にはまったく聞き覚えのない名前。しかしライナスはハッと息を引き、勢いよく立ち上がる。


「彼女が来ているのですか!」


「イギリスからわざわざ来たと言っていた。早くライナスを出せと、かなり苛立っている……どうする?」


 辻口が口早に尋ねてくる。こんなに焦りを見せるのは珍しい。顔をライナスに向ければ、驚きというより絶望したような表情を浮かべてドキリとする。


 無性に嫌な予感を覚えていると、強張った顔が俺を見やる。目が合った瞬間、ライナスの顔つきが引き締まった。


「行きます。カツミさん、ここで待っていて下さい」


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