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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
三章 ライナスのぬくもりに溶かされて 
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似た境遇

   ◇ ◇ ◇


 ストーブ前で休憩した後、辺りが暗くなるまで椀や皿を研ぎ、夕食を済ませる。そして後片付けをライナスに任せ、俺は濱中に電話を入れた。


『もしもし幸正さん、お疲れ様です』


「おう、お疲れ。この間は迷惑かけてすまなかった」


『いえ、緊急事態でしたから。ライナスは無事でしたか?』


「雪山に車を突っ込んだが、無事に戻ってきた。ケガはない」


『それは良かったです……雪に突っ込むのは、ここにいたら誰しもやっちゃいますからね』


 珍しく濱中が笑う。自虐の色が見えるあたり、やらかした経験があるらしい。無論、俺もある。


 少し親近感を覚えてから、俺は話を切り替える。


「濱中は以前からライナスの相談に乗っていたようだから教えておくが、他言はしないでくれ」


『もしかして、付き合うことに?』


「あ、ああ、そうだ。期限付きだがな」


『期限って、どういうことですか?』


「冬の間だけだ。少し付き合えば、すぐ俺に落胆して気が変わると思ってな」


 自分で言いながらチクチクと胸が痛む。

 落胆するだろうという狙いはある。だがライナスにがっかりされることを思うと、正直面白くない。かといって俺なんかにかまけて、ライナスの貴重な若い時間を無駄にするのはいただけない。


 冬は娯楽も少ない。家から出られなければ出会いもない。だから本当に俺でいいのかをライナスに見定めさせるなら丁度いい。本音を言えば、一度覚えてしまった温もりを手放すのは辛い。しかしライナスのことを思えば――。


『ライナスが冬だけで気が済むとは思えないです。一生離れない覚悟をされたほうがいいですよ』


 まるで俺の心を読んだかのように濱中に言われてしまう。

 危うく吹き出しかけて、俺は喉を詰まらせる。


「くっ……ゲホッ、そ、そう思う根拠は?」


『彼がゲイじゃないからです。幸正さんしか求めていないですから』


 ゲイという単語に思わずドキリとする。嫌悪というより、馴染みがなくてソワソワする。

 濱中からため息が聞こえる。どこか物憂げでもあり、嬉しそうでもあった。


『幸正さんが教えてくれたから白状しますが、俺はゲイです。絶対に報われない人を一方的に想い続けているんです』


「そうか……てっきり恋愛には興味がないと思っていた」


『そういうフリをしたほうが楽なので。まあ、こんな事情があったので、ライナスの相談に乗っていました』


「わざわざライナスのために……」


『彼のためというよりは、ゲイの誤解を広めたくなかっただけですよ。これだからゲイは……なんて言われたら、肩身が狭くなりますから』


 なるほど、それは切実だ。濱中の言葉に納得しながら、それでも俺は彼に感謝する。


「だが、親身になってくれたことには違いない。師匠として礼を言う」


『どういたしまして。雪が落ち着いたら、三人でどこか食べにいきましょう』


「いいな。俺がおごるから、今の内にどこがいいか決めておいてくれ」


 軽い談笑の流れに入った時、トントン、と肩を指で叩かれる。振り返るとにこやかな顔したライナスが、小声で話しかけてきた。


「お電話、濱中さんですよね? ワタシも話したいです。お風呂入りましたから、カツミさん、先にどうぞ」


「おお、分かった……濱中、ライナスに替わるぞ」


 返事を聞く前にスマホをライナスに渡せば、満面の笑みで濱中に話し始める。濱中の声は分からないが、ライナスの『夢のようです』『幸せです』という声から、俺と付き合えたことを報告しているのが分かった。


 ライナスの浮かれた声を聞くだけで、俺が恥ずかしくなってくる。居たたまれなくなり、俺は風呂へ逃げることにした。


 居間を出る間際、背後からライナスの声が聞こえる。


「ええ、一年中雪が降って欲しいですね。カツミさんをいっぱい愛せます」


 ライナス、お前、永遠にここで俺とずっと一緒にいる気か?


 物好きにも程がある、と呆れる反面、嬉しくもあった。

 俺を口説くのに言葉はいらない。ずっとこの家に俺以外の熱があることを示せばいいのだから――。





 先に風呂を浴びてから俺は寝室へと向かう。


 寝る前にストーブで部屋を温めておいたほうがいいだろうと思って足を運んだが、ふすまを開けるといつもの冴えた空気の出迎えはなかった。


 冷え切った廊下を渡り終えたことを労うような、不意打ちのぬくもり。独りではないという証に頬が緩む。


「この部屋で誰かの気配を感じるなんて、学生の時以来か?」


 子どもの頃は俺以外の誰かが出入りしていた。風邪を引いて寝込んだ時に看病してくれた母親。たまにここへ遊びに来てくれた辻口や学友たち。成人してからは俺しか出入りしていない。


 誰も入れる気のなかった部屋。まさかこの年になって、一緒に寝るためにここへ人を招く日が来るとは……。


 少し感慨深くなりながら部屋の明かりを点ける。

 飾り気のない殺風景な和室に敷かれた二組の布団。ぴっちりと隙間なく並べられた様に、思わず生々しさを感じてしまう。


 ああ、落ち着かない。本当に俺はアイツと寝るのか?

 昨日は大事を取って、前の部屋で丸一日ライナスを休ませた。だからこの部屋で一緒に寝るのは今日が初めてだ。


 一応付き合うことになったんだ。横に並んでただ寝るだけで済まないだろう。


 ゲイではないが、その道の人に男同士のやり方を教わりに行ったライナス。無知で色恋には無縁でとっくに枯れていた俺とは違い、若くて貪りたい盛りのアイツは仲の深め方を知っている。


 俺からは何もする気はない。ライナスが望んだことだ。気が済むまでやればいい。飽きて離れることを期待しながら相手をする気だと知ったら、さすがに悲しむだろうか。


 ……早く俺から離れて欲しいが、ライナスに悲しい思いをさせるのは嫌だ。

 ライナスのことを考えてしまうと、どこまでも取り留めなく思考を働かせてしまう。それだけ頭の中で流せないほど、ライナスの存在が大きくなっていることを自覚する。


 今まで築き上げてきた自分が壊れていくのを感じる。ずっとこの家で独り、ただ誰よりも深い漆黒だけを求めて生きていけるように作った自分が――。


 ふっ、と我に返り、俺はふすまを閉じてストーブ前を陣取る。

 赤々とした輝きから放たれる熱が俺の顔に届く。熱く感じるのはストーブのせいなのか、俺が赤面しているせいなのか、うやむやになっていく。


 考えることに疲れてぼんやりしている内に、眠気が俺を包み込んでくる。コクッ、コクッ、と横に舟を漕ぎ始めていると、


「お待たせしました、カツミさん」


 背後からライナスに抱き包まれる。少し冷え始めていた背中に風呂上がりの体温を感じてしまい、その心地良さに息が零れた。


「別に、待っていない」


「でもカラダ、冷えてます」


「ライナスは風呂から出たばかりだからな。そのせいだろう」


「しっかりあたためますね」


 人の話を聞かず、ライナスが俺に熱を移してくる。

 腕の中があまりにあたたかくて、心ごと溶かされていく。もっと熱が欲しいと強請るように顔を上げれば、既に寄せ始めていたライナスの唇に出迎えられ、口付けで体を熱くさせられる。


 戯れに唇を長く押し付けたり、すぐに離されたりと、多様なキスに俺の理性が流されていく。


 外が静かだ。また雪が降り始めたのかもしれない。二人だけの場所に閉じ込められていくのを感じていると、ライナスが唇を離しながら息をついた。


「こうしてカツミさんと一緒にいられるなんて、夢みたいです」


「そんないいもんじゃない。すぐにガッカリする」


「まさか。ワタシはずっと、カツミさんを好きになって、愛し続けます」


「一体その自信はどこから来るんだ?」


 半ば呆れ気味に俺が考えなく紡いだ言葉に、ライナスが口を閉ざす。笑顔の輝きを消したその顔は、やけに真剣で翳りが覗いて、ひどく悲しげに見えた。


「……ホントは、独りで生きて、絵の世界に沈んでいたかったんです。両親は、もういないので」


 ずっと聞かないようにしていた、ライナスの事情。


 早く追い出すのだから、知る必要ないだろうと興味を持たないようにしていたこと。

 しかし今、ライナスの都合に深く立ち入り、まがいなりにも特別な交わりを持とうとしている。もう観念してライナスを知るべきだろうと思い、俺は話に耳を傾ける。


「俺と似た境遇なのか……」


「そうですね……両親は子どもの頃に亡くして、帰る故郷もなくて、ただ作品を描きたいと願ってました。でも今はカツミさんが私の居場所で、カツミさんの世界がワタシの世界です」


「言い方が大げさだな。ライナスは顔も性格も良い。その気になれば俺以外の相手で居場所は作れる」


「ワタシが尊敬して、美しいと感じて、同じ世界にいたいと思える人は、カツミさんだけです。他の誰かに変えるなんてできません」


 そっと俺の節くれ立った手を取り、ライナスが手の甲へ唇を落とす。


「どうか一緒に居させて下さい、ワタシのミューズ……ワタシの人生、カツミさんに捧げます」


 まだ若いのに、そんな重い決断をあっさりしないでくれ。ライナスは出会っていないだけだ。俺よりもっと若くて、性格が良い相手はいるだろうに……。


 だが同じ孤独を持つなら、手を差し出したくなる。俺はライナスの頭を撫でながら、小さく微笑んだ。


「そこまでしなくても、そばに居ればいい」


「ありがとうございます。カツミさんの言葉に甘えます」


 嬉しそうにライナスが満面の笑みを浮かべる。不意に長い指が俺の頬をなぞり、首筋を下り、胸を弄ろとして、思わずその手を叩いてしまった。


「調子に乗るな。まだ早い」


「早くなければいいんですか?」


「……覚悟ができていない」


「覚悟してもらえるよう、手伝います」


 言いながらガバッとライナスが俺を抱き締める。

 うなじに熱い吐息がかかり、思わずビクッと俺の背筋が跳ねた。


「コラ、変なことはするな――んっ……」


「慣れてください、ワタシに……」


 慣れる訳がないだろ。俺は免疫も経験もないんだから。


 全身でライナスの抱擁を感じながら、俺は軽く目を閉じる。

 体が熱い。心音が速く聞こえる。頭がクラクラしてくるのに、この状況が嫌じゃない自分がいる。


 互いの熱が溶け合い、どちらのものとも分からなくなっていく。

 ああ、あたたかい。ずっとこのままでいられたら、どれだけ幸せだろうか。


 自分の心が急速にライナスにくっついていく。絶対に離れたくないという自分の本音に気づかされたが、我慢しろと言い聞かせる。


 俺に縛り付けて、二度と広い世界へ羽ばたけなくしてしまうのは可哀そうだ。たとえライナスが外の世界を望んでいなかったとしても――。

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