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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
一章 押しかけ弟子は英国青年
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おかしな英国青年との出会い

 人をミューズ呼びしてくるおかしな英国青年と出会ったのは、九月の半ば頃。




 俺しかいない限界集落の村から車で十五分。

 ふもとにある温泉街を抜けた所にある山ノ中漆芸館が、この日の俺の職場だった。


 人材育成を手がけながら、観光の目玉に町の誉れである山ノ中漆器を店頭販売している施設。数年前から俺はそこで、塗りの実演をやっている。観光客に硝子の向こう側から塗りの作業を見せる仕事だ。


 裏口から入り、作業の準備をしようと部屋へ向かおうとした時、


「おーい克己、おはようさん」


 通路の中ほどにある休憩所で煙草をふかしていた男が、俺に気づいてにこやかに手を振る。紺のスーツに茶髪のオールバック。同級生と思えない顔の若々しさ。恰好から攻めても相変わらず威厳は皆無だ。


「……おはよう、辻口」


 昔からの呼び方を俺が口にすれば、三十五年来の幼馴染がにっかりと笑う。

 この漆芸館の館長でオーナーで、漆器の卸売問屋の社長。本来は言動を弁えるべきかもしれないが、長年の関係は肩書きで変わるものではない。


 俺のぶしつけな態度に怒る様子もなく、辻口は立ち上がる。


「今日もよろしくな、克己。お前の人間国宝級の塗り、しっかりと披露してくれよ」


「手を抜く気はないが地味だぞ? 観光客の受けは良いと思えんのだがな」


「ばっちり需要あるから自信持ってくれ。ちゃっかり観光客に紛れて同業者が見学してるし、海外客の受けはかなり良いからな」


 いつも塗りに集中していて、どんな観光客が見学しているのかなんて見ていない。ガラスの向こうにいるのが誰であろうが俺には関係ない。見たければ見ればいいし、興味がなければそれでも構わなかった。




 ――そんなやり取りをしたせいだろうか。いつもより俺の意識は部屋の外へ向かっていた。


 漆芸館の土産用の皿をひとつ塗り、新たな皿へ手を伸ばす前に息をつく。


 その時、ちらりと窓ガラスを見る。海外からの団体客が入ったのか、黒髪ではない者が十数人も並び、俺の作業に見入っていた。


 地味な作業でも、異国の文化は刺激があるのだろう。かなりがっつりと俺を凝視している。中でもひと際背が高い金髪の青年は、離れた所からでもキラキラとした眼差しが強く、無遠慮に俺に視線をぶつけていた。


 日本人には羨ましい彫りの深い顔、軽やかにうねった金髪、整った目鼻立ち。興奮しているのか、大きな口をギュッと引き結び、鼻を膨らませているようの見える。


 ……やり辛い。気にしても意味がない。俺は作業に専念するのみ。

 自分にそう言い聞かせて作業を続けるが、いつまで経っても視線を感じる。


 皿を塗り終える度に目を向けるが、金髪の青年は居続ける。一緒に来ていたであろうツアー客が移動した後も、ひとりで俺に視線をぶつけていた。


 青年が飽きて立ち去るよりも、俺の作業分の皿を塗り終えるほうが早かった。


(なんて奴だ……)


 道具を片付けながら、俺は顔を引きつらせる。


 こんなに熱心に見るものじゃない。ましてや子供が宝物でも見つけたように、目を輝かせながらなんて。


 だが、もう終いだ。昼食を取るために俺は部屋を出た。




 いつになく疲れを覚えながら、漆芸館の裏口から出て、馴染みの食堂へ足を向けようとした時だった。


「あ、あの……!」


 横から大きな声で呼び止められ、俺は思わず振り向く。そこには凝視し続けていた金髪男が、息を切らせて立ち尽くしていた。


 青い瞳がまた輝き続けている。俺には眩しすぎた。


「……何か?」


 なかなか話そうとしない金髪男に痺れを切らせ、俺から尋ねてみる。鏡がないから定かではないが、露骨に顔をしかめて嫌そうに。


 金髪男は口をまごつかせ、身振り手振りするばかりで声を出さない。もしかすると日本語が出てこないのかもしれない。どうしたものかと困り果てていると、


「どうしたんだ克己? 昼飯行かんのか?」


 裏口から辻口が出てきて俺に寄ってくる。

 すぐ状況を察したのか、辻口は余所行き用の微笑を浮かべて金髪男に顔を向けた。


「What's wrong?」


 辻口が英語で尋ねると、救いの神が来たとばかりに金髪男は満面の笑みを浮かべ、猛烈な勢いで話し出す。ただでさえ俺は英語には疎い。興奮して饒舌な金髪男の英語など、聞き取れるはずがなかった。


 辻口が何度も相槌を打ち、「オー」とか声を上げたりした後、くるりと俺に振り返った。


「克己ー、良かったなあ」


「何が?」


「押しかけ女房が来てくれたぞ」


「はぁっ!? 辻口、ふざけるな」


 信じられない言葉に俺が憤慨すると、辻口は苦笑しながら小さく手を振った。


「俺はもう少し話すから、克己は食事に行ってくれ」


「……おう、そうさせてもらう」


 こっちも手を振り返して去ろうとすれば、金髪男が「待って!」と追い縋りそうな気配を見せる。だが辻口がしっかりと止めてくれた。


 辻口、お前は責任者なんだから、トラブル解決しておいてくれ。

 心でそう呟いてから、俺はいつもの食堂へ歩いていった。


 もうあの男とは会うこともないだろう。本当は俺に何を望んでいるのか、気になるところだが。


 考えなくていい。交わらない人間のことなど――。



   ◇ ◇ ◇


 翌日。俺には直視が辛い快晴の日の午前中、俺の家へ辻口はやって来た。


「克己、急にすまんな。ちょっと邪魔するぞ」


 ガラリ、と連絡もなく玄関の引き戸を開けられ、俺は絶句する。

 急に来たこともそうだが、信じられないことに辻口の後ろにはヤツがいた。


「カツミさん、オジャマします!」


 昨日と変わらず晴れやか顔の金髪男。心なしかウキウキしながら辺りを見渡し、中へ入ろうとするが……ゴンッ。玄関口より背があるせいで、無様に頭をぶつけた。


「気を付けろよー。日本の家屋は低い所が多いから、ライナスには危険がいっぱいだ」


 ……おい辻口。お前、いつからその金髪男の名前を呼びながら、親しく話せる関係になったんだ?


 俺が顔を引きつらせていると、辻口が腹立たしいほど朗らかに笑う。


「紹介する。こちらはイギリスから来たライナス・モルダー・コンウェイさんだ」


「ハ、ハジメ、まして! ライナスと言いましゅ」


「ライナス落ち着けー。克己相手に緊張して噛むなよ」


「で、でもツジグチさん、ワタシ、ウレシくて……」


 状況がさっぱり呑み込めない。なぜ俺は朝から辻口と挙動不審金髪男の漫才を見せられているんだ?


 激しく困惑していると、辻口が笑いながら告げてくる。


「実はな、昨日あれから話を聞き込んでみたら、前からメールで漆芸館に色々と質問してくれていたライナスさんだって分かってな。生の現場を見せて欲しくて、わざわざイギリスからここまで来てくれたんだよ」


「……事情は分かった。だが、なぜ俺の所に来た?」


「克己の塗りに一目惚れしたって」


 塗師になって二十二年。初めて言われた言葉に俺は固まる。


 俺の塗りに一目惚れ? どこをどう見たら惚れるんだ?

 理解できぬ俺に、金髪男――ライナスは両腕を大きく広げて語り出す。


「カツミのヌリ、見た。サムライ、そこにいた! カツミ、クールビューティー!」


 びゅーてぃー? 興奮しておかしなことを言い出すライナスを、俺は唖然と見つめてしまう。


 辻口が苦笑しなら「落ち着けー」とライナスの背を叩き、鎮めてから俺に向き直った。


「つまりライナスはお前の塗りに惚れ込んで、お前の元で山ノ中漆器を学び――」


「無理だ。他を当たってくれ」


「一瞬でも考えてくれよー」


 人嫌いの俺が教える? 地元民相手ですら上手く交流できない時があるのに、海外の人間に教えるなんて不可能だ。俺の心が耐えられん。


 ハァ、と大きく息をついて俺は辻口を睨む。


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