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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
三章 ライナスのぬくもりに溶かされて 
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雪中の贈り物

   ◇ ◇ ◇


 雪は二日ほど降り続いた。


 玄関を開ければ、俺の目線と同じくらいの雪の壁。せめて万が一の時のためにメインの道路に出られるよう、そこまでの道をライナスに雪かきしてもらう。


 俺は屋根に上って黙々と雪を降ろしていく。体に負担がかからぬよう、シャベルでブロック状に雪を切り、小さめにすくい取って下の庭へ落とす。


 奥行きのある古民家。やたらと広い庭に雪を落とし続ければ、ソリのすべり台を作るのも、かまくらもたやすく作れる。子どもの頃によく作ったものだと思い返していると、ライナスが屋根に上ってきた。


「カツミさん、手伝います」


「道はちゃんと空けられたのか?」


「はい! せっかくなので雪の壁を飾ってみました」


 飾った? ものすごく気になるんだが……。

 ライナスのセンスはよく知っている。一ファンとしてときめいてしまう。


 すぐ屋根から下りたい気持ちを抑え、ライナスに雪降ろしを教えていく。やはり二人でやれば負担は半分――いや、俺より若くて体力がある分、ライナスのほうが量をこなしている。


 いつもなら丸一日の作業になるところ、昼過ぎには雪降ろしを終えることができた。


 俺は屋根から下りてすぐ、ライナスが頑張って作ってくれた雪の道へ向かう。

 人が余裕でひとり通れるほどの道。その両脇に沿った雪壁の上には、可愛い雪ウサギ――赤い南天の実で目を、深緑の細長い葉で耳を作ってある――が何匹も並び、戯れていた。

 男二人の所に可愛すぎだろうと吹き出していると、


「カツミさん、こっちも見て下さい!」


 俺の背後に現れたライナスが、車道のほうを指さす。何をしたのだろうかと歩いていけば、雪を固めて柱状にした物を両脇に作り、立派な門に見立てていた。


 よく見ればツタの模様が彫られており、凝った印象を受ける。その遊び心に笑わずにはいられなかった。


「ライナス、お前、何を作ってるんだ……っ」


「せっかくの雪なので、何もしないのはもったいなくて……途中、壁にお椀やお皿も作りました」


「なんだと? 見落とした」


 俺は踵を返して雪壁を見回しながら、言われたものを探していく。そして俺が見つけた時、ライナスは誇らしげに胸を張った。


「カツミさんに捧げます」


 目に入ってきたのは、俺が普段相手にしている椀や皿の形。雪の壁に埋め込まれたように、軽く出っ張ったレリーフ状で刻まれている。


 その近くには刷毛もあり、塗っている最中の光景なのだと分かる。凝ったものではないが、この遊び心は見ていると嬉しくなってくる。


「よく作ったな。ライナスらしくて良いと思う――」


「これ、まだ完成じゃないです。カツミさん、ちょっとこっちに立って下さい」


 俺の腕を引いて雪壁の漆器レリーフから離れた所に立たせると、ライナスは俺の体の向きを微調整し、納得したように頷く。


「横目であっちを見てくれますか?」


 言われるままに横目で視線を送ると、ちょうど俺の影か椀と刷毛と向き合う形になる。

 まさかと思い、手を動かして影でそれぞれを持つようにすれば、俺の影が塗りをする姿を映し出した。


「ラ、ライナス、お前、これ……っ」


「どうでしょうか? カツミさんだけのプレゼントです」


 驚きのあまりぎこちなく振り向いた俺に、ライナスが嬉しそうに微笑む。

 日差しのように明るくて眩しい、温かな笑顔。こんな雪の中で、ここまで他者のぬくもりを感じる日が来るとは思わなかった。


 急に目頭が熱くなり、俺は慌てて手で目元を覆い、ライナスから顔を逸らす。


「まったく、お前は……なんて物を作ってくれたんだ」


「す、すみません、嫌でしたか?」


「嬉しいに決まってるだろ。嬉し過ぎて、その、な……」


 まさかライナスに感極まるなんて。誰かに心を揺さぶられることなど、もうないと思っていたのに。


 目から溢れ出そうなものを必死に抑えていると、


「……カツミさん」


 やんわりとライナスが俺の手を取り、優しく顔から剥がしてしまう。そして俺の目元に唇を落とし、次いで人の唇を奪ってくる。


 おい、コラ、調子に乗るな。外はやめろ。唇が離れたら開口一番に注意せねばと気負っていたが、


「大好きです……ワタシの大切な、愛しいミューズ」


 ライナスの心からの想いと、今の俺の状況を改めて言葉に出されて、俺は何も言えなくなる。


 押しかけ弟子で、互いのファンで、恋人。生涯誰も懐には入れまいと思っていたのに、入ってしまったライナスの気持ちが甘くて熱くて、年甲斐もなく酔いしれそうだ。


 俺からは何もできなくて、せめて「俺も」と同意しようとするが、口は震えるばかり。もたついていたら再びライナスに唇を重ねられて、返信代わりの追いキスを奪われる。


 このまま家に戻ったら、さらにライナスに自分を奪われそうな気がしている中――ジャケットからスマホの着信音が鳴った。


「ほ、ほら、中に入って休むぞ。研ぎの作業もあるから、もたもたするな」


 慌てて俺が家へ入るよう促すと、ライナスは目を細めながら「はいっ」と返事をして離れていく。


 その大きな背を見て、思わず俺の口元が緩む。絆され過ぎていることを自覚しながら、俺はポケットからスマホを取った。


 画面に出てきたのは『辻口』の文字。俺のスマホの通話履歴の大半は、辻口からの連絡が占めている。今回も例に漏れなかった。


「もしもし」


『おう、克己。そっちの雪はどうだ?』


「いつも通り酷いもんだ」


『予報だと今週はまだ降るみたいだからな。落ち着くまでこっちは休んでくれ』


 例年ここの積雪が酷いと、辻口は漆芸館の仕事を休ませてくれる。俺が町に出るのがどれだけ大変か知っているからだ。昔からこっちの事情をよく知っている辻口は、本当にありがたい存在だ。


 俺は「ありがとう」と小さく笑って答える。


「俺の代わりはどうするんだ?」


『濱中に頼もうと思ってる』


 名前が出てきて、ライナスの帰宅が遅くなった日の濱中との通話を思い出す。人のプライベートなことを強引に聞いてしまい、悪いことをしたと思う。反面、濱中はライナスからあれこれ相談を受けているから、俺たちのことがバレるのも時間の問題だろう。


 察しのいい男だ。軽く話しただけで気づかれそうだ。

 軽く頭痛を覚えたが、迷惑をかけたのは間違いない。俺は息をついてから辻口に告げる。


「その、今日は濱中はそっちにいるのか?」


『ああ。頑張って雪かきしてるぞ』


「じゃあ伝言を頼む。夜に電話させてくれ、と」


『分かった。伝えておくが……克己から連絡って珍しいな。何かあったのか?』


「あー……ちょっとな」


『ライナスに迫られてるから助けてくれ、とか』


 辻口の茶化した声に、思わず俺は息を詰める。分かりやすい動揺に気づかぬ辻口ではなかった。


『まさか図星か?』


「ち、違う。そうじゃない」


『それなら良いが、少し心配してたんだよ。ライナスに惚れられてるのに、雪に閉じ込められて二人きりなんて……本当に襲われてないか?』


「大丈夫、だ。アイツはそんな奴じゃない」


『信用してるんだな。いやあ、良い師弟になったもんだ』


 明朗に笑う辻口の声に、嬉しさが混じっている。

 辻口も察しがいいほうではあるが、まさか俺が本当にライナスを受け入れつつあるだなんて、夢にも思っていないだろう。


 何せ俺自身が、未だにこれが現実なのかと疑いたくなるほどだ。このまま二人だけの世界に閉じ込められていたら、どこまでも一緒に沈んでしまいそうだなんて――。


『克己? 大丈夫か?』


「あ、ああ、すまない。雪かきを終えたばかりで頭がぼんやりしていた」


『そいつは悪かった。ゆっくり休んでくれ。あと明日の筋肉痛に備えておけよ。もう俺らは若くないんだし』


「お前と一緒にするな。俺は大丈夫だ」


『だと良いなあ。じゃあ、またな』


 確信めいた押し殺した笑いを奏でながら、辻口が通話を切る。


 ……体を解しておけば大丈夫だ。多分。

 スマホをポケットにしまった後、俺は体を捻ったり、腕や脚をストレッチしたりしから家へと戻った。


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