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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
三章 ライナスのぬくもりに溶かされて 
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誤解と告白と揺れるおっさん心と


   ◇ ◇ ◇


 大急ぎで風呂を沸かし、俺に先に入って欲しいと譲ろうとするライナスを強引に入れてしまう。


 俺が風邪を引いたら大変だと言っていたが、お前は俺が風呂に入っている間に永遠の眠りにつく気か? 雪に閉ざされた中で倒れられても、救助はすぐ来ないのに。


 苛立ちながら俺は湯を沸かす。買い置きの生姜湯の素をカップに入れ、ライナスが風呂から出たらすぐ飲めるようにしていると、


「カツミさん、アガりました」


 台所に顔を出したライナスに俺は早足で歩み寄り、ぐるりと彼の体を回し、背中を押して居間で赤々と熱を漂わせるストーブ前に追いやった。


「もっと温まれ。体を冷やすな」


 問答無用で用意しておいた毛布を二枚ライナスにかけ、モコモコにしてやる。ここは隙間風が入るから、これぐらいやらんと体が温まらない。


 何か言いたそうなライナスには気づいたが、無視して台所へ行き、生姜湯を作ってやる。

 再び居間へ戻ってライナスに手渡せば、湯気で彼の顔がぼやけた。


「俺は今から風呂に入るから、それを熱い内に飲め。口に合わなくても、倒れたくなければ飲むんだ。分かったな?」


「は、はい……」


「よし。じゃあ俺も入って――」


 踵を返して離れようとした時、ライナスが俺の手を掴む。引っ張られて振り向くと、捨てられた子犬のような顔が俺を見上げていた。


 遊びに行ってこんな事態になったせいで、申し訳なくてたまらないのだろう。俺は思わず小さく笑い、まだ乾いていないライナスの頭をワシワシと撫でた。


「こんなことで弟子をやめろ、なんて言わんから。安心して温まっていろ」


 悲しげなライナスの顔から表情が消え、頬の赤みが強まる。


 俺を掴んでいた手が緩んだところで、すかさずその腕を毛布の中へ入れてやり、俺は今度こそ風呂場へ向かった。


 脱衣所でようやく俺は安堵の息をつく。

 ――ぞくり。背筋の奥が悪寒を覚える。ライナスに倒れられても困るが、俺が倒れたら共倒れになってしまう。気を引き締めてから俺は服を脱いだ。




 体の芯まで温まって風呂から出ると、ライナスがいそいそと体を半分ずらし、ストーブの前を譲ろうとした。


「俺は大丈夫だから、そのままそこにいろ」


「いえ、ワタシはもう体、温かいです。カツミさんが冷えたら大変ですから」


「ライナスのほうが大変だったろ。気を遣わなくてもいい」


 困ったようにライナスが眉を寄せる。だが、すぐにパッと元に戻ったかと思えば、嬉しそうにストーブから半分だけ体をずらし、体を巻いていた毛布の片側を開けた。


「一緒に温まりましょう。今ここ、すごくあったかいです」


 純粋な心配なのは分かるが、どうしても邪さを感じてしまう。狼の懐に入るような怖さはあったが、背に腹は代えられない。俺も体を温めないと明日に影響が出てしまう。


「……何もするなよ」


 釘を刺してから俺はライナスの隣へ行き、同じ毛布に包まる。確かにストーブとライナスの体で温まった毛布は心地いい。しかしライナスの腕に俺の肩が当たってしまい、心臓に悪い。


 妙な緊張感を覚えながら、俺はしばらくストーブの赤い輝きをぼんやりと眺める。ライナスも口を開かず、いつになく静かにこの時を過ごす。


 しばらくしてライナスが「あの、カツミさん……」と、ぎこちない声を漏らした。


「迷惑をかけて、ごめんなさい……」


「もういいから。無事で良かった」


「こんなに積もるなんて思いませんでした」


「だろうな。ここは平地よりどっさり積もるからな。明日は屋根と道の雪かき、頑張ってもらうぞ」


 このひと晩の降り方次第だが、軽く一メートルは積もるだろう。いつもは俺ひとりで一日中雪かきをするところだが、今回はライナスがいる。単純に負担が半分になるだけでもありがたい。


 さすがに初心者に屋根雪をおろさせるのは怖い。足を滑らせて落ちてもらっては困る。俺が屋根でライナスは道の雪かき。明日の役割を考えていると、ボソリとライナスが呟いた。


「静かですね。いつもカツミさんだけで、ここに……」


「そうだ。不便だが漆芸の環境はいい。新しい場所でこの規模の作業場を作るとなれば、恐ろしく金がかかる。俺はここを気に入っているし寂しくもない。引っ越す理由は何ひとつない」


 強がりではなく俺の本音だ。不便も日常。変える気はない。


 フッ、と笑ってから俺はライナスを横目で見る。


「うんざりしたか? 毎年こんな感じだ。ここでやっていきたくないだろう?」


 鈍い動きでライナスが俺に顔を向ける。どこかうっとりしたように見えるのは俺の気のせいか? と内心首を傾げてしまう。


「ライナス?」


「雪の中で、カツミさんだけ感じられる……幸せです」


 ここの冬の厳しさを体感したばかりなのに、ライナスのブレなさに俺は目を剥く。


 お前……デートに行ってたんじゃないのか? 濱中ではなかったらしいが、俺に言えない相手と一緒にいたんじゃないのか?


 いくら師匠でも立ち入ったことは聞くべきではない。分かっているのに俺の口は思わず動いていた。


「……ライナス、今日は何をしに行っていたんだ?」


「そ、それは……」


「濱中の知人のバーに行ったことは聞いている。もしかしてそこにいる知人に、誰か紹介してもらったのか?」


「紹介?」


「お前は年ごろだから、恋人が欲しくなるのは分かる。それでいい子を紹介してもらっても、別に俺は構わん――」


「ち、違います! ワタシは、カツミさんがいいです!」


 勢いよくライナスに腕を掴まれ、俺は息を詰まらせる。

 思わず顔を向けてしまったせいで、必然的に見つめ合ってしまう。なるべく見ないようにしていたライナスの目。あまりに必死で、熱くて、逃げるのを忘れてその視線に囚われた。


「あの、今日出かけたのは、どうしても知りたいことが、あったので……」


「何をだ?」


「えっと、その、愛し方を……男の人の……」


 正気か? 相手は俺か? 俺なのか?

 ライナスが俺を想っているのは知っている。だから必然的に該当する相手は俺になる。どちらも頭は理解する。だが、それらが俺の中でくっつかない。


 強張る俺に構わず、ライナスはさらに言葉を重ねてくる。


「最初は、カツミさんと同じ世界で生きたいだけでした。でも同じ所まで潜りたくなって――」


 困った。ライナスが何を言ってるのか分かってしまう。


 漆黒を求めて塗りに没頭すれば、どこまでも深い黒を作ろうと意識を漆に向けていく。それは本来なら誰も立ち入ることのできない、孤独な世界に沈んでいくこと。なのにライナスは、その世界に入って俺と一緒にいきたいらしい。


 どこまでも二人だけで深く、深く――。

 二度と現実に戻れないほどの場所で、二人きりの世界に浸りたい、ということなのだろう。


「どうして、俺なんだ……」


 思わず出てしまった掠れた変な声。ライナスは微塵も笑わず即答する。


「カツミさんが好きだからです」


「おっさんだぞ?」


「何か問題ですか? 経験をたくさん積まれたということです。良いことだと思います」


「まったく可愛くないぞ?」


「照れたり、笑ったりすると、カワイイです」


「優しくないし、話はつまらん。人より漆を優先するぞ?」


「カツミさんは優しいです。漆を語って夢中になるアナタが好きです。話す言葉も、何気ないしぐさも、芸術のインスピレーションを毎日与えてくれる、ワタシのミューズです」


 俺の言葉をライナスが丁寧に否定してくる。ドン引きして冷静に思い直して欲しいのに、ますます熱を帯びるばかりだ。


 自分の駄目さを語る材料がなくなって言葉を失っていると、ライナスはそっと尋ねてくる。


「嫌いですか、ワタシのことは?」


 何も知らなかった時なら、嫌だと即座に返せたのに。


 俺はライナスが内に秘めている世界を知り、惹かれてしまった。もう家の中へ自分から手を引き、入れてしまうほど受け入れてしまった。そんな相手を嫌いだと切って捨てることができるほど、俺の心はたくましくない。


 ライナスは黙して俺の答えを待ち続ける。無駄に俺の鼓動だけがやかましい。


「……嫌い、ではないと……思う」


 ようやく声を絞り出して伝えるが、気恥ずかしさで目が泳いでしまう。四十のおっさんがこの反応……情けなくて顔から火が出そうだ。こんな中途半端な答えにさぞライナスもがっかりしただろうと思い、どうにか視線を定めて目前の顔を見る。


 ……どうしてそんな長年の夢が叶ったような笑顔を浮かべているんだ、ライナス?


 唖然とする俺に、ライナスが毛布と一緒に抱き着いてくる。恥ずかしいにも程がある。だが、ぬくい。ぬくすぎて突き放さなければという気が溶かされる。体の芯まで火照りを覚えていると、ライナスが長息を吐きだした。


「ああ、ちょっとでもカツミさんに近づけた……嬉しいです」


「ゼロがイチになった程度だぞ?」


「ゼロとイチは全然違います。プラスになったなら、いつか好きになってくれるかもしれませんから」


 ギュウッ、とライナスが俺を抱き締める腕の力を強める。見た目より筋肉あるな。胸板も厚い。


 この体格差に筋力差。本気になれば俺を好きにできるだけの力がある。それでもライナスは俺に縋るように抱き締めるばかりで、それ以上の無体は働かない。ただ、


「カツミさん、大好きです……これからも好きです。ずっと、ずっと――」


 言葉だけは俺を攻め続ける。母国語ではない言葉。少ない語彙の中で想いを伝えてくる。拙い中に甘さと優しさが混じっていて、心臓に悪いのに耳には心地良い。


 相変わらず外の音は一切ない。

 しんしんと静かに、無慈悲に雪は降り積もる。

 白い世界に閉じ込められていく。俺を熱く想う奴と一緒に。


 いつもなら独りで漆と向き合い、どこまでも深い黒を作りあげていく。俺が一年の中で最も好きな季節。余計なことを考えず、雪を理由に閉じこもり、ひたすら心惹かれることに打ち込める――ここの冬は俺にとっての楽園だ。


 なのに今年はライナスがいる。本当なら独りになれぬことが歯痒いはずなのに。


「……カツミさん……」


 俺以外の息遣いが、声が、熱が、やけに胸を昂らせるのに安堵も覚えてしまう。

 誰かがこの閉じられた世界にいるという安心感。それが俺の世界に触れて、強く俺に惹かれる相手に覚えるなんて……。


 漆が手元にない今、俺が向き合っているのはライナスだ。

 漆と向き合うように、ライナスとも――。


 まるで人を深く想って好いていくかのようで、頭の中がぐちゃぐちゃしてくる。


 これは、あれだ。ライナスの腕の中にいるせいだ。離れるべきだと思うのに、隙間風が入る古民家はストーブが点いていても寒くて体が言うことをきかない。


 離れたくない、なんて絶対に言えない。

 言えばライナスは誤解するだろうし、強く押されて拒み切る自信が俺にはない。あと少しで離れよう。離れろ、と言おう。もうちょっとだけ。ほんの少しだけ――。


 ズルズルとぬくもりの中に居続け、次第に俺は眠気に囚われていく。

 少しだけ目を閉じるつもりだったのに。俺のまぶたは重さを増してしまい、そのまま開かず、意識も遠のいてしまった。


 このぬくもりは、もう手放せない。都合のいいことを自覚しながら、俺は体から力を抜いていく。


 俺に想いを曝け出したままのライナスの腕の中で――。


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