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おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~  作者: 天岸あおい
二章 『好き』は一日一回まで
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親父の漆器を見に……

   ◇ ◇ ◇


 漆芸館の仕事を終えた後の帰り道。車を運転しながら、我ながら迂闊な行動を取ってしまったことを切実に痛感する。


「んふふー」


 助手席でずっとライナスがにやけっぱなし。浮かれた声も垂れ流しっぱなし。甘酸っぱい気配が俺の肌を逆撫でしてくる。落ち着くまで我慢するつもりだったが、もう限界だった。


「ライナス、もう笑うのやめろ。声も出すな。静かにしてくれ」


「すみません、無理です」


「試してもいないのに即答するな」


「だって嬉しくなります。カツミさんが、ワタシを守ろうとしてくれましたから」


 視界の脇でライナスが自分の頭を押さえる。ここまで頭を撫でたことを引きずるなんてと言いたい。だが、あの場を助けてくれたらライナスじゃなくても嬉しく思う。少なくとも俺はそうだ。


 気が済むまで喜べばいいと割り切り、俺は小さく息をつく。


「……今日みたいなことは、これからもあると思う」


「カツミさん……」


「ここは山に囲まれた田舎だから、開けた所よりも余所者に敏感なんだ。どれだけ真面目にやっても、なかなか認められないと覚悟しておけ」


 言いながら腹が立ってくる。地元民じゃないというだけで排除だなんて、理不尽にもほどがある。生誕地なんて自分では選べないことなのに。


 俺が顔をしかめていると、ライナスから「はい」と穏やかな声が返ってくる。


「分かってます。どこでもあることですから」


 さらっと言い切ったライナスを思わず見やる。さっきまでのにやけは消えたが、それでも怒りや苛立ちはまったく見られない。


 やけに悟っていやがる。これが初めてではないのか?

 信号が赤になり、車を停止させながら横目でライナスをうかがう。


 俺はライナスのことを、そろそろ知ったほうがいいんじゃないのか? 本気で一人前の職人に育てるきがあるなら――。


「あの、ひとつ教えて下さい」


「お、おう。なんだ?」


「カツミさんのお父さん、どんな物を作ってたのですか?」


 水仲さんが親父の話を出したから、それで気になったのだろう。


 伝統とは違うと断言されてしまう親父の漆器。確かに山ノ中漆器とは違う技法を使っていたし、当時は変わっていると物珍しがられていた。どんな物だったかを口頭で連ねるよりは――。


 俺は進路を変えるため、右の指示器を点ける。


「親父の作品は、辻口がやっている山ノ中漆器の博物館に展示されている。今から見せてやろう」


「博物館、ですか……」


「駄目か?」


「いえ。行きたいです!」


 唐突にライナスが声を大きく出してくる。すぐにそんな返事があると思っていただけに、間が開くとは思わなかった。内心首を傾げながら、俺は帰路から逸れて再開発された町のほうへ向かっていく。


 温泉街に入る手前の公共駐車場に車を停め、俺たちは旅情溢れる――俺からすれば長年の日常で、旅情感はまったく感じられないが――町の中を歩く。隣を歩くライナスは嬉しそうだが、少し硬い気がする。


 緊張しているのか? 俺の親父の作品を見るだけなのに?


 一緒に住むようになって、最近は少しライナスのことが分かる気になっていた。だがそうではなかったようだ。やっぱり分からん。俺は小さく首を振りながら、山ノ中博物館へと足を運んでいった。


 十年ぐらい前、観光に力を入れようと町全体が再開発され、温泉街の通りは昔のさびれた感じはなくなっている。しっかり車道から分けられた赤レンガの歩道。両脇の店々はすべて木造で統一され、昔を知る俺の目には今も真新しく感じる。


 そして温泉街の総湯の隣に、辻口が建てた博物館があった。再開発の目玉のひとつとして造られた、山ノ中漆器の博物館。親父さんから後を継いだばかりの辻口が、町長や町会議員たちに働きかけて造ってしまったもの。


 その完成を披露する時、辻口はぜひ貴方の作品を置きたいと俺の親父に頼み込んでいた。最初は断っていた親父。だが辻口の熱意に折れた。


 親父の作品は山ノ中漆器とは違う、と反発する職人は今もいる。それでも辻口は町の財産だと言って、今も博物館へ置いてくれている。親父は亡くなる前に作品を人に譲るなり、廃棄するなりしたから、俺の手元には親父の作品はほぼない。こうして博物館に来て、親父の作品を拝めるのはありがたかった。


「いらっしゃいませ。入場料は大人――あ、幸正さん。どうぞゆっくり見られていって下さい」


 入場受付の女性が、俺に気づいてすんなりと通してくれる。辻口の計らいで、山ノ中の職人はいつでも博物館の作品を見ることができる。これも後進育成の一環。良い物を見て目を肥やすのは大切だ。


 俺の後にライナスが続こうとして、俺は受付に話を切り出す。


「こっちの背の高いのは俺の弟子だ。だから――」


「知ってますよ。こんにちは、ライナスさん」


 女性がニコリと笑って小さく手を振る。ライナスも彼女と同じように返し、面識がある気配を見せる。


 山ノ中へ来たばかりの時に来たのか? まあこんな目立つ容貌で、人懐っこさもある。一回でも交流を持てば、すぐに距離も近くなって気さくなやり取りができるようになるのだろう。


 頭では理解できるが、正直面白くない。なぜだ? 四六時中一緒にいるせいで、俺の距離感がおかしくなっているのか?


 ……あまり考えないほうがいい。俺は無言で早歩きで親父の作品がある所へ向かう。


 二階建ての博物館。親父の作品は一階の南側に展示されている。展示室へ足を踏み入れると、ガラス張りの向こう側に並べられた親父の作品に出迎えられ、ざわついていた心が引き締まる。


 寡黙で我が道を突き進んだ親父。好きでも嫌いでもないが、職人として畏怖を覚える人だ。


 俺に遅れて展示室へ入ってきたライナスが、親父の作品を見て「わあ」と声を上げた。


「これも漆器なのですか?」


「そうだ。この部屋の半数が親父の作品だ」


「ワタシの知ってるものと、全然違いますね」


 ライナスは近くの展示ケース内を指さす。

 並んでいるのは朴葉の一輪挿しや紅葉の箸置き、松皮の香合に大きな百合の花弁の皿――。


 親父が作っていたのは、近所で採れる物を利用した漆器。葉を漆芸に利用するのは珍しいが前例はある。ただ親父は山ノ中漆器の技法にこだわらず、なんでも取り入れた。


 眺めていると昔の思い出がよみがえってくる。柿の葉の皿を作るために庭に柿の木を植えて、いい色合いの葉を作ろうとしたり、家族三人で山に朴葉やツワブキを採りに行ったり――。


「カツミさん、どうしましたか?」


 隣からライナスに話しかけられ、俺はハッと我に返る。


「いや、別に」


「お父さんのこと、思い出していたんですか? 嬉しそうに笑ってましたから」


 笑ってた? 俺が? 特に笑うようなことは考えていなかったんだが……。年を食って、他愛のない通り過ぎた日々を思い出して嬉しくなってたのか? 老けたな、俺も。


 俺は自覚しながら小さく口角を引き上げる。


「そうだな、思い出していた。子どもの頃から手伝わされていたからな」


「えっ、子どもの時から漆を?」


「いいや、材料調達だ。よく葉っぱを採りに行かされた。あと玉虫とハンミョウ採り。蒔絵に使うためにな。あの奥の箱に俺が採ったヤツが使われている」


 ゆっくりと箱のほうへ俺たちは向かう。


 昔話の玉手箱のような、四角い箱。黒塗りされた蓋に波がたゆたうような模様が入っているが、緑の部分は玉虫の羽根。赤と青と黒が混在しているのはハンミョウの羽根。


 虫嫌いの人間が材料を知れば腰を抜かすだろうが、何も知らなければ漆黒によく映える美しさに誰もが目を奪われる。


 ふとライナスを見やれば、興味深そうに親父の作品を見ている。箱のほうを見ながらも、松皮の腕輪をチラチラと何度も見ているのが気になった。



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