暴君降臨(1)
どうなったのかと、セリーナは再び目を開ける――醜く太い首が一瞬にして折られ、胴体と反対側に顔が向いてしまっている。死に顔こそ暗くてよく見えないものの、動かなくなったそれが死んだことは見て取れた。
ずれ落ちた鬘と共に、謎の人物はその死体を大きな皮袋に押し込んでいく。
「……手馴れているな。俺たちは何も見なかったことにした方が良さそうだが」
兄妹に刃を向けるでもなく、その人物は淡々と死体を回収するばかりだ。
ルカーシュは警戒しながらも、侵入者の殺意はガビにのみ向けられたものだと理解し、協力を持ちかける。
「賢明ですね。そのランプ、何でも収納できる皇族の秘宝……名前は〈希望の燭〉と言います。古代魔法が施されてるから、術式は見つけられない筈ですよ。自分の体を閉じ込めて、お姫様が眠ったのを見計らって出てきた……卑劣な男だ。僕はこうなるのを予想していたから、夜になるまで待っていたんですよ」
侵入者は冷静と言うよりも、冷酷だと表現した方がしっくりくる。まるで二人を知っているかのように会話する彼に、セリーナは不思議と嫌悪感を抱かなかった。
フードを脱いだその人物は、僅かに差す月明かりだけでも分かる、淡いプラチナブロンドをさらりと出した。
ルカーシュよりも更に十センチは高い長身に、褐色の肌をした青年。体は鍛え上げられているのだろうと、外套の上からもよく分かった。
長い金のまつ毛を持つ優しげなタレ目でありながら、瞳は少し小さめで鋭さすら覚える。そんなピーコックブルーの瞳が、夜の部屋の中でも輝いているように見えた。
(綺麗な人……)
いつか理想として思い浮かべた白夜の勇者。
美男と名高いルカーシュにも引けを取らないその男に、セリーナは既視感を抱いた。
戸惑いながらも、その姿を目に焼き付ける。ルカーシュも驚き、一度は夢かと錯覚するほどに困惑した。
「ピーコックブルーの瞳……皇族……?」
そして、冷静になって考えると、その青年の正体のヒントが浮かび上がり、ルカーシュは慎重に問いかけた。
ガビは恨まれているだろうが、暗殺する勇気のある人は少ないだろう。それでもこんなリスクを負ってまで殺しに来たのは、皇位継承争いが最もそれらしい理由に当たるのだ。
「僕はユオレイル・ペルシラビア。現皇帝の兄と、その妃の間に生まれました。そこのお姫様、僕と結婚してくれません?」
立ち尽くしたまま、彼は微笑んであっさりとプロポーズした。死体が入った袋を片手で持ち上げて見せる笑顔には狂気しか感じないが、どこか寂しさも含まれているような気がしてくる。
現皇帝の兄という人物には、二人も心当たりがあった。
その人が皇太子として君臨していた時代があったのだと――両親から聞いたことがある。現皇后の一派に暗殺されたのだと。
子どもがいたというのは初耳だが――褐色の肌にプラチナブロンド、それにピーコックブルーの瞳を見れば、信じざるを得ない。ペルシラビアの皇族の特徴で、袋の中の死体よりもずっと正当性がある容姿だ。
何より、前回の人生では登場しなかった人物。高い宮殿の客室に侵入し、ガビの計画に目星を付け、あっさり殺してしまうくらいの実力者だ。こんな男がいたのなら、世界の運命も変わっていただろう。
セリーナは恐怖よりも、別の未来が訪れる期待を抱いたのだ。
「断れば……殺しますか?」
一目で高貴な人だと分かる貴公子に、セリーナは冷静に問いかける。
そうだと言えば今なら兄がいるし、そうでなければ何かしらの交渉が可能だと踏んだのだ。
青年は目を細め、少し悲しげな顔をしたかと思うと、背を向けて窓の方に歩いて行った。
「こんなに綺麗な人を殺すなんて……勿体ないじゃないことはしませんよ。結婚してくれたら、君と未来を守ると約束しましょう」
まるで何もかも見透かしているかのような、それでいて抽象的な言葉。どこまで信じればいいのか分からないが、振り向いた彼の真顔を見ると嘘やハッタリには思えない。
「ブリタニカに救われるほどの弱みはありません。欲しいものはありますが、それも陛下との話で決着が着く筈です」
兄妹は国の今後に関わることを隠し通すべきだった。懸念事項があっても他人に漏らすわけにいかず、毅然とした態度でルカーシュは返す。妹を抱きしめたまま離さず、敵意のない相手に警戒を続けた。
「でも、魔法石で結界を強くするだけでは、陰謀から守りきれないでしょう。西の密教国はいずれ世界を滅ぼします。僕にはもっとたくさんの情報がありますから」
先程までの柔和な笑みとは一転、ピーコックブルーの瞳は冷たく妖しい輝きを灯す。
青い炎にでも囲まれたかのように、セリーナは戸惑いで体が熱くなってきた。
この男はどうして、ブリタニカ側の計画を知っているのだろうか。むしろ滅びるのを知っていたのなら、どうして前回はそれを止めなかったのだろう――疑問ばかりが残る。
「……根拠がありません」
「僕が思うに、ルカーシュ皇太子……貴方は根拠のない《星誕》を信じている筈ですよ。そのお姫様が知る未来の話をね。僕の話は信用してくれないなんて、寂しいですねぇ」
核心に迫るような話をしながらも、飄々とした様子で話は続く。
兄妹の疑問が確証に変わった。セリーナと同じ未来を、彼は知っているのだと――。
「《星の子》は二人いて、共鳴する……貴方が片割れの……?」
もはや隠していても意味はない。その言葉まで知っているとなると、間違いなかった。預言には確かに、《星の子》が二人いると示されているのだ。
はるか昔から、その容姿をした王子様がいつかやって来ることを夢見ていたのは――これを示唆していたのだろうか。
不思議な気持ちになりながらも、運命なのだろうかと妙に腑に落ちてしまう。
「僕はお姫様が四年後の冬に亡くなることも知っています。彼女より十年先の未来を見てきました。ブリタニカのお姫様は可愛がられているから、その婚姻も自分の意思で決められるそうですね……少なくとも、僕は君が嫌がることはしません。いかがです? この容姿は気に入りませんか?」
理想の男が現れたからと言って、すぐに恋に落ちるほどセリーナは軽くない。
けれども、彼が同じ《星の子》なのは確かだとしか言えず――同じように時を戻したセリーナよりも、未来の記憶を持っていることが言葉の節々から示唆されている。
理由は不明だが、前回の人生で表舞台に立たなかった彼はセリーナの死を何処かで聞いたのだろう。その後どうやって過ごしていたのかは知らないが、世界は少なくともまだ存続していたのだ。
彼の話の真偽は、セリーナの死んだ時期を正確に当てたことで既に答えは出ている。
何より、先ほどまでガビに威嚇していたシルヴィーも、ユオレイルにはすりすりと寄っているのだ。邪悪なものでない証にも見えた。
「容姿で選ぶわけではありませんが、貴方と結婚いたしましょう。双方に損害がないように、契約書を交わして……」
「セリィ……」
「いいの。私の結婚は私が決めていいって、お父様も仰ったわ。それに……契約書を交わせばいいじゃない。断ったらこの状況から言い訳も出来ないわ」
兄が止めるのも振り切るように、セリーナはすぐに結論を出した。
どちらにしろ、この国で皇子の殺し合いは合法だ。この状況下で誰かに見つかれば、ブリタニカの皇族がそれに手を貸したと思われかねない。事実がどうであれ、必ず付き纏う。
ユオレイルはニコニコと笑い、機嫌が良さそうにセリーナを見ていた。彼は最初から確信犯で、このタイミングを狙ったのだ。
「ルカーシュ皇太子……明日の夜会にて、僕がこいつの死体を晒します。そこで妹君に改めて求婚しましょう。今から隣の部屋に移って、この部屋には朝まで入らないでおいて下さい。皇后の侍女がランプを回収しに来たら、偽物とすり替えて……本物を明日の宴会場に持ってきて下さいますか?」
具体的な指示を出し、死体の入った袋を軽々と持ち上げる。窓枠を通れるかどうかが問題だったが、押し込めば何とか通過出来そうだ。
「いいでしょう。こちらに責任が向かわなければ構いません」
ブリタニカが皇太子殺害に関わっていると、どんな理由があれど分が悪くなる。目の前の皇子は優しく丁寧な口調でありながら、やんわりと脅しているのだ。最終的に、セリーナが婚約を受け入れざるを得ないくらいに。
それでもセリーナが嫌がれば、世界すら敵に回せただろう――そうではなさそうに見えたから、ルカーシュは安全な選択を取る。
「交渉成立ですね。長居は出来ないから、今日はこれで失礼します」
ユオレイルは死体袋を持ったまま窓から去っていく。
残されたセリーナは取り乱すことはなく、冷静な気持ちで彼を見送った。
婚約と殺人を同時に行うために、このタイミングを選んだ男。何でも計算した上で行動しているのだろうという印象を残した。
「あの男の容姿……頑なに結婚を断ってきたお前が、こんなに早く決めてしまったのはそれなのか……?」
決めたことはもう仕方がなく、ルカーシュは咎めずに理由を問う。嵐のように去っていった青年に困惑し、腕の中から妹を解放してやった。
これまで男に対しては常に警戒を抱いていたのに、ユオレイルだけは最初から例外だったのだ。
「確かにすごく好みだけど、容姿だけに惚れるほど安くはないわ。それでも、不思議と警戒も嫌悪感もなかったの。彼がペルシラビアの皇太子になるなら、今から協力した方がいいのは事実よ」
顔を上げた瞬間に見つめ合い、視線を離せなかったことは否めない。思い描いた王子様が目の前に現れれば、乙女なら誰でもそんな反応をするだろう。
もしこんな出会いでなければ、本当に恋に落ちていたかも知れない。
少なくとも今は恋なんてしている場合ではなく、不安ばかりだ。かえって冷静でいられる。
「……俺の所見でも、敵意や殺意はない。お前への邪な欲望も見えなかった。ただ、何を考えているかは読めないな。へらへらしているようで、心の闇が深そうだ」
「えぇ、そうね……真意は見えないから、後日きちんと契約書を交わさないと」
「その時は俺も立ち会う。自分だけで背負うなよ。父上には明日にでも手紙を出しておくから」
「うん……お兄様、いつも私の選択を後押ししてくれてありがとう」
「兄として当然のことだ。今日は俺の部屋で寝よう」
その日、ルカーシュは言われたとおりにし、自分に用意された隣の部屋にセリーナを連れて行った。
☾
それから朝になり、人払いをして兄妹は二人きりで朝食を摂り、昨晩の話をした。
「実は……現皇帝の兄は父上の親友だったと聞いたことがある。改革を進めようとしたところで殺され、その妃は行方不明になったと聞いていたが……もしその時に身ごもっていたのなら、俺と同じ歳だろうな」
「確かに、皇子殿下はお兄様と同じくらいに見えたわ。その方はどういう改革をしようとされていたの?」
「ペルシラビアは皇位継承戦というものが公式的に行われ、皇帝の子たちが殺し合いをして、生き残った者だけが皇太子となれる。それを廃止し、異母弟である現皇帝を救おうとしたんだ。結果的に裏目に出た」
「皇后一派が弟を支持して、お兄さんを殺して弟を皇位につけたのね……お兄さんには既にお妃様もいて、操れないと感じたから」
「あぁ。それに、この国には奴隷制度があるだろ。それも廃止しようとしていたらしい。貴族たちには都合が悪かったんだろう」
ここにきて両親から少し聞きかじっていた話が役に立つとは思わなかったルカーシュだが、状況に悲観はしていなかった。
どこの王族や皇族にも、身体的特徴は存在する。たとえばブリタニカならば七色に光るような銀髪とオーロラ色の瞳で、それがどこかに出ている者でなければ国を継げない。セリーナも片方の目がオーロラ色なので、両親や兄を失った未来で一時的に女帝になれたというわけである。
ガビ皇太子は目がうっすらとピーコックブルーを帯びていただけだったが、ユオレイルという青年はまさにその特徴を持っていた。どちらに正当性があるかと問われれば、誰もが後者を選ぶだろう。
「皇族として生まれながら、その特権も与えられなかった人……殿下はとても寂しかったでしょうね」
そんな背景を知ると心が痛み、セリーナは何故だかユオレイルの力になってやりたい気がしてきていた。
(皇帝の兄の子である殿下と、先代皇帝の娘であるライア……境遇は似ているわね)
ふと、仇のことを考える。
彼女が皇宮にやってきた時、妹が出来たのだと嬉しかった。当時はまだロバートが生まれる前だったのもあったから、仲良くしたかったのだ。
ライアはセリーナを心底から嫌っていたが、向けられる悪意に見て見ぬふりをした。セリーナ自身、愛されて生まれ育った自覚があったからだ。そうでない者からすれば、傲慢に見えたところもあったのかも知れない。
現に、ライアの我儘を何でも受け入れた。それは彼女がどんなことをしても、両親や兄の愛が自分から離れることはないと、幼いながらも信じていたからだ。今思うと、そういうところが嫌われる要因だったのかも知れない。
(ユオレイル様の前では……家族が仲の良い姿を見せるべきではないのかも)
今後の振る舞いはより一層に引き締めるべきだと、セリーナは自分に言い聞かせた。