砂漠の国へ
三人の患者たちは盗賊をするつもりで結界外区域に出たが、運悪く魔物に捕まってしまったようだ。未遂だったのもあり、厳重注意をした上で、まともに働くよう職業斡旋場に連れて行かれた。
それからセリーナはルカーシュから魔力の供給を受け、何度か能力を使ってはあらゆる病を治した。魔力供給の方法は様々だが、親族なら手を繋いだだけである程度は譲渡できる。
そして、患者の不調の原因があれば、それを体外に排出することができることを確認した。
小さなロバートも積極的に兄や姉を手伝い、有意義な公務となる。
すぐにこの能力について両親に話すと、先日の話の結論が出るのだった。
「よくやった! これで魔法石の輸入については解決できそうだ」
皇帝はセリーナを労りながらも、国のために最善を考える。
「はい、お父様。この究極魔法でペルシラビアの陛下を癒し、陛下と直接の交渉に乗り出しましょう」
そんな話をする間にも、銀狼と鶴と白猫の精霊たちは異種族なのに戯れて遊んでいる。
ただ未来を見てきただけではない。天がもたらした精霊魔法まで手に入れたセリーナは、これからもし両親を害される機会があったとしても、きっと立ち向かえるのだ。
「ルカからの手紙ならば、皇太子も大して読まずに皇帝陛下の腹心……スィム卿に渡す筈だよ。彼は聡いから、炙って本当の文が浮き出るようにするんだ。そこに本題を書いて伝えたらいい」
皇太子は馬鹿なのもあるが、女との情事にかまけて政務はほとんど行っていない。まともな補佐官は殺されるという始末だ。彼に任された領地は荒れ果て、散々な様子である。
病床の皇帝には忠実な腹心であるライムーン・シャイフ・スィムがおり、彼がいることでまだ国を保っているとも言えるだろう。未来で皇太子が皇帝に即位してしまった後、彼は罪を着せられて幽閉されたようなのだが――。
「かしこまりました。セリィの能力は明るみになり、その噂は止められません。今後何かを起こそうとするならば、もっと手荒な真似をしてくるでしょう……不在の間はどうかお気を付け下さい」
「息子に心配されるとは、私もまだまだだな……分かった。私たちは他に不可解なことがあるから、二人が帰るまでに調査を済ませておこう」
「はい……出発はいつにしましょうか」
「今から手紙を送ったら、届くのは二ヶ月先か……時間差をつけて半月後くらいにすればいいだろう。公務については心配いらないよ。私たちで何とかするからね」
こうしてセリーナとルカーシュは、目的をもってペルシラビアに旅立つこととなった。
☾ ໋꙳
半月の準備期間を要した後、二ヶ月の航海を経て東の大陸へと上陸する。
旅立ちの日にロバートはついて行くと言って泣いたが、言い聞かせたら何とか理解したようだ。両親も心配し、忙しい合間を縫って見送りに来ていた。
普通、皇族が仲睦まじい家族であることは少ないが、今の一家は違う。いつかはどこかしらに嫁ぐことになっても、家族とはよく顔を合わせ、平和に歳を重ねていくものだと――消えた未来でのセリーナは信じていた。
(ロビンに……お父様とお母様。今頃どうしてるかしら)
用意された船に乗り込み、セリーナは置いてきた家族の顔を思い浮かべる。
「未来の記憶がある程度まで通じるのは、陛下を癒すまでよね。既にいくつか違うことが起こってるけど……仮に陛下の不調にルーシャン王国が関わってるとしたら、未来とは違う選択をしてくるきっかけはそれになると思うの」
豪華な船の甲板にて、巨大な陸地を眺めながらセリーナは兄に言った。
二ヶ月にわたる船上生活は、味方ばかりなのもあって落ち着いていられた。皇宮では同世代の淑女たちの規範とならなければならない。いつも気を張っているから、そうしなくていい場所は肩の力を抜けるのだ。
「そうだな。それでも、今度こそは……お前やロビンが幸せになるような未来にしたい。相手が手を変えてくるなら、こちらもそうするまでだ」
氷のようなルカーシュは優しく笑い、セリーナの頭を撫でた。海の日差しに銀色の髪が光輪のように輝き、長いまつ毛を伏せてオーロラ色の瞳を細める。
あまりに美しいルカーシュは帝国の淑女たちを虜にしているが、その目に映るのは家族ばかりだ。
愛情は兄妹の一線を超えるものではないから、セリーナも安心して身を寄せられる。家族の存在がなければ、おぞましい未来の記憶で精神が崩壊していただろう。
「セリィ様、そろそろお召替えでございます」
船の中から音もなく顔を覗かせたのは、侍女兼護衛のビビアン・リーシャ公女だ。ふわりとした羽根のようなラベンダー色の髪は、腰の辺りで毛先が揺れている。輪郭を隠すように内側に癖が付いており、横髪は豊かな胸の上に留まっていた。
騎士でありながらも女を捨てているわけではなく、セリーナの隣に立つのに相応しいほどの可憐な女性だ。愛称で呼ぶのを許しているが、従者として弁えた言動は忘れていない。
ルカーシュと同い年のビビアンは公爵家の出だ。次期皇太子妃かと言われていたくらいだが、互いにセリーナにしか興味がない。
「ビビアン公女、そろそろ上陸だ。これから少しの間、慣れない皇宮で過ごすことになる……なるべく俺がセリィの傍にいるが、どうしても女性にしか付き添えない場所はある。その時は頼んだぞ」
「もちろんでございます。光栄なる任務……必ずやお守りしましょう」
二人はいつも無愛想だが、セリーナのことになると意気投合して話が弾む。そんな様子が次期皇太子妃という噂を後押しするのだが、セリーナからすれば二人が男女の関係になるのはありえない話だ。
未来の記憶の中で、セリーナはビビアンを手放した。遺された大切なもの――ロバートを守るためだ。結果的に弟も処刑されたのなら、彼女もまた異教徒たちに殺されたのだろうか。
自分が死んだ後のことは分からないが、想像するだけで憂鬱になった。
☾ ໋꙳
東大陸の中でもペルシラビア帝国は西側の砂漠地帯にあり、大陸の半分以上の国土を誇る。海に面した港すら乾いた砂で覆われた土地だ。
そこからまた一日かけ、砂漠の整備された道を馬車で駆け抜ける。ここでもブリタニカから連れてきた従者ばかりで、セリーナにとっては安全な旅だと言えた。
昼間は暑く、夜は急激に冷える砂漠地帯。ペルシラビアの人々は露出が多く、透けるような薄い布を装飾として纏い、豪華な黄金や白金を好む。強い日差しの砂漠にいる時はローブを纏い、屋内では涼しい格好をして過ごすのだ。
この国では広い砂漠全体に結界が張られていて、細やかな移動をするためにも魔法で造られた車よりもラクダを使うのが主流だ。荷物はラクダたちに引かせ、人はその背中に直接乗るのである。
セリーナも乗馬の心得はあったが、いかんせん運動音痴なので兄の後ろにくっついて一緒に乗っていた。
「皇宮ではこれを脱がないといけないのよね。恥ずかしいわ……」
そして、自分の体を晒すことに抵抗を示す。ローブの下は豊満な胸の谷間を見せるだけでなく、腰まで見せる大胆な服だ。スカートは長いものの、透けていて足のラインが見えてしまう。
ブリタニカならば、間違いなく痴女と揶揄されていることだ。
肩に乗る猫のシルヴィーは、愛らしく鳴いて人間の恥じらいなど気にも留めていなかった。
「あぁ、慣れないな。セリィは男と二人きりになるなよ。俺かビビアン公女と一緒にいるようにしろ」
ルカーシュも普段からマントや装飾品の多い服を着込んでいるので、布面積の少ない服は初めてだ。僅かな布で肌を覆い、腕や腹筋を出しているスタイルで――細身のように見えて鍛えられており、露出するとその美しさが際立つのだった。
男性用のボトムはかぼちゃパンツのような丈の長いパンツで、透ける素材ではないが、彼もまたローブを脱ぐのに抵抗があった。
異国を訪問する際は、その国の意匠を施した正装をするのが共通のマナーなのだ。
間もなくして帝都に近付くと、玉葱のような形の屋根を付けた巨大な宮殿が空の下に鎮座していた。
これでもかというほどに宝石や黄金が散りばめられた皇宮は、遠くから見ても西の大陸以上に豊かなのが分かるくらいだ。
その皇宮を囲うように水路が流れ、人々の住む街が広がっている。
「宮殿にまで魔法石がたくさん……すごいわね」
セリーナは感動して窓を開けて身を乗り出し、豊かに広がる異国の帝都を見つめる。
「西大陸全土の結界を強化するほどの魔法石を調達したとしても、この土地のものは尽きることがなさそうだが……」
「そうよね……それが尽きてしまったなんて、一体どれくらい貢いだのかしら」
「それも含めて調査しよう」
まだ解決していない謎は多く、兄妹は未来の記憶を共有しながら進む。
更にラクダを走らせ、帝都の中に入ると、そこで馬車に乗り換えた。ライムーンという皇帝の部下が用意していたのだ。
皇帝に招待されたブリタニカの皇族一行だと名乗れば、検問も緩くなってすぐに入れる。
今回の訪問は極秘というわけではないが、到着までは皇后や皇太子の耳に入らないように配慮されているようだ。とは言え、ブリタニカ側がそれを申し付けると無礼でしかないので、ライムーンが勝手にやったことにしてくれると言う。
「皇宮に入れば遅かれ早かれ気付かれる。だが、俺たちは話を通していたと思っていたことにするんだ」
「分かったわ。スィム卿はここまで配慮してくれるなんて、優秀なのね」
民衆もまさか異国の皇太子と皇女を乗せているとは思わず、道を開けていく。
皇宮付近に到着すると、既に夕暮れ時に差し掛かっていた。皇太子と皇女が来るのを聞いて、使用人たちが中庭の入口に待機している。
ローブを脱いだ二人に見惚れる様子はあれど、露骨な態度は出そうとしない。使用人の教育は行き届いているように見えたのは、皇帝直属の者だけが集められたからだった。
「ようこそいらっしゃいました。私は陛下側近のライムーン・シャイフ・スィムと申します」
ライムーンと名乗った男は三十代ほどで、ブリタニカでも高身長だと言われるルカーシュと同じくらいの大きさだ。
細身ではあるが筋肉がしっかり付いており、素肌に丈の短いベストのような服と、クロッグと呼ばれる足元が広がったパンツを穿いている。髪はふわりと癖づいておりながら、後ろで一本に束ねた長髪だ。
彼だけならず、この国の人は褐色の肌をしており、男も女も全体的に背が高い。髪や目の色は様々で、彼の場合は薄い茶色の髪である。
常に笑顔の糸目で何を考えているのか分からないが、姓名の間に入る称号はこの国の貴族を示すものだ。
通常、人々は誰でも姓と名の二つの名前を持ち、領主に限って三つ目の称号を姓名の間に名乗ることを許されている。
ルカーシュは別の公爵位を兼ねているが、最も上のものが優先されるため、皇太子として〈インペリアル〉の称号を名乗っている。これはブリタニカの皇帝と皇后、皇太子にのみ名乗るのを許されたものだ。
セリーナは皇女ではあるが、公式的には公爵位を持って領民を結界で守っているので、称号は〈デューク〉という。領地の地名は別にあるが、皇族として受けた姓を名乗る。
まだ自領を持たず、皇太子でもない幼いロバートは、称号を入れずロバート・ブリタニカとだけ名乗る。他の貴族家でも同じく、領主とその妻、後継者以外は称号を名乗ることは出来ない。
東大陸の場合は称号が少し違い、勇者の血族であり神聖視される皇帝とその正しい伴侶、後継者と認められた皇太子のみが〈スルターン〉を名乗る。
ライムーンが名乗った〈シャイフ〉は東大陸での一般貴族階級であり、領主を意味している。ただし、東大陸においては貴族という地位に爵位のような細分化はされていない。
彼がそう言うと、背後で控えていた煌びやかな女性たちが当然のように前に出て、ルカーシュの両腕に抱きついた。
「私はルカーシュ・インペリアル・ブリタニカ。こちらは妹のセリーナ・デューク・ブリタニカです。その……どうして君たちは急に俺に触るんだ?」
そっと避けようとするが、褐色の高級娼婦たちはルカーシュの美貌に見とれて動こうとしない。そのため、彼は東大陸の言語でそう返す。
ブリタニカだと品がない行いだと揶揄されるが、ペルシラビアの貴族にはこれが普通だ。皇帝と皇太子は無制限に女を囲えるし、貴族当主も妻を何人も娶る者もいる。人前でも堂々と、性行為スレスレのスキンシップをするくらいだ。
だが、ルカーシュはこの手のことについては非常にポンコツだった。女たちに真顔で問いかける上に、男として何の反応も示さない。
(お兄様ったら……本当に鈍いんだから)
これが兄の通常運転だったので、セリーナは双方の意図が分かっていたが、何も言わずに微笑んでおいた。
「……そいつらを殿下から引き離せ」
糸目の側近は察する。この国で性接待はスタンダードだが、ルカーシュはまさか自分にそれが適用されたと思っていない。
知れば彼は引くだろうと思い――言語を東大陸のものに変え、細い目を見開くと、ライムーンは青の三白眼できつく娼婦たちを睨む。すると兵士たちが娼婦を引き剥がした。
「失礼いたしました。それでは、こちらへどうぞ」
そうしてライムーンはまた糸目に戻り、優しい口調で案内をする。