家族との再会(1)
『私たちのご先祖様はね、黎明の勇者と呼ばれていたのよ。貴族はたくさん特権を持っているけれど、それは魔物から人々を守る使命の対価なの。だからこそ、何かあった時には死を覚悟して戦わなければならない。だけど……貴方だけは辛い思いをしないで欲しいわ』
それは生まれたばかりの弟の寝顔を見ていた時の記憶だろうか――眠る小さな子の手を優しく握りながら、セリーナはその子の未来を守ろうと誓っていた。
在りし日の記憶の走馬灯。
純粋な願いも虚しく散り、激しい苦痛に落とされた。
☾︎
「いや……やめて! いやぁぁぁっ!」
灼けるような喉の感覚に、セリーナは叫びながら目を覚ます。いくら息を吸っても追いつかないような錯覚に襲われ、肩を激しく上下させて苦しみに喘ぐ。
青い空の下、木々の葉っぱの影が花園に揺れる。木漏れ日の暖かな光が黄金に差し込む昼下がり、急に叫んで飛び起きた彼女に、隣にいた青年が焦ったように顔を覗き込んだ。
「セリィ、どうした? 悪い夢でも見たか?」
ルカーシュ・インペリアル・ブリタニカ――セリーナの実兄で、ブリタニカ帝国の皇太子だ。
陽の光を浴びて色とりどりに輝く銀髪は、そよ風にさらりと靡いて揺れる。段のついた髪は正面から見ればミディアムの長さだが、後ろは長く伸ばしていて、一本の三つ編みにしてたなびかせている。
髪と同じ睫毛が囲うのは、オーロラの輝きを放つダイヤモンドのような瞳だ。つり目気味で冷たい印象を残すが、妹を見つめる視線には愛情からくる心配がひしひしと伝わってくる。
(時間が……戻った……?)
混乱する。何が何だか分からないが、今は甘えていたい。セリーナはその胸に飛び付くようにして泣き、こくりと頷いた。
「セリィがそんなに泣くとは……よほどの悪夢だったのだろう。怖かったな」
読んでいた本を落とし、すぐに優しい手がセリーナの濃い瑠璃色の髪を撫でる。
両サイドだけ真っ直ぐに切っており、ショートボブのようでありながら、襟足は背中まで伸びている変わった髪型だ。毛先に向かうにつれて淡い青色になっており、まるで夜空のように美しい。
隣には弟がいる。忌々しい記憶の中の彼よりも、幾分か幼いように見えた。セリーナの叫び声も気にせずに、上着を枕にして眠っているようだ。
弟のロバートは、兄と同じ銀髪とオーロラ色の目をしている。凛とした兄とは違って優しい顔立ちで、大きな目と愛らしくコロコロ変わる表情を持った子だ。
セリーナはそんな弟が生きていることに、心から安堵した。腐りかけた生首になった彼を思い出し、また少し泣いてしまう。
幸せな日々の再来。弟の年齢や、ほんの少し幼げな兄を見ると、死んだ時から四年ほど前だろうか。ライアを追放したのが十四歳の時で、今はその約二年後――セリーナは十六歳くらいのようだ。巻き戻った時点の記憶が物語っている。
これまで経験のせいか、男に触られるのは考えただけでも気持ち悪い。それでも家族なら平気だ。兄の傍にいると恐怖も少しだけ薄れてきて、呼吸を落ち着かせると共に冷静さを取り戻す。
「夢じゃないかも知れないの……お兄様、《星誕》という言葉を知っているでしょう? 星が誕生するという意味の……」
顔を上げたセリーナは大真面目に言った。
途端に空気が凍る。何故それを知っているのかと、兄のルカーシュは聞こうかどうしようか迷っていた。
彼は表情に気持ちを出さない人ではあるが、家族ならば何を考えているのか大体は分かる。セリーナにもそれは伝わった。
「近い未来、私たち一家は皆殺しにされる……私はそれを見てきたわ。死んでから、どうしてか時間を遡ったみたいなの……私が《星誕》を知っているのが何よりの証拠よ」
包み隠さず言おうとしたが、何をされたかは詳しく話せない。詳細を思い出すと、恐怖が蘇ってふらりと倒れそうになった。
「無理をするな……とりあえず、理解はした。あの預言については、父上も俺も半信半疑だったが……セリィが《星の子》の一人なんだな。もう一人は……?」
「分からないわ。私も混乱しているの。でも、未来を見たのは確かだから……」
「そうか。信じる。だから大丈夫だ」
「ありがとう、お兄様……」
そんな妹を受け止め、兄は視線を真っ直ぐ向けて言った。時間を巻き戻したなんて急に言っても、普通なら信じてはくれないだろう。ルカーシュはそれだけ妹を愛しているのだ。
ブリタニカには皇帝か皇太子にしか入れない書斎がある。その中でも一際目立つ場所に輝くオーロラ色の本があり、魔力が強い正当な継承者にしか中身が読めないのである。
『この世界は魔女によって再び危機に陥り、やがて終末が訪れる。しかし、時が来たら我が子孫が《星誕》を成し遂げ、二人の《星の子》を生むだろう。その《星の子》の共鳴によって時は巻き戻り、破滅の未来を知る者たちが世界を救うことになる』
初代皇帝が遺した預言の書物には、そう記されてあった。それでも具体的な年代や、何が起こるかなどは示されていなかったのだ。
つまり、その預言どおりに時間が巻き戻ったということは――《星誕》を成し遂げたのは両親であり、セリーナこそが時を巻き戻した《星の子》の一人だということになる。
これは兄の部隊が全滅したという訃報を聞いた後、一時的に女帝となったセリーナが書斎に入った時に見たものだった。
「セリィがその言葉を知っているとなると、俺や父上が先に死んだんだな。そして……あの女が家族を……やはり斬り殺しておくべきだったか……あの女にはもう権力もない筈だし、大丈夫だと思ったのが甘かった。何故セリィばかり酷い目に遭わされるんだ」
ライアは身分も財産も何もかも奪われ、セリーナから金をもらって国外追放された。
暮らしには困らない金額だっただろうが、とても貴族たちを――ましてや異国の王族を買収できるようなものではないし、彼女自身に何か特別な能力があったわけでもない。
「事情はよく分からないけれど、ルーシャン王国ってあるでしょう?」
「あぁ、密教の国か。三十年ほど前に王権が覆り、国名を改めたとか……内政がどうであれ、ブリタニカと兵力で競える相手でもない筈だ」
「そう思うわよね。三年くらい後に……何故かライアがルーシャン王国の聖女という、指導者のような立場になるのよ。あの国は神託が絶対で、神の声を聞く聖女の言葉は絶対なの。その更に一年後には……」
セリーナは未来で見てきたことを、途切れ途切れになりながらもルカーシュに話した。
その間も兄は優しくセリーナの背中を撫でる。彼が傍にいることは、何よりも安心する材料になった。
「うーん……あっ、おにいさま、おねえさま、おはよ!」
その時、眠っていた弟も目を覚ます。
眉にかかるくらいの銀髪はぴょこんとところどころ跳ねていて、オーロラ色の目をめいっぱい輝かせている小さな男の子だ。
ロビンことロバートはセリーナとルカーシュの実弟であり、忌々しい未来で命を落とす悲運の幼き皇帝だ。
今はまだ五歳で、愛らしさを振り撒くのが仕事だと言わんばかりである。その笑顔を見るだけで胸がいっぱいになり、セリーナは弟を抱きしめた。
「おねえさま、すきー!」
抱きしめるとニコニコと笑って、薔薇色のほっぺを寄せる。涙がまた溢れそうになった。
守るために離れたつもりなのに、結局は死なせてしまった悔恨は大きい。ここにいる今でも、狭い箱に押し込められた姿を思い出してしまうのだ。
(ロビン……今度は絶対に守るからね……)
今回はそんなことにさせないと、強く強く抱きしめた。たとえこれが夢であっても、やり直せるならば全力でそうするつもりだ。
「……兄は好きか?」
ルカーシュは妹だけならず、弟のことも同じように可愛がっている。ぷくぷくとした頬の少年の頭を撫でてやり、普段は笑わない彼が微笑を見せて問いかけるほどだ。
「うん、おにいさまもすきー! あと、もうひとりのおにいさまも!」
セリーナの腕から離れ、ロバートはルカーシュにも同じようによちよちと歩くと、小さな腕を広げて抱きついた。その時の兄たるや、〈氷獄の皇太子〉などと呼ばれた騎士とは思えないくらい頬を溶かしている。
「あら、ロビンにお兄様は一人だけよ?」
「うん、だけどね、もうひとりいるの。よにんでピクニックにきたんだよ?」
目の前に広がる花畑は、皇宮から少し離れた帝都内の郊外にある場所だ。戻ってきたばかりのセリーナは記憶が混在しているが、確かにシートの上にはサンドイッチを入れてきた空のバスケットが置いてある。
人払いをし、護衛も見えないようにしているからか、周囲には誰もいない。四人目なんていないのだ。
「ロビン……ここにいるのは、お前と兄と姉だけだぞ。ほら、数を数えてみるんだ」
勉強が好きではないロバートが数え間違えたのだろう。ルカーシュもそう思い、小さな指を折ってやりながら優しく教えた。
「もうひとりのおにいさまはね、ほんとのおにいさまじゃないの」
「そうか……それはどんな人なんだ?」
「えっと、なまえは……あれ、なんだったっけ……まぁいっか。それより、きかんしゃのおもちゃであそぼ!」
「あぁ、いいぞ。ロビンはきっと夢でも見たんだな」
ロバートは少し考えても思いつかなかったからか、その話に興味をなくし、くまのポシェットの中から機関車のおもちゃを取り出す。
ルカーシュがあげたもので、ずっと持ち歩いているのだ。未来で兄が死んだ後も彼はそれを傍に置いており、セリーナは見ているだけで胸がいっぱいになる。
三人が楽しいピクニックから帰ろうとすると、白い猫がついてきた。
「わぁ、ねこさんだ! かわいいねぇ!」
ロバートがすぐに気に入って抱っこすると、その猫はおとなしく抱かれたまま運ばれる。
長いふわふわな白い毛に、少し埋もれた青いリボンの首輪。背中にはセリーナの片目の色――母譲りの蒼銀色のハート模様があり、毛艶の良さからも野良猫とは思えない。
「この猫……精霊じゃないか?」
ルカーシュはすぐにそれがただの猫ではないと気付く。ロバートの小さな腕の中でだらんと抱かれる猫は、抜け落ちた毛が地面に落ちる前に消えてしまうのだ。
「精霊……? お父様やお母様の契約精霊以外だと初めて会ったわ」
「それは未来も含めてか?」
「えぇ……だから驚いたの。こんなことは前になかったから……」
少しでも未来の記憶で先回りすべきなのに、早くも違う出来事が起こってセリーナは気が動転した。破滅を回避できなかったらどうしよう、と恐怖に呑まれそうになる。
「大丈夫だ。精霊は人間の友……《星の子》に会いに来たのかも知れないな」
「そうかしら……」
「あぁ、絶対に悪いものじゃない。俺も精霊には明るくないので、連れて帰って両親に見せよう」
「うん。お兄様に言われると安心するわ」
心が落ち着き、セリーナは弟の腕に抱かれる猫を撫でた。首輪にぶら下がるプレートには《シルヴィー》という名前が刻まれており、確かに悪いものだとは思えない。
精霊というものは、女神の遣いだと言われている。動物の姿をしていて、気に入った人間の前にふらりと現れるそうだ。
「せいれいさん、まほうをくれるんだよね? このこはおねえさまの?」
兄と姉の会話を理解し、ロバートは猫に話しかけつつ二人に疑問を投げかける。
「まだ分からないが、精霊は気に入った人間の前に現れ、時が来たら特別な魔法を授けてくれる。もっとも、俺や両親のように複数の結界に魔力を割いていると、強い魔法はあまり使えないけどな」
「じゃ、ぼくはたくさんつかえるね!」
「あぁ。ロビンにもいい精霊が来るといいな」
「うん!」
兄と弟が話す日常のワンシーンは日頃から尊いものだったが、今のセリーナにとってはかけがえのない場面だ。
弟がいる前では秘密の話はできないが、時間が戻ったからこそ家族やこの国を守りたい気持ちが一層に強くなった。
何か大切なことを忘れているような気がしたが――思い出せないのは、さほど重要なことではないのだろうか。セリーナは今度こそ失敗しないためにも、この精霊の訪れをチャンスだと捉えることにした。