第七話
春には似つかわしくない攻撃的な太陽だけが浮かび、空に燦々と輝いていた。
そんな気絶外れの気温に襲われことはなく、ノーラは山の麓で通りかかる馬車に乗っていた。
「これも日頃の行いのおかげっすかねェ……っと」
ノーラは崩れ落ちそうになる荷物を右肩で支えると、更に左足を伸ばして前方の荷物を押し込んでバランスを取った。
「悪いね。なんせ道がわるいから」
商人は手綱を握ったまま振り返らずに言った。
「いえいえ、乗っけてもらえるだけ儲けものっスよ」
ノーラは馬車内の荷物のバランスをなんとかとると、一息ついて天井を見上げた。
日に焼け、土埃と雨に染められ薄汚れた幌は、強すぎる太陽を遮るにはちょうどよかった。
「帰りには全てなくなってるはずだったんだけどな……」
商人は力なく笑った。
詳しい話を聞くと、馬車は借り物であり、遠くの村からはるばるリゼーネに村の特産品を売りに来たとのことだった。
他種族が集まり、様々な品が溢れるリゼーネだが、全ての商人が成功するわけではない。
あまりに商人が多すぎて、一つも売れずに帰路につく者も多い。
そして、今回馬車に乗せてくれた商人は、一つも売れなかった方の商人だった。
落胆から食欲もわかず、空気を読まずにお腹を鳴らしたノーラに最後のパンを渡したところだった。
「一つも売れないだなんてことあります?」
ノーラはまさかと思ったのだが、荷物の中から何を象ったのかわからない人形を見つけると、これは売れないだろうと、眉間にシワを寄せた。
「オレもそう思ってたよ……」と商人はますます肩を落とした。
心なしか馬車の速度も落ちたかのようだ。
もらった瞬間からパンの三分の二を口に詰め込んだノーラは、どうにか力になれないかと頭を悩ませたのだが、商才のないノーラに考えつくことはなかった。
「でも、売れれば問題はないですよね? さすがに村の人も全部が売れるとは思ってないと思いますし」
リットはノーラの肩付近を蹴って余計なことは言うなと合図したのだが、ノーラは故意に無視をして話を進めた。
他種族国家であるリゼーネからは離れた距離にいるので、小人や妖精が堂々と歩いていたら用心する人間もいる。
揉め事を起こさないためにも、リットとチルカはノーラのリュックの中に隠れているのだった。
「そうだが……リゼーネで売れなかったんだ。いつも通り近くの町で売るよ。欲を出したのが悪かったんだ」
それっきり無言になる馬車内。
その重苦しい空気に、チルカがリットの脇腹をつついた。
「ちょっと……なんとかしなさいよ」
小声のチルカに、リットも小声で返した。
「あんな人形が売れるかよ」
「なんだよ。人間は人形が好きでしょう」
「どう見ても、村の神様を象りましたって人形だろう。多種族国家で売れるかよ。だいたい普通はリゼーネで販売許可が下りねぇもんだぞ。その許可が出たってんなら、出来もそれなりってことだ」
「それをどうにかするのがアンタの仕事じゃないの?」
「ランプを売るのがオレの仕事だ。寂れた町のおっさんを助けるでも、妖精を助けるでもねぇよ」
言いながらリットはリュックの中にスペースを作ると、どうせやることはないと横になった。
起きた時には、目当ての山くらいは見えているだろうと思っていたのだが、全く見知らぬ町にいたのだ。
それも聞き慣れた声の聞き慣れないセリフで、起こされたものだから、リットはまだ夢の中にいるような気分だった。
「いらっしゃーい! 世にも珍しいお人形ですよ!」
ノーラは人形を片手に持って大声で宣伝していて。足元にはたくさんの同じ人形。
しかし、商人の姿はなかった。
「おい、なにやってんだよ……」
「なにって商売ですよ。お家でやってることと同じっスよ」
「そんなに積極的に呼び込んでねぇだろう。じゃなくてだな……なんでオマエが人形を売ってんだよ」
「なぜって……買ったからっスよ」
「買ってやった上に、店番までしてやってんのか? ……次はうちの店でも恵んでやるつもりか?」
「旦那ァ……これにはわけがあるんスよ。一言で言えば、これが私達の全財産っス」
ノーラは足元の人形全て指して言った。
「旅の金を全部使ったのか? こんなアホらしい人形に?」
「旦那は寝てたから知らないでしょうけど、商人のお兄さんが倒れちゃったんスよ。私じゃ馬車の操作なんて出来ませんし、旦那はちっちゃくなっちゃいましたし……」
最後にノーラは責めるような視線を一つ足した。
「オマエが無駄な飲み食いをしなけりゃ、御者を雇うくらいの金はあったんだ。で、いくら売れたんだよ……」
リットは目の前にあるへんてこな人形が、今日のご飯代だと知って力が抜けていくのを感じた。
「一つでも売れたと思ってるなら、旦那には商売の才能がないと思いますよ」
「チルカはどこだ?」
「寝てますよ。旦那と一緒でグースカとお気楽に。言っておきますけど、商人を宿屋に運んだのも、商品をこうして町の広場に運んだのも私なんスからね」
ずっと苦労しているのに、文句ばかりだとノーラは膨らませた。
「本当に役に立たねぇな……」
リットは種を抱いて眠るチルカを睨むと、どうするか考え始めた。
チルカの話では目的の山はそう遠くないとのことだが、急ぐに越したことはない。
それには馬車が必要不可欠であり、唯一不便なく動けるノーラの体調も重要だ。
ここで資金を回収すること自体には反対はない。
かと言って他に方法もない。
チルカに羽が生えていれば、妖精の鱗粉を人形に塗って、暗いところで光るとでも宣伝すれば売れたのだがとリットが考えていると、一人のお客が来た。
そのお客とは、まだ小さな女の子を連れて父親で、親子でなにか一言二言会話すると、人形を一つ買って去っていった。
その背中を見送ったノーラは、どんなもんだとでも言いたげな瞳でリットを見た。
「あの親子なんて言ってたんだ?」
リットの質問に、ノーラは「さぁ」と首を傾げた。
「あのなぁ……。なんで売れたかわからねぇと、次の客に売れねぇだろう」
「なるほど! 旦那ってば、色々考えてるんスねェ」
「何回も言わせるな。ランプ屋だって言ってんだろ。客商売に変わりねぇよ」
「その割には、私が店番してることが多い気がしますけどォ……。まぁ、サクッと聞いてきまさァ」
ノーラは短い足で親子を追いかけると、理由を聞いて戻ってきた。
リゼーネと同じように、この町でも妖精伝説があるらしく、人形の見た目が言い伝えられている妖精の姿に似ているとのことだ。
妖精の手足は長く細い。それがこの町での言い伝えだ。
「妖精伝説ね……」とリットは下唇を突き出すようにして呆れた。「それで、その妖精は人間が寝ている間に手伝いをしてくれるってわけか?」
「……なによ」
いつの間にか目覚めていたチルカは、リットの視線にたじろいだ。
「オレもその人形を一つ買った」
「本当に嫌味な奴ね……。だいたい何が妖精伝説よ。人に頼らないで自分の力でどうにかしなさいってのよ」
「それだけ吠えられれば立派だ」リットはノーラのリュックから這い出ると、チルカの手を掴んだ。「追いかけるぞ」
リットはノーラにここへ残るように言うと、チルカを連れて今の親子をつけた。
「ちょっと……バカやるなら一人でやってよね」
「あの親子の手伝いをしに行くだけだ」
「なら一人でどうぞ」
「あのなぁ……よく考えろよ。これはチャンスだぞ」
妖精伝説が残る町。そんな町で小さな奇跡が一つ起きれば、たちまち噂になって広まる。
そして、その噂の元はノーラが売っている人形だ。
ノーラはまだ広場で人形を売っている。その最中に奇跡が起きれば、ノーラが噂を流したとは思われずに人形を売り切ることが出来る。
「アンタ……本当に詐欺師になったほうがいいわよ。それで? なにをやるわけ」
「そうだな……ネズミ退治といったところだろうな」
リットは窓枠によりかかり、家の中にいる親子の様子を眺めていた。
ものすごく貧乏でもなかれば、小金持ちにも見えない。この町の中流家庭と言ったところだ。
町自体裕福とはいえないので、中流家庭と言ってもリゼーネのような暮らしとはいえない。
殆どが農家であり、冒険者も少ないことから商人も集まらず、主に自給自足で暮らす至って普通の町。
どうやら畑がネズミ被害にあっているらしい。
「ネズミ!? あーもう最悪……アイツらうるさいし、わがままだし、なかなか森から出ていかないから厄介なのよね」
「連れてきた甲斐があった」
リットはこれで問題解決だと思っていたが、そう簡単にはいかなかった。
「勘違いしてるようだけど、どうにも出来ないわよ。森でも苦労してるのよ? 町でどうしろっての。周辺の餌に飽きていなくなるのを待つだけよ」
「森じゃだんまりが有効かも知れねぇけどよ。餌の絶えねぇ町じゃ、ネズミはいなくならねぇんだ。離れる必要がねぇからな」
「農家でもないくせに偉そうに。だいたい妖精に偉そうに語るのが間違いよ。ついてきなさい」
チルカはこれ見よがしのため息をつくと、リットを畑まで連れて行った。
「ほら、見なさい。どうとでもなるじゃないの」
そう言ってチルカが指したのは、ネズミが畑に侵入したと見られる穴だった。
「ネズミだぞ。穴くらい掘るだろうよ」
「穴を掘ったのはモグラよ。見なさい。農家も気付いて穴を埋めようとしてるじゃない」
チルカの言う通り、地中への穴を埋めるた跡がそこらかしこにあった。
「モグラは野菜を食わねぇだろうよ」
「食べないけど栄養のある土には、太ったミミズがいるでしょう。それを狙ってくるの。そして、その穴をネズミが再利用するってわけ。もぐらの穴を利用する野ネズミなら、とりあえず穴は全部埋めることね。そしてモグラ対策をすること」
「なんだよ、モグラ対策って」
「うるさくすること。私達妖精が白ユリの周りで生活してるのも、モグラを寄せ付けないためよ。アイツら音には敏感だから」
「なるほどな。とりあえず穴を埋めてネズミの侵入口をなくせってわけか」
「そういうこと。完全に被害は消えないでしょうけど、生きにくくなったネズミは棲家を変えるはずよ」
人間にとって害獣であっても、自然にとっては生命サイクルの一旦。
無駄な殺生をしない妖精のチルカは、これが解決策だと断言した。
「まぁ、簡単だ。穴を埋めるだけだからな。靴で押し込みゃ十分だ」
「そうね。穴を埋めるだけよ。飛べば簡単ね」
リットとチルカはお互いの顔を見合うと、ため息を落とした。
そして、ここでこうしていてもしょうがないと、手作業での穴埋めへととりかかったのだった。
夕方になり、いつまで経っても帰ってこない二人を心配に思うノーラの元へ、村の全員が集まったのではないかと思うほどの人数が押しかけていた。
リットの作戦が成功し、妖精が願いを叶えたと人形を買いに来たのだ。
その頃、リットはチルカと共にまだ親子の家にいた。
「人の顔に泥を塗るって言葉があるけどよ。あの言葉は大したことねぇな。顔に泥を塗られたところで、もはやなんとも思わねぇよ」
全身泥だらけのリットの隣には、同じく全身泥だらけのチルカ。
だが、リットとは違い清々しい顔をしていた。
「いいじゃないの。土と戯れるのは楽しいことよ。それに悪いことをしたわけじゃないんだから、少しは愚痴をやめたら?」
「それもそうだな」
リットは女の子が抱いている人形を見て言った。
人形もリットとチルカ同様に泥だらけになっていた。
これはチルカの案だ。
人形に泥をつけておけば、誰かがそれに気付き畑の様子を見に行くだろうと考えたからだ。
事実、買ったばかりの人形に泥がつくのはおかしいと父親が畑に出たところ、小さな足跡が二つモグラの穴に向かっており、そのどれもが塞がれていたことから、父親はすぐに町の皆にこのことを話に行ったのだった。
そして、その勢いのままノーラの元へ町中の人間が会に行ったということだった。
「とりあえず帰るぞ。それでノーラに湯を沸かさせる。風呂にでも入らねぇとやってらんねぇよ」
「あっ! 私も! ……覗いたらぶっ殺すわよ」
「妖精らしく、水を浴びれよ」
「別に湯に浸かるのが人間の特権じゃないわよ」
リットとチルカはいつものように言い合いながら家を後にしたのだが、その後姿を家の女の子に見られてしまった。
女の子の「妖精さん!?」という言葉は、春の強風に吹かれてリットとチルカに届くことはなかった。
ただ長く伸びる影だけが、女の子へ存在をしばらく教えていた。