第四話
「まずは花ね」チルカは揺れるノーラの頭の上で言った。
一同はまだリゼーネの城下町にいた。
今は屋台通りで、ノーラがご飯を食べ終えるのを待っているところだった。
「花ってなんなんだよ。そこらにある花でいいのか?」
「いいわけないでしょう。それならいちいち提案なんかしないわよ、バカ」
「じゃあさっさと迷いの森から持ってこいよ」
「アンタねぇ……。なんでもかんでも近場にあると思ってるんじゃないわよ。これから精霊との交流会がある山とは別の山へ登るのよ」
「意味がわかんねぇよ……」
リットは形式なんて適当に済ませるものだろうと、その辺の雑草の花で済ませようとしたのだが、チルカに思いっきりアホを見る目で見られてしまった。
「人間のやる適当な儀式とは違うのよ」
「そりゃ、呪いなんてかけねぇからな。一部のアホ以外は」
「呪いになったのはたまたまよ。呪われなくても、花を一輪積んで運ぶのがしきたりなの」
「最近よ、いろんな種族のしきたりに触れてきたけど……。どこも古臭くて機能してないものばっかりじゃねぇか」
「そういうものなの。とにかく、花を摘んでそれを枯れる前に持っていくの」
「時間制限があるってことか? それを任せる相手ってのがこれか?」
リットが下を向いてノーラの頭頂部を見ると、チルカも同じように見た。
リットとチルカが話している間。ノーラはずっと食べ続けていたのだ。お腹がいっぱいになり過ぎて、動けなくなるのは目に見えていた。
「ちょっと……ノーラ食べ過ぎよ」
「だって旦那達の話を聞いてると、これからずっと山登りでしょう? 私が体力をつけるのってここしかないんですぜェ? 全財産使っても、食べたいだけ食べます」
そう言ってノーラが高く掲げたのは、リットの財布だった。
「使っていいとは言ったけどよ。もっと考えて使えよ……財布を任せたってのは、好きに使えって意味じゃねぇぞ。考えて使えってことだぞ」
「旦那ってばァ……。ちゃんと考えてますよ。甘いものを食べたらしょっぱいもの、そしたらまた甘いものと。これぞ永遠に食べ続けられる魔法の食べ方っスよ。魔女も口を開けてびっくりってなもんス」
「口を大きく開けてるのはオマエだろ……腹壊して動けなくなるぞ。いいか? オマエの役目はとにかく動くことなんだぞ」
「私も馬車を使うっていう頭はあるんですよ」
ノーラは心配ばかりされて心外だと、これ見よがしのため息を落とした。
「オマエよ……残りの金額で馬車に乗れると思ってんのか? 山を走ると相当金がかかるぞ」
「……旅はのんびりするものっスよ」
ノーラは食べかけのパイを一気に口の中へ押し込むと、これ以上時間を取られてはいけないのでリゼーネを出ることにした。
だが、結局馬車は借りられないので、目当ての山まで歩くこととなった。
三人が目指す山は『ボルデン』と呼ばれており、特に目立った話がある森ではない。
冒険者が近付くこともなく、地元の村が生活に使うくらいのものだった。
そのおかげで自然は荒らされていないので、とてもキレイな森とも言える。
「――らしいっスよ」
ノーラは街で聞いた情報を話しながら、まだ緩やかな山道を歩いていた。
「それってよ、活用出来るもんが少ねぇってことだろ? どっかの種族が陣取ってるわけでもねぇしな」
「アンタねぇ……」とチルカは呆れた。「人間くらいよ、山切り崩したり、森を拓いて生活するのは」
「オマエも今は人間と変わらねぇ暮らしをしてんだろう。なんで森を捨てたことになってねぇんだよ」
リットはチルカが自分の家で寝泊まりしているのが不思議だった。
庭が森になったことは理解しているが、それならなぜチルカは庭で寝ないのかということだ。
「知らないわよ。なんも起きてないんだからいいでしょう。アンタ……私の部屋を壊したら殺すわよ」
「部屋って呼ばねぇよ。引き出しっつーんだ。虫が湧きそうなくらい汚しやがって……。いや、もう湧いてるのか」
「はいころーす」
チルカが掴みかかろうとした瞬間足元が大きく揺れた。
「人の頭の上で喧嘩しないでくださいなァ……。うるさくてたまらないっスよ……」
「それで舌を噛ませて殺そうとしたのか?」
急に揺れて顎をぶつけたリットは、ノーラの頭頂部に向かって睨んだ。
「旦那ってばァ……。知ってます? 家畜の舌まで食べる地域もあるらしいですよ」
「オレの舌を食うつもりか?」
「病気になるわよ」
チルカが鼻で笑うと、リットも同じように返した。
「さすが病気の元は違うな」
チルカが言い返そうとした時、リットは後頭部の衝撃に倒れ込んだ。
「何すんだよ……」
「私じゃないわ。雨よ! 雨!! 早く隠れないと怪我するわよ!」
「雨の冒険なんか散々してるだろうが」
「あの時は羽があるから、風の魔法で弾いてたよの。今は使えないんだから隠れないと。今の衝撃をもう忘れたわけ?」
リットは思わず頭頂部をさすった。ただの雨粒が、小石を投げられたくらいの衝撃があるのだ。本格的に降り出したら、冒険どころではない。
「ノーラ!」
リットが叫ぶと、ノーラは「はいはい」と適当な返事をして手近な木陰に入った。
服を濡らさないようにリュックの上に座ったノーラは、二人を頭から下ろして膝に置いた。
「なんて不便な体だ……」
普段なら少しあるだけの距離を、何倍もの時間をかけて歩いている。見当のつかない旅路にリットは苛立っていた。
「本当よね……」
チルカは背中を丸めると、世界の終わりのようなため息を落とした。
妖精のチルカにとって、背中の羽はそれだけ大事なものなのだ。
「横で暗くなるよ。気持ち悪いじゃねぇか」リットは落ち込んだチルカを一瞥すると、次いでノーラに火をつけるように言った。「オマエなら、濡れ枝にも火をつけられるだろう」
「我ながら便利な能力っスよねェ」
「他のドワーフはもっと便利に能力を使ってるはずだぞ。少なくとも、焚き火と目玉焼きだけに使うことはねぇよ」
「旦那ってば、ちゃんとランプにも火をつけてますよ」
「そりゃ立派だな……。それにしても、天望の木だな。それもそこらかしこに生えてやがる」
リットは威圧するように伸びる森の木に圧倒されていた。
「旦那ァ……これはただの木ですよ。大丈夫ですかァ?」
「ただの木じゃねぇよ。飯のなる木だ」
リットは鳴り響くお腹の虫に負けない声で言った。
「誰が取りに行くのよ……私は飛べないのよ」
チルカもお腹が空いたので、リット同じく枝になる真っ赤な木の実を見上げた。
ノーラの保存食は乾燥肉ばかりだ。今回は自分で荷物を用意したので、自分が嫌いな黒パンは不味いので入れることはなかった。
だが、雨の中で食料を探しに行くのは危険だ。リットとチルカはもちろんのこと、大雨の中ではノーラも山に迷う可能性が出てくる。
なので、ここから動かずに木の実を取るのは良い考えだった。
「雨が降ってもも木くらいのぼれるだろう」
「そりゃあ無理ですよ。私が木登り出来るだなんていつ言いました?」
「あのなぁ……木登りなんて、その辺の枝を掴んだり、足場にしたりしろよ」
「この短い手足でですかい?」
ドーワフのノーラは例に漏れず小さな体をしている。
子供が木登りをするようなものだが、この森の木は低い位置に枝が伸びていないので、難しいものがあった。
「言い出しっぺの法則ね。ノーラのポケットに入ってる唾液と埃まみれの干し肉を食べたくないなら、とって来なさいよ」
それからしばらくして、チルカの「やるじゃない!」という賞賛が響いた。
「頭に木の実を落とされたくなかったら黙ってろよ……」
「なによ、褒めてるのよ。アンタってそんな特技あったわけ?」
ノーラの頭をスタートに、するすると木を登っていくリットにチルカはお驚いていた。
「どっかのダークエルフに仕込まれたからな……」リットは枝を揺らして木の実を落とすと、自分のノーラの手のひらの上に落ちた。
「人生で二度、手のひらの上に厄介になるとはな……」
リットはブリジットというフェムトアマゾネスといた時も、こうやって手のひらで運ばれたと思い出していた。
「ちょっと……これだけ? アンタと私の一食分くらいしか取れてないじゃない」
「文句を言うなよ。オレに体力があると思うか? あと二日はもう木に登れないぞ……」
もうすでに肩の付け根が痛くなっているリットは、明日は自分でご飯を食べるのも無理そうだとノーラの膝に座り込んだ。
「情けないわね……。父親のような立派な冒険者になれないわよ」チルカはからかうと、すぐに真面目な顔になった。「私に手を出したら承知しないわよ……」
「その自信はどっから出てくんだよ……。さっさと飯を食って寝ろ」
「さては催淫効果がある木の実でしょう」
「木の実はオマエの方が詳しいだろう……。そういった類のものはクーに食わされて、散々っぱら後悔してんだ……」
「わかってるわよ。私に元気がないと気になるみたいだから、気を遣ってあげたのよ。ていうか、アンタやっぱり父親似じゃないのよ」
「文句ならクーに言え。いや……やっぱり言うな。関わったらどうなるかわかったもんじゃねぇ……」
「アンタがそこまで苦手な女。興味が出てきたわ。ダークエルフは嫌いだから会いたくもないけど」
「オレにとっちゃダークエルフも、羽のない妖精も、酒場で恋人が結婚に踏み出せないからって荒れる女も全部同じだ。等しくオレに迷惑をかけやがる」
リットは木の実を皮を剥いて、まず皮だけ食べると、最後に柔らかい果肉にかじりついた。
服が果汁で汚れるが、この体のサイズだとこうして食べるしかない。
ノーラに頼もうにも、木の実も小さいのでナイフで切るのはほぼ不可能。切れるというより潰れてしまい、結局果汁で服を汚すことになる。
「汚いわね……赤ちゃんみたいよ」
シャツを赤く汚すリットに、チルカは今日一番呆れていた。
「じゃあ、どう食えって言うんだよ」
「こうよ、見てなさいよ。いつも私が食べてるでしょう」
チルカはためらないなく木の実に齧り付いた。
結果は動物を生きたまま噛んだかのように、果汁が飛び散った。
当然もチルカも汁まみれになってしまった。
「それって笑いどころか? それとも、憐れみどころか?」
「……うっさい。もう! もうもう! もうもうもう!! こんなところまでに弊害がくるだなんて!!」
普段のチルカは風の魔法で果汁が飛び散らないように、無意識のうちに制御していたのだ。
魔法が使えない今の状態だと、全くリットと同じと言うことだ。
「旦那達ってば……サイズが変わっても変わらないっスねェ……」
また落ち込み出したチルカに、リットは「いっそグリザベルに手紙出すか?」と提案した。
魔力が関係してる妖精の羽だけでも、先に取り戻す方法があるかも知れないと思ったからだ。
グリザベルのことなので、リットがヘルプを頼むと喜び勇んで飛んでくるはずだ。
しかし、チルカはそれを拒否した。
「これから精霊との交流会だって言ってるでしょう。魔女の魔力なんて借りたら、どうなるかわかったもんじゃないわ」
「確かに……弟子が来てかき回されるのも困るな。今度から呪いをかける時は殺してくれ……。こんな面倒くせえことはもうたくさんだ」
「そうするわよ。呪いじゃなくて、直接この手にかけてやるわ」
また口喧嘩をしだす二人をノーラが持ち上げた。
「ほらほら、風が強いから、もう雨も上がっていい感じっスォ。こういうのセイリン達は海賊日和って呼んでましたね。順風満帆。私という名の船に乗ってくださいな」
ノーラは腰に手を当てて任せろというが、リットは振り返った景色が全く変わっていない山の麓なのを確認すると、幸先不安だとため息を落としたのだった。