第二十五話
陽気な会話。調子外れの鼻歌。時折の怒号と涙の味。
ちょうど今と同じような季節の変わり目のように、ころころと表情を変えるカーターの酒場。
夕闇が徐々に支配を広げる世界の中で、今一番盛り上がっている場所だ。
酔っ払いなら。いや――酔っ払いだからこそ誰もがそう答える。
「おい、聞いたか?」
カーターは店に入ってきたばかりのリットを手招いた。
「聞いた」
「またまた」
「真っ黒なユニコーンが現れて、雷を空に向かって轟かせたんだろ」
リットはうんざりした様子で言うと、いつもの酒を出せとカウンターに座った。
「なんで知ってるんだよ」
「なんでだって? オイルを買いに来る冒険者がこぞって話していくぞ」
今リットが住んでいる町は好景気の波に乗っていた。
様々な噂を聞きつけた冒険者達が、国境付近の補給地点となっている町に寄り、旅の再準備をするのにお金を落としていくからだ。
ユニコーンにドラゴンの出現。新たな伝説が広まれば、否が応でも冒険者心に火をつける。
その噂の殆どは出どころのわらないものであり、そこから真実を見つけるのが醍醐味なのだが、残念ながら今回冒険者の間で流れている噂話は全てが嘘だ。
誰かが意図的に流したものではなく、リットとチルカが歩んできた軌跡に尾ひれはひれがついたものばかり。
始まりはほんの小さな妖精伝説。妖精が人形に乗り移り、人々の願いを叶えるという。なんとも人間にとって都合の良い話だ。
まだ山に登る前にリットとチルカが起こした騒動。それを人々は奇跡と呼んだのだ。
いちいち答え合わせをすることなく、噂の発端は自分にあると思ったリットは噂話を否定するでもなく、新緑を吹いていく薫風のようただ身を任せていた。
カーターがリットを原因だと思わなかったのは、冒険者が増え酒場は繁盛しているので、リットが小人になって苦労した話はすっかり抜け落ちてしまったのだ。
実際のところ。噂話は冒険者の見栄と牽制によって姿かたちを変えたモンスターだ。
九割以上の人間が事実を知らず。言葉により想像力を刺激される。
チルカの思惑とは違う噂話が一つ。また一つと誕生したのだった。
「なんだよ……そっちもか。そうだよな……客は止まらないよな」
カーターはニヤケを隠せずに、口元をとろけさせながら言った。
「こっちはそっちほど儲けてねぇよ」
「ランプ屋じゃなくて酒場を開けばよかったのにな」
カーターはご機嫌な大笑いを響かせると、他の客の相手をするのにカウンターを空けた。
リットは一人になってもしばらく冒険者や商人達の会話に耳を傾けていた。
あちこちで会話に花が咲いているが、その種を知っているのでどれもが嘘に聞こえる。
この中に真実が混ざっていても、リットが気付くことはない。
酒と噂は夜の月と同じで、覚えているようで覚えていない。ぼんやりとした輪郭だけを記憶に残す。
その輪郭をなぞり直すのが冒険者――という酔っ払いの宣言を聞いたところでリットの記憶は途絶えていた。
いつものウイスキーを一杯と半分。
酒に強いわけではないリットだが、いつも以上に簡単に酔って寝てしまったのはぬるい風が心地よく身体を包んだからだ。
森や草原が虫を呼ぶための独特の初夏の匂い。穏やかだが息苦しいほどの青臭さ。
心地良さと不快さの絶妙なバランスを保つ季節の変わり目のゆりかごに揺られ、深く、また深くへと眠りへ旅立つリット。
このまま朝まで起きることはなかった。
そして朝になり――というのが何時もの変わらない日常だ。
しかし、この晩は少し変わった日常だった。
空に浮かぶ満月が、ゆらりゆらりと空から落ちてきたのだ。
綿毛にも似た光の正体はチルカだ。
チルカは羽明かりを夜に輝かせながら窓枠に降り立つと、拳で汚れを拭いて中の様子を確認した。
そして探していたリットの姿を見つけると、ネズミが空けた穴を通り抜けて酒場に侵入した。
この町では今更妖精に驚くものはいないが、冒険者は違う。特に駆け出しともなると、妖精の姿を見ただけで狂喜乱舞する者もいる。
だが、全員が酔いつぶれているのでチルカの羽明かりに気付くものはいなかった。
チルカがリットの傍らにグラスに腰掛けると、反射した光が複雑に乱反射した。
カウンターに伸びる光のガラス模様は、まるで太陽のようだった。
「起きなさいよ」と優しく声をかけるが起きる気配はない。
酔っ払いのいびきに掻き消されたと思い、声を大きくするがリットから反応はない。
咳き込むまで何度も繰り返すととうとう諦めて、声を出す代わりに、足元に落ちている殻付きのナッツを顔めがけて蹴り上げた。
「なんだ!? ネズミか?」
リットは顔をかじられたかと思い慌てて飛び起きた。
しかし、それより慌てたのはチルカだ。
「ちょっと!! 大きい声出さないでよ!! 起きちゃうでしょう!!」
「このバカ! オマエが起こしたんだろうが!」
「周りがよ! バーカ!」
チルカはしまったと口を押させたが、冒険が空振りに終わってやけ酒に逃げた冒険者と、それに付き合って酔いつぶれた客が、簡単に起きることはなかった。
「なんなんだよ……」リットは水を口に含み、十分に水分を口内に行き渡らせると飲み込んだ。「おい……まだ月が昇ってるじゃねぇか」
リットは窓からわずかに見える、月明かりの切れ端に目をやった。
「そうよ。だからおはようとは言ってないでしょう」
「言っとけよ……。もう二度と言えねぇかもしれねぇぞ。せめて殻は剥けよ」
ぶつけられたナッツの殻を剥いて口に放り込んだリットは、飲み直そうと飲みかけのグラスに手をかけた。
「アンタねぇ……。なんの為に起こしたと思ってるのよ」
「一言でも理由を言ったか?」
「だから――」説明しようと思ったチルカだったが、魔力の流れが変わったことに気がつくと慌ててリットを立ち上がらせた。「ちょっと!! 早く早く!」
「なんだよ……」
「早くしないと。呪いの影響で死んじゃうわよ」
チルカに脅されたリットは寝起きの重い体を懸命に走らせて、町から離れた川まで来ていた。
「おいそろそろ話せよ。呪いはないんじゃなかったのか?」
チルカはぜいぜいと息をするリットの背中に降り立つと、悪びれた様子もなく「嘘よ。呪いなんかないわよ」とあっさり白状した。
「悪いな……。わざわざ突き落とせそうな川まで案内してもらってよ。重しの石くらい好きなのを選ばせてやるから探してこいよ」
「本当の嫌味な男……。ああ言わなきゃ重い腰を上げないでしょう。だいたい……感謝しなさいよね。こっちはいつも以上に早起きしてアンタを探し回ったんだから。……まあ思い付いた一番最初の酒場にいたんだけど」
「今日の嫌がらせは凝ってるな……。面倒くせえから昼間にやってくれよ」
「今しか見られないのよ。本当は見せる義理なんかないんだから……ノーラもいないんだから察しなさいよ」
チルカは羽明かりを弱くさせ、急にもじもじとしおらしい態度を見せ始めた。
「なんだよ……小便か? 妖精の流儀か? 酔っ払いを起こして小便に付き合わせるのが」
「お礼だってつってんのよ!! あーもう……らしいことするんじゃなかったわ」
チルカは橋の上に座ってふてくされたが、視線はしっかり上流から流れる川を見ていた。
まだ空は月が支配する時間。普段なら妖精のチルカは寝ている時間だ。
わざわざ酒場まで自分を起こしに来た理由はなにかある。起きてから時間が経ち、だんだん頭が働いてきたリットは、文句を言って帰るではなく、文句を言いながら残ることを選択した。
「でけぇ魚でもいるのか? オマエを餌にしたら釣れるかもな」
リットは橋のヘリにひじを突いて寄りかかると、チルカと同じ方を向いて黄昏れた。
「……冗談じゃなく釣れるわよ。妖精が夜の川の上を飛ばない理由。ホタルと間違ったバカが食いついてくるからよ」
「朝飯は魚か……。誰かの置きっぱなしの釣り竿がどっかにあったな……」
「バカ……協力するわけないでしょう。大人しく見てなさいよ」チルカがため息をつくと、その音は大きく響いた。「急に黙んないでよ。バカ!」
「大人しく見てろって言っただろう。二日酔いじゃなくても眠いんだよ……誰かに起こされたからな。付き合いきれねぇよ」
時間が経ってもなにも起こらないので、リットは帰っても良さそうだと判断したその時だ。
チルカの「わかった! わかったわよ……言うわよ……。せっかくびっくりさせようと思ったのに……」とぶつぶつ文句を言うの同時に、空の色が変わった。
「なんだ?」
リットが空を見上げると、チルカの舌打ちが響いた。
「もう……ほらタイミングぐちゃぐちゃ。アンタを急がせた意味がなくなったじゃない」
「なんだってんだよ」
「上じゃなくて下よ……」
チルカのため息に引っ張られるように、リットは視線を落とした。
すると、川面に光が一つ。川底の小石が反射した。
だが、空には月。真っ暗な川面を照らすには頼りなさすぎる明かりだ。川底の石が反射することはない。
考えられるのは光を放つ何かがあるということ。
リットの考えがまとまらないうちに、ひとつ、またひとつと、光が流れて橋を通り抜けていった。
「なんだよ……こりゃ」
「なんだって……アンタも一緒に呪いを時に行ったじゃない。あれは魔力の種よ」
チルカの言う『魔力の種』というのは、魔女で言う魔力の四性質になる前の魔力だ。
四性質は『熱』『冷』『乾』『湿』の四つの性質から成り立つが、その前にどの魔力にもなっていないまっさら状態。それが魔力の種だ。
これから世界の隅から隅まで流れていき、その土地の魔力となる。
これは妖精の交流会だけではなく、全ての種族が何かしらの儀式や生活を得て魔力を循環させている。
それは人間も同じであり、寿命の短い人間は生と死を繰り返すことにより魔力を循環させるのだ。
つまり川を流れるのは命の輝きとも言える力だ。
この光景にすっかり目が冴えたリットは「あながち死ぬってのも間違いじゃなかったんじゃねぇのか?」とチルカをからかった。
リットの顔は川面から当てられた光によって、いつも以上に嫌味な表情として映し出していた。
「忘れないように書いといたわよ……。故郷の森の木に……ちゃんと」
チルカは珍しく突っかかることはなかった。今回の騒動をややこしくしたのは、自分の空回りが原因なのがわかっていからだ。
「そうしてくれ。魔女の呪いも妖精の呪いもろくなもんじゃねぇ……」
「だから呪いなんてなかったでしょうが」
「今回の騒動そのものが呪いだ。他に説明できるか?」
「アンタが色んなことに片足を突っ込むからじゃないの? この前もそうだったじゃない――」
リットとチルカの口喧嘩は徐々に熱を上げ、声が大きくなっていた。
「あーもうやめ!」チルカはこんな幻想的な光景の中で喧嘩してるのは情けないと、自分から仕掛けた喧嘩の舞台から降りた。「他の話題はないわけ?」
「そういや天使の弟から聞いたんだけどよ。ハーピィの中で、癒やしの雨を流す妖精が噂になってるらしいぞ」
「奇遇ね。ハーピィの中で空飛ぶダイヤが噂になってるのを聞いたわよ。あいつら妖精の噂話をなんだと思ってるのかしら……」
「噂話の出どころなんてのはそんなもんだってこった。この光景だって、誰かに話してもちゃんとは伝わらねぇよ」
「だから連れてきたのよ。お礼は?」
「お礼参りか?」
「これは本来妖精しか見ることの出来ない光景なのよ。魔力の種の流れ着く先は、種を運んだ妖精しか知らないんだから。だからちゃんとお礼を言って」
適当にいなしていたリットだが、あまりにチルカがしつこくお礼をねだってくるので、仕方なく折れることにした。
「わーったよ……ありがとよ。確かに死ぬまでに二度と見れねぇ光景だ。酔って管を巻いてるよりも、よっぽど思いでになる。これでいいか?」
「そうよ。それでいいのよ」チルカは鼻の穴を膨らませて偉そうにすると「こっちも……ありがとう。助けてくれて」と小さな声で言った。
「知り合いに見られたら、一番厄介な噂話になるな……」
リットがため息をついて川を眺め直すと、チルカも「そうね……」とため息を落とした。
そこから太陽が出るまで会話はなくなった。
しかし、二人とも帰ることはなかった。
川はいつもの流れを取り戻し、魔力ではなく朝日を輝かせる。
初夏の日差しに温められた命を運ぶの薫風は、太陽よりも燦々と輝く四弁の一輪草を揺らしていた。




