第二十二話
「枝は横に寝かせろ。立てかけると火が高くなるからな」
リットはノーラがかまどに薪入れするのを、いちいち細かく指示を出していた。
「旦那ってば心配性なんスから」
「目玉焼きの失敗作にされてたまるか……」
「でも、実際問題目玉焼きの失敗作になって知りませんよ。私のヒノカミゴの力のことは、もう旦那のほうが詳しいでしょう?」
ドワーフの女性だけが持つヒノカミゴという力は、火そのものを操るのではなく、風を操って火を操る。火の魔法ではなく、風の魔法を使っているということだ。
火の魔法を扱えるのなら、リットとチルカの焼死の心配は避けられるのだが、残念ながら火はつけっぱなしにするしかない。
人体に影響のない炎の調整というのは、ノーラも普段経験していないことだ。
普段は地下の工房の炉の火入れや、目玉焼きを焼くフライパン相手にしか火を使っていないので、ノーラにもプレッシャーがかかっていた。
「焦がすならしっかり焦がせよ。オマエの好きな半熟は地獄だからな」
リットの本気とも冗談とも言えない言い方に、チルカは顔色を悪くした。
「ちょっと……これからって時に不安になるような想像させないでよ。背筋が凍るでしょう」
「残念ながらケツに火がついてる状況だ。凍ってる暇はねぇぞ。これから肝を冷やすんだからな」
「湖に落ちたら冷やす程度じゃ済まないわよ。焼いて冷やすって焼き茄子じゃないんだから。――ってノーラ……。お腹が鳴ってるわよ」
「今のはチルカが鳴らしたんスよ。私の胃をトントンと。お腹空いてますか? 焼きナスなんていかがでしょうかって」
ノーラの傍らには山の恵がいくつか転がっていた。
リットとチルカが素材集めをしている間に、ノーラが自分で集めたものだ。
会話に出てきたナスはないが、木の実や山菜など食べられるとわかっているものばかりなので、二人が葉っぱで空を飛んだ後は、のんびり焼いて食べながらことの成り行きを眺めていようとしているのだ。
「アンタが死んだら、ノーラはパン屋に弟子入りしそうね」
「弟子入りどころか開業してる」リットはふっと口元から笑いを漏らすと、薪が詰められたかまどを見てすぐに真剣な顔に戻った。「乗っ取るには主人を殺すのが一番だな」
「ノーラがそんなことするわけないでしょう。アンタがいないとすぐに飢え死にするわよ」
チルカはこんな時こそ信用しなさいとたしなめたが、ノーラはリットの心情を見透かしていた。
「違いますよ。旦那は高いところが苦手だから、土壇場になってゴネてるんスよ」
チルカは「ああ」とわかった顔で頷いた。「浮遊大陸でもずいぶんゴネてたものね……。そんなに怖いの? 高いところが」
「いいか? 普通の人間は高いところに恐怖心を抱く。バカだけが落ちたら死ぬってことを理解してねぇから怖くねぇんだ」
「はいはい、わかったわよ」
「いいや、その言い方はわかってねぇ」
「土壇場で怖気付いたんでしょう。別にいいわよ。飛べない種族が高所恐怖症なんて珍しくないんだから」
チルカは仕方がないことだと珍しく気を使ったのだが、リットはそれを煽られたと勘違いした。
「たまに自分の性格が嫌になるな……」
まるでチルカに見透かされたように歩き出す自分を、リットは情けなく思っていた。
「なに言ってんのよ。たまにじゃなくて毎日自己嫌悪を続けなさいよ。そしたら少しはまともになるわよ」
「心配すんなよ。じじいになったらボケて毎日同じ行動をしてる。存分にじっくり毎日眺めてろ」
「なんで私がアンタが年老いるまで一緒にいると思ってるのよ」
「どっかのバカが庭を森と呼び出したせいだろう」
「……アンタもしつこいわね。自然の摂理なんだからどうしようもないの。人間が火山の噴火口や、深海の穴に家を作って暮らせるなら。自然の摂理なんて関係ないっていう暴論にも納得してあげるけど?」
「暴論ってのはな。今まさにオマエが口から垂れ流したことを言うんだよ。ここが火山の噴火口みてぇなもんだ。目の前には深海に繋がる水たまりもある」
リットはつま先でかまどを蹴ると、次いで湖を睨みつけた。
「素敵。まるで詩人みたいなこと言うのね――それで準備は出来たの?」
チルカは煙道の入口付近でうろうろ行ったり来たりを繰り返すリットをじっと見ていた。
リットは何も答えない代わりに立ち止まり、数度深呼吸をすると振り返った。
「出来てねぇよ……」
「一回飛んでるでしょう。向こうの岸から」
「炎のサービスがなかなった時にはな」
「旦那ってばまだ私を信じてないんスねェ。卵もバッチリで固焼きから半熟まで、黄身の色も太陽のようなオレンジから、年頃の娘の恋心のようにほんのりピンクまで自由自在。更には旦那の適当に野菜を放り込んだまずいスープでも、弱火でコトコト野菜の味を深めて美味しくなるってなもんス」
「オレが食材なら説得力はあるな」
「山鳥も焼きましたよ。こんがり美味しく、皮は臭みがあるけどシュポシュポで最高でした」
ノーラは手持ち無沙汰にマッチを一本擦って火柱を上げると、山鳥の味を思い出してよだれを垂らした。
「アンタがゴネればゴネるほど不安材料は増えていくと思うわよ」
チルカはリットがもうそろそろ覚悟を決めるのをわかっていたので、飛ぶための葉っぱを握って煙道に近づいた。
「メインデッシュにされる前に藻屑となって湖に消えるほうがマシか……」
「ならつけますよ。まったく……緊張感がなくっちゃいましたよ」
柄にもなく鼓動が早まっていたノーラは、すっかりいつもどおりの穏やかなもどり、マッチに火をつけた。
リットが「待て!!」と声を荒らげるのも遅く、ノーラは薪にマッチの火を落としたのだ。
緊張の糸が緩んだことにより、炎を制御する力も弱くなった。
ノーラが手元に入り込むような風を感じるのと同時に、間欠泉のように炎が煙道から吹き上がった。
その炎は大きく、一瞬にして周囲の光と影の分布図を書き換えた。
まるで呼吸するかのように火先は大きく開き、空に煙を吐き出している。
その火先から逃げるように、一枚の葉っぱが空中で揺れていた。
「ちょっと! アンタの計算が狂ったんじゃないの! 反対方向へ飛んでるんじゃないのよ!」
「狂わせたのはノーラだ!」
ノーラが起こした炎は予定よりもかなり大きく、上昇気流をキャッチした葉っぱは風を孕んで木のてっぺんを超えてしまったのだ。
「どうすんのよ」
「風を読めよ。幸い高度は必要以上に取れてる。昇るから落ちるに変更だ」
「アンタねぇ……着陸のほうが難しいの知らないでしょう……」
「羽がねぇからな。でも、この勢いで枝にぶつかったら死ぬは知ってる。避けろ!」
リットが叫ぶのと同時に、チルカは風受けの葉を傾けて高度を上げた。
「あーもう! この周辺の風の流れがおかしいわよ! まるで暴風域よ!」
「なんでだよ!」
「知らないわよ! 木の生え方じゃないの? この状況で判断できると思ってるわけ?」
チルカはリットと怒鳴り合いの会話を続けながらも、瞬間ごとに変わる風を読み取って被害がないように飛んでいた。
今はまだ風に身を任せる状態であり、安定した風に乗るまでは、コップに入れられたサイコロのように振り回されるだけだ。
二人をぶら下げた葉はまず西へ流されて枝へ衝突した。
この時に一度枝に着陸して体勢を整えられたら良かったのだが、木々をすり抜けてきた鋭い風があっという間に枝から二人を引き離した。
ノーラは影しか追えない葉を「おお……」とこぼしながら眺めていた。
東の木にぶつかりそうになると「危ないっスよ!!」と声を大きくするがその声は二人には聞こえていなかった。
「ちょっと! 東から西から、あっちこっちから風が吹くってどういうことよ!」
「オレがわかるか! 湖風に遊ばれてるだけだろう」
「湖風がこんなに捻くれた風を起こすなら、周辺に鳥も虫もいないわよ!!」
チルカは原因不明だと慌てたが、どうにか今の状況を打破するしかなかった。
「風の動きが読めれば大丈夫なのか?」
「そうだけど、アンタみたいに捻くれた風よ。どう読めってのよ!!」
「目で確認できればオレにも追える」
リットは高度を下げるようにチルカに言った。
「無理よ。湖に叩きつけられるわ」
「ノーラに近付ければいい。アイツにもっと火を起こさせれば煙が風に舞う。今よりマシだろう」
チルカは良い考えだとリットに賛同して実行したのだが、二人を乗せた風は声をノーラに届けることは出来ず、代わりにその風でかまどの炎を消してしまったのだ。
だがこれはチャンスだった。くすぶった火種はどんどん煙を出して風を灰色で満たし始めたのだ。
「まるで龍だな……」
「ただの風よ。恐怖心を別の生き物に擦り付けるのは人間の悪い癖。あれはただの風」
「ただの風がとぐろを巻くってのか?」
「上昇気流でしょう」
「あの浮いた大地を囲むようにして上昇気流が起こってるのはなんでだ……」
煙によって風の流れがなんとなくわかるようになったので、リットも風が自然な動きをしていないことは感じ取れた。
風の壁は意思を持っているかのように、二人の前へ立ちはだかっているようにも思えた。
「わかるわけないでしょう……」
「妖精の悪い癖だな。目の前の事実から目をそらすのはよ。どう考えても精霊だろうが」
「精霊が? なんのためによ」
「気まぐれだろう。この試練もきな臭えもんだ」
「別にアンタが精霊を恨んでようが好きでいようが構わないけど、この状況を打破出来ないなら少し黙ってなさい」
風を読み葉を操作しているチルカと違い、リットはただくっついているだけ。
今回はチルカの方に分があったので、リットは大人しく黙って周囲を観察することにした。
風に煙が混ざったことにより、染みるので長い時間目を開けていられなくなってしまったが、煙の動きは風に対しては嘘はつかない。
普通は予測がつくはずだった。
しかし、風はまるで生きているかのよう姿を変えている。
画家がこの風景を描くとしたら詳細な繭玉を描くだろう。
それほど複雑に風が絡み上がっていた。
「なんで上昇気流になってんだ?」
リットは疑問を投げかけた。
「アンタがそうしたんでしょう」
「それはかまどの炎の話だろ。オレが言ってるのはこの周辺だ。もっと言えば浮かんだ大地周辺の風の壁だ」
リットの指摘した通り風は複雑に絡み合っているが、外側の風は等しく空へと向いていた。
「ダメ……」
チルカはリットが何を言うのか察知し、言葉にする前に否定した。
「つまり答えは上昇気流の一番上まで昇ってから、中を落ちてくるってことだな」
「ダメって言ったでしょう。考えるのを辞めなさいってことよ!」
「他に方法はあるか?」
「竜巻の中に落ちていくようなもんよ。どうなるかわかってる?」
「わかんねぇよ。体験がねぇからな」
「私も」
リットとチルカは目配せし合うと、同時に空を見上げた。
それ以上の言葉はなくとも、やることは二人で一致したからだ。
人間のリットだから気付くこと、妖精のチルカだから出来ること、その二つが重ねれば答えに近付いていることは確かだ。
「いい? もしも風の壁にぶつかったら、下半身は流されるままにしておきなさい。アンタが動くと私の周囲の風の流れも変わっちゃうんだから」
「なら、周囲の風の流れを変えたい時は言え。下半身に流されずしっかり頭で考えるからよ」
「それは私じゃなくて、アンタの友だちに言ったら?」
チルカの笑い声は風の音にも負けずにしっかりと響いた。
「オマエはローレンのタイプじゃねぇ」
「それ私の胸を掴んでおいて言うセリフじゃないでしょう」
「あのなぁ……飛ばされねぇように掴んでるのは腹だ。もしもここまで胸が垂れてるって言うなら謝る。オレが全面的に悪いからな。オマエはローレンのタイプだ。好きな方を選んでいいぞ」
「アンタも先に選んでいいわよ。アンタを切り離したほうが、早くてっぺんまで昇れるんだから」
「オレがいねぇと。オマエも呪いにかかったままだぞ。精霊が言ってたのは『ここまで二人で水をやりに来る』ってことだ」
「いやね……そのトゲを含んだものの言い方」
「気にすんな。煽りじゃなくて本当に気にするな」
「そんなの気になるに決まってるでしょうが……」
「オマエは妖精として妖精のやるべきことをやれよ。オレは人間として人間のやるべきことをやる」
リットは木よりも高く高く風に流されると、風の壁に守られている浮かんだ大地を睨みつけた。
「精霊様……私はコイツとなんの関わりもありません」
チルカは一度お祈りをすると、意を決して風の壁を覗き込んだ。




