第二十一話
「器用なもんだな」
リットはチルカの手元を眺めていた。
虹のクモ糸をくるくると、枝を加工して作った糸巻きに巻いていく。
リットはその手伝いをしていた。
香虫の油に手を浸してクモの糸をつまむ。油は手にクモの糸がくっつかないように、糸をつまむのは巻く時に絡まらないようにだ。
「必要にかられてやってるだけよ。人間にもあるでしょう。やりたくないけど身につけなくちゃいけないことって。まあ……アンタに品性は身につかなかったみたいだけど」
「他のものを身に着けたほうが役に立つからな。こっちのことより……本当に大丈夫なのか?」
リットは真っ黒になったクモの糸を見て不安を感じていた。
日に当てられて、あんなに輝いていた虹の糸。今ではそのかけらも感じなかった。
「大丈夫よ。今はその油で虹の糸の魔力が閉じ込められてる状態なの。人間もわかりやすく言うと冬眠状態ね」
「かえってわかりにくいだろう。人間が冬眠するかよ」
「アンタって本当……」
チルカはため息をついた。
「なんだよ」
「自分勝手な奴って言いたいのよ。自分が興味ないことは本当に考えないのね」
「感謝しろよ。興味がねぇことに」
虹のクモ糸は魔力の糸であり、魔女観点から見れば魔力の形状変化の一つだ。これを利用すれば魔女三大発明に匹敵する発明が生まれるかもしれない。
だが、それは妖精の協力か犠牲が不可欠だ。
妖精が魔女に協力することはない。
表向きの歴史ではディアドレが本にして残している妖魔録が唯一残されているが、裏の歴史ではいくつか魔女と妖精が深く関わっている。
そして、それは表舞台にあげられることは決してない。
大抵はどちらかの存在が消えてしまっているからだ。
これが酒ならばリットも興味があるが、今作っているものは服であり、リットの興味は皆無だった。
「感謝はしてるわよ。でも、もう少し驚いたらどうなのよ。この技法は妖精しか使ってないのよ」
「妖精しか使えないものに、どう興味を持てってんだ」
妖精の技術というのは魔法が関係しているが、どちらかというと小さい体で生活することに使われている。
一生体が小さいままならこの知恵があるかないかで死活問題になるが、元に戻れるならリットが興味のある話題ではなかった。
「なんで植物で服を作るのとか、どんな植物でもいいのかとか色々あるでしょう」
「人間の服だって綿の服は基本だからな。種族に合った使い方ってのは、そりゃあるだろうよ。まあ……なんで服が枯れねぇのかは興味がある」
チルカに限らず妖精が着ている服の素材は、植物の葉や花びらが主であり、たまに木の実の薄皮など特殊素材が使われるが、基本は自分が住む森の植物から採れるもの使う。
自然のものは朽ちていくのが普通だ。
加工された人間の服のように、いつまでも形を保つのはおかしいと思っていた。
「まさか……私の服が急に破けて、裸を期待してるんじゃないでしょうね……」
「正直期待してる。防熱の服を作るってことは、普段の服には防熱効果はねぇってことだろ。無敵の防護服ってことじゃないわけだ。なにがどう作用して品質を保ってんだ?」
「……前言撤回。興味持ちすぎよ」
「オマエが興味を持てって言ったんだろうが」
「限度があるでしょうが。私が妖精の秘密をペラペラ喋る薄情もんだと思ってるわけ?」
「思ってる。もう既に何個も秘密を喋ってるだろ。つまり喋ることは問題じゃない。人間には扱えない力だろうからな。人間には理解不可能な知識。それも含めて妖精のうわさ話に繋がるんだろ?」
「言いたくない……」
チルカはしばらくリットの話を聞いて手を止めていたが、不機嫌にそっぽを向くと再び虹のクモ糸を巻き出した。
虹のように鮮やかに光るクモの糸。
それを巻き糸にすると、雨雲をほぐして紡いだように真っ黒な糸になる。
リットはそれで服を縫い合わせる光景を思い浮かべ、ある仮説を立てた。
「黒ってことは魔女か? 魔法陣を描くようにつなぎ合わせる……植物を保存してるってことか?」
「言いたくないって言ったでしょう……」
「つまり浮遊大陸の植物を簡単に持ってこられたんじゃねぇのか?」
「出来るわけないでしょう。浮遊大陸の植物っていうのは、地上の植物とは全然違うの。エルフだって頭を悩ませてるのよ」
「今度は否定したな。さっきは否定しなかった」
「なに? なんなわけ? 今はお酒を飲んでないから、頭が回ってますアピール? 言っとくけどね。アンタが思いついたことなんて……まあ――そういうことよ」
「クモの巣で魔法陣を思いついた魔女がいるってのはそういうことか」
「……どういうことよ」
「見られたんだろ。昔どっかの妖精がどっかの魔女にだよ。『妖魔録』に詳しく書かれてなかったってことは……ディアドレじゃねぇな」
「アンタの性格って本当に敵を作りやすいわね……。はいはい、全部正解よ。知識をひけらかして楽しいわけ?」
「楽しいと思うか? 不安でしかねぇよ……」
いっそ全てが妖精的思考で固まった出来事であればよかった。
妖精が使う糸とは『闇に呑まれる』と近いものだ。
経験を重ねたリットはそう結論付けた。
妖精と人間の魔力に対する考えかたの違い。それは火を怖がるか怖がらないかだ。
火に慣れた種族は考えずとも火はどういうものかわかっている。
人間が明かりを取ったり、調理したり、暖を取ったりするようなものだ。
当たり前のものを当たり前に使う。危険と隣合わせだが、対処の仕方も同時に増えていく。
火が魔力ならば、人間は明かりを取ることも、調理することも、暖を取ることも出来ない。
リットが不安に思うことを、チルカは何一つ不安に思っていなかった。
それはチルカにとっては当たり前の魔力だからだ。
「知識があるってのも考えものね……臆病になるんだから」
「未知の力に触れるってのはそういうもんだろ。ノーラみたいにお気楽に生きてみろ。今頃家が火山になってる。庭が森だなんてはしゃいでる暇はねぇぞ」
「そうね」とチルカは笑った。
「それで……本当に大丈夫なんだろうな」
「大丈夫よ。闇に呑まれたテスカガンドに行った時のことを覚えてる?」
「忘れるかよ」
「なら私が裸にならなかったのも覚えてるでしょう。ああいう空間でも服はバラバラになることはなかったわ。アンタが考えてるようなことはないわよ」
糸に油を塗る手が止まっていたので、チルカはリットが昔のことを考えて不安を大きくさせているのに気付いていた。
「それはそれで謎が増えるだけだ」
「謎を解決するのは冒険者の領分でしょう?」
「そうだったな……」リットはチルカにたしなめられたとため息を落とした。「ランプ屋のやることとは――油にまみれることか……」
リットの糸をつまむ力が強くなったのを感じると、チルカは糸を巻くスピードを上げた。
虹のクモ糸を巻き終え、次の作業は寸法を測ることだ。
チルカはリットに葉っぱを体に合わせるように言った。
「仕立て屋なんてずいぶん行ってねぇのに。妖精の仕立て屋とはな……」
「そうよ、光栄に思いなさいよ」
「恥ずかしくて人に話せねぇって意味だ。ガキのおとぎ話じゃねぇんだぞ」
「なに言ってんのよ……。もう遅すぎるくらいおとぎ話になってるじゃない。これから羽もないのに飛ぶのよ」
チルカはバカなこと言ってないで、腕の長さを測るから手を伸ばせと指示した。
「そうだぞ。葉っぱ一枚に身を包んでな」
「別にアンタが願うなら三枚でも四枚でも縫いつけてあげるわよ。でも重くて飛ばなかったり、風の抵抗を受けすぎてあっちこっちに飛んでったりするわよ。落ち葉が風に舞ってるのを見たことあるでしょう」
風の抵抗を受けないようにするために、リットの服はぴっちりと肌につくように縫われていった。
妖精の服というのは基本は葉っぱ。その装飾に花びらや樹皮が使われる。
花びらはフリルをつけたい時や、薄着を作りたい時。木の皮の繊維からつくった織物で模様をつけたりと、人間のおしゃれとあまり変わらないが、そのどれもが魔法に関わっていた。
妖精は主に飛ぶ瞬間に風の魔法を使う。
羽だけでも飛ぶことは出来るが、魔法を使うことにより素早く飛び立つことが出来る。
初速を気にせずに自由自在に空を飛び回れるのだ。
空を飛ぶ時、曲がる時、降り立つ時。そのどの行動にも、服は妖精の行動に影響を与えている。
曲がるのが苦手な妖精は、フリルを多くして風の抵抗をあえて受けるような服にする。するとスピードが弱まり曲がりやすくなる。
つまりその妖精に合ったものであり。更には妖精の住む環境に合ったもの。というのが妖精の服の基本だ。
リットが女性の服に興味持たないので知らないだけであり、チルカは今までに何度も服を変えていた。
人間と一緒に生活するので暖を取るのが容易になったり、障害物を避ける必要が減ったせいだ。
「本当にそこまで測る必要があるのか?」
リットは股間を押さえながら言った。
「誰がそこのサイズを測るって言ったのよ。足の長さを測るにきまってるでしょう」
「せっかく妖精の呪いで一緒に小さくなった服を脱ぐのかよ……」
リットはチルカにシャツから順に、上から服を脱がされていた。
「ほつれた糸に火がついて、葉の内側から燃えても知らないわよ。外側と内側じゃ防熱に違いがあるのよ。丸焼けになるわよ」
「丸焼けというより蒸し焼きだな……」
リットは服の隙間から熱風に襲われてはたまらないと、体の正確なサイズを測らせた。
「やな言葉ね……。ほら動いたらずれるでしょう」
「いっそミイラみたいにぐるぐる巻きにしたらどうだ?」
「そういう方法を試した妖精もいるわよ。手っ取り早いしね」
「なら――」
「その妖精。関節が満足に動かせなくなって、地面に落ちていったわよ」
チルカは葉の茎の部分を切り落とすと、見せつけるように地面に落とした。
飛んでる時に落ちたらリットにはどうすることも出来ないが、腕を自由に使えればとっさになにかを掴んだりして対処が出来る。
関節を固められてしまっては、ただ落ちるのを待つだけになってしまう。
「まさかオマエみたいにスカートにするつもりじゃねぇだろうな……」
「私だって着替えるに決まってるでしょう。焼け死ぬつもりはないんだから」
チルカもリットと同じく、シャツとズボンで体を覆うつもりだ。
他に妖精がいたり、もっと時間があればリットをあっと驚かせるような機能を持った服を作れるが、今はかまどからの熱風に耐えられるものを作るだけで精一杯だった。
「植物の服を着て空を飛ぶか……。まあ、宵の席のバカ話にはなるか……。泥酔相手限定だけどな」
「普通は妖精が服の作り方なんて教えないわよ」
「人間のサイズに戻れば必要なくなるからだろう」
チルカが親切に妖精の文化を教える理由。
サイズが縮んだリットがチルカにとって思ったよりも話しやすい相手になったということもあるが、人間のサイズで応用できる植物がないというのが大きい。
「まあ……そのとおりね……」チルカはもっと知識をひけらかしたかったと不満に口元を歪めた。「言っとくけど悪用するんじゃないわよ」
リットの周りにはグリザベルトいいクーといい。首を突っ込みそうな人物が多い。
「場合による」とリットは不敵に笑ったが、チルカに鼻で笑い返されてしまった。
「悪用するつもりなんてないくせに」
「チャンスがねぇだけだ。手のひらサイズの知り合いはオマエくらいだからな。――今のところはな」
「アンタまさか妖精相手に商売するつもり?」
「近くにいるなら利用するほうが手っ取り早いと思っただけだ」
「妖精にお金なんて概念はないわよ」
「物々交換でいいだろ。服の材料は故郷の森じゃなくてもいいみてぇだからな」
リットは仕立てられたばかりの服を着ながら言った。
服といっても簡易的なものであり、フード付きのポンチョみたいなものだ。
肘や膝などの関節部分だけは葉を包帯のように巻いてカバーをする。
あとは隙間が出来ないようにところどころを草制のベルトを回して固定する。
動きにくいが、安全面を考えると仕方がなかった。
チルカは葉を掴んで風を受け止める役目をするので、リットよりもかなり軽装だ。
「簡単に出来るからって妖精を利用しないでよね。妖精はそんなに軽くないわよ」
「雪山にある大ユリを知ってるか? 浮遊大陸の正装にみたいに真っ白な花びらをつけるって花。オレも冒険者から聞いたんだけどよ。雪のドレスって呼ばれるくらい立派な花弁をつけるんだとよ」
「……それがなんだってのよ」
「依頼を受けたんだ。雪原で暖も取れるランプを作ったら、代わりに摘んできてもらう話になってる」
「……アンタ花なんて興味ないでしょう」
「でも、冒険者に無理難題をふっかけるの店の特権だ。防熱耐性のある葉を集めさせりゃ、オイルでも周辺道具にでも利用できるかもしれねぇからな。どうだ? 軽くなっただろ」
リットは興味が出ただろうと笑った。最後にそんな依頼は受けていないことを付け足して。
「軽くなったのは肩の荷が下りたからよ」
チルカは自分用のポンチョを羽織ると、準備が出来たと腰に手を当ててポーズを取った。




