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薫風(くんぷう)の一輪草 ランプ売りの青年外伝8  冒険譚シリーズ  作者: ふん


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第二十話

 アリの巣付近から虫の牙を手に入れたリットとチルカは、休むことなく並んで釣り竿を垂らしていた。

 新芽が伸びかけのよくしなる小枝を竿に、糸は同じ枝を小石で何度も叩いて繊維状に砕いて取り出したものだ。

 繊維の中からそこそこ頑丈なものを選んで釣り糸にする。

 一番強度が高い糸はかかった獲物によっては引きずられて危険なため、ある程度の力が加わると切れる糸を選ぶというわけだ。

 この釣りに針は使わない。

 餌を刺す必要もなければ、獲物の口に刺す必要もないからだ。

「ほら、乾いてるわよ。それじゃあ釣れないって言ったでしょう」

 チルカは湖風に乾かされたリットの糸先を見ると、竿を上げるように言った。

「こんなすぐ乾くなんて効率が悪いだろう……」

 リットは引き上げた糸先に、ある植物の油を塗りながら言った。

 リットがしている釣りとは、湖に糸を垂らして魚を釣る。というような人間的が考える釣りではない。

 桟橋や岸から釣り糸を垂らすのではなく、木の枝から空中に糸を垂らすのだ。

 狙っている獲物は魚ではなく虫ということ。

 妖精の釣りとは虫を釣り上げることだ。

 糸先に油をなじませるのは特定の虫がこの油を主食しているからであり、その虫から分泌される特殊な油こそリット達が欲している素材だ。

 先に見つけていた魔力の籠もった虹のクモ糸。それを巻く時に必須なのがこの虫から取れる油だ。

 妖精が服を作るのにはお気入りの植物の葉以外に、縫うための『虫牙の針』と縫い合わせるための『虹のクモ糸』と魔力を外へ逃さないために糸へ塗る『香虫の油』の三つが必要になる。

 そして、香虫というのが厄介であり、嗅覚が弱いくせに嗅覚を頼る虫であり、釣るのがとても難しい。

 臆病な性格をしているので、釣り糸に食らいつくまでひたすら待つしかない。

「一度食いつけばそれでいいんだけど……」

 チルカはリットの効率が悪いという文句を否定しなかった。

 自分でも効率が悪いとわかっているからだ。

 だが昔から続いているやり方であり、他の方法は知らなかった。

「食いつけって言うけどよ……。針もついてねぇんだぞ。虫の牙を加工して釣り針を作ったほうが良くねぇか?」

「油を吸う虫だから心配いらないわ。もっとわかりやすく言えば、食いしん坊で、食い意地が張ってるの。糸を深くまで飲み込むから針はいらないの。なんだってそうよ。無意味に傷付ける必要はないわ」

「そのせいでこんな暇なんだぞ。言っとくくけどよ。状況は刻一刻と悪い方に進んでるぞ」

 リットは状況を良くしようと提案したのだが、チルカが食いついたのはそこではなかった。

「そう! 暇なの!! 私がいつだか迷いの森の暮らしは退屈だって言ったのもわかるでしょう」

「まあな。こんなのアホらしい……」

 リットは釣り竿を枝の窪みに引っ掛けると、枝を軽く揺らして葉を落とした。

 木の下でぐーすかと鼻提灯を垂らすノーラの元へ、ひらりひらりと一枚の葉が舞い落ちる。

 枝から解き放たれたまだ瑞々しい葉は枯れ葉のように、呼吸ですぐに吹き飛ばされることなく、ピタッと唇にくっついた。

 そのタイミングでノーラが息を吸ったため、一瞬呼吸ができなくなり飛び起きた。

「もう……死ぬかと思いましたよ」

 ノーラが背伸びをして枝に向かって手を伸ばすと、リットは「来るか?」と聞いて、その手に乗った。

 置いていかれてもひたすら釣れない釣りをすることを考えると、チルカはリットについていくことにした。

「ノーラ。泥遊びだ」

「またっスかァ?」

 ノーラはまたなにか作らされるのがわかったので、めんどくさそうに言った。

「そこのかまどと似たようなのを作るだけだ。手のひらサイズのな」

 リットが作らせようとしているのはポットだ。

 虫の餌となる香油を熱して、香りを広げようと考えている。

 人間で言うところの撒き餌だ。

 匂いで虫を寄せて誘導し、一番濃い匂いがする糸先へ食いつきやすくさせる。

「アンタに色んなことを教えると、ろくなことにならないわね……」

 チルカは妖精の文化が人間に毒されたとまでは思っていないが、もう元の価値観には戻れないと思っていた。

「あのなぁ……。これはエルフが使う手段の一つだ。なんで妖精のオマエが知らねぇんだよ」

 リットが呆れると、チルカは呆れ返した。

「妖精はあまり火を使わないからでしょう。妖精とエルフ。人間は同じようなところにカテゴライズするけど、妖精とエルフは全然違うものよ」

「だから苦労してんだ」

 これがエルフからの依頼ならば、とっくに解決している自信がリットにはあった。

 なぜならばエルフは紙に情報を残す文化を持っているので、本や羊皮紙など特別な紙など様々な媒体で情報が残っているので調べのものがしやすい。

 妖精というのは口頭伝承が主な種族であり、それが『妖精のうわさ話』として今も続く理由だ。

「口で言っても文字を残しても同じでしょうが」

「そのニュアンスってのは人間に伝わらねぇもんなんだよ。妖精がこういうことを思い浮かばないのと一緒だ」

 リットは釣り糸に使っていた繊維に、尖らせた小石でわずかに切込みを入れていった。

 油を付着させやすくするためだ。毛羽立てた方を内側に丸めて円を作り、そこに油を垂らす。

 毛が生えていて水分が付着しやすい植物はあるが、それは釣り糸には向かない。

 人間なら加工して加工して、更に加工を重ねて使うものでも、妖精はなるべく自然のままを利用して使う。

 どれだけ難しく説明しようが簡単に説明しようが、答えは一つだけだ。

 種族による違いとしか言えない。

「アンタといると森を捨てそうになるから怖いわ……」

 チルカは明らかに使いやすくなった釣り竿を見て、なんとも言えない表情を浮かべていた。

「安心しろよ。嫌でも森に送り返すからよ」

 リットは準備ができたと、ノーラに再び枝まで自分とチルカを運ばせた。

 そしてヒノカミゴの力で固めたポットを枝に乗せようとしたのだが、どうにもバランスが悪かった。

 再び底に泥を塗りつけ、枝元の太い場所へ置くと、ヒノカミゴの力で枝ごと泥で固めた。

「ちょっと大きすぎたんじゃない……。まるでリスの巣よ」

 チルカは自分と同じくらいの高さがあるポットを見て、扱いにくいと指摘した。

「ノーラに作らせたんだぞ。崩れてねぇだけで上出来だ」

 リットはポットの上部に防熱性のある葉を乗せると、そこへ油を垂らした。

 そして適当な枯れ葉と枯れ枝を土床に乗せると、ノーラに火をつけるように言った。

 ヒノカミゴの力とは炎を調節する力であり、弱くすることも出来る。

 ちょうどいい燃え方をする枝は、パチパチと音を響かせるのと同時に、植物から取った油の匂いも広げた。

 森林を縮小させたような複雑だが、わかりやすい薫りが漂うと、チルカは釣り竿を垂らす前にぐっと体を伸ばした。

「なんか一気にまったりしちゃったわ……」

 チルカにとって植物から取れる油の薫りは極上のリラックスタイムだ。

 もちろん花々や木々から直接香る薫りも良いものだが、植物から取れる油――つまり精油とは芳香成分がふんだんに含まれたものだ。

 妖精の白ユリのオイルがチルカとの出会いに欠かせないように、濃縮された薫りというのはそれほど強烈で効果的なものなのだ。

「オレは頭痛がしてきた……」

 妖精にとっては良い香りでも、人間のリットにとっては効果が強すぎるのだ。

「妖精の白ユリの時も同じこと言うでしょう。好きな薫りってないわけ?」

「あってもここまで濃い匂いのままは使わねぇよ。妖精の白ユリだってよ。ランプオイルに使うのにどんだけ苦労したか……」

 隔世遺伝でエルフの血が目覚めたエミリアや、妖精のチルカが使うランプオイルならば、ランプオイルという概念を捨ててオイルを作ることが出来るが、妖精の白ユリのオイルを一般的に使うとなると、他のオイルに混ぜて使わなければ消費が著しく早くなってしまうし、薫りの成分も邪魔になる。

 特に冒険者が商売相手の場合は、匂いでなにかに気付かれるということもあるので、どれだけ輝度が高い光を作ったとしても、香り付きのオイルは売れないのだった。

「それはそっちの事情でしょう。こっちはこっちの事情で使うからいいのよ」

 チルカは上機嫌に鼻歌を響かせながら釣り糸を垂らした。

 油がしずくとして糸先に付着しているせいで、一度その重さに負けて前のめりになったが、なんとか持ち直すと、枝の節に腰掛けて鼻歌の続きを歌った。

 釣り糸は風に揺られ、糸先の油は太陽に反射して遠く下で光る。

 思いがけずのまったりとした空気が流れ、チルカはすっかりリラックスしていた。

「おい羽がないのを忘れてねぇか?」

 踏ん張ることなく枝の節に寄りかかっているチルカを、リットは心配していた。

 少しでも強風が吹けば飛んでいってしまいそうだからだ。

「羽があってもなくても同じよ。風には絶対流れがあるんだから。制御できない風は羽があってもなくても結果は変わらないわよ」

 チルカは慢心しているわけではない。

 今やってることは妖精の暮らしの一部を模倣しているだけなので、万が一でも間違うはずがない。

「これから羽がない妖精と空を飛ぼうってんだから、そうじゃねぇと困るんだけどよ……」

「けどなによ」

「やってることが服作りだから不安だってんだよ」

 現在の作業は丸焼けにならないために葉の服を作る途中だ。

 これがオイルや冒険のために必要なものづくりというのならリットには理解できた。

 興味がない服ということもあり、まったく予想不可能になってしまったのだ。

「不安なときは誰かを頼んなさいよ。アンタは今までそうされて来たでしょう」

「私を頼れって言ってんなら。信用度が足りねぇよ」

「私を信用されても困るわよ。今何をしてるって、過去に経験のないことをしてるのよ。はっきり言って、もう妖精も人間も関係ないわよ。ぜーんぶ精霊の手のひらの上」

「それがおかしいんだよな……」

 リットはなぜ人間の自分が巻き込まれたのかと考えていた。

 たまたま妖精のチルカといたから自分が巻き込まれた。

 そう考えるのが普通だが、リットの家の庭は現在世界に森と認識されており、妖精は絶えず数人常駐している。

 そこから自分とチルカがわざわざ選ばれたとリットは考えていた。

 精霊が出した試練。そのどれもが、人間だけでも妖精だけでもクリアできないような内容だからだ。

 妖精の文化と知識。人間の文化と知恵。この二つの考え方がなければ、試練のスタートにさえ立てない。

 そんなリットの不安をチルカは鼻で笑い飛ばした。

「精霊ってそういうもんよ」

「そういうもんって納得できるほど、人間はアホじゃねぇよ」

「そういうもんって納得できないから、人間はアホなのよ。精霊に興味がないならないで構わないけど、無視はできないでしょう」

「残念ながら人間は無視をする。見たくねぇもんは見なくても生きられるようにできてんだ」

「まあ……寿命が短い種族ならそうかもね……。とにかくそういうもんだって思いなさいよ」

「隣で酔っ払った爺さんみたいなもんか。奢らせるためには必要だけど昔話が長い」

「違うわよ! いや……似たようなものなのかしら……。もう少し丁寧に例えられないわけ?」

「それってオマエを蛾じゃなくて蝶に例えろってことだろ?」

「虫以外に例えろってことよ」

「それは俗に媚びを売るって奴だ。人間ってのは媚を売られ始めたら、終わりへの一歩を踏み出したってことだ。オレもよく使う。特に金持ち相手の依頼なんか媚びを売っただけ儲けが出るからな」

 リットの言葉をチルカは呆れて聞いていた。

 歪んだ商売の心構えに呆れたわけではなく、精霊にすっかり興味をなくして話題を変えたことにだ。

「本当に自分勝手な奴よね……」

「人に頼ってここまで用意させた奴に言うセリフか?」

「一応褒めてんのよ。同じ妖精だったら、ここまで精霊相手に我を通すわけないから」

「いるだろう。精霊に魔力を乱されても、食い意地で戻ってくる奴が」

 リットが大きくなってくる羽音を感じ取ると、虫の姿はすぐに見えた。

 巨大な虫。というのは小人サイズだから感じることで、実際には成人男性の親指の爪ほどの大きさの虫だ。

 まず一匹がチルカの糸先に食いつくと、すぐに二匹目がリットの糸先に食いついた。

 後は簡単で、虫が油を舐めている間に分泌器官から香油を採取する。

 毛を刺激してやればにじみ出てくるので、それを葉ですくってひたすらためるだけ。

「後は適当な枝で糸巻きを作って、虹のクモ糸巻けば完了よ」

 チルカはリットの背中を叩いて「やったわね」と付け足すと、ノーラを呼んで次の段階の準備を始めた。

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