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第二話

 木陰。若葉のような緑色の羽明かりの妖精『シプリア・ミルクトロリ』が「ねぇねぇチルカちゃん」と声をかけた。

「なに? 先に言っておくけどハチミツはないわよ。手に入れ損ねたんだから……」

「違うよ。人間に呪いをかけたって本当?」

 尊敬の眼差しを向けてくるシプリアに、チルカは思わず誤解を解くのは後回しにして、偉そうに振る舞うことにした。

「本当よ。まぁ、簡単よね」

「凄いよ!!!」

 シプリアは興奮して羽明かりを強くすると、光に驚いた羽虫が飛んで空へと逃げていった。

「ちょっと……声が大きいわよ。その小さな体から……どれだけ大きな声を出すのよ……」

「チルカちゃんが驚かすからでしょう。それでそれで? 今どんな気持ち?」

「そうねぇ……。一言で言えば最高ね!」

「凄いよ!」

 シプリアが声を大きくすると、チルカもだんだん良い気分になり、鼻の穴を大きく膨らませた。

「そうね。ちょっと凄いかも。他の妖精には出来ないことかもね」

「そうだよ! 凄いことだよ! だってチルカちゃんは死んじゃうんだもん! 皆言ってたよ。チルカちゃんのマネは絶対に出来ないって」

 チルカは「ふふーん」としまりのない笑みを浮かべた。「そうでしょう。皆が言ってるのは間違いじゃないわ。私は死ぬ――……今なんて言った?」

「チルカちゃんは死んじゃうって」

「なんで私が死ぬわけ?」

「だって、『大妖精の呪い』を人間にかけたんでしょ?」

「そんなのかけるわけないでしょう。たかが人間よ。それもゴミクズタイプの人間。私が命をかけて大妖精の呪いをかけるっていうわけ?」

 チルカはありえないと真顔になると、皆が自分を騙そうとしているのだと思い、草むらの影を飛び回って、隠れている妖精を煽ろうとした。

 しかし、妖精はいない。庭にいる妖精は木に集まっているので、草むらに隠れていないのだ。

「チルカちゃん……」

 シプリアはちぎった草をチルカに渡した。草の上には朝露を数滴集めたものが乗っかっており、それを鏡にして自分の姿を確認させたのだ。

「うそ……嘘よ……信じられない!!」チルカが叫んだ理由は、自慢の透明な羽にクモの巣のような黒い線の模様が入っているからだ。「こんなのまるでトンボの羽じゃない!!」

「それって太陽神の加護がなくなったからじゃない?」

 シプリアはチルカの羽に触ろうとしたのだが、黒線模様がガラスのヒビのように見え、触れた瞬間に崩れてしまいそうで触れることが出来なかった。

「ねね? 後ろはどうなってる?」

 チルカはしっぽを追いかける犬のように、その場でぐるぐる飛び回り、なんとか自分の背中を見ようとしていた。

「チルカちゃん……真面目な話だよ。人間の呪いを解いたほうがいいよ」

「それって……アイツを精霊との交流会に連れて行けって言うの?」

「だって呪いをかけたのはチルカちゃんでしょう」

「覚えはないわよ」

「本当に?」

「本当よ。だいたいね……大妖精の呪いだって、ただの噂なのよ」

「恨みを込めた呪詛は唱えた?」

「リットの悪口だけよ。数年分の恨みを込めたね」

「月が燃える日の昼の出来事?」

「そういえば……昨夜の月はずいぶん赤かったわね」

 チルカが昨夜の空を思い出しながら言うと、シプリアはテンションを上げた。

「ほらほら! 噂通りでしょう!」

「噂って……あれでしょう?」

 大妖精の呪いとは、精霊との交流会の時期にだけ妖精が使えるという魔法のことだ。

 この時期は妖精の魔力が高まり、最も精霊の力に近付く日だと言われている。

 だが、その代償はとてつもなく大きい。

 サラマンダーに羽を焼かれ、ノームの大地へと落とされるのだ。

 呪いを解くには、妖精と一番馴染み深いシルフに頼むしかない。

 精霊との交流会が開かれる山にある湖。妖精はある花を摘み取って持っていく。

 その花は精霊との交流に必要なものであり、ウンディーネがそれでお茶を淹れる。

 だが、呪いをかけた妖精だけは選択肢を与えられるのだ。呪いをかけるか、解くかの二択だ。

 呪いの解除を選ぶと、ウンディーネはその花を『精霊花』と呼ばれる魔力の結晶と合わせて呪いを移し替える。

 種になり湖に沈むと、数日で呪いが消えて花が咲く。

 その花は普通の植物ではなく、精霊が作り出した魔力だ。

 ガラス細工のような透明な花びらで、雄しべや雌しべはない。

 咲いた花は川に流れて、やがて世界へと消えていくのだ。

 透明な花が一斉に川を流れていくと、川はいつもより輝いて見えるので『妖精の水中花』と呼ばれているのだった。

「そうだよ。妖精の水中花伝説の大妖精の呪いってやつ。月が燃えるのは、サラマンダーが呪いを受諾した証」

「今……完全に思い出したわ……。でも! 呪いをかけるには、相手を弱らせる必要があるはずよ! だってまだ――精霊との交流会までは日にちがあるから!」

「だからチルカちゃんの羽も――まだ燃え尽きてないのかもね」

 シプリアの言葉を聞いて、チルカは冷や汗が背中を流れていくのを感じた。

 飛び出そうな心臓の鼓動を押し込めて、まだ羽を動かせることを確認すると、もうスピードでリットの元へ向かったのだ。



 その頃。リットもチルカを探してスピードを上げていた。

「ほら、もっと早く走れよ」

 リットはノーラの頭の上で指示をしていた。

「走ってますって。これが足の短い種族の平均速度なんすよォ。いっそ家まで投げましょうか?」

「そんときは頭にハゲが出来るぞ……」

 リットはノーラの髪を束にすると、頭から落ちないようにギュッと掴んだ。

「無茶しないでくださいよォ……」

「そりゃこっちのセリフだ……。頭を揺らさずに歩けねぇのかよ」

「是非とも旦那には、頭を揺らさずに歩く手本を見せてもらいたいもんスねェ……」

 ノーラはずっと不機嫌に文句を言うリットにうんざりしていた。

 頭の上から声が聞こえるのはいつものことだが、頭にへばりついて文句を言われてはかなわない。早いところチルカを見つけて、どうにかしたかった。

 奇異の目にさらされながらも、ノーラは人混みの間を縫って家へと急いだ。

 一軒、二軒と家を通り過ぎ、角を右に曲がったところで、リットは弓矢のように飛んでくるチルカと正面衝突したのだった。

「おい……ノーラ……。ちゃんと避けろよな……」

 リットはチルカに潰されながら、苦しそうに声を上げた。

「避けましたよォ。だから私はぶつからなかったんスよ」

 ノーラが急に足を止めると頭が大きく揺れ、リットとチルカは空中へ放り出されてしまった。

 しかし、地面に落ちることなくノーラがキャッチし、怪我することなく三人で家へ戻ることが出来た。

 リビングのテーブルの上では、リットとチルカが鼻先がくっつく距離で睨み合っていた。

「どうしてくれんだよ」

「どうしてくれんのよ」

「どうしましょうかね」ノーラはチルカサイズのリットを見て「とりあえずお着替えでもします」とおどけた。

 場を和ませるつもりだったのだが、それは逆効果だった。

「そうだ……それだ」

 リットは低い声で言った。

「どれっスかァ?」

「着替えだよ。見ろ。オレと一緒に服まで縮んでる。つまり呪いの類に間違いねぇ。チルカのせいってことだ」

「アンタが酒を飲むからよ。酔ったりするから、弱ったとみなされて呪いにかかるのよ。なんで、よりにもよって精霊との交流会の時期に私を怒らせるのよ……」

「オマエが怒らない時期があるなら教えてくれ」

「反省しろって言ってんのよ」

「こっちのセリフだ。妖精の呪いなんかないって言っただろうが」

「言ったわよ。訂正はしないわ。噂話の類なんだから誰にも責任はないの。謝罪もしないけど。私だってないと思ってたんだから! しょうがないでしょう! こっちの命だってかかってんのよ」

「その羽根が真っ黒になりゃ死ぬとでも言うつもりか?」

 リットはチルカの羽を指した。

 先程までは黒いひび割れ模様が入っていただけなのに、今はノシメトンボのように羽の先が真っ黒になっていたのだ。

 そのことを指摘されたチルカは、テーブルに膝をついてうなだれた。

 侵食するように、羽が黒く染まっていくのが見えたからだ。

「もうダメ……私は死ぬのね」

 チルカが観念した時。羽は真っ黒に染まってしまった。

 しかし何も起こらない。

 チルカは恐る恐る目を開けると、世界が見えることを確認した。手も動く、足も動く。声も喉を通って口から出ていった。

「やりぃ! チルカちゃん大勝利! 生きたわ! 所詮は噂ね。アンタは縮んだままね。ざまあよ。ざまあ!」

 チルカは小さいままのリットを見て煽りに煽るが、リットが煽り返すことはなかった。

「ちょっとどうしたのよ……ノリが悪いわね……。喜ぶくらいはいいでしょう。そっちはチビだけど、こっちは命がかかってたんだから」

「あぁ……そうだな」

 生返事のリットに合わせるように、ノーラも「そっスねェ……」と小さく呟いた。

「なによ……ノーラまで。どうしたっていうの。私は生きてるのよ。存分に喜びなさいよ」

「そうっスよね。生きてるってのは大事っスよねェ」

 ノーラは乾いた笑いを浮かべた。

「そうよ」

「チルカは生きたじゃないっスかァ!」

 ノーラが手のひらを差し出すと、チルカは力強くハイタッチした。

「そうよ!」

「さすがチルカは強い妖精っスね!」

「当然でしょう! 妖精に私ほど強い女はいないわ!」

「さすがさすが! それなら羽がなくなったくらいで大騒ぎはしないっスよね?」

 思いもよらない言葉に、チルカは「はぁ? ねぇ?」と素っ頓狂に声を裏返した。

 ノーラは作り笑いを顔に貼り付けたまま固まってしまったので、チルカは眼の前にいるリットをどついた。

「羽がないってどういうこと」

「自分で確認しろよ」

 リットはテーブルランプの金属部分をシャツで拭いて綺麗にすると、チルカをそこへ押しやった。

「うそよ……羽がない……こんなのただの小人じゃない……」

 自分の姿を見たチルカは力なく座り込むと、すがるようにリットの腕に抱きついた。

「虫から小人ならランクアップじゃねぇのか?」

「超絶可憐妖精から、美人で気立ての良いただの小人に成り下がったのよ。……今の私はジョークを受け入れられないわ」

「ジョークじゃなくて、現実を受け入れろよ。オレとオマエは同じサイズになって、どうにかして呪いを解かないといけねぇんだろ。自分で説明しただろう? 『サラマンダーに羽を焼かれ、ノームの大地に落とされる』ってよ。つまり、まだ呪いの初期段階ってことだろ?」

「だからなによ……」

 チルカは死んだも同然だとすっかり気落ちしていた。

 普段は見せない涙を目尻に溜めて、それを流して気取られないように瞬きもせずにいるので、リットはそれ以上茶化すことはしなかった。

「だからよ。羽をなくすことが、呪いの契約みたいなもんってことだ。妖精が呪いを解くには、人間のように大地を歩けってことだろ?」

「歩いてどうすんのよ……。アンタと同じ暮らしをしろってこと?」

「羽が焼け落ちたのは、呪いを解くための第一歩を踏み出したってことだ。今から精霊との交流会に向かえば、呪いを解くのに間に合うってことだ。まだ時期は早いって言ってただろう。羽がなくても、チビスケの足を使えば十分間に合う」

「今は旦那のほうがチビスケっスけどね」

 ノーラはとりあえずホッとした。

 リットと話している間に、チルカが正気を取り戻したからだ。

 安心すると、まだ朝ごはんを食べていないことに気付き、棚へと向かった。

「アンタはなにもわかってないのよ……。なんで精霊との交流会の日にちが決まってるのか。僅かな時間にしか咲かない花が必要だからよ。早く摘みに行ったって、その花が早く咲くわけじゃないのよ……」

 落ち着いたものの絶望的な状況に変わりはない。チルカはすっかり背中が丸まってしまった。

「要は咲けばいいんだろう?」

「そうよ、咲けばいいの。簡単でしょう」

 チルカは精一杯皮肉を返すと、リットに向かって舌を出した。

「簡単だな。さっそく出かける準備をするか」

 リットは床から立ち上がると、今回の冒険はなかなか面倒くさそうだとストレッチを始めた。

「ちょっと? ちょっとちょっとちょっと……何言ってるのよ。私の話を聞いてた? 体と一緒に考える力まで小さくなったの? さっきのは皮肉よ。簡単なわけないでしょう」

「オレとオマエじゃ知識と経験が違う」

 リットは卓上ランプの火屋を叩いて言った。

「アンタねェ……そのランプをどうしたいのよ。持てるサイズじゃないでしょう」

「あのなぁ……察せよ。このランプの中には何が入ってる?」

「なにって……私が夜を過ごすための、妖精の白ユリの……あっ!」

 チルカはランプ見ると口を開けたまま固まった。

 中に入っているのは、リットが特別に調合した妖精の白ユリのオイルのランプだ。

 太陽と同じ光を放つランプ。

 さらにオイルを調節して、季節の進んだ太陽の明かりを灯すことにより、早く開花させることが出来るということだ。

「アンタって頼りになるのね……」

「気持ち悪いこと言うなよ……」

「褒めたんでしょうが」

「わかったわかった……」リットはチルカの手を引くと、出しっぱなしのグラスの元まで歩いた。「もう一回言ってみろよ」

 リットはグラスに反射するツーショットに向かって言った。

「気持ち悪いわね……」

「だろ。わかったら、さっさと用意するぞ。ノーラ!」

 リットはこのままだとテーブルから移動できないと、ノーラを使って支度を始めた。

 チルカはそんなリットの背中に向かって、小さいながらも言葉にして「ありがとう」とお礼を言ったのだった。

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