第十八話
チルカが語りかけるが、ノームの姿も声もない。
誰もが失敗だと思った時。
空間を歪ませて現れたのがシルフだった。
「わー凄い……人間で初めてじゃない? ”何回”も精霊の期待に応えたのって」
どこか過去に交流のあるシルフに雰囲気が似ていたが、精霊は全て同じであり全て別物。
リットではなくとも、柔軟に考えるには限界がある。意味は理解できないが、そういうものだと受け入れるしかない。
そして、四つ目の試練を出そうとしているのは明らかだ。
少なくともリットはそう思っていたのだが、シルフはすぐに試練を出すことはなかった。
他の精霊と相談しているのか、周囲の状況を確認しているのか時間がかかっている。
チルカは不安にソワソワしていた。
「小便か?」
「今はアンタの軽口が最高に心休まるわ……」
チルカの緊張の原因は精霊がそこにいるというよりも、精霊がいることによる魔力の変化だ。
体中に静電気が走っているかのように、ぴりぴりちくりくと肌が危険だと伝えていた。
「オレは本気で言ってるんだぞ。漏らす前に小便をしとけ」
リットはごそごそとベルトを外しながら岸まで向かった。
「ちょっと! もしかしてこれからなにが起こるか知ってるの?」
「小便するつってんだろうが。まさか隣で立ちションするつもりか? 悪いことは言わねぇから茂みに行けよ……」
「アンタの軽口に心休まってる隙はないのよ」
「どっちだよ……。まったく」とリットはおしっこを済ませるとチルカに向き直った。「シルフの影響を強く受けてる大陸はどこだ?」
リットは人差し指を上空へと向けた。
それは浮遊大陸を意味する。
もちろん浮遊大陸へ行くとは思っていないが、なにかしら空に向かう必要がありそうだと考えるのが普通だ。
そして、リットの言葉を聞いてから実行したかのように、シルフがいた場所では拳サイズの小さな大地が浮いていた。
「あっ!!」とチルカが声を上げたのは、その大地にここまで大事持ってきた種が植えられていたからだ。
「シルフからの試練は……ここまで水をやりに来ることだよ。頑張ってね」
シルフは文字通り風のように消えていった。
残されたのは湖の中央。それも周りの木々よりも高く浮かぶ小さな大地だ。
試練と言えば聞こえは良いが、どうにも人質に取られている感じが強かった。
「あそこに向かって昇れってよ。つーかよ……いつ種を奪われたんだよ」
「知らないわよ。というより気にしてる余裕なんかあった?」
チルカの言う通り、精霊に振り回されて湖を横断したり、風に乗ったり、泥で城を作ったりと、とてもではないが種のこと気にかける時間はなかったのだ。
「まあ……またアイツでも使うか」
リットは空を見上げて使い魔を探すが、フクロウどころか他の鳥の姿もなかった。
周辺に動物はいない。
そう断言できるのは、動物の鳴き声が一切聞こえなくなったからだ。
聞こえるのは風に揺られ鳴らす葉擦れの音だ。さわさわざわざわとまるで、今の心のように頼りない音を響かせている。
「無理よ。魔力の流れが変わったもの。逃げていったわ」
たまたまなのか、同じ手を使わせないよう故意にしたのかはわからないが、シルフが大地を浮かばせた途端に動物達は異変察知して湖から離れていったのだった。
「じゃあ空を飛んでいきゃいい」
リットは解決したなとその場で寝転がった。お手上げというにはまだ早いが、さすがに体にも頭にも疲労が溜まってきていた。
そのことはチルカもわかっていたので、今回は急かすのをやめてリットの隣に座り込んだ。
すると、ノーラが「いやぁ……良い光景っすねェ」としみじみつぶやいた。
「なにを素っ頓狂なこと言ってんだよ……。寝てたから景色を見てなかっただけだろう」
今更なにを湖に興奮してるんだとリットは呆れたが、ノーラが言っている光景とは湖のことはなかった。
「ずいぶん仲良くなったと思いまして。お互いの苦労がわかったからっスかねェ」
ノーラはニヤニヤと口元に笑みを浮かべて、並んで休憩する二人を見た。
「じゃあ次はノーラの番だな。苦労を分かち合え」
リット不機嫌に言うと、ノーラはどうしたもんかと下唇を突き出して考えた。
リットが言っている意味は、今一番動ける自分がどうにかしろということだが、普段からあまり物事を深く考えないノーラは空に浮かぶ方法など考えつくはずもなかった。
「人でも呼んできます?」
「何日にかけるつもりだよ……」
「すぐですよ。近くの町に行って人を呼ぶ。そのついでにご飯なんか食べちゃったりして……何日かかりますかね?」
「一日で済ませられるなら喜んで送り出してやるよ」リットはノーラが一日で帰ってくるはずがないとため息を落とした。「そっちは? 植物とか知らないのか?」
リットがダメ元に聞いたことに、チルカはあっさり「あるわよ」と答えた。
「はあ?」
「だからあるって言ってるの」
「なんで早く言わねぇんだよ」
「アンタねぇ……空を飛ぶ植物って種のことよ。見たことあるでしょう? 毎年アンタの家の森から飛んでるんだから」
チルカが言っているのは、たんぽぽの綿毛やオニモミジのように風の力を受けて散布を広げる植物の種のことだ。
大きさからリットやチルカが掴んで飛べないのはわかりきっていた。
「特殊な植物はあるだろう。妖精しか知らねぇのは?」
「あるけど……言えないし。妖精には妖精の事情があるの。それにこの状況を打破できるなら、最初に説明してるわよ――そうだ!! ホウセンカの種みたいに弾出する植物の勢いに乗るのはどう?」
弾出というのはそのままの意味。弾いて外へ出すことだ。
ホウセンカは実を勢いよく弾かせて、種を遠くに飛ばす。
似たような植物はたくさんある。綿毛のように風でとぶものではないので、様々な大きさがある。小人サイズのリットやチルカなら可能性にかけて探す価値がある。
チルカの提案はリットにあっさり却下された。
「海賊のアリスみたいなことを言うなよ。砲弾にのって海に落ちるようなもんだぞ」
リットはまるで海のように雄々しく広がる湖を見ながら言った。
上手くいけば問題は一発で解決だが、失敗したら二人揃って湖の底だ。
シルフの試練とは水をやるではなく、水をやりに行く。
自分達が移動しなければならないというのが、頭を悩ませる問題だ。
水を運ぶ手段というのは、それこそ種を使えば小さな水筒が出来るので問題はないのだが、いくら水筒を作ったところで飛べなければ意味はない。
しかし、今は水やり用の水筒を作るしかなかった。
「まあ作るというか、探すんだけど」
チルカは去年の残りが落ちてるはずと、ノーラに木の根元まで連れて行ってもらうと、地面に落ちているどんぐりを吟味し始めた。
落ちているどんぐりの殆どは虫に食べられて穴が空いてる。それを利用すれば、硬い種に穴を開ける必要がなくなる。
それも大小様々なサイズがあるので、自分達が持ちやすい大きさや形を選ぶことが出来る。
中身は幼虫にすっかり食べられているので、芽が出てくることもなくヒビもない。
飲水の水筒にするなら中の掃除は必須だが、植物に水をやるだけならそのままでも問題はなかった。
「水筒つってもカバンだな」
リットはどんぐりを抱えてため息をついた。
どんぐりの重さの分も飛ばなければ行けないからだ。
「他に案があるなら聞くわよ。ないなら空を飛ぶ方法を考えなさい」
「無茶を言うなら、無茶をさせんぞ」
リットの言葉に、チルカはなにか解決方法を思いついたのだと察した。
そのことを問い詰めると、リットは先程作ったばかりの城に火を入れるようノーラに命令した。
「旦那ァ……腹いせに炎上させるつもっりスかァ?」
「いいからさっさとやれよ」
ノーラは「はいな」と気の抜ける返事をすると、適当な枝を集めて火をつけた。
ヒノカミゴの力があれば生木だろうが勢いよく燃やすことが出来る。
そして、適当に詰め込んだ枝から発生した炎は、煙道から飛び出して勢いよく燃えだした。
「これがなんだってのよ」
チルカはとりあえず暖を取りながら、リットのやりたいことがわからないと肩をすくめた。
「煙が昇るってってことは上昇気流が出来てるってことだ。打ち上がれば、あとはチルカの風を読む力で移動できるだろう」
「アンタ天才じゃない!!」
「問題はあの炎を近くにいたら死ぬってことだ」
「アンタバカじゃない……」
「もうひとつ方法はある」
「それを早く言いなさいよ!」
「湯を沸かして水蒸気を利用する。あれも上昇気流だ」
「結局同じじゃないのよ……熱くて不可能でしょう……。何回ぬか喜びさせんのよ」
「でも、それが出来りゃ、葉っぱを利用して空を飛んだ時の応用でいける」
「ノーラのヒノカミゴの力は、火をつけた時にしか風の魔力が流れないのよ」チルカはしばらく無言になって考えると「そうよ! アンタのランプのオイル!!」と声を張り上げた。
「妖精の白ユリのオイルか?」
「そっちじゃない。トカゲのオイルよ。あったでしょう」
「ヒハキトカゲのオイルはあるけどよ。持ってきてねぇぞ」
「必要なのはオイルじゃないわ。やつらが寝床に使う植物があればそれを使うの。燃焼耐性がある植物のはずよ。それで壁を作れば、あの城から上昇気流に乗ってあの浮いた大地まで行けるはずよ」
チルカは一度空に舞い上がれば、後は自分がどうにかしてみせると自信に満ちあふれた顔で言ったが、問題はこの辺にヒハキトカゲがいるかということだ。
リットはサイズが縮んだため遠くまで歩いていると思っているが、実際は住んでいる町からそう遠く離れていない山だ。
ヒハキトカゲによる山火事の被害の報告は聞いていないので、ヒハキトカゲがいない可能性が高い。
カーターの酒場にいれば、こういう情報は山というほど入ってくるのだ。
「おびき出してみるか……」
リットはヒハキトカゲの求愛行動が火を使ったものだと知っていた。
ノーラの力を使い、似たような火を起こせばヒハキトカゲが姿を表すかもしれない。
精霊の魔力によって散らされた小動物を探すには、一旦湖から離れる必要があった。
ノーラはふたりを頭に乗せると、小走りで湖から離れていった。
「よいしょ」と気の抜けた声でノーラはマッチに火をつける。
たった一本のマッチは、薪を燃やしたかのように強く燃え上がった。
これこそヒノカミゴの力。風を取り込み火炎の調整をする。
だが、ヒハキトカゲの姿は見えない。
「いないのかしらね……」
チルカはススの匂いに顔をしかめながら周囲を見渡すと、突然の炎に鳥達が一斉に空へと飛んでいくのが見えた。
精霊から逃げてきて、ここでも炎で燻されるとは、今日の小動物達にとってはとてもツイてない日だ。
しばらくはノーラの歩調に合わせて、ゆっくりヒハキトカゲを探していたのだが、リットはもう面倒くさいとはち切れる寸前だった。
そして、それはノーラが「ここにもいませんねェ」という言葉で弾けた。
「あーもう面倒くせえ。ノーラ、適当にその辺りの植物の葉をちぎれ」
「なに言ってんのよ! 植物を傷つける気」
チルカはとんでもない提案だと、リットを非難した。
「そうだ。これから火攻めだ」
リットが低い声で言うと、ノーラはこれはもう限界が来たのだと従うことにした。
まずジャンプして頭上の枝の葉を一枚ちぎると、今度は根本の雑草を引っこ抜く。
そうして周辺の植物の葉を一枚ずつ集めると、リットはノーラに燃やすように言った。
「焚き火っすか?」
「そうだ。生き残った植物は燃焼耐性があるってこと。それを使う。ヒハキトカゲが寝床に使う葉なら断熱材の役目がありそうだからな」
ヒハキトカゲが原因で起こる山火事があるが、それでヒハキトカゲ全滅することはない。
リットはそこに目をつけたのだった。
ノーラが葉っぱの山に擦ったマッチを近づけると、ほとんどの葉っぱは灰になって空へ舞い上がった。だが、二枚の葉だけがひらりひらりと元の姿のまま落ちてきたのだ。
「決まりだな。あとは断熱材の効果があるかどうかだ」
リットは燃えなかった葉をもっと集めるようにノーラに言った。
「はいな」と葉を集めるノーラを横目に、チルカは信じられないと口をあんぐり開けていた。
「よく精霊がいる地で、無法者で振る舞えるわね……」
「問題がありゃ止めにくんだろう。どう考えても、精霊は俺らを使ってなにかをしようとしてるぞ」
リットはこれは精霊からの依頼だと思っていた。
妖精の魔力を使うことによって、なにかが起こる。
だが、そのなにかというのは全く見当もつかない。
それはチルカも同じだ。
ただ今はリットを信じることしか出来なかった。