第十七話
「ここまで二人を運んできた私に対してこの仕打ち……。ずいぶんだと思うんスけど」
ノーラは湖の水で口をゆすぎながら言った。
「オレなんかいつも通りの生活をしてたのにこの仕打ちだぞ」
リットは自分の小さくなった体を見ろと両手を広げたのだが、ノーラから浴びせられたのは同情ではなく疑い眼差しだった。
「思うスけど。旦那が原因なんじゃないっスかァ?」
「オレが? 人間のオレがどうして精霊のわがままの原因になんだよ」
リットはよく考えろと睨みつけたが、その視線はノーラではなく「そうよ!」と声を大きくしたチルカに向いていた。
「だってアンタ変なのに好かれるじゃない」
「いいか? オレが変なのに好かれようが、事の発端は妖精のオマエだろ。オレが縮んだ日に別のアホと関わっているなら話は別だけどな。関わったアホはここにいる妖精だ」
リットはカバンから降りると、ノーラに妖精の白ユリのオイルの用意をさせた。
服を乾かすというサラマンダーから出された炎の試練。
太陽の光を放つ妖精の白ユリのオイルと、火の力を強めるドワーフの女性のみが持つ力――つまりノーラのヒノカミゴの力があれば一瞬でクリア出来るというわけだ。
ノーラに火の用意をさせている間。
リットとチルカはいつも以上に言い合っていた。
だがそれは口喧嘩ではなく、これからどうするかということだ。
「このままだと他の精霊がツラを出すぞ。全部試験をバカ正直に受けるつもりか?」
「わからないわよ。でも精霊は精霊よ。気まぐれだけど、世界を壊すようなことはしない。つまり何かしらの意味があるに決まってるわ。すべての行動にね」
「そりゃ意味はあるだろう。人間を苦しめるなんて精霊にぴったりだ。人間の口頭伝承には精霊に迷惑をかけられて苦労したって話がごまんとあんだ」
「それは違うわ。人間の力でどうしょうもないことを精霊のせいにしてるだけよ」
「それもあるけどな。実際に苦しめられてる人間はここにいる」
リットは服をパタパタ叩きながら言った。
ノーラが妖精の白ユリのオイルを枝に染み込ませて火をつけたので、あっという間に地面や服が乾き始めたのだ。
初めはボトボトと落ちていた服の土は、徐々に砂煙へと変わっていき、乾ききって空へと吸い込まれた。
その砂塵から姿を現したのはサラマンダーだ。
試練を与えたものの。それをあっさりとクリアしたことにどこか不服そうだった。
だが、今は面白い面白くないは関係がない。精霊達の目的はリットとチルカをからかうことではないからだ。
「見事だ。炎の試練をクリアしたことを認めよう」
サラマンダーはあっさりと姿を消す。
だが、代わりに今乾かしたばかりの土からノームが出てき、新たな試験を与えたのだ。
「城を築くのだ。土を城を」
それだけ言い残してノームは消えてしまったので、またリットとチルカは途方に暮れていた。
「今度は何なのよ。泥遊びでもしろっていうの?」
目的もわからず試練が続いたので、チルカもイライラしていた。それを精霊にぶつけるわけにもいかないので、憂さ晴らしのしわ寄せは全部リットに向いていた。
「ノーラにやらせればいいだろう」
先程はノーラがいる岸は逆に船を漕いだので、戻ってくるのに一苦労したが今は隣りにいる。
小人サイズの二人なら何日もかかるものを、ノーラなら簡単に作れると思ったのだ。
「旦那ァ」とノーラは呆れのため息をついた。「私が作れると思います? 出来るなら、今頃ランプを大量生産して旦那の店を乗っ取ってますよォ」
ヒノカミゴの力を使いこなせるようになったノーラだが、目玉焼きが上手に焼けるようになったくらいで、持ち前の不器用は何一つ変わっていなかった。
「少しはそれくらいの気概を見せてほしいもんだ」
リットは周囲を見渡した。
泥だった地面は乾き、泥に塗れた雑草も風に砂埃を飛ばして緑を取り戻している。
ここへ来た時と全く同じ状況に戻っているのだ。
「なにか考えついたの? なら話してみなさいよ」
「思いついてねぇから状況を見てんだよ。つーかよ……少しは自分でも考えたらどうだ?」
「一応は考えてるわよ。思いつくことは空を飛んで解決することばかりよ。わかるでしょう?」
リットは「まあな」と肯定した。
チルカの声が弱っているのに気付いたからではなく、普段空を飛んで移動している妖精が人間のように考えるのは無理だと思っているからだ。
「だから考えるのはアンタ。その仕掛けに魔力がいるなら私の出番。合理的でしょう?」
チルカはいつだかリットが言ったセリフを返した。
「そうは言ってもよ。ノーラに城を作らせるしかねぇのは事実だ」
「機転を利かした答えはない? もしかしたら私達は試されてるかもしれないわよ」
「試練をなんだと思ってんだよ……絶賛試され中だ」
リットは呆れつつも、チルカの言う可能性を考えていた。城を築くというのは、城を作るというそのものの意味とは違うかもしれない。
リットは深く考えると黙る癖があるので、チルカはノーラと話していた。
「一応やってみて。子供と遊んでるし、経験はあるでしょう?」
「ありますけどねェ……」ノーラは結果はわかっていると難色を示したが、チルカのためにやってみようと袖をまくった。「何事も一歩踏み出してからっスね」
「そうよ! それでこそノーラよ! 頼りになるわ!!」
チルカはノーラの肩によじ登ると、頬に体を擦り付けて感謝を示した。
「私の感動を返しなさいよ……」
チルカはノーラが作った泥の塊を見て驚愕していた。
一番良い言葉を探しても蟻塚としか言いようがないものが出来上がっている。
「だから言ったじゃないっスかァ……。でも、せっかくだからかまどにしますかね」
ノーラはグーッと鳴ったお腹を手で押さえると、カバンにあるパンでも焼いて温め直そうと準備を始めた。
自分の専用のフライパンを湖で軽く洗うと、ヒノカミゴの力で一気に乾かし、焦げ付かないように器用に火の調整をした。
泥の塊だったものは、ノーラが扱う炎により土の塊になった。
しかし、つけた火はすぐに消えてしまった。
「これは怪しいわね……」
チルカは勝手に火が消える異変に眉をひそめた。
空を見上げるが雨は降っておらず、火を吹き消す風もなかった。
ノーラとチルカは何度もおかしいおかしいと口にし、結局答えが出ないのでリットに声をかけた。
「かまどだろ? 空気の通り道を作らねけりゃ燃え続けねぇよ。燃え続けるには風が必要。オマエのヒノカミゴの力だって、火じゃなくて風の魔法だって教わっただろう」
ノーラが作ったかまどは、ただの筒状で空気が流れることはないので、フライパンで上を塞いでしまうと、かまどの中の空気がなくなり火が消えてしまうのだった。
「じゃあどうすりゃいいんスか」
お腹が減ってきたノーラは珍しくイライラした様子で言った。
「焚き口と煙道を作るんだよ。家の炉のなにを見てんだ?」
「だって立入禁止っスから」
リットの地下の工房は、仕事で必要な場合はノーラを地下の工房に入れるが、壊されたら困るような道具ばかりあるので、普段は立入禁止のままだ。
そろそろノーラを信じて色々いじらせてみる時期に来たのかもしれないと、リットは精霊とは別のことを考えていた。
その表情はチルカに気付かれてしまったが、それをからうことはしなかった。
代わりに、城を作れと無理難題を押し付けるのだった。
「アンタ一応王子でしょう? 城の一つや二つ手に入れるくらいの野心はないの?」
「王子じゃねぇよ。何回言わせんだ」
「じゃあアンタの妹呼びなさいよ。なんでも屋をやってる妹がいるじゃない。燃える女よ」
「チリチーのことだろう? 精霊体のウィル・オー・ウィスプを呼んでみろ。余計ややこしいことになる。もう既にややこしすぎて、考えるのも嫌になってるくらいだ」
この弱音はリットの本音だった。いつもなら気晴らしに寄った酒場で情報の一つや二つを手に入れ、それを繋ぎ合わせて様々な問題を解決してきた。
今回は全て行き当たりばったりだ。それに加えて妨害としか思えない精霊のちょっかいがある。
だが、一度考えるのをやめると全て投げ出しそうになってしまうので、なんとか状況を打破しようと考えた。
その時ノーラがリットに言われた通り、焚き口と煙道の穴をあけているのに気付いた。
焚き口は城門。煙が出ていく煙道――つまり煙突は塔に見える。
リットはそれが城のミニチュアのように見えていた。
「かまどを作るか……」
「アンタねぇ……お腹が空いたのは一緒だけど、今言うことじゃないでしょう……」
「よく見ろよ。オレとオマエのサイズなら丁度いい城だろ?」
リットが作りかけのかまどを指すと、チルカは納得しつつも嫌な顔をした。
「アンタと同じ城に住めっての?」
「安心しろ。すぐ牢屋に入れてやるからよ」
そうと決まればかまどを作り直しだと、リットはノーラに石を集めるように言った。
それで土台を作り、泥で隙間を埋めていく。ノーラのヒノカミゴの力を使えば、すぐに固めることが出来る。
あとは簡単な装飾を施せばいい。
ノームも本当の城を作れと言っているわけではない。
リットは三つ目の試練で慣れてきたのか、少しだけ何をさせようとしているのかがわかってきた。
ここの湖のものを利用して何かをやらせている。それは間違いない。だが、それが何に繋がるかはわからない。
石や木を使い枠組みを作る。底へ泥を塗り固める。
全てがこの山。湖周辺のもので出来ること。
それに意味があると踏んでいた。
「こうっスか?」
ノーラは石をレンガのように積んでいくが、屋根に向かって湾曲させるのに苦労していた。
「違うわよ。崩落してるわよ!!」
チルカは作りかけのかまどの中からノーラに指示を出していた。
「そうは言っても難しいんスよ……」
「あのなぁ……。ヒノカミゴの力を使えよ。オマエの力ならじっくり固めながら詰めるだろう」
「旦那ァ……。チルカがいるんスよ。それは薄情ってなもんスよ」
「オレが言ってるのは一気に作り上げるんじゃなくて、段階ごとに固めろって言ってんだ。均等保てば崩れねぇもんなんだよ。泥はそれを補強するだけのもんだ」
「なに言ってんスかァ……」
全くノーラには伝わらず、リットはどうしようかと思ったが、かまどで一つ思い出した顔がある。
同じ町に住み、世話になっているイミル婆さんだ。
「パン屋のかまどを見たことあるだろう? 庭にある婆さんの趣味のかまどだ。あれと似たようなのを作れってことだ」
息子夫婦がパン屋を継いでいるのでイミル婆さんは引退している。
それでも、たまに近所の子供にパンを焼きたいと庭に作ったのがそのかまどだ。
レンガを使ったしっかりしたものだが、構造はほぼ同じ。
なにより、食べ物関係のことを出せばノーラがしっかり思い出すのがわかっていた。
「ああ! 最初からそう言ってくださいよ。石窯を作りましょうってことっスね」
「ちょっと違うんだけど……違いがわかったところで出来上がるものは同じか……」
リットはもっと早くこの説明をすればよかったと肩をすくめた。
そのまま作業は順調に進み、固めるために中で火をつけたのだが「ちょっと! ヒビが入ったわよ!!」とチルカが慌てた。
「泥の水分がなくなるんだから当たり前だろう……。一つ前の試練をもう忘れたのか? これからひび割れたところに、粘土に浸した雑草を詰め込むんだよ。本当は何度も繰り返すんだけどな……」
リットはどこまでやるのが正解かわからず。とりあえずは自分とチルカが立てる頑丈さがあればいいと強度を確認した。
「もう一回くらい火を起こせば大丈夫そうだな」
リットが言うとノーラはすぐさま枯れ枝を突っ込んで火をつけた。
不器用なのは相変わらずだが、ヒノカミゴの力はコントロール出来るようになり、真面目にやれば火の扱いはリットよりも上だ。
あっという間に適正温度で石窯を焼き上げた。
火に強いということもあり、石窯の中が高熱の空気を持っていてもノーラは作業が出来る。
いつの間にか作業はノーラにまかせっきりになっていた。
そして完成だと思われたが、チルカがこんな城は嫌だとわがままを言い、外装にこだわりをみせたので時間がかかってしまった。
「ほらね。最高でしょう?」
チルカは石窯の屋根の上に、枝で作ったお手製の椅子を二つ並べると、そのうちの一つにふんぞり返って座った。
「どこがだよ……。もう石窯でも城でもねぇよ。これは――祠だ」
チルカこだわりの屋根の上は苔をあしらった絨毯が敷かれており、自然と一体化してしまっている。
リットのサイズが元通りに戻ったらもう気づけないほどだ。
「気分悪いわね……。それを判断するのは精霊でしょう。ほら、いるわよ」
ノーラは魔力の流れを追い。ノームがいる方角へ向かって手を降った。