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第十六話

「どこにいんだ……」

 リットはズブ濡れの服のまま空を睨みつけてウンディーネを探した。

「アンタにわかるわけないでしょう……」

 チルカはガタガタ寒さに震えながら言った。

 季節はまだ冷たい風を運んでいるので、濡れた服はどんどん体温と体力を奪っていく。

「見つけなけりゃ、船を漕いだ意味がねぇだろう」

「漕ぐ? 漕ぐっていった? ぶっ飛ばされたのよ!!」

「空を飛んだって喜んでたじゃねぇか」

「それとこれとは別よ。だって実際問題落ちてるじゃないの! 下が岩だったら即死よ! 何考えてるのよ!!」

「だから精霊の横っ面をぶっ叩く方法を考えてんだよ」

 リットが怒気を込めて言うと、精霊が存在感をあらわにした。

 姿は見えないがそこにいる。というのを人間のリットにもわかりやすくしたのだ。

 だが、現れたのはウンディーネではなかった。

 リットの視界は高熱に歪み。そこにいるのはサラマンダーだとわかった。

「叩けるものなら叩いてもらいたいものだ」

「んな話もあったような……。とにかく、対岸から漕いできたぞ。文句あるか?」

「確かに……驚くべき方法だが、見事にクリアしているな。次の試練を受ける資格があるようだ」

「今……なんつった?」

「炎の試練を受ける資格がある――」

 サラマンダーが全て言い終える前に、リットは湖の水をすくって投げつけた。

 そして、なにも起こらなかったので舌打ちを響かせたのだ。

「ちょっと! アンタ精霊相手になにしてんのよ!!」

「多少なりともウンディーネが影響を受けてる湖だろ。その水をかけりゃ、消滅すんじゃねぇかと思ったんだ」

「アンタねぇ……精霊になんの恨みがあるわけ?」

「知らねぇよ。でも、本能が言ってる。精霊にはやり返せってな」

 リットとチルカが言い合いをしている横で、サラマンダーは心底驚いていた。

 精霊と精霊は影響し合うものであり、ウンディーネの力が強く宿った水をある条件で使えばサラマンダーに危害を加えることが出来る。

 今までそんなことを考える者はいなかったし、いても実行するはずもない。

 人間と妖精の奇妙なコンビに、サラマンダーは興味を持っていた。

「そうだ! 炎の試練は焚き火だ。この濡れた世界で服を乾かすほどの火を上げるのが試練だ。わかったか」

 リットとチルカが湖に落ちたのと同時に、強風の影響で湖の水が高波のように押し寄せたのだ。

 これは岸に落ちそうになった時に、二人が怪我をしないようにウンディーネのはからいで起こった現象。

 だが、そのせいで周囲は雨上がりのように、ズブ濡れになっていた。

 枯れ葉も枝も濡れていて、火をつけるには知恵を使わなければならない。

 そしてヒントも何もなく、サラマンダーは姿を消したのだった。

「どうすんのよ。また試練よ……」

「どうするもなにも歩くしかねぇだろう」

 火を起こすには乾いた植物が必要だ。

 高波の影響がない場所まで歩くには、サイズの縮んだリットには大変な労力になるのは、行動に移す前からわかっていた。

 濡れた地面は膝ほどある泥沼だ。雑草の硬い茎に掴まって歩くしかない。

 足元は常に泥でぬかるみ、固まると動きにくくてしょうがない。

 リットもチルカも一歩踏み出すごとに苛立ちをつのらせていた。

 先に我慢の限界が来たのはチルカだ。せっかく歩いてきた道を戻り、泥だらけの体を湖で洗い流した。

 一人先に進んでも意味がないので、リットは青息吐息ではあはあ言いながら戻るしかなかった。

「なにやってんだよ。どうせ泥だらけになるしかねぇだろ」

「あのまま歩いてご覧なさいよ。骨が折れるわよ」

 チルカが言っているのは比喩ではない。

 雨が降って出来た泥ではないので、太陽は雲に隠れることなく燦々と輝いている。水分の少ない場所は既に乾いてきていた。

 服が泥で固まると関節が上手く動かなくなるので、不意の転倒に対処できず骨折する可能性は大いにある。

 リットは湖を中心にぐるっと周囲を見回すと「……燃やすか」とつぶやいた。

 すぐさまチルカの手がリットの頭を”スコーン”と叩いた。その音はまるで楽器のように心地良く、対岸のノーラの耳まで届くほど響いた。

「バカじゃないの! 山火事なんて起こしてどうすんのよ!」

「服を乾かしゃいいんだろう?」

「私達まで焼けるでしょうが……」

「湖に逃げりゃいいだろう」

 リットの目は本気だった。

 妖精に振り回され、サイズが縮んだまま湖にまで来たのだ。精霊にまで振り回されてたまるかという苛立ちは、チルカにも感じ取れた。

 なので一度だけチルカは湖を見た。

 だが、チルカは妖精だ。リットの提案に乗るはずもなかった。

「煙で死ぬわよ。アンタこそ無駄に冒険してるんだから、こういう時の知識はないの? 船を飛ばせたみたいに」

「そもそも濡れたものは乾かねぇよ。乾いたものを濡らさねぇのが旅の鉄則だ。濡れたら終わりなんだよ」

「アンタ何回も乾かしてるでしょうが」

「そりゃあな! 妖精の白……ユリのオイルを……」

 リットは途中で言葉を止めると、ノーラがいる対岸に視線を向けた。

 それはチルカも同じであり、一度目配せすると同時に動いた。

 まずチルカが一緒に流れ着いたスケルトンフィッシュの葉の両端を掴むと、リットはこれまた一緒に流れ着いた小魚に蹴りを入れた。

 小魚は泥の中を泳ぐように滑っていくと、そのまま湖に落ちて数度水面を跳ねた。

 まるで湖に戻してくれてありがとうとでも言っているようだった。

 しかし、リットは小魚を助けようとしたわけではない。

 暴れる小魚を狙う使い魔のフクロウを呼び寄せようとしているのだ。

 お香は濡れて使い物にならないので、餌で釣るしかない。

 家に手紙を届ける度にノーラに餌付けされている使い魔のフクロウは、小魚が跳ねるのを目ざとく見つけると滑空してきた。

 チルカは風を読むと、羽ばたきに合わせてジャンプした。

 リットがチルカの腰に抱きつくと、すぐさま体は浮き上がり風に乗った。

 一度竜巻のように風に飲み込まれてしまったが、上昇し切るとあとはゆっくり下降するだけだ。

 ふわりふわりと、植物が種子を遠くまで飛ばす新しい手段を思いついたかのような奇妙な光景だ。

「なにあれ!!」

 空中散歩中のハーピィは珍しいものを見つけたと近づいてくるので、大きな翼から起こる羽風にルートを変えられてしまった。

 ハーピィはそんな事に気付かず、葉っぱが自分から逃げていると思い、楽しくなって追いかけ回し始めた。

「待て待て!! 捕まえちゃうぞー!」

 ハーピィの無邪気な声に、チルカは「どうにかしなさいよ!」と声を荒らげた。

「どうしろってどうすんだよ。このサイズ。どう見ても餌だろうが」

「……男冥利に尽きるでしょう」

「食われろってのか? 言っとくけど道連れだぞ」

 リットはチルカから離れてなるものかと、腕の力を強めた。

「ちょっと! エッチ! お尻を触んないでよ!!」

「触ってんじゃねぇよ。顔を埋めてんだ。絶対に屁をこくなよ……。そんな妖精の魔法で死にたくねぇ……」

「全部終わったら、今言った言葉全部訂正させてやるわ……。でも、今はあのハーピィをどうにかするのが先よ」

「どうにかするって言われてもよ……」

 リットはなにかないかと身をくねらせた。

「ちょっと! 顔を擦り付けないでよ」

「手を離せねぇんだからしょうがねぇだろうが。ポケットになにか入ってるかもしれねぇだろう」

「下心以外になにがあるってのよ」

「さあな……この硬えのはなんだ?」

「ちょっと……この状況でナニ考えてるのよ」

「黙ってろ。ずいぶんでけぇな」

「自画自賛! バカなの? アホなの? 大バカなの?」

 リットは固まった泥と一緒についてた魚の鱗を剥がすと、それでチルカの頭を叩いた。

「オマエこそ冷静になれよ。いいか? ハーピィは光り物に弱い。何度か鱗を反射せて引き付けてから手放すぞ。風を読んでタイミングを言え」

 リットは自分の頬とチルカのお尻の間に鱗を入れると、頬を擦り寄せて鱗の泥を拭った。

「あぁ……それ最高に気持ち悪い……。鳥肌が止まらないわ……」

「今はそんなシャレを聞いてる暇はねぇんだ。ハーピィから目を逸らすなよ」

 リットは泥を拭い終えた鱗を、少しずつ頬を使ってずらしていくと、太陽の位置と調整した。

 不自然にピカピカと光る物体は、ハーピィの目にもしっかり届いていた。

「すげえ! 空飛ぶダイヤ? 高く売れそう!」

 ハーピィーは遊びは終わりだと、大きく翼を動かして滞空した。

 そして、翼をたたむようにして身を細めると弓矢のような勢いで飛んできたのだ。

 羽風はない。リットは捕食される虫の気分を味わいながら、チルカの言うタイミングに合わせて鱗を手放した。

 小さな鱗は風に流されハーピィの横を通り抜けた。

 ハーピィはそれ追いかけるために翼を広げ方向転換した。

 チルカはその羽風を捕まえると、今度こそ対岸に向けて飛んだ。

 遠くで聞こえるのは、ハーピィの「それ私の!! 返せドロボウ!」という声と、フクロウが飛び回る羽音だ。

 空を飛ぶ謎の葉への興味はすっかりなくしたようで、ただの鱗の取り合いが始まっていた。

「今回こんなのばっかりじゃないのよ……」

 チルカは本気の喧嘩をするハーピィとフクロウの勝負を、遠巻きに眺めながらため息を落とした。

「オレのセリフだ。そっちは見慣れた世界だろうが、こっちはこんなチビよりチビな世界なんて知らねぇんだからよ」

「私だって羽が使えない生活なんて経験ないわよ。それより……どうやって降りるつもりよ」

 勢いで飛び出した二人は、途中までは考えても着陸のことまで考えていなかった。

 幸いスケルトン・フィッシュの葉は空気の抵抗を受けて、ゆらりゆらりとゆっくり下降している。

 このままいけば何の問題もないのだが、そううまくはいかない。

 スケルトン・フィッシュの葉を掴んでいるチルカの握力に限界が来ているのだ。

「多少の犠牲は仕方ねぇ」

「まさか裏切るつもりじゃないでしょうね……」

「ノーラの上に落ちんだよ。問題はいつ落ちるかだ」

 妖精のチルカとは違い、リットは人並みに高いところに恐怖心を感じるタイプだ。

 それは浮遊大陸でも、地上の高いところでも、空の上でも同じだ。

 チルカは落ちることには慣れていないが、普段から飛んでいるので高いところには慣れている。

 スケルトン・フィッシュの葉から手を離すのに、一つのためらいもなかった。

 ノーラの姿が見えた途端。掛け声をかけることなく手を離したのだ。

 墜落の轟音が耳に響き、叫び声もあげられないほどの風圧を受けているので、リットはただ落ちることに身を任せることしか出来なかった。

 それはチルカも同じであり、まさかこんなに長いこと落ちるのに時間がかかるなんて思ってもいなかった。

 リットと違うのは、思う存分悲鳴をあげていることだ。

 だが、もっともナニも思っていなかったのはノーラだ。

 さっき響いた”スコーン”という音は何だったのだろうと考えていたのだが、周りに人もいなく状況がわからないので答えにたどり着くことは出来ない。

 それなら考えるのをやめて寝直そうというのがノーラだ。

 草を寄せてふかふかの地面を作ると、ご機嫌な顔で横になった。

 仰向けの見上げる空はとても綺麗で、まるで絵画のように思えた。

 日差しは葉を照らし、風が葉を揺らす。頼り切った木々の葉は騒がしくも静寂に近い葉擦れを鳴らす。

「おっ?」とノーラが落下物を見つけた。

 木の実でも落ちてきたのかと思い、これはラッキーだと目を凝らしていると、チルカの悲鳴が耳に入った。

 これは自分に落ちてくると悟った時には遅く、リットとチルカはノーラのお腹に墜落したのだった。

「ぐえ!」というヒキガエルを踏み潰したような声を出したノーラだが、二人は心配することなく、まずは自分達が怪我をしなかったか確認した。

「間一髪だったな……」

「ちゃんとど真ん中に落ちたわよ。こんなに勢いよく落ちるつもりはなかったけど……」

 チルカは久々に足の裏に地面を感じると、ほっと息をついた。

「漏らすかどうかの瀬戸際だって意味だ」

「そんなの――」チルカは急に背を向けるともぞもぞとなにか確認してから「漏らすわけないでしょう」とリットを睨みつけた。

「こっちの心配はしてくれないんスかねぇ……」というノーラの声に視線を向けた二人だったが、すぐに後悔した。

 急なお腹の衝撃によりノーラは嘔吐し、そのすべててが二人にかかったのだった。

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