001 弁慶と小町
『三十路まで童貞だと、魔法使いになれる』
そう言ったのは誰だっけ?
エディ・リーの遺作『Devil's way』にコユキが付けた歌詞のような雰囲気で、このクソみたいな呟きをしている男の名は奉川 慶。
数十分前に、スマートフォンが発熱するほどの熟考を重ねた結果、部屋に呼びつけた女性はシャワーを浴びて、バスタオル一枚という格好で慶の目の前に立ちはだかっていた。
「わぁ~お客さん筋肉ヤバいね♪ ヤングライオンみたい!」
慶が呼び出したのは、出張風俗店『ゴートゥーヘルス』で、ショコラという源氏名を名乗る黒ギャルであり、慶の馬のような胸筋を、派手なネイルで装飾した指先でなぞりながら、吐息混じりに耳元で囁いた。
「そ、そうっスかね? ま、まぁ昔から筋トレぐらいしかやるコト無かったんで……」
ヤングライオンが新日本プロレスの若手を総称するモノだとは解っていなかったが、慶は照れ隠しで6つに割れた自分の腹筋を擦りながら、いそいそと服を脱ぎ捨てる。
「じゃあ……始めよっか!」
まるでスポーツでもするかのように、黒ギャルはバスタオルを身体に巻き付けたまま、明るい声色でベッドに転がり慶を手招きした。
これでついに童貞とオサラバ出来るのだと、鼻息荒くパンツだけをその場に残し、人間業とは思えない『ルパン脱ぎ』でベッドにダイブする。
『つ、ついにセックス出来る……』
聖母のような笑顔で、優しく誘導する嬢の褐色の太ももが、身体を割り入れる慶の脇腹を掠めた瞬間、頭を角材で殴られたような衝撃に意識が遠退き、彼の脳裏には走馬灯が駆け巡った。
慶は、物心が付いた頃には既に両親がおらず、教会に併設された孤児院で、無邪気に走り回っていたのが彼の一番古い記憶だ。
また、慶は小学三年生の頃、全校集会の最中に急激な尿意に襲われて失禁し、『小便漏らしの慶』が転じて便慶という不名誉なあだ名を付けられた過去があった。
さらに思春期を迎えると、林間学校の大浴場で『ひとつウエノ男』になる前の慶は、タートルネックボーイであるコトが同級生にバレて、学年中に暴露された挙句、あだ名が便慶から『包慶』になりかけ、教室の机やロッカーには『奉(皮)慶』というジュンスカイウォーカーズのような落書きをされ、この時ばかりは奉川の奉が『ほう』と読めるコトを恨んでいた。
そんなくだらない10代の悩みを抱えたある晩のコト、抑え込んでいた性衝動が無意識に暴発してしまい、通っている中学校の保健室に常駐していた20代の女性養護教諭が登場した夢で、彼は見事に精通を迎えた。
年頃の男子にはよくあるコトではあるものの、孤児院を管理している司祭であり養父の奉川 明治に、運悪くパンツを洗濯しているところを発見された慶は、トラウマレベルでこっぴどい折檻を受けたのである。
それをきっかけに、慶は性衝動を悪だと捉え、性的な興奮を覚える度、それを払拭するかのように筋トレを行った結果が、彼の隆々とした体躯を作り上げたのだ。
当然のコトではあるが、そんな呪いをかけられた慶は、童貞まっしぐらで三十路を目前としており、それはそれで司祭の明治にとっては好都合であった。
通常であれば、孤児院での生活は高校卒業と同時に終了するのだが、慶は明治の後継者として司祭に据えられる予定だったからだ。
教派によっては、妻帯どころか異性との性交渉すら認められていないため、性衝動から遠ざかっていた慶は、教派にとって恰好の人材だったのである。
高校を出た慶は、教会の支援を受けて神学部のある大学に進み、卒業後は孤児院の運営と司祭の見習いを務めつつ、小遣い程度の給金を貰いながら、教会の敷地内に建てられた小屋に住まわせてもらっていた。
そんな生活を続けて八年近く、いつまで経っても司祭を継ぐコトに踏ん切りがつかない慶に対して、明治が不満を漏らした。
「あーあ、さっさとこのバカなクソガキが跡継いでくれりゃ、俺も今からだって嫁探しが出来るのになぁ……そのためにこんな歳になるまで育ててやったってぇのに、ホント親不孝っつーか恩を仇で返すっつーか……」
「バカとは何だよクソジジイ! それじゃぁ俺は、今までアンタの身代わりになるタメに生かされてたってのか?」
たとえ司祭にならなくとも、とっくに自立すべき年齢を超えた血の繋がらない人間を、卒院以降10年以上も養ってきたのだから、明治としても恨み言のひとつやふたつ言いたいところであろう。
「そりゃそうだろうが! お前に見込みがあると思ってたから、コッチは色にボケねぇように教育までしてきたんだぞ? そうでなけりゃ、夢精ごときでお前のコトあんなに殴りつけたりしねぇってんだよ……まぁ夢とはいえ、半分ぐらいは姦淫したお前に対するイライラもあったけど」
「んなっ! テメェふざけんじゃねぇぞコラ!! 俺が今までどんな想いで生きてきたと思ってんだよ……こうなったら、どんな手ぇ使ってでも絶対に童貞捨ててやるから覚悟しとけよ! いつまでもテメェの思い通りにると思ったら大間違いだからな!!」
と、ココまでが冒頭の前日までの出来事であり、散々迷った挙句に風俗嬢を呼ぶ決心がついたのは、夜も遅くになってしまったという始末である。
「……さん、お客さん……? 大丈夫? すっごいいっぱい、その……出てるけど」
走馬灯の上映が終わり、嬢の呼びかけによって慶は現実に引き戻された。
「んぁ……? あ! ゴ、ゴメンなさい! そんなにいっぱい射てました? ……俺、初めてだったんで、エヘヘ」
「いや、そっちじゃなくて……あの、頭の方。血が……」
心配そうに見つめる嬢の視線は、慶の頭部に集中しており、それに気づいて頭に触れた右手を見て驚愕する。
「なんあじゃあコリャぁぁ!!」
まったくもって世代ではないが、こういう時は誰に教わったでもなく、ジーパン殉職直前のリアクションを取ってしまうようである。
慶はワケがわからないまま辺りを見回すと、部屋の隅で怯え切った表情の風俗嬢、血まみれのベッド、そして半壊した小屋の瓦礫が散乱しているコトに気付く。
行為開始の直後に意識が遠退いたのは、童貞喪失による色っぽいモノなどではなく、崩れた小屋の梁が慶の頭上から落下し、角材で頭を殴られたような衝撃……というよりも、実際に角材が頭部に直撃したコトが原因であった。
「えー…………っと、コレは、どういうコトなんでしょう……ね?」
「いや、それコッチが訊きたいんだけど! だってさ、プレイに入ろうとしたら……その、洋ランみたいな服の人が天井突き破って降って来たから……」
身体に巻き付けたバスタオルの胸元を、右手でギュっと握りしめたまま、左手で慶の後ろを指差している。
「え、誰? 洋ラン? ……の人?」
慶が恐る恐る振り返ると、そこには散乱した家財道具とともに、キャソックに身を包み大の字で横たわる明治の姿があった。
キャソックとは、聖職者が着る立襟の平服であるが、馴染みの無い者からすれば、大学の応援団が纏っている丈の長い学ランに、見えなく……もないし、なぜ黒ギャルが洋ランなどという単語を知っていたかというコトは、面倒なのでこの際スルーしておこう。
「おい! クッソジジイ……テメェはトコトン俺の邪魔しようてぇ肚だな? 何とか言ってみろよこの野郎!!」
頭部からの出血で意識が朦朧としながらも、慶は全裸のまま明治の傍らに這い寄って、怒号とともに胸倉を掴んだ。
が、瞬時に慶の握り拳が緩む。明治も慶と同様に血塗れで、意識を失っている様子であったからだ。
童貞喪失を阻止するだけであれば、合い鍵を使って突入すればイイだけなのに、屋根を突き破ってまで邪魔する必要があったのだろうかと、考えを巡らせている内に明治の眉間に皺が寄り、小さなうめき声が口から漏れる。
「う、うぅ……慶、か?」
「お、おい! ジジイしっかりしろよ! テメェこんな夜中に何やってんだよ?」
慶は只事ではないコトを察して、胸倉を掴んでいた手を離し、倒れた明治の背中に左腕を回して抱きかかえた。
「あぁ……スマン。お前には、コッチの稼業は、悟られない、ようにしていたんだがな……寄る年波には、さすがにもう勝てん……」
「はぁ? 何言ってんだよ! 稼業って……一体何のコトだよ!!」
明治は息をするのもやっとという様子で、薄く開かれた目にも力が無いコトが窺えた。
「こんなになっちまったら、もう……隠しておくコトも、出来なさそうだな……」
覚悟を決めたように、明治はゆっくりとまばたきをして、自分を抱きかかえる慶に真っ直ぐ視線を合わせる。
「この、教会はな……表向きは、信仰の拠点と、併設している、孤児院の、運営をしてたんだが……何百年も前から、司祭が、悪魔祓いをやってたんだ……今日に限って、油断しちまったが……キッチリ始末は、して、おいた、から……」
「あ、悪魔祓いって……あのホラー映画とかであるヤツか? ホントにそんなモン存在すんのかよ? って、こんな時にくだらない冗談言ってる場合じゃ……」
僅かに残った力を振り絞り、明治は慶の腕を掴み言葉を制した。
「信じられないのも、無理はない……これは、この世の、暗部……だから、たとえお前であろうと、明かすコトが……出来なかったんだ」
「いや、ふざけんなよ……そんなヤバそうなモン、俺に継がせようとしてたってコトか?」
今朝がたの口喧嘩を思い出しながら、慶は明治を問い質そうとして、抱えた身体を揺さぶる。
「スマン……それを言われてしまうと、何も言い返すコトが出来んよ……ただな、ガキの頃から、お前には見込みがあったんだよ……後継者として育てたのもそのためだ……」
「見込みなんて……こんな歳まで自立もしてねぇ俺にあるワケねぇだろ!」
「いや……そんなコタァねぇよ……ココじゃ、お前が、誰よりも一番、優しいヤツだったってのは、育ててきた俺には、よく、わかってたからな……」
いつだって、口を開けば恨み言しか出てこない明治から、誰よりも『優しいヤツ』と言われて慶は全身が熱くなった。
「まぁ、だからって……簡単にこの稼業が継げるワケじゃねぇんだ……お前が本気で使命を持って……『召命』ってぇのを感じなけりゃ……ゲホっ! ゲホっ!!」
伝えたいコトが山ほどある様子だが、血まみれの明治の傷が、どの程度のモノか判断するのは難しい。
慶は明治を医者に診せてから、回復を待って詳細を聞き出した方が良いだろうと思った。
「と、とりあえず救急車呼ぶから、今はもう喋るなよ! ケガが治ったらいくらでも聞いてやるから!!」
慌てて辺りを見回し、スマートフォンを探す慶の腕を引いて明治は首を横に振る。
「お前を……一人前に、育ててやれなくて……本当にスマン。あぁ、あんなに小さかったお前が……こんなにデカくなったのか…………」
意識を失いそうになりつつも、崩れた壁に掛かった時計が0時を過ぎているコトに気付くと、明治は慶の頭をワシワシと撫でながら血塗れの顔で微笑んだ。
「そうか……お前、三十路になったのか……誕生日、おめでとう。血は繋がってないが、父親らしいコトなんて、ほとんど出来なかったなぁ…………俺から、何も、お前に残してやれないの、が、悔しい……」
「お、おい! ふざけんなよ!! 勝手に死ぬんじゃねぇ! 祓魔師だろうが司祭だろうが、俺が継いでやるから……だから、だから死ぬなよ…………親父!!」
叫びにも似た大声を張り上げた刹那、頭を撫でていた明治の手が輝き始め、温かな光が慶の頭の傷口へと吸い込まれてゆく。
初めて味わう感触に慶は戸惑いつつも、これが聖職者の生命が終わる瞬間なのだろうかと思うと、自然と涙が頬を伝った。
「お、親父……」
もう届くコトはないと思いつつも、やり場のない感情を込めてそう呟くと、明治の口元からは笑みが零れる。
先ほどまで力なく慶の腕に抱かれていた明治は、カッと目を見開いて笑い始めた。
「フ……フフフ、クックックック……アハハハハハハ!!」
直前まで瀕死の状態にあった明治が大声で笑い始めると、事態を飲み込めない慶は、驚いて明治の身体を放り投げて後ろに尻もちをついた。
同時に、明治の身体が悪魔に乗っ取られてしまったのではないかという不安が過る。
「アハハハハ!! ついに、ついに復活した……」
その言葉とともに立ち上がる明治を目の当たりにして、なにかとんでもないコトが起きようとしている様子なのに、慶は成す術もなくその場にへたり込む。
「やった……やったぞ!! うぅぅ、ホントに長かったぁ~」
徐々に明治の声が、芝居がかったモノから普段のトーンに戻ってゆくのを、ただただ見つめるコトしか出来ず、慶は現実味のないその行く末を見守っている。
「親……父?」
「ん? おお、慶! よく決心してくれたなぁ!! いやマジで感謝してるわ! っつーか見てコレ、27年振りの勃起!!」
明治は立ち上がったまま慶を見下ろし、キャソックを押し上げて、いきり立った股間を満面の笑みで指さしている。
尻もちをついたままの体勢で、呆然と見上げている慶に向かって、明治は続けざまに事態の説明をし始めた。
「まぁそういうコトで、無事に聖痕の引継ぎが終わったんだけど……俺の聖痕ってぇのが手のひらだったワケよ。んで、ちょうどよくお前の頭がパックリ割れてくれたから、そこを使わせてもらったっていう……ね?」
「いや……ね? じゃねぇんだよ! それとテメェの汚ぇチ〇コに何の関係があんだよ!!」
死んだと思っていた明治が立ち上がり、且つ勃ち上がっている姿を目の前にして、慶は相変わらず状況を飲み込めていない。
「面倒臭ぇから簡単に説明すると、昔から教会が運営する孤児院ってぇのは性的虐待が多くてね……それを回避するために、ウチ教派のず~っと上の先代たちが宦官やら去勢やらの代わりに、自分のイチモツを封印するってコトに決めたんだよ。そのせいで俺達だって27年も離れ離れになってたんだから……まぁお前のお陰で、やっと元に戻って来てくれたワケだけどな? いやぁ俺はホントにイイ息子を持ったよ♪」
「ジジイ……どこ見て感慨深そうに語ってやがる! ホントにそう思ってるなら、テメェの股間のムスコじゃなくてコッチを見やがれ!!」
激昂する慶を他所に、明治は自分の一部が戻って来たコトに対する喜びを隠せない様子である。
「あ、ああ、そうね。悪い悪い……ところで、お前が呼んだあのコ、スゲェ可愛いなぁ? バスタオル一枚って格好も最高にイイじゃん♪」
仁王立ちの明治は、慶以上に状況を飲み込めず怯えている嬢を顎で指し示したので、自然と慶の視線もそちらに注がれる。
自分に集中した視線に不安を覚え、バスタオルを掴む右手に力が加わると、胸の谷間がさらに強調され、それによって引き上げられた裾を左手で押さえる。
褐色の肢体と真っ白なバスタオルのコントラストは、グラビアで見掛けるようなそれよりも圧倒的に色っぽく、慶の性衝動を再び興奮状態に引き戻した。
「いっっ! いだだだだだ!! 痛い痛い!!! なにコレ……ムチャクチャ痛い!!」
ほんの数秒ほど嬢に視線を向けた直後、慶は全裸のまま股間を押さえてのたうち回る。
「あー、やっぱそうなるよね? うんうん。わかるわかる! 俺も最初はそうだったから」
同情を含んだ憐みの表情で、明治が慶を見下ろしている。
「なに、が、わかるんだよ! チ〇コ……が、ムチャクチャ……痛ぇんだぞ!!!」
「それねぇ……幻肢痛ってヤツなのかな? ほら、兵士とかが失った手足の痛みを感じるっていうアレ。まぁ、あるハズのないチ〇コが勃つ感覚って、脳がそういう痛みに変換しちゃうんだろうね?」
痛みで気絶しそうになりながらも、司祭となった祓魔師は、代々イチモツを封印されるという明治の説明を思い出し、慶はハッとして押さえた自分の股間を確認する。
「あ……あぁ、無くなってる……マジかよ……何だよコレ……しかもスゲェ痛い!!!」
慶の股間には、数時間前まで嬢と一戦交える準備が整っていたエクスカリバーなど存在せず、代わりに『大きめのク〇トリス』といった感じの突起があるだけだった。
「おおぉぉぉぉジジイィィィィ! テメェふざけんじゃねぇ!! 俺のチ〇コ返せぇぇぇぇぇぇ!!!! これじゃ、童貞捨てらんねぇだろうがぁぁぁ」
あまりの股間の痛みと悔しさに、慶は明治を睨みつけたまま近隣に聞こえるほどの大声を張り上げる。
「え? あー、それどっちにしろムリ! ……だってウチの店、本番禁止だから♪」
危険性が無いと判断したのか、嬢が淡々とシステムの説明をしてくれた。
「う、そ……え? そうなの?」
バカである。性風俗がすべて本番行為アリだと思ったら大間違いなのである。
本強(本番強要)をする、こういったクソみたいな輩が後を絶たないから、怖いお兄さんが現場に待機しなくてはならないのである。
『MANZOKU』や『夜遊隊』熟読してからやり直せバーカ。
「あ、そうそう、そういやアレは良かったよ。オジサン感動しちゃったから、もう一回呼んでくれない? 俺のコト『親父~』って♪」
「くっ……クぅぅぅっソジジィィィィィ!!!!!」
こうして奉川 慶は、三十路にして魔法使い……ではなく、めでたく祓魔師という職を継承したのであった。
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奉川 慶が出張風俗嬢を呼ぼうか呼ぶまいか悩んでいた頃、同じ界隈に存在する古くから社を構えた神社の社殿でも、家族間の言い争いが巻き起こっていた。
「ねぇお爺ちゃん……今日は大学の時の友達と遊びに行くって、前から言ってあったよね?」
巫女の装束を纏い、怒りの感情を抑えつつ祖父である宮司に詰め寄るのは、九頭見 小町という娘である。
「ん? そんなコト言っとったかなぁ……最近物忘れが酷くて適わん」
惚け顔で烏帽子を取り、祭礼で使用した神具を仕舞っている隻眼の老人は、800年ほどの歴史を持つこの神社の宮司、安倍 夏臣。
夏臣は、愚地独歩のような革製の黒い眼帯を左目に装着しており、裸眼の右目で小町を訝しげに見詰めると、小町は不貞腐れ顔を向けた。
小町は夏臣に世話をされつつ、神社では半強制的に巫女を務めさせられているのである。
夏臣の一人娘は、婿を取ったはいいが神職と無関係な企業勤めの男だったため、現在は子どもを日本に残して夫婦だけで海外に移住してしまい、仕方なく親代わりと宮司を続けているので、夏臣はそのくらいの仕事を押し付けても、罰は当たらないだろうという考えだった。
「いや、絶対知ってるハズでしょ? カレンダーにも書いてあるじゃない!! それなのに勝手に祈祷の依頼受けちゃうし……」
「だが仕方なかろう? この神社にも色々と奉献してくれてる町会の偉いさんが、急に家を立て直すってぇんだから。午前中は初宮参りで埋まってたし、夕方から執り行うほかあるまい」
それはそうだけど、と小町は口を尖らせてボヤく。
「それからな、大学の時のご学友って言ったって、どうせチャラチャラした男も大勢来るんだろう? お爺ちゃんそんなトコに、大事な孫娘を行かせるワケにゃあいかんのだよ」
「はぁ? 中学生や高校生じゃあるまいし……私もう25歳だよ? そのくらいの分別は付くから!」
中高と私立の女子校に通っていた小町だが、大学の神道学部は共学だったため、夏臣は必要以上に過保護に育てており、異性との交流を厳しく禁じていた。
「お前に分別が付こうが付くまいが、相手にそんなモノが無かったらどうする? そうしたらお爺ちゃんまた……」
「もう絶対ヤメて!! 私のせいで誰かが辛い思いするなんて耐えられないから!!」
小町が喰い気味で夏臣の言葉を制するのには理由があった。
大学に入学したての頃、新歓コンパだ何だで知り合った先輩や同級生から、昼夜を問わず小町にメールやらメッセージが届いていたのを見かねて、夏臣が力を発動したのである。
代々陰陽道の家系である夏臣は、呪詛や祝詞による言霊使いであったため、その力を使って小町に言い寄る男たちに呪いを掛け、スマートフォンやタブレット、果てはノートPCなどのあらゆるデバイスにウイルスを感染させたのだ。
その後も小町と連絡を取ろうとする度に、次々とウイルス感染するコトを気味悪がった男達とは疎遠になり、小町のスマートフォンが一切鳴らなくなったという過去がある。
「辛い思いと言うても、昔から『人を呪わば穴二つ』と言ってだな……あれからお爺ちゃんの携帯、大量の架空請求とスパムメールが届いてるだけで、毎月通信速度が低速になっておるんだぞ?」
「知らないわよそんなの! だいたい70過ぎて携帯が低速になったって、大して困らないじゃない!!」
ご存じの方も居るかとは思うが『呪い』の語源は『祝詞』である。
現代の司法では呪詛による攻撃や犯罪は、不能犯のため刑罰に処すコトが出来ないが、古代日本では当たり前のように行われてきた手法だ。
当然、呪詛は自分にも返ってくるため、小町に言い寄る男に掛けた呪いの反動で、夏臣も不運に見舞われ続けていたのである。
「んもうアっタマ来た! こうなったら、どんな手を使ってでも絶対に彼氏作ってやるんだから! いつまでもお爺ちゃんの言いなりになると思ったら大間違いだからね!!」
「そうか……それなら仕方がない。こうなったら少々強引ではあるが、禁忌を破ってでもお前を守らにゃならん」
夏臣は大きく息を吸い込むと、目を閉じて祝詞を奏上し始めた。
今まさに唱えられている言葉は、これまで小町が耳にしたコトの無いモノであり、直前に夏臣が『禁忌を破る』と言ったのも併せて彼女を恐怖に陥れた。
「ちょ、ちょっと……お爺ちゃん? 何やってんの? マジで怖いんだけど」
「…………恐み恐み白す」
長い祝詞を言い終えるや、夏臣は閉じていた右目を見開いてパァンと二回拍手し、その迫力に気圧されて小町はドスンと尻もちをついた。
「お爺ちゃん……何したの?」
只ならぬ雰囲気を察して、小町は恐る恐る夏臣に声を掛ける。
「小町よ……お爺ちゃん、ホントはお前にこんな呪いは掛けたくなかったんだ。でも、巫女は処女でなければならんし、お前のコトを大事にしているのだけはわかって欲しい」
「いや、呪いって……私、孫だよ? 家族に一体何の呪い掛けたのよ!!」
悲しそうな顔でため息をつく夏臣は、意を決したように小町の目を真っ直ぐに見据えた。
「いま、禁忌を破って……お前に近付く男が不幸になる呪いを掛けた。詳しく言うとだな、まずその相手は……確実にインポになる」
「え? インポ?」
固唾を呑んで夏臣の言葉を待っていた小町は、拍子抜けして若い女性が口にしないような単語をオウム返ししてしまった。
「そう、インポ。いわゆるEDのコトじゃな? まぁ当然の報いではあるが、お爺ちゃんのアレも、もう二度と……」
言い淀んで夏臣は、自分の下半身に目をやって涙を拭う。
「おおぉぉぉぉジジイィィィィ! テメェふざけんなし!! 私の幸せ返せぇぇぇぇぇぇ!!!! これじゃ、彼氏なんて作れねぇだろうがぁぁぁ」
70歳を過ぎたジジイの陰茎が勃とうが勃つまいが、小町からすればどうでも良い話だが、祖父に対して啖呵を切った代償としてはあまりにも大きい。
「でもなぁ小町よ……お爺ちゃんのコト、もしもオノナツメ先生がキャラデザしてくれたら、そこそこ格好良くなると思うんだが♪」
「くっ……クぅぅぅっソジジィィィィィ!!!!!」
こうして九頭見 小町は、25歳という女盛り真っ只中にして、めでたく『史上最悪のサゲマン』という呪われた体質となった。
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『弁慶と 小町は馬鹿だ なぁ嬶ぁ』
これは、八代目・桂文楽の落語『明烏』の枕でもお馴染みである川柳である。
意味は、男女の営みも知らずに生涯を終えるなんて、小野小町も武蔵坊弁慶も可哀想だなぁ、というコトを謳ったモノだ。
この物語は、その男女の悦びに辿り着けずにいる、不運で不器用な者達のお話である。
みそクソ!~三十路ではじめるエクソシスト~
第一話 完
テストでアップしております。
今後は不定期連載になる予定でございます。
っつーか、三人称の書き方がわかんないんすよね……