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懐剣と皇后

作者: 鈴木叶緒

 むかしむかし、とある国に一人の女人がおりました。女だてらに腕が立ち、傭兵として身を立てておりました。初めのうちは奇異の目で見ていた男達も、その力量が確かだと分かれば仲間として認めてくれました。

 何よりその顔立ちは愛らしく、朗らかで人当たりの良い娘でしたので、同僚達はそれはもう様々な期待を込めて彼女を見るのですが、そんな男達の視線は意に介さないようでした。 




「あー、やっぱ若い男はいいわあ。傍に寄るだけでむんむん来るもんね。」


 否、気付かない振りをしているだけでした。何なら娘という年頃でもありません。

 女人は(あやかし)の類でした。五代遡った時の皇帝直々に調伏されて以来、この国に仕えています。

「男漁りを許した覚えはないんだが。配属先を間違えたかの。」

「漁ってないし。飢えていたいけな民を喰っちまうよりは、つまみ食いで済んでる方がマシだろう。」

 そもそもこの妖は、飢えていたいけな民を喰っていると噂になったので討伐されたのです。もちろん性的な意味で。


 捕まった時にはまだ年若い物の怪でしたので、遊び足りない彼女はもちろん逃げ出す手段を画策しましたが、捕まえた皇帝当人から取引を持ち掛けられます。

 それは皇帝と契約を結び、代々の皇帝を守護するというものでした。

 皇帝の血筋は尊く神気に溢れていたので、その精気は妖にとって何よりのご馳走でした。更に言えば当時の皇帝は二人といない美丈夫だったそうです。

 こうして需要と供給の合致した妖は、一も二もなく契約を結ぶ事にしたのです。


「狂気の沙汰としか思えん。」

 現在の上司に当たるこの老人は、敬うべき存在である皇祖の所業を嘆きます。

「御身自ら討伐に赴くだけでなく、物の怪を従えるなど。」

「当時は他の家門より弱かったし、戦力なんていくらあっても足りなかったのよ。むしろ私が守護に付いた事でのし上がれたと言っても過言ではないんだが?」

「だとしてもこんな得体の知れない奴、儂だったら御免だ。」

 かつて将軍として万の兵士を率いてきたこの老人は、皇帝の側近として妖の存在を早々に知らされていました。人間からすれば長い付き合いではありますが、それでも若い頃に襲われかけた記憶に今でも身震いするのです。もちろん性的な意味で。

「じじいの精気なんかこっちだって御免だよ。今までも喰った事なんかないけどね。」

 いくら姿かたちを変えられるとはいえ、寿命の長い物の怪はひとところに留まる事が出来ません。今代はこの老人の元で姿を変え立場を変えながら働いているので、悪口の応酬さえ慣れたものでした。


「で、今日はなんで呼んだんだい。」

「皇后と皇子(みこ)達が離宮に移られる。」

「ああ、もうそんな時期か。」

 夏の暑い時期、皇帝一家は後宮を出て避暑地へと向かいます。何万里と離れている訳ではないので正直さほど気候の変化はありませんが、こういうのは雰囲気を楽しむものです。比較的平和な今でさえ忙しい皇帝の、乞巧奠と重陽節の間に設けた短い夏休みです。

「主上は皇后様の護衛にお前をご指名だ。」

「えー、皇子の方が良い。」

「絶対に駄目だ。」

 皇后が皇帝との間に授かったのは二男一女ですが、いずれも両親の良いところを受け継いだ、有り体に言えば非常に妖好みの風貌です。

「御上の命令とあらば仕方ないね。」

「分かったら早う準備しろ。」

「先に『報酬』を戴いてからね。」

 好きにしろ、と言わんばかりに手を挙げ、老人は退出を促したのでした。




「よりにもよって、なぜこの者がわたくしの護衛なのでしょうか。」

「それは私が帝の信頼も厚く、腕も立ち、更に言えば可愛いからですね。」

 牛車の中、皇后と侍女の扮装をした妖は膝を突き合わせています。

「このような者がいると知っていれば、主上の元になど嫁がなかった、」

「訳ありませんよね。陛下が皇后にと望み、幾多の困難を二人で乗り越えた大恋愛の末の輿入れでしたものね。」

 涙を禁じえないとばかりに袖で目元を隠す妖ですが、皇后はそれが嘘泣きと知っているので鼻白んだ表情をしています。

「本当に、主上はなぜ斯様な不心得者をお傍に置いていらっしゃるのかしら。」

「主上からはそんな風に言われた事ないですけどね。生まれる前から知ってますし、年月の差から来る認識の違いってやつでしょうか。」

 皇后は、妖を嫌っておりました。敬語で話してこそいるものの、この国で最も尊い女人に対しても敬っていないのが透けて見えるからです。皇帝に妖の振る舞いを直訴しても、人間とはそもそも感覚が違うからと宥められるので我慢しているだけでした。

「後宮で普段から護衛に就いている者でも良いというのに。」

「皇后様が主上を心から信じておられるのなら、私に護衛をさせるのが一番堅実ですよ。私は例外なく、主上の命令で動いてますから。きちんと『報酬』ももらってますしね。」

 報酬、というのが何か思い当たった皇后はさっと顔色を変えます。次代の帝と目される皇子は成人すると、共に閨に入り妖に精気を分け与え、新たに主従の契約を結ぶのです。

「あっ、もちろんお口で戴きましたからご心配なく。」

「そのような事を憂いているのではありません!」

 皇后の表情から察して付け加える妖でしたが、余計な一言だったようで更に皇后の機嫌を損ねてしまうのでした。




「皇子様達はご息災ですか。」

 世間話のつもりか、普段は後宮にいない妖が尋ねます。

「あなたが心配するような事は何もなくてよ。」

「それは良うございました。頑張ってお乳をあげた甲斐がありましたね。」

 え、と皇后は自分の耳を疑います。

「今、なんと言いました。」

「だから、皇子様達にお乳をあげたと。」

「お待ちなさい。そんな事、主上からは。」

「言ってませんからね。最初の一日だけでしたし。」

「だって、乳母はずっと同じで。三人とも。」

「何にでも变化できるって言いましたよね。」

 皇后は目眩を覚えました。最初の子を産んでから五年、初めて聞く話です。

「大丈夫ですよ、変なものは入ってないはずですから。主上にも味見してもらいましたし。」

「そんな事を気にしているのではありません! え!? 味見!?」


 その時、激しい衝撃と共に牛車が揺れ、止まりました。直後、悲鳴が上がります。

「な、何事ですか?」

「ああ、賊が来たようですね。だいたい予想していた頃合いです。」

 世間話のように言う妖に、皇后は目を見開きます。

「賊、って。あなた、知っていたの。」

「ほとんどは事前に排除したんですけどね。こいつらは残しといたんですよ。」

「な、なぜ、そんな事を。」

「首謀者が皇妃の一人に付いている重鎮ですからね、なかなか面倒でして。妖の力を使えば何でも出来ますが、私が妖ってバレるといけないので。先に捕まえるにも人間を納得させられる証拠を掴めなかったんですよ。」

 そう話す内に、外から聞こえる怒号と悲鳴は減っていきます。それが何を意味するのか、皇后には嫌というほど分かりました。

「なので、皇后様を囮にさせていただきました。」

「き、聞いていませんよ。」

「言ってませんからね。」

 突然、ばさりと頭に布を被せられました。先程まで妖の羽織っていた衣です。その隙間から仰げば、そこにいたのは皇后と瓜二つの顔でした。

「皇子様達は後宮で守られてるから安心してください。御者達はまあ、仕方ない犠牲ですね。」

 その犠牲者も、あえて襲撃の隙を作るために罪人を集めて御者や護衛の振りをさせていたのですが、皇后には知る由もありません。


 とうとう、外からは賊の声が聞こえるのみとなりました。鉄錆のような臭いと、熱気を纏った空気が漂います。

 今まで妖と共にいても、このような血生臭い事態にはなりませんでした。後宮において、幼い皇子達に危険が迫ろうとも、いつも下手人は捕まり大団円で終わったからです。

(ああ。もしかして、今までも。)

 明るみに出た事件は、その時勢で敵対していた者が企てていました。きっと、誰にも知られぬままに潰された危機は、その比ではなかったのでしょう。


「大丈夫、目を瞑って(とお)数える間に終わりますよ。声を掛けるまでは外を覗きませんよう。後でいくらでも見れますからね。」

 それでも自分が、そして自分の身代わりになろうとする彼女が無事でいられるとは、皇后には思えなかったのです。

「ま、待ちなさい。わたくしが、」

「この私に命じて良いのは皇帝だけだよ、小娘。」

 皇后は息を飲みます。妖に頭を下に向かせられ、体を動かすどころか声ひとつ出せません。

「言ったでしょう。私は例外なく、『主上』の命令で動いている、と。」




 妖は見てきた。たくさんの血が流れ、毒を吐き、命が消えていくのを。その度に彼らは涙を流し、呪詛を吐き、敵を消していった。

 人間は弱い。何も学ばない。自分の心配さえしていればいいものを、他人まで守ろうとするから争いは大きくなる。それでも彼らが妖に望んだのは、財や権力ではなく、彼らの愛した人間を守る事だった。

 ならば、守られる側にも強くなってもらおう。自分の身は自分で守れとまでは言わないが、胆力はあるに越した事はない。人間の機微や政情など知らないが、死ぬ確率は格段に減らせる。


 これが愛というものかは分からない。ただあの時、彼に下ったのは確かに自分の意思である。

 ただ一人の他は妖にとって等しく無価値だとしても、誰に嫌われたとしても、『皇帝』に命じられたから守り通す。それだけだ。


(さあ。どこまで保つか、楽しませておくれよ。)


 彼女は外に飛び出していった。


こういうのも百合だと思って書いてる

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