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携帯と橋

作者: 大野蟻

俺にだって、なかなか眠れない夜もある。

昨日は久しぶりにそんな夜。


そして眠れぬままの朝を迎えた。

ただ、それは心地よい興奮を含む朝だった。

遠足の前、夏休みの前、そしてバレンタインデーの前の夜。

緊張と興奮は睡眠の妨げとなる。


おそらく、飛ばさなくても1時間あればたどりつく道のり。

約束の時間は午前9時。

玄関を出るときに見た腕時計の針は午前7時14分を指していた。

まあ、高速道路のパーキングで時間でも潰し、

今から始まる1日でも想像しながら一服しよう。


パーキングエリアは予想外に小さく、込み合っていた。

ニッカポッカを履いた、金髪の兄ちゃん達が目立つ。

そういえば、今日は平日、世の中のほとんどは仕事をしている。

久しぶりに平日休暇の優越感を感じながら、ゆっくりと煙草をふかす。

今から仕事に向かう彼らを見ながら、

また彼らもちらちらとこちらに視線を送ってくる。

それ以上でもそれ以下でもない。

若いころはなぜこれだけのことで、

殴り合いにまで発展してしまっていたのかを不思議に思いながらも、

懐かしがりながら、気がつくと煙草はフィルターだけを残し、

なくなっている。


高速と言っても一区間だけのショートドライブ。

パーキングエリアから本線へと合流。瞬時にスピードを表す針は

160キロを指す。この瞬発力が好きだ。すぐにスピードを落とし、

100キロの安全運転に切り替える。待ち合わせに早くついても仕方がないのだ。


高速道路をおり、よく整備された広い国道から、峠を超える有料道路へとさしかかる。

ゆっくりと飛ばしながら、徐々に待ち合わせの場所へと近づいていく。

昨日までの大雨はすっかりとどこかへ姿を消し、時折雲の隙間からは、

夏らしい太陽がのぞいている。


途中、通勤ラッシュという渋滞につかまりながらも、なんとか約束の9時に

待ち合わせ場所へ到着。

地方信用金庫の駐車場という、本当に待ち合わせでもなければ決して入ることのないだろう場所で、

改めて彼女にメールを送った。

「到着。」返事は「待ってて。」


携帯のサイトで知り合い、まるで恋愛の初心者のような奥手奥手のコミュニケーションを

約3か月続けた後の、初めての直接の出会い。

絵文字が飛び交い、時には音楽まで添付されたメールをやり取りし合っている二人とは思えない、

簡潔なコミュニケーション。

そこにはこれから初めて対面するという、緊張感と、リアルへの扉が待っている。

その扉の鍵に絵文字や音楽は必要なかった。


少し遅れて彼女はやってきた。

眩しくも華やかなオレンジのショートワンピにデニム柄のレギンス。

すらっとした長身は田舎道に花を添える。

栗色の髪をすこし暑そうに触りながらも、日傘のせいで、表情は見えない。



彼女の名前を知らない。メールの宛先はもちろん、電話に表示される名前も仮名である。


「ごめんね、遅れて。はじめまして。」

「こちらこそ、よかったね、晴れて。」


そんな会話を交わしながら、お互い車へと乗り込む。


予想以上にスムーズな会話ができている。確かに直接会うのは初めてだが、

メールによって尽きることなく会話を楽しんできた。

お互いのメールに込められた思いの中には、少しの文章だけでは補えない、

沢山の補足が必要だった。

それをメールだけで行うには、時間も体力も足りなかった。


会うことは必然となる。


そんな思いの中での対面となれば、お互いに話したいことは泉のように湧いてくるものだ。

しばらく景色を見ながら、車の中から彼女が地元を案内してれた。

決して行くことはないだろう、様々なローカルな地名で車の中は埋め尽くされていった。


悪くない。


隙間なくローカルな地名、そして話題で埋め尽くされたころ、

車は高速道路の入り口を見つけ、慎重にETCを通り抜ける。


淡々と話していた彼女が、突然奇声を発する。

「ETC!ETC!初めて通った!」

そんなに驚くことではないだろうと突っ込みながらも、なにか新鮮な感動が

こちらにも伝わってくる。


無知な可愛さ。男心をくすぐる、古典的な方法だ。


大きな吊橋を渡り、その先で高速道路をおり、国道へと移る中、

気がつくと道を間違えていた。ただ、戻って修正するほどではなく、

とりあえず道案内はカーナビに任せ、間違ったルートの景色を楽しむことにした。

初めはお互いを探り合うような会話が多かったものの、徐々に普通の会話を楽しめるようになっていた。

昨日のテレビに出ていたあの人はどうだの、友人の誰かが子供を産んだなど、

本当に普通の会話。ただそれはメールで行うことではない。瞬間のレスンポンスがなければ、

お互いのテンションを保つことが難しい、どうでもいい話だから。

そんなことまで新鮮に感じられるのはいつ以来だろう。


かつて地元を飛び出し、単身いま住む街へ乗り込んだ。

もち合わせは、若さと勢いだけしかなく、そこに将来の地図はなかった。

歩きながらその地図を作っていけばいいと思っていた。

今考えると大きな間違えである。架空の未来でも漠然とした地図を手にしない旅人は、

過去しか参考にするものがない。きた道を振り返り、それを自分の地図に描きためていく。

今この瞬間も広がり続ける自分の未来には目も向けず、過去に歩いてきた小さなエリアの地図だけを

詳細に思い出しながら書き上げていく。そんな生産性のない毎日から脱却しなくてはいけないということに

気がつくのは、

結構時間がかかる。


彼女の横顔は様々な表情をみせる。

そこにはつらい過去もあっただろうし、その中に生まれる小さな幸せもあっただろう。

様々な会話の中で、その横顔はメールでのコミュニケーションにはない大きなツールとなって、

その会話への感情移入を高めてくれる。


相手の表情が見えないメールだからこそ、ポロリと本音がこぼれたり、

柄にもないきれいな言葉を並べたり。それはそれで当然のことだとは思えるが、

息遣い、匂いの伝わるコミュニケーションこそ逆に不必要な詮索を生むことなく、

会話そのものを楽しめる、本来の姿だと実感する。


気がつくと、左手には大きな海が広がっている。

久しぶりの海風を感じながら、海岸線をひた走る。


先の道を表示する青い看板にも、ちらほらと目的地の文字が見え始めた。

この車についているナビは恐ろしく古いらしく、

目的地の情報は提示してくれない。

しかたなくその近くを案内してもらっているのだが、

実際に看板を見かけ始めると、そちらの情報が優先となり、ナビ通りのルートは走らない。


カーブ越しに海の方をみると、

一瞬ではあったものの、目的地の大きな橋が見えた。


メールのやり取りを始めて、しばらくして、

彼女が唐突に1枚の写真を送ってきた。

「きれいでしょ!海の上を走るってどんなだろう?」

見た瞬間にその場所は分かったが、実際に行ったことはなかった。

「きれいなところだね」

そんな返事をするものの、それからしばらく、

彼女のメールにはその写真が添付されていた。


これは、そこに行きたいということなのだろうか。

悩みながらも、

「よかったら一緒に行ってみませんか?」という返信を送った。

すると、予想外にあまり煮え切らない返事が続く。

とりあえず、こちらでスケジュールを立て、若干強引に日程も決め、

お互いの共通意識の中に「海へのドライブ」という予定を作った。


予定してた日付が近づくにつれて、やはり話題はそのドライブのことが

多くなったが、まだはっきりしない。行きたいという意識の中に、

なにか大きな力が邪魔をしている様子が手に取るようにわかった。

予定日の5日前、彼女は勇気を出し、かなり大きな告白をした。

彼女を取り巻く環境、そして今までメールの中では明かされていなかった、


家族のこと。


彼女は、かわいいイラストの入ったメールを送ってくる。

こちらの勝手な印象だけで彼女の人物像を作り上げていた。

そのすべてを打ち消す、大きな告白だった。


ただ、それはやはり過去の地図でしかなく、これから先の地図には

当たり前のこととして記されていることなのかもしれない。


目的地の橋は、唐突に、ただ圧倒的な印象を伴って現れた。

我を忘れて興奮するほど彼女は幼くなかったものの、

うれしそうな笑顔で、海を貫く大きな橋を眺めていた。

何度も何度も携帯で写真を撮りながら。


橋を車で渡った。予想以上にあっという間だったものの、

感動的な時間だった。

それから先にある島へ渡り、砂浜に降りてみる。

前日までの大雨もあり、よい波が押し寄せていた。

グリーンに透きとおった波打ち際をサーフボードをもった若者が走り抜ける。

そんなゆったりとした平日の午後を楽しみながら、

改めて海へのドライブが実現した奇跡に感慨深いものを感じていた。





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― 新着の感想 ―
[一言] 何だか、この『俺』は妙に冷静というか斜に構えてる感じがしますね…。 後は、思いというのがどんな物なのか、それが良く判らなくなる様な描写もあります。彼女が案内してくれる地元の事に関して『決して…
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