恋した男
★★★三鷹守のターン★★★
大学に進学するにあたり、一人暮らしをせねばならない。そこでルームシェアの募集サイトで物件を探して、郊外にある一戸建てのシェアハウスに入居することに決める。『最果て荘』という不気味な名前であったが、家賃の安さが何よりも魅力的。既に2人がここで暮らしているそうだが、詳しくは調べなかった。物件を実際に見ることなく住居を決定してしまったのは我ながら無謀だとは思うが、諸事情により吟味する余裕がなかったのである。
入居日になってようやく実物を見ることができた。外観は普通の一軒家。まあまあではなかろうか。これから入居する『最果て荘』の前に立ち、不安を募らせながら玄関へ向かう。
──今日から見知らぬ他人との共同生活か。
予定より1時間早くついてしまったが問題はないだろう。鍵は既に受け取ってあるが、ここは呼び鈴を鳴らして先客に挨拶だ。
「いらっしゃい……」
ドアを開けてくれたのは齢100歳を超えていると思しき老婆。家を間違えたのかと一旦看板を確認してみたが、やはりここは『最果て荘』である。
「○○県から来ました三鷹守です。『最果て荘』はここで……あってますよね」
「あっとります。涼や、新人さんが来られたぞ」
老婆の呼びかけに応えて、もう1人の住人が現れる。長い黒髪に赤のリボンカチューシャをつけて、キュロットスカートを履いた可愛らしいファッションなのだが……身長は180センチを超えている。俺と同じぐらいではなかろうか。
「これはワシの曾孫の涼ですじゃ」
「どもー、アタシは北川涼です。婆ちゃんと2人でここに住んでまーす」
初めてみた感想は『デッケー女だな』というもの。しかし体格に見合う低い声ですぐに間違いに気づく。彼女は……紛うことなき男であると。
彼の内面を知らないので、今は女装家と呼ぶに留める。女子のようなファッションに、女子のような言葉づかい。俺が生まれて初めて出会うタイプの人間だった。
──ジロジロ見ちゃいかんぞ守、田舎者なのがバレる。
想定外の同居人に密かにショックを受けたが、きっと都会じゃ彼のようなファッションも普通なのだろう。平然を装い、土産を差し出す。
「三鷹守です。よろしくお願いします。これ皆さんで食べてください」
「まぁ、かしこまっちゃって。同い年だからこれからタメ語でいこうよ守」
「えっ。タメ口で?」
既に下の名で呼ばれている俺。都会人らしからぬフレンドリーさと言えば聞こえがいいのだが、涼という男は意外に厚かましい性格なのではなかろうか。
「じゃあ案内しますわねー。こっちがリビングよ」
シェアハウスの部屋割やルールについて色々と説明されるも、まるで頭に入ってこない。不安が大きすぎるのだ。婆さんはともかく、女装家と同居することになって大丈夫なのだろうか。喧嘩となれば強そうだし、危険はないものだろうか。
「ここが守の部屋」
「燃えるゴミの日は月曜と木曜よ。それは管理人さんに聞いた?守」
初対面の男からの下の名呼びに、とてつもない違和感を感じる。しかしここは同い年の先住人に敬意を払って受け流す。
中を一周してダイニングに戻ると、お婆がお茶を入れて待っていた。
「お茶をどうぞ。冷蔵庫には缶珈琲や紅茶がたくさん入っとりますが、気にせんとってくだされ」
「すいません、頂きます」
テーブルで土産の菓子を皿に盛り、お茶を飲んで3人で寛ぐ。2人から色々と身の上を尋ねられてしまった。
「へぇ。守は大学1年生なんだ。でもなんで5月に引っ越しを?」
「受験後に体調を崩しちゃってね。それで一ヶ月ほど上京が遅れてしまったんだ」
病気のせいで上京時期を逸してしまい、その間に学生アパートはすべて埋まってしまう。体が回復した5月に入って、大急ぎで『最果て荘』を選ぶことになるのだ。1ヶ月も入学が遅れてしまっているので焦る。
「ところで、お二人はどういう経緯でこのシェアハウスに?」
「ワシは忘れてしもうたね。なんせ年じゃから」
「そーねー婆ちゃん。アタシ達、どこ出身だったかしら。南極?ハワイ?」
色々と尋ねてきた割に、こちらからの質問に対してはあやふやな回答しか返さない。30分ほど話したというのに、北川一家の素性はまるで分からなかった。
ひとしきりシェアハウスに関する説明を聞いてから部屋に戻り、荷物の整理をはじめた。と言っても大半のものは午後に届くようしてあるので、今は最低限のものだけ。するとダイニングから2人の言い争う声が聞こえてくる。
「なんで予定より1時間も早く来るのかしらアイツ。ああもうっ!」
「そんなもん、お前がクローゼットにでも隠れておりゃ良かったんじゃろ」
「アタシを呼んじゃったの婆ちゃんじゃない!いないって言ってくれると思ったのに」
全部筒抜けなので、まるで陰口になっていない。
──おいおい。フレンドリー路線はどこにいった。
「ちょっと婆ちゃん!冷蔵庫にあったアタシの紅茶全部飲んじゃってるし。アタシ、午後から友達と出かけないといけないのよ」
「いいじゃろが。ほれ紅茶味の飴をやるわ」
聞きたくもない他所の家の喧嘩まで聞こえてくる。これが他人との共同生活というものなのか……しんどいな。いきなり実家が恋しくなってしまった。
──はぁ。台所に行きづらいわ。
業者は1時に来る予定である。それまでには昼食を終えておかなければならない。涼の説明では各々で食事を用意することになっている。俺はバッグからカップヌードルと割り箸を取り出し、キッチンに向かう。すると見知らぬ女がシンクに立っていた。
──女……これ誰だ?
鍋に火をかけて味噌汁を作ろうとしている謎の人物。
黒髪を彩る赤色のリボンカチューシャと、太ももを露わにしたベージュ色のキュロットスカートが可愛らしい。どこぞの女装家と同じファッションセンスなのであるが、体格がまるで違うので別人なのは明白。
他にも入居者がいたのだろうか?
彼女はこちらに気づいてない様子で、黙ってオタマで味噌をとって鍋に入れている。こちらとしても無言でカップヌードルにお湯を注ぐわけにもいかない。
「今日、ここに引っ越してきた三鷹守です。午後から引っ越しでバタバタすると思いますんで、すいません」
振り向いた彼女と顔が合った瞬間、恋の稲妻が俺の体を貫いた。凛とした表情、透き通る瞳。その美しさたるや衝撃的だった。
「守さん。私は……その。実は……」
彼女に「守さん」と呼ばれてしまった瞬間、恋の金属バットがさらに頭をフルスイング。
──下の名にさん付けされた!
何かを言いかけていた彼女だったが、そのまま困惑して口籠ってしまう。だがその様子すら可愛すぎて、恋の矢が俺のハートを連射状態で射抜き倒す。グハァッ!グハハァッ!
「もしかして貴方は『最果て荘』の住民さんではない……とか」
「へ?」
しばし唇に人差し指をあて思案する乙女。
「そ……そうですね。そんな感じです」
頬を染め視線を落とす仕草に震える。こんなに可憐な女性に、今まで出会ったことがない。
──なんという眩しさだ。死ぬ。眩しすぎて俺は死ぬ。
一目で惚れてしまったが……まさか涼の彼女とかじゃないだろうな。まさかね。違うよね。絶対そんなことないよね。そうだったら失恋の日本最短記録を更新しちゃうよね。
──もしも、この子が同居人だったら奇跡の好物件だった。
この乙女に見惚れながらポットのお湯を注いだのは俺らしい大失敗だった。舞い上がっていたので十分にカップヌードルの蓋を開けていないことに気づかず、熱湯が飛び散ってしまったのだ。
「あっつ!指、あっつ!」
「大丈夫!?流しで冷やして」
「はいっ」
言われるがままに流水で患部を冷やすと、彼女は心配そう。
「氷を出しましょうか?」
「あ、全然。もう大丈夫。ちょっとかかっただけだし」
いきなり大恥をかいてしまったが、優しい対応をされて幸せ。すると涼のお婆がダイニングにやってきて「よっこらしょ」とテーブルにつく。
「涼、はやくしてくれい。ワシは腹が減って減って寿命が減りそうじゃ」
お婆は何を言っているんだろうか。完全に乙女の方を向いて「涼」と言っているのが謎だった。それに対して乙女は、必死に『静かに』のジェスチャーで返した。しかし無神経なお婆には通じないようだ。
「静かにって手遅れじゃろ。今さら三鷹さんにどう繕う気なんじゃ」
「どうにかなるでしょ!邪魔しないで婆ちゃん」
2人は随分仲が宜しいようで……微笑ましい限り。
できたカップヌードルをすすりながら乙女が何者なのかを妄想していると、残念なことに呼び鈴が鳴ってしまう。早めに業者が着いてしまった。
「皆様、バタバタしちゃって申し訳ない。ゆっくり食べててください」
食事は中断。麗しい姫君との邂逅はあっさり終わり、引っ越しの作業を始めなければならない。予定時刻を1時間遅くしておけば良かったと後悔するばかり……。
慌ただしい引っ越し作業を尻目に、お婆は彼女に提案する。
「諦めんでいいんじゃないか?まだアヤツは同一人物だと気づいておらん」
「もう元凶は黙ってて!」
俺はお婆に言いたい。同一人物だなんて気づくわけがないだろう!だから恋は盲目って言うんだぞ。