第6章
山道に入り暫くすると村が見えてきた、そこはいま帰るべき場所であり待っている人がいる場所である。
晴翔はぼーっと見つめる、どこか心ここに在らずといった風の晴翔に神威は目を背けられずにいた、そばに居てあげないと何処かに行ってしまいそうだから神威はそっと晴翔の手を握る。
「神威、大丈夫だよ」
「……ハル、辛い……?」
「辛くないよ」
神威に向けられた笑顔はいつもの晴翔の優しい笑顔ではなく何処か寂しげで泣きそうな顔だった。
車から降りても神威は手を離そうとしなかった、晴翔が手を離すように行っても首を横に振るだけで余計に握る力を強める、仕方なくそのまま家に入る。
「おかえり、仲良しさんだね」
「ただいま帰りました。何故か離してくれなくて……」
「……ハル悲しい顔してる辛そう」
「…そうか神威ちゃんは優しいね」
家に入ると出雲が出迎えてくれた、今日はお店がお休みなのか珍しく紗綾の姿が見当たらなかった。
出雲が神威の頭を撫でると、神威はそっと晴翔から手を離した。それでもずっと晴翔を見つめていた。晴翔はその事に気付くこともなく2階へと続く階段を上っていった。
「出雲」
「何かあった?」
「アイツらが来た」
「そうか、いま紗綾が政府に呼ばれて出掛けててね多分その事だろう」
「それで……」
透と出雲が話をし始めたため、神威はポツンと立っていた。
「おい」
「?」
「アンタ、ずっと晴翔と一緒に居たのか?」
緋色の言葉に神威は首を横に振る。
「ハルは優しいし暖かい」
「は?」
「私は、あの施設に売られた」
「……」
「私には小さい時の記憶が無い、何処から来たのかも分からない」
「自分のことが分からないのか?」
「分からない」
「そうか」
「うん……」
神威は少しだけ悲しい顔をする。
それを見た緋色が神威の頭を優しく撫でてやる。
「変な事聞いて悪かったな、困らせるつもりはなかった。ただお前については情報が少なくてな」
「神威」
「は?」
「神威」
神威は緋色のことを真っ直ぐな瞳で見つめ、名前を繰り返す。
よく分からず悩んでいたが、なんとなく理解した。
「名前か、悪かったな 神威 」
「私も、緋色って呼ぶ」
「あぁ構わない」
緋色が初めて優しい笑顔を見せた。
まるで兄が居たらこんな感じなのだろうと思わせるような優しい笑顔だ。
その様子を見ていた2人もあまり見たことがない緋色の笑顔に驚くがすぐに微笑みへと変える。
「緋色が笑ってるの久々に見たな」
「……神威ちゃんについて少し調べてるんだけどね、まだ情報が掴めないんだ」
「あの嬢ちゃん一体何処から来たんだ?」
「それが売られたとしか書いてないんだよ、この資料には」
出雲が透に渡した紙には神威の情報だけでなく晴翔の情報も載っていた。
だが、神威の部分は空白が多かった。
「ほんと、あの子は一体何処から来たんだろうね」
言葉をあまり発したがらず発したと思っても所々詰まってしまう彼女はまるで迷子のようだ。
「なんだか、昔の緋色を見てるようで懐かしいよ」
「ああ、緋色も最初喋らなかったからな他人とは」
「透くんにしか話さなかったし周りは敵って感じだったよね」
「……仕方ないだろ、"あんな事があった"あとにお前がここに呼んだんだ」
「そうだね……いやでも、毎回の任務あとに返り血のまま帰ってくるからびっくりだけどね」
「……あの時の緋色は憎しみしかなかった、イレギュラーを殺せればそれだけで救われていたからな」
「紗綾にこっぴどく叱られたりしてたよね」
「俺が言っても気かねーからな、俺は緋色に仕える身であまり出しゃばったことは出来ない」
思わず昔の思い出話に花を咲かせる2人は、仲良さそうに話す緋色と神威を見つめる。
すると、扉のベルが軽い音を立てて開く。
「あら?どうしたの?」
「あぁマザー、おかえり」
「ただいま、皆もおかえりなさい。いまからご飯作るから少しだけ待っててね〜あ、出雲コレ目を通しておいて」
「了解」
紗綾は大量の荷物を持った状態で帰ってきた。
両手に持った紙袋を手近にあった机と椅子に置くと、鞄から資料の入ったファイルを取り出し出雲に渡す。
出雲はすぐに資料に目を通す。
紗綾はそのまま台所に向かい、料理を始める。神威も紗綾の後をついて行き一緒に料理を始めた、緋色は資料を見ている出雲の近くに行き話始める。
その頃、晴翔はベッドに横になり天井を見つめていた。ポケットから施設跡で貰った手紙を開け中を見る。中にはメッセージカードが1枚入っていた。
「……」
メッセージカードにはたった一言だけ書かれていた。
『晴翔、お前を必ず迎えに行く』
たったそれだけだった。
あの事件の日父親は何処にもいなかった、研究室で倒れていた神威を連れて逃げていたのにどこに行っても父親の姿はなかったのだ。
見捨てられたと思った、息子を見捨て自分1人で逃げたのだとずっと思っていた、なのに今度は迎えに来ると言っている父親に晴翔は、複雑な気持ちを抱いている。
「どの面下げて会いに来る気だよ……!」
許せなかった、どうしても許せなかった。
「クソっ!!」
ガンッと壁を殴る。
すると、コンコンと扉をノックする音がした。
はい、と返事をするとガチャと扉が開き神威が部屋に入ってきた。
ベッドの上に座っている晴翔に神威は近付く。
「ハル……ご飯出来たよ?」
「……そっか、ごめん。いま食欲無くて……」
「ハルっ」
部屋は真っ暗だったが月明かりに照らされた晴翔の顔はさっきよりも悲しげで辛そうな顔だった。
神威は耐えきれず、晴翔を抱き締めた。
急に抱き締められ晴翔は驚く。
「か、神威?!!」
「ハル、痛い?辛い??……泣かないで」
「!!…………泣いてないよ、大丈夫。ありがとう神威」
スっと神威を自分から離す。
今度は神威が泣きそうな顔をしているのを気付いて驚く。
「なんで、神威が泣くのー?俺は大丈夫だから、ね?」
「……っ」
ボロボロと零れる涙をそっと拭ってあげる。
神威の心はギュッと何かに掴まれたようになって苦しくなる、晴翔の悲しい気持ちが伝わってくる無理してる嘘の言葉が神威の心に突き刺さる。
何もしてあげられないことに歯痒ささえ感じる。
神威は泣くのを必死に堪えながら1階へと降りていく。
だが、どうしても我慢が出来ずにすぐに目が合った緋色に飛び付いた。
緋色は神威に押し倒されるように床に尻餅を着き、飛び込んできた神威を支える、何故か自分の腕の中で泣いている神威に状況が読み込めず混乱する頭でとりあえず、優しく背中をさすってやる。
先程起きてきたばかりの真紅と琥珀を含め1階で食事の準備をしていた面々が驚いたように2人の所に集まる。
神威は声をあげずに泣くただ静かに縋るように泣いている。
「……落ち着いたか?」
緋色の問いかけに神威はコクリと頷くその目元は真っ赤になっている。
落ち着いて来たところで食事を各々で食べ始め、何があったか聞いていた。
「そうか」
「……ハルは私が嫌い?」
「……なんでそうなる」
「私が嫌いだから嘘つく」
「それは違う、お前を傷付けるから心配させたくなかったんだろう」
「心配……」
緋色は神威の話をしっかりと聞いてやる。
神威はまた泣きそうな顔で緋色のことを見る。
「大丈夫だよ、少しそっとしといてやろう」
「うん」
「明日の朝また変わらず晴翔に会ってやればいい、そばに居てやればいいんだよ」
「うん」
「神威は偉いな」
よしよしと緋色は神威の頭を撫でてやる。
神威はようやく笑顔を見せるそれを見た周りが安堵の気持ちを見せる。
「なんか緋色ちゃんお兄さんみたいね」
「彼自身は弟なのにね」
「そうね、でも何処か慣れてるように見えるわ」
「手馴れてるね」
「おい、聞こえているぞ」
ヒソヒソと話していた真紅と琥珀を睨み付ける。
それを聞いた神威が不思議そうな顔をする。
「緋色……兄弟いるの?」
「あ、あぁ、兄が2人いる」
「いいな……」
「もう暫く会っていないけどな」
緋色の瞳に寂しさに似た色が滲む。それを見た神威は緋色の頭にポンッと手を乗せ、撫でてやる。
「え、なっ!!」
「?」
突然のことに驚き、緋色は神威から離れる。
神威はキョトンとして顔を傾ける。
それを見た真紅と琥珀はクスクス笑う、緋色の顔は真っ赤だ。
「あらあら、真っ赤ね」
「も〜ダメよ!琥珀ちゃん緋色ちゃんをからかっちゃ!」
「うふふ、ごめんなさいね」
優しい空気がその場に流れる。
晴翔は目を開ける、いつ間にか眠っていたようだ。ベッドから立ち上がると目の前のベッドには小さな寝息を立て穏やかに眠る神威の姿があった。その目元は赤くなっていた。
そっと手を伸ばしその目元に触れる。
「ごめんな神威」
謝罪の言葉を口にすると神威が身動ぎ、ニコッと笑った。
思わず吹き出してしまう、布団を掛け直してやり部屋を出る。廊下の時計は10時半を過ぎた頃だった。下に誰か居ないかと思い降りていくと部屋の明かりが付いていた。
恐る恐るに中に入ると、そこには紗綾が何やら作業をしている所だった。
紗綾が晴翔に気付き優しく微笑む。
「お腹空いちゃった?」
「あ……はい」
「ふふっ、大丈夫よちゃんと晴翔くんの分も残してあるから」
ちょっと待っててねと言うと紗綾は冷蔵庫を開け、ラップのかかった器を電子レンジに掛ける。
晴翔はカウンター席に座る。
暫く待っていると、目の前にカレーが用意された。
「はいどうぞ、召し上がれ」
「いただきます」
手を合わせカレーを食べ始める。
紗綾は隣の席でニコニコと嬉しそうにご飯を食べる晴翔を見つめる。
「晴翔くん、ゆっくりでいいからね。大丈夫だからね無理しなくても大丈夫。ゆっくりでいいのよ」
紗綾の言葉にドキリとしたが何も言わずにただ黙々とカレーを食べ進めた。
「ごちそうさまでした、美味しかったです」
「それは良かった!」
紗綾は食器を片付ける。
「俺……神威のこと泣かせちゃって……」
「……神威ちゃんは、人の心の痛みに気付ける優しい子だから、多分嘘も見抜いちゃったのね」
「多分。俺神威に心配掛けたくなくて冷たくしたかもしれない……ダメだな……ほんと俺って弱くて」
「晴翔くん」
少しだけ晴翔の言葉が震える。
この世界は優しくはない残酷なまでに心を抉る、こんな子供にまで牙を剥く。
目の前で自分の歯痒さに藻掻く少年に可哀想だとさえ感じる。
ついこの間までそれが当たり前の世界で平和だったものが一瞬にして崩れさったのに今日はそれがハッキリとした嘘偽りの平和ということを突きつけられたのだ、混乱するのは無理もない。
紗綾はこれまでも何度か同じ状況の子供を目の当たりにしてきた。どの子も救われずに癒えない傷を心に抱えて無理して笑って大人になっていく。
真っ暗な道を1人で歩む子供もいる。
手遅れになる前に誰かが気づいてあげないといけないのに、壊れる前に……。
「一人じゃないのよ、急がなくていいの。この世界は優しくない。でも誰かが貴方を待ってるから立ち上がるの待ってるからずっと隣に、支えて手を差し伸べてくれる人がいるから。辛い時に無理して笑わなくていいの……ね?」
紗綾の優しさに晴翔の目の前が涙で滲む。
塞き止めていた何かが崩れた。
「父さんがあんな事をしてることに気づかなかったのが辛かった、助けてくれなかった父さんが許せなかった、神威を守ってやりたいのに強くなりたいのにっ何も出来ない自分に腹が立って……!もうよく分からなくてどうしたらいいのかも分からなくて……っ」
涙が溢れて止まらない。
紗綾はただ黙って聞いてくれていた、上手く言葉が纏まらなくてもうんうんと頷いて聞いてくれる紗綾の優しさに小さい時に居なくなった母親を重ねてしまう。
「人の優しさを温もりを知らない子供は次第に脆くなる」
「…………」
「なんでも1人で抱えて壊れる寸前で立ち止まるんだよねきっと……悲しいね」
仄暗い階段には真紅と琥珀、緋色と透が密かに話を聞いていた。
真紅は伏し目がちに言葉を紡ぐ。
「誰かに気付いて欲しくてでも叫び声をあげても意味が無いって分かってるからそのまま壊れていくんだ」
「壊れた心は何をしても二度と元通りにはならない、何かが欠けている、その綻びからまた崩れていく感覚が麻痺してどれが正しいのかも分からなくなる」
真紅につられるように緋色も泣きじゃくる晴翔を見つめながら言葉を紡ぐ。
その言葉どこか悲しげで悔しそうで、誰に向けているものでもなく空中に漂う。
透は黙って目を伏せる、緋色がそれを誰に向けているのか何を意味しているのか分かるからだ。
琥珀は薄く笑みを浮かべただ真紅に寄り添う。
2階の階段付近では出雲が煙草を加え座り込んでいた。
「(誰も……報われないねこんなんじゃ)」
ここに居る全員が何かしら心に傷を抱えて生きている。
過去に起こったことやこれから起こることに不安や恐怖、後悔や憎悪を抱きながら生きている。
いつ報われるかも分からない幸せなんてないのだと諦めてでも必死生きている、各々の目的の為にここに居るのだ。
出雲はふっと息を吐く、白い煙が天井に昇る。
「……歯車が狂わなければいいがな……」
ポツリと呟いた言葉は煙と一緒に消えていった。