第24章
雨の音と車のエンジン音だけが車内にあって人数が結構居るにも関わらず誰一人口を開こうとしない。
重苦しい雰囲気だけが車内に漂う。
「おいおい…ここはお通夜か?」
「不謹慎ですよ昴様、皆疲れているのに…」
「そうだが…ここまでとはな…」
運転席に座る昴はミラー越しに後部座席の様子を見るが後ろに居る面々は誰もが意気消沈といった様子だ。
雨が降っているせいもあるのかと思うが大方先ほどの戦いが余程堪えたのだろう、少しだが血の匂いもしている。助手席に座る翡翠は心配そうな顔で後ろを見る目が合ったのは神威だった。
「大丈夫ですか神威さん」
「はい…でも皆さんが……」
「もう少し我慢してろ、そろそろ見えてくるはずだ」
「あの一体どこに向かっているんですか?」
「医者」
「え……」
「安心しろ、ちゃんと俺たちと同じ存在がやってるとこだ信用も厚い」
「獣人の方ですが小さな村でお医者さんをしててとても優しい方です」
神威が不安そうに俯くが翡翠が優しい瞳で見つめそっと手を握ってくれる。
神威はその手を握り返す。
暫くすると道が開け太陽の光が差し込み周りの景色が一変し穏やかな田園風景が広がる。
小麦色の葉が風に揺れ穏やかな空気が流れ静かな場所だった、そこからしばらく進んだ小山の上にぽつんと立つ小さな家の門の前に車は停車する。
中庭から一人の少年が現れる。
「すまんな、さっき華子に連絡したんだが…」
昴の言葉に少年はハッとした後慌てて家の中に入り、白衣を着た女性とタオルを何枚か抱えて戻ってきた。
「遅いぞ。患者は?」
「後ろだ、人数が多いが頼めるか?」
「誰に言っている?早く家に入れろ……雨に濡れて身体が冷えているな、杏李部屋の温度を上げてくれあと温かい飲み物を」
女性は杏李という少年に言付けるあ杏李は頷くとタオルを女性に渡し部屋に急いでいった。
昴は女性と共に晴翔たちを家の中へと運ぶ。
家は木造建築で木のいい匂いが漂っていた暖炉のある部屋に案内され杏李が持ってきたマグカップを受け取る。中にはココアが入っていた。
それを震える手で口元まで運び一口飲むすると、程よい甘さが口いっぱいに広がるのと暖かさが心を満たす。
「落ち着きました?」
「あ…はい……」
「良かった…少し触りますね…」
杏李が晴翔の前にしゃがみ込み傷口付近や赤く腫れている部分に触れるその度に痛みが走るが我慢する。
杏李は顔色一つ変えず外傷の具合を見るすると心臓の近くで手が止まる。
晴翔は不思議そうに顔を傾げる。
「ここだ…」
「え…?」
か細い声で呟いた時杏李が晴翔に向けた顔は若干青ざめていた。
「無効化‐キャンセル‐」
「あ…れ?なんか軽くなった?」
「……」
杏李は晴翔の胸に当てていた手を下ろし立ち上がる。
晴翔は急に軽くなった心と体に驚き唖然としている。
「少しだけ……他の人の魔力が残っていたので消しました」
「そうなんだ!…ありがとう」
「いえ……」
晴翔の屈託のない笑顔を向けられ杏李は思わず顔を背け一礼した後立ち去った。
その後白衣を着た女性が目の前に現れる。
「私は猫村華子。見ての通り医者さ、アンタは?」
「高原晴翔です…」
「晴翔ね。重症なのは見た感じ前線に出ていたメンバーだけのようだね特に酷いのはアンタと透だが…なんで平気そうなんだい?」
「えっと…」
華子という女性は目を細め訝しむように晴翔を見下ろす。
晴翔は言葉を濁す。
「!さっき杏李くんが…」
「杏李が…ほぉ、まあいいさ。立てるかい?治療室に行くが」
「はい、大丈夫です」
華子は晴翔に手を差し出し晴翔を立ち上がらせる。
治療室に着くと先に入っていた真紅が琥珀に支えられながら出て来た。
頬や腕に包帯やガーゼを付け痛々しい。
中では晴翔と同じくらい重症の透が居たそうな表情一つせず治療されていた。
「鬼だからかね、傷は既に塞がっててねでもそこから菌が入り込む可能性もあるだから手当はするが…外傷ほどでもなくて安心したよ」
華子の言葉に透は何も答えないずっと黙ったままだ。
「透」
「いい」
「全く…相変わらずだね―少しは丸くなったと聞いていたが?」
「勘弁してやってくれ、透の場合は外傷じゃなくて精神的なものだからな」
「昴お前の育て方が間違えたんじゃないか?」
「おいおいひどいこと言うな、まだましだろうが」
「ふん、どうかね。 晴翔こっちに来て座りな」
治療室の椅子に座り頭を抱えている昴をよそに華子は晴翔を診察用のベットに座らせる。
服を捲り外傷を確認する。
「アンタ…イレギュラーじゃなかったかい?」
「そうです…けど…」
「おかしいね…傷が塞がってる」
「華子」
「なんだい昴」
「そいつは…」
「……あーそうかい、じゃあ仕方がないね。でも自覚がないのはどうかと思うが?高原晴翔」
晴翔の傷はいつの間にか綺麗さっぱり治っていた。
昴は背もたれにもたれかかるように座り二人の様子を真剣な目で見つめている。
華子は晴翔の隣に座り黙っている晴翔の背中を軽く叩いてやる。
痛みは感じない通常なら傷に響くはずがもう痛みはない。
「痛いかい?」
「いいえ」
「イレギュラーでいたいならそれはそれで構わない。でもね体と心は裏腹だ」
華子の話に晴翔は黙って耳を傾ける。
華子は消毒薬を含ませたコットンで晴翔の傷回りの血を拭き取る。
「体は目覚めようとしているなのに心がそれを拒む、だから異常が生じる。何かが確実に変わっていくはずだ。私らが知っているアンタはもっと非情で冷酷な男だった。国が滅びかけたのだからねでもそれはアンタのせいではなかった。でもアンタは犯してはならないことを罪を犯した。それは覚えているかい?」
華子の言葉に晴翔は黙って頷く。
それを見た華子は安堵した表情を見せた、いつの間にか治療は終わっていて片付けをしていた。
「それならよかった、でも世界はお前を許しはしない。迫害されし神闇の王『邪神』…これからどう生きるか選択するのは晴翔自身だよ、その選択でここにいる全員を敵に回す覚悟がアンタにはあるのかい?少し考えてみるといいさ」
その夜、キッチンでは杏李が夕飯の片付けをしていた。
そこに華子がコーヒーの入ったマグカップを持って現れる。
「華子ちゃん、いいの?邪神様の所に行かなくて…」
「杏李アンタ気付いて…てことは」
「うん、少しだけ彼の闇を消しておいたそのほうが華子ちゃんも助かるでしょ?」
「そうだが…」
「僕には華子ちゃんとの記憶はない、だから勿論彼との記憶もない…でも彼の闇に触れた時気付いたこの人があの神様なんだっておかしいね…知らないはずなのにすごく怖い人だって分かった。今のうちに目覚めないようにって思ちゃうんだ…」
「杏李」
「あ、大丈夫だよ華子ちゃん僕に闇は通じないからすぐに浄化しちゃうし!……華子ちゃん…?」
必死になって言葉を紡ぐ杏李の頭をぐしゃぐしゃと撫でる華子の表情はとても悲しそうで杏李は一言ごめんと呟く。
いいんだと言う華子の心情は計り知れないが神である華子にとっては杏李という存在は絶対なのだ神は信仰されなくなれば消えるしかない。もし杏李が消えれば唯一の存在が居なくなる。
その頃談話室では出雲たちが集まり話し合いをしていた。
「それでキミは本当にシュバルツ側の者ではないんだね」
「ああ、その点については若様と透が一番よく知っているはずだ」
「本当なの?緋色ちゃん、透くん」
紗綾の不安そうな呼び声に二人は頷く。
「昴は兄上の命でシュバルツ側に付いていた、だがそれはもう出来なくなった」
「なぜ?」
「シュバルツが人間に手を出し始めたからだ」
「それは元々でしょう?」
「違う、もう年齢も関係ない使えるイレギュラーを手あたり次第集め始めた」
「そのせいでうちの里にも手を出し始めたんでな、契約違反で手を切った」
「じゃあ今回獣人に手を出したのは…」
「従順な犬が欲しかったんだろうな、味方は多くなくてはいけないそんで問題は…」
「あ…えっと」
「お前だ高原晴翔」
全員の目線が晴翔に集まる。
晴翔は居心地悪そうに身を小さくする。
「シュバルツは言った、お前の目覚めが来ると」
「でも見た感じ抗っているのは確かなようだな、それはなぜだ」
「なんでって言われても…」
昴の鋭い指摘に晴翔は悩む。そんなことを言われても晴翔には皆目見当がつかないのだ。
いま自我を保てているのが不思議なくらいで何度も闇に飲まれそうになりそのたびに救われた。
「じゃあ言い方を変えてもいいですか?」
「??」
「ばくたちは、貴方に期待してもいいということですか」
「え……」
翡翠の言葉に晴翔は驚きの顔になりお互い見つめ合う。
翡翠の顔は真剣そのもので有無を言わさないといったくらいの強い瞳が晴翔をとらえて離さない。
「本当ならあの闇に飲まれた貴方はもう高原晴翔ではないはずです。邪神様としてこの世界を滅ぼしていてもいいはず、貴方にはその力がある。だから危険なんですあちら側に回ってしまうとこの世界はまた闇に包まれるそうなってはいけないのです……正直貴方が自我を保っていることに驚きを隠せません」
「……俺もそう思います」
「だからぼくたちは貴方に一縷の望みをかけてみようと思います」
「翡翠」
「緋色だって同じでしょ?今までだっていつだって殺せたはずだよ、その隙はいくらでもあったなのに殺さなかったましてや手を貸して、何もなかった彼に戦う術を守る術を与えた。彼に対して何か思うことがあった…違う?」
「…そうなんですか?」
「あぁ、本当はあの時目覚める前に殺してやろうと思った、でも傍に神威が居た何も知らないお前は神威を必死に守っていたそれを何度も見て、少しだけ掛けてみようと思った」
「それは俺も同感だ」
緋色の言葉に賛同するように透が呟く。
晴翔は胸の奥が温かくなるのを感じるのと同時に自分はいままで数多の死の危機を乗り越えてきたんだなと実感する。
「てことだ、良かったな晴翔」
「あははは…ありがとうございます」
笑い合う姿に先ほどまでの重苦しい雰囲気はない。
その中で一人悲しそうに辛そうに晴翔を見つめる神威に誰も気づかない。
大きなテラスからは小さな村の全体が見渡せる。
夜空を見上げれば眩い輝きを放つ月に星空が広がっていた。
「はー……」
「溜息吐くと幸せ逃げていくよ?」
「きゃあ」
「あははごめんねびっくりした?」
「真紅さん…」
神威が驚いて後ろを振るとそこには真紅が意地悪な笑みを浮かべていた。
「怪我…大丈夫ですか?」
「あ、これ?平気だよもう痛くない、僕は鬼じゃないから血を飲まないと治らないんだけど場所が場所だからね~」
真紅は苦笑いを浮かべる。
ここは一応病院だ、華子は医者であり獣人だ血の匂いには敏感だろう、しかし最近では休む暇もなく働いている真紅と琥珀にとっては苦痛だろう。
「そろそろ潮時かなって思うんだ、多分さっきの話し合いで皆の決心がついただろう?だから僕らは明日ここを出て国に戻るよ…一族の皆を守らなきゃ」
「真紅さん」
「神威ちゃん、一つ聞かせてほしい。キミがそこまでして彼に固執する理由を」
真紅のいつにも増して真剣な眼差しに神威は微笑みで返す。
「彼の巫女として彼の幸せを願うのは当たり前のことです」
「そうか…そうなのか」
「これでお別れですね…真紅さん」
「うん。ありがとう」
真紅はテラスを出ていった、その背中をただ黙って見つめる神威の瞳は揺れている。
自分の選択が間違いだとは思いたくない、もう戻れないたとえ間違いだとしても進まないと行けない過去は変えられないのだから選んだことに後悔もしたくない、だから怖くない寂しくなんかない皆選んで進む各々の選択肢があるのだから、それを止める必要も壊すことも出来ない、分かっているのだなのにどうして
「どうして…止まらないの…」
神威の頬を伝う涙はとめどなく流れ止まらない。
離れていくことは知っていたのに、止めれば留まってくれただろうと思うと自らが醜い心を持つのだというのが分かる。でももう巻き込むことは出来ないこれは最初から神々の溝から出来た争いごと、人の業が起こした悲劇。
「止まれ止まれ!私は泣いてる場合じゃないのに!」
「泣き虫なのは頑張っている証拠だときょ…す、昴様が言いました」
「え………」
「ね、昴様」
「あぁ?そうだっけな?」
泣いている神威の前にハンカチを差し出したのは翡翠でその後ろには気怠そうに頭を掻く昴が居た。
神威は目の前で始まったちょっとした言い合いに笑みが零れる。
さっきまでの涙は止まって笑顔が溢れると翡翠は優しい笑顔を見せる。
「貴女には笑っていて欲しいのです」
「私に…」
「何だかわからないけれどそうおもいます!」
「……ありがとう」
翡翠の真っ直ぐな思いが神威には嬉しかった。
「おい先に戻ってろ」
「昴様は?」
「ちょっとこの嬢ちゃんと話があっから、心配すんないじめたりしねーよ」
「…分かりました、じゃあ先に中に行ってますね」
翡翠は不安そうな疑いのある瞳を昴に向けながらも大人しく部屋に戻っていった。
残された神威と昴。神威は緊張で固まる。
「あの…」
「言いたいことは分かる。が、結論から言えばあいつの中にはもう雛はいねーよ」
「そうなんですね…」
「俺はお前が記憶持ちなことに驚きだがね、普通あんな終わり方をしたら忘れたくなるもんじゃねぇのか?」
「私は最後まであの人を愛してましたから…」
「そいつは記憶すらねぇけどな…覚えてんのかね」
「思い出してはいると思います。でももう時間がない…多分間に合わない」
「嬢ちゃんもそう思うか」
「でも掛ける価値はあるかと」
昴はテラスの策に体を預け煙草に火をつける。
神威は渡されたハンカチを握りしめる。
「翡翠と緋色には未来が見えている。どういう未来が見えているかは分からねぇが……翡翠は最近魘されて起きることが増えたてことは何となくこれからのことが分かる。少なからず誰かが死ぬこの中の誰かが」
「それはきっとハルに大きな打撃になる」
「あいつは選ばないとならねぇ、それでこの世界の命運が決まる」
昴の言葉が重くのしかかる。
現実が一気に叩きつけられたような引っ張られているようなそんな感じだ。
神威は黙って俯く。その様子を見て昴は息を吐く。
「きっとこれで終わりだどっちに転ぼうがこれで神の時代は終わる」
「昴さん…」
「だからシュバルツは必死に手に入れようとして躍起になってる。止められるか?」
「はい。晴翔は幸せにならないといけないんです、だって皆誤解してる…」
「ま、ずっと一緒に居た嬢ちゃんにしか分からねぇこともあるわな。任せたぞ、んじゃ中はいるかね」
昴は煙草の火を消すと部屋の中に入っていった。
神威は昴のあとを追うようにゆっくりと歩きだす。
「(例えこの世界があなたを拒んでも私あなたを愛してる)」