第21章
目の前の少女は無邪気に笑う。
クルクル回って楽しそうに笑う、そんな姿を見ていることがとても嬉しくて幸せだった。
なのに、いつの間にか辺りは血だらけで息が詰まりそうなくらい息苦しい。
捧げられた願い投げられた願望は聞き届けられる。
闇は次第に濃くなって全てを狂わせ包み込んでしまった。もう何もかも消えてしまえばいいそう望まずにはいられないほどに。
「ハル」
「!」
不意に掛けられた言葉と共に現れた手を思わず払い除ける。
それに驚いた神威は払い除けられた手をもう片方の手で包み少し俯く。
「ごめんなさい、驚いたよね。出雲さんが話がしたいからって呼んでた…私、先に行くね」
「あ……うん……」
俯いた後の少し悲しそうな笑顔に晴翔は心を痛める。
払い除けるつもりは無かったのに最近では関係がギクシャクしてしまっていることに気づく、そうしようと思った訳ではなくただ少しあの夢の中で見る少女に似ているから余計に避けたくなる。
晴翔は頭を抱え蹲る。どうすればいいのか分からない。
延々と考える度に悪い方へ進んでいってしまっている気がしてならないのだ。
と、その時隣の部屋から盛大に何かが割れる音と倒れる音がした。
不思議に思い隣の部屋をノックする。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、心配するな少し転んだだけだ」
「え、怪我とか……!」
「していない、大丈夫だからそっとしておいてくれないか」
部屋の中からは緋色の落ち着いた声が聞こえてくる。
遠回しに入ってくるなと言われているようで少しだけ心配になるが晴翔は自分が出雲に呼ばれていることを思い出し部屋を離れる。
緋色は、晴翔がどこかへ行った気配を察知すると、目を開ける。
押し倒され床に押し付けられた肩が不意に楽になると次は首に手が掛けられる。
「透」
手を掛けている透の息はとても苦しそうで必死に何かを抑えようとしている。
緋色はほぼされるがままの状態で辛そうに顔を歪ませる透の頬を優しく撫でてやる。
「透、落ち着け」
どんどん力を込めてくる手を掴む。
目が痛む、ズキズキと透が手に力を込めるのと同時に痛みが増す。
緋色の優しく撫でる手に擦り寄るように透は頬を預ける。
少しだけ力が弱まり息が楽になると同時に緋色の気道に一気に空気が入り込み咳き込むと、透は虚ろな目で緋色を抱き起こし強く抱きしめる。
失わないように逃さないように、ただ必死に。
「透」
「ごめん」
だから何度も名前を呼んでやる。戻ってこれるように。
暫くの間そうした後、我に返った透はフラフラと部屋を出て何処かに行ってしまった。緋色は追い掛けもせず締められた首元に手を沿わす。
"昔"から何度も同じように手を掛けられた、そうするのが定めなのだと言うように抗えない苦しみに抗おうとする表情で泣きそうな苦しそうな顔が脳裏から離れない。
「もう……ダメなのか……」
何度も迎えた"終わり"が近付いてきているそう察するのが言葉にするのがどれだけ恐ろしい事か、そうならないようにやり方を変えて生き方を変えたというのに変わらない変えられない運命に何度も抗い生きてきた。
「もっと……一緒に居たかったな……」
誰に届くわけもない言葉が宙を舞う。
その顔は安堵のようなそれでいて諦めのようなそんな表情をしていた。
緋色は目を閉じる、目の前は真っ暗だ。
「鈴」
「……雛」
周りはいつもの見なれた景色で桜の花弁が廊下に散らばっている。
生まれた時に父が植えた桜の木は今となっては2人の人生のように狂ってしまっている。
目の前には似た顔の少年が1人女物の羽織りを着て立っている。
気配が2つ、1つは緋色と同じ魂もう1つは過去の魂2つが融合せずに共存している。
そして過去の名前を呼ぶ目の前の少年は過去の者。いまは無き魂だけの記憶。
「ねぇ鈴、どうしてもその道を進むの?そっちは幸せになれないのに」
「これで幸せだから構わない、これは私が望むこと」
緋色の中の心にあるもう1つの魂が言葉を紡ぐ。
目の前の少年の瞳が揺らぐ、光の無い瞳は虚ろで何も映さない、想いだけが少年を生かす。
過去に壊した心でそれでも想いを伝えようと少年の中の少女が言葉を紡ぐのか。
「雛、私はねあの人に生きて欲しいのあの人が幸せならそれでいい」
「私は姉さんに幸せになってほしい!生きて欲しいの……!!」
悲痛な願いが想いが木霊する。
桜の木が揺れる。
暫くの沈黙、それを破ったのは緋色だった。
「ごめんね、雛。私を許してね」
「姉さんは幸せなの?」
「うん、幸せ」
「…………」
緋色は少年の手を握ってやる。
冷たい氷のような手は真っ白で雪のようだ。
「翡翠、ごめんな」
「!緋色……?」
緋色はそっと手を離し背を向け歩き出す。
その後ろ姿を翡翠は追い掛け腕を掴む、緋色はこちらを向かない。
「兄さん……!兄さんを返してよ……」
「……」
翡翠の泣きそうな声に緋色のもう1つの魂が揺らぐのがわかるもうとっくの昔に融合してしまった魂が悲痛な声に反応したのだ。
同じ魂同じ存在の声に、心が揺れる。
緋色は何も言わずに手を振りほどき歩き始める、始めから分かっていたことなのにどうしてこの心は想いとは裏腹なのか、それは多分死んでも分からないことだろう。
翡翠は目を開く、零れ落ちる涙を温かい指がすくってくれる。
涙でぼやけて見えないが落ち着ける匂いと声に涙が溢れて止まらない。
「翡翠」
その声は懐かしいような気もするけどよく思い出せない、でも心は何故かその人を想っていて離れ難くなる。ずっと一緒にいた気もする。
そんな曖昧な記憶。
「恭鵺様……」
「ん?何だよまた真名で呼びやがって……ちったぁ学んだらどうだ?」
「ぼく眠っていましたか?…」
「ああ、雛はどうした」
「居なくなっちゃいました…」
「夢で緋色……いや鈴蘭嬢に会ったか?」
「少しだけ話をしました……でも駄目でした」
「……そうかい」
昴は翡翠の目元を手で覆って隠してやる。
翡翠はただ黙って目を閉じる、微睡み始める翡翠を昴はただ見詰める。何もかもを奪える訳では無いけれど悲しみを少しだけ奪えるのならと願わずにはいられなかった。
「報われないのはどっちなんだろうな……」
その夜、出雲はメンバーを集めた。
「なんだか空気が重いな……」
出雲の言葉に真紅と琥珀以外のメンバーが視線を逸らす。
それを見た出雲は盛大なため息をついた後頭を掻きながら真紅を見る。
真紅は呆れたように首を横に振るばかりだ。
「まぁ……深くは追求しないけど、少し問題が起きた、多分異種族の人達には通達が先に言ってるとは思うけどこの時期は年に一度の中立国主催の交流パーティーがある、それに参加する事になってしまった…」
「今年は獣人の一族だった筈だよ、彼等は好奇心旺盛だから異種間交流が好きなんだ全ての人種の代表者を集めたいとこの前の会合で言ってたね〜」
「そうね、結構盛大なパーティーにしたいって言ってたから……でも厄介ね、そうなると困った事が起きるわ…」
琥珀が頬に手をやってわざとらしく溜め息を吐く。それに晴翔が反応を示し顔を出す。
「困った事?」
「えぇ、獣人は好奇心旺盛って言ったでしょう?なんでも興味を持つからそういう貴族階級の狙って裏の奴らが動くのよ……だから騙されたりするんだけど、騙された事に気付かないのよね、中立国で争いはご法度、それでも本能なのかしらね……飢えてる血の気の多い輩もいて困るのよ」
「うわぁ……」
琥珀は視線を落とし気味で嫌そうな顔をする。
出雲が神威と晴翔に招待状を渡しながら説明をする。
「その輩を取り締まる為に今回はこっち側に依頼が来たってことだよ、その好奇心でこちらの情報を掴んでたとしたら納得が行くよねー、だから今回は中立国の護衛って感じかな」
「護衛……」
「シュバルツ達のところも招待状が来てるかもしれないからね、丁度いいと思うけどどうする?
これは政府からの通達だからオレと紗綾も参加するけど、嫌ならお留守番もあるよ?」
「いえ、行きます」
「そう?じゃあ一緒に頑張ろうね、吸血鬼一族と鬼の一族はもう報せが事前に行ってると思うけど?」
出雲が聞くと真紅と緋色が同時に頷く。
すると、紗綾が奥の方から大きめの箱を抱え机の上に積み上げる。
「説明は終わったのかな?一応洗ってあるものだから大丈夫だと思うのだけれど、ドレスコード選びましょう?もう明日だし……急がなきゃ!」
「……え?明日?!」
「ええ!もう政府の人達っていつも急なのよね、こっちの身にもなって欲しいものだわ!」
少し怒った口調で紗綾がドレスやスーツを取り出しながら言う。
晴翔は困り果てたように呆然とする中出雲は面白そうにゲラゲラ笑っているばかりだ。
晴翔達が各々の衣装を選ぶ中、緋色は庭へと続く扉を開け外に出る。
そこには、赤ワインを片手に柵に体を預けている真紅が居た。
「いいの?中に居なくて」
「そっちこそいいのか?琥珀のそばに居なくて」
「僕が居たら琥珀が神威ちゃんと話せないからね」
「そうか」
「喧嘩でもした?」
「……違う」
嫌そうな声音で話す緋色に呆れたように肩を落として真紅はワインのグラスを傾ける。
緋色は賑わう部屋に背を向けるように柵にもたれかかって少し悲しそうな顔をしている。
真紅は敢えて何も聞か無いことにした。
「僕らはこのパーティーの後国に帰るよ」
「……そうか」
「一族を守らないといけないからね、本当は彼女を連れて帰りたかったけど、彼女は彼女で彼の事が心配のようだし…彼女のことは彼が守ってくれると信じて僕らは帰るよ」
「……」
真紅の瞳にはドレス選びで盛り上がる神威の姿が写っている。
その隣には顔を赤く染める晴翔が居る。
真紅はその様子を見て少しだけ息を吐く、もう季節は冬へと近づいている、肌寒い季節になるというのに戦いは終わらない、過激化していく中抜けるのは些か負い目を感じるが、真紅と琥珀はこの戦いから身を引くことを選んだ。
「僕らにはキミたちの状況や過去は分からないけど皆が幸せになれることを願うよ、悲劇は断ち切らないといけない、誰にでも幸せになる権利はあるのだからね」
「あぁ……」
「……死ぬなよ」
「当たり前」
真紅は緋色からの言葉を受け取ると1人部屋の中へと入っていった。
緋色は息を吐く、やはり夜は冷えるため吐く息が白く染まる。
すると後ろから大きめの上着がかけられる。
「冷えるぞ」
「透」
「さっきは悪かった、目痛むか?」
「いや構わない、これも仕方がないことだ」
緋色の向ける視線が優しさを帯びていることに透は少し悲しくなる、自分が生きていることで目の前に立っている存在を傷付けているのだから負い目を感じないわけが無い。
自責の念に駆られている透の頬を優しく撫でてやる。その姿に過去の記憶がチラつく。愛おしいのに腹立たしいその姿。
裏腹な心は何故なのか、闇は次第に大きくなる。
「中に戻ろうここは冷える」
「……」
頬を撫でていた手を取り多少強引に部屋へと導く。
緋色は普段なら振り払うであろう手をそのままに導かれるままに部屋へと戻っていった。
ズキズキと痛む目に気付かれないように少しだけでも透の存在を感じるようにただ黙って目を伏せる。