第16章
闇夜の中琥珀は屋根の上を駆ける。
地上では真紅が目の前を必死になって走る男を追い掛ける。
「ねぇお兄さーん、そろそろ止まろーよお兄さんも沢山走り回って疲れたんじゃない?」
「くそっ、いつまで追い掛けてくるんだ!!」
「捕まえた」
「なっ!!……なんなんだアンタら」
琥珀が屋根から飛び降り男の前に立つ、男は思わず後退るがその後ろには真紅が立ちはだかる。
男は額から汗を流しながら戸惑い逃げ場を失う。
「くっ……!」
「お兄さん、もう逃げられないからさ諦めなよ」
「そうよ全く、女の子を攫おうとするなんて下衆のやることだわ」
琥珀の冷たい目に男は怯む、どうにか逃げ出そうと辺りを見回すが真夜中なので誰も居ない。
真紅が笑みをたたえながら男との距離を詰めていく、男は考えたどうすればいいのか、逃げる為に必死に考える。
「考えたって無駄さ、誰も来ないキミはここで僕らに捕まるそれで終わり逃げれない」
「逃げたところで罪が重くなるだけよ?大人しくしなさい」
「分かったぞ!お前ら政府の犬だな!……最近嗅ぎ回ってやがる奴らだろ!」
「嫌だわホントに人間の男ってうるさいわね、この夜になんて吠えるのかしら……」
「なんだと!女だからって舐めた口聞きやがって!いずれ我らが"王"がお前らに捌きを下すことも知らないようだな!」
「?……どういうことだ?」
男が急に顔色を変え不気味に口角を上げ、叫ぶ。
その言葉に、2人は顔を顰める。
「ああ、そうだ俺らの主人は闇王の復活と女王陛下の復活を望んでおられる……俺たちは主人に雇われてここに居る…職を失った俺たちにあの人は希望をくれたんだ!だからここで捕まる訳にはいかないんでな……!」
「それは希望ではない!」
「黙れ!!お前らに何が分かる……!」
真紅が一歩男に近付こうとしたその時、後ろからクラクションが響く。
「!!」
「真紅!!」
琥珀が瞬時に真紅を抱き上げ屋根の上に飛び乗る。
その間に現れた荷台が男を連れ走り去っていく。
真紅は珍しく悔しそうな顔をする、琥珀は走り去る荷台を見据える。
「追い掛ける?」
「いや、深追いは良そう……帰ろう」
「真紅」
「何」
「なんて顔してるの、怖いわ」
琥珀は真紅の頬に優しく触れる真紅はその手を掴み頬をすり寄せる。
「折角綺麗な顔をしているのに歪んでしまうわ」
「ごめん、少し動揺した」
「いいのよ、早く戻りましょう今日は冷えるわ」
2人は即座にその場を離れる。
そんな日の月夜は恐ろしく綺麗だった。
鬼の里から帰ってきた、晴翔は疲労で授業中に寝てしまっていたそれを見た蛍が声を掛ける。
「晴翔くん大丈夫?」
「ああ……大丈夫大丈夫少し寝不足でさ……」
「まだ体調悪いんじゃない?保健室行った方がいいよ、私案内するよ?」
「ありがとう…そうしようかな」
「そのほうがいいよ、さ行こ」
晴翔と神威は不在にしていた間は体調不良という事になっており誰も鬼の里に行っていたことは知らない。同じく透と緋色は急な里帰りということにはなっているようだった。
朝透は女子生徒に囲まれ実家はどうだった、お土産はないのかと言われていたのを目撃している。
晴翔は眠気を堪えながら蛍に支えられ保健室に向けて廊下を歩く。
その途中で少し揉めている人が居た、そこは2人が今通りたい場所だった。
「なんだか揉めてるね……どうしよう」
「誰あれ……」
「晴翔くん知らなかった?同じクラスの宮里優真くん、最近よく他クラスの子に絡まれてるみたい……だから怪我だらけなのかな……」
「へぇ……」
蛍は止めるべきか先生を呼ぶべきか悩んでいる。
晴翔はいまにも睡魔に負けそうで次第にイライラし始め気付いた時には揉めている集団に突っ込んでいっていた。
「お前のとこの父さん闇商売してるってほんとかよ?」
「まじでキモイんだけど、そんな父親とかオレ無理ー」
「元々エリートだったんだろぉ?落ちたなぁ?」
「おいおい黙りかよ、なんか言えよ、宮里優真く〜ん」
「「ギャハハハ」」
男子生徒は宮里優真を囲み罵倒を浴びせ続けている、優真はただ下を向いているその姿は何も感じていないのかまるで機械人形のようだ。
そこに居るだけただそこに立っているだけ、けれども優真の体には包帯やガーゼなどの処置の痕がある。
晴翔は何も言わない優真に苛立った男が振り上げた男の手を掴み壁に投げつけた。
その光景を見た蛍の顔が青ざめ、優真は驚きの表情で晴翔を見る。
「程度の低いことしてんじゃねーよ、ガキか」
「なにしやがる!テメェ!!」
「おい!!何してる!」
「やべっ、獅子島だ!逃げろ!!」
「待て!お前ら!!」
騒ぎに気付いた透が駆け寄ってくると逃げ出した生徒を追い掛け晴翔の前を凄まじい速さで通り過ぎて行った。
晴翔は険しい顔で振り向き優真の肩を力強く掴む、優真は驚き肩を震わす。
「大丈夫か」
「あ、ありがとう……えっと…高原くん」
「どういたしまして、その包帯変えた方がいいと思う」
「え……」
「俺は眠い、ついでに一緒に来い」
「え、ちょっ待っ」
「待ては聞かない」
晴翔は優真の包帯に血が滲んでいることに気付いてその腕を掴み歩き出す最早その表情は亡者のようだ、蛍は晴翔の傍に駆け寄り支え保健室へと道案内を再開する。
優真はなすがままになりながら保健室へと連行された。
「まぁ……変わったメンバーね…?」
「琥珀さ……八坂先生ベッド貸してください」
「お使いなさい、1時間だけよ?蛍さん送ってくれてありがとう教室に戻っていいわよ、宮里くんはこっちにいらっしゃい」
「はい!八坂先生2人のことよろしくお願いします!失礼します!」
「はーい」
蛍は頭を下げるとすぐに教室へと戻って行った、琥珀は優真の血の匂いに気付きすぐに目の前の椅子に座らせると新しい包帯と消毒薬を手に取り処置を始めた。
優真の包帯を取るとそこには深い切り傷や殴られた痕があった。
琥珀は一応教師なので生徒の情報は回ってくる、なので優真の事もある程度の事情は分かっているので聞こうとは思わなかった。
「痛かったでしょう?」
「……そうですね……でも」
「……宮里くん?」
「いえ、なんでもないです」
「そう…何かあればいつでもいらっしゃい頼っていいのよ?教師は生徒を見捨てないものよ?いつでも貴方たちの幸せを願っているわ」
「……ありがとうございます……」
琥珀の優しい言葉が優真の心を暖かくする。
冷たい氷のようだった心に火が灯る少しの優しさでもいまの優真にとっては強い火となる。
一通りの手当てが終わるのと同時に保健室の扉が開く、透が優真を見つけると手招きする。
「良かった、ここに居たか。すまない八坂先生少し借りてもいいか?」
「ええ、晴翔くんにも用があるならそこのベッドにいるわ」
「ん?アイツの方が重症なのか?」
「違うわよ、寝てるだけ酷い顔だったわ、引き取るなら1時間後に来て頂戴」
「分かった。 宮里、話をしよう」
透は優真を保健室から連れ出し会議室へと連れていく、そこで優真と向かい合わせに座る。
優真は俯き加減で透と目を合わせようとしなかった。
「宮里、辛くはないか?」
「……」
「怪我、最近増えているだろう?何か手を貸せることはないか?先生に出来ることなら俺は手を貸すぞ」
「…………」
「さっきの奴らはとっ捕まえて叱っておいたから安心しろ、な?……宮里」
優真は何も答えない、ただずっと黙って下を向いている。
透は困ったように頭を搔く、すると優真は今にも泣き出しそうな顔で立ち上がる。
「ーーっ!」
「み、宮里?!」
「父さんをっ助けてやって……くださいっ」
「宮里……」
優真は苦しそうに顔を歪ませ胸を掴み額には汗を浮かべ声を振り絞る。
透は優真の肩を力強く掴み、大丈夫だと言わんばかりに背中を摩ってやる。
日に日に増えていく怪我に気付かない筈はない。
痛みの数だけ傷がある、目に見えない傷を抱えている生徒は沢山いるその苦しみに痛みに寄り添えることが教師としての在り方だと透は思う。
優真が落ち着いた頃合いに家庭訪問の事を切り出す、すると優真は快く承知してくれた。
「さて……今回は当たりか?」
「……さぁね、真紅が気配が似てると言っていた」
「…当たりだといいんだがなぁ」
「俺たちは今回は確かめるだけだ、あとは真紅と琥珀の仕事だ」
「そうだな」
優真が教室に戻った後の会議室には窓際に腰掛ける緋色と缶コーヒーを片手に椅子に座る透だけが残っていた。
夕暮れが迫る空は綺麗なオレンジ色で、その色に染まる教室で優真は帰りの準備をしていた、そこに蛍が鞄を持ち現れる。
「宮里くん!急にごめんね、私この後すぐに専攻授業に行かないといけなくて、この鞄を保健室にいる晴翔くんに届けて欲しいのあと神威ちゃんも連れて行ってあげて!よろしくね!」
「え、ちょっ牧島さん?!」
蛍は早口で捲し立てると足早に教室を出ていった。呆気に取られたままの優真とそれを見つめる神威が2人、教室に微妙な空気が流れる。
「……はぁ、なんで僕が……えっと伊沙羅さんはいつも高原くんと帰ってるの?」
「そう、ハルと一緒」
「そっか、彼保健室に居るから案内するよ」
「ありがとう」
優真は机に置かれた晴翔の鞄を持ち神威とともに教室を出る。
廊下はオレンジ色だ、その中を2人は何も言わずに歩き出す。
保健室に着くと丁度起きたところなのか晴翔がネクタイを結んでいた。
「あ、ごめん!ありがとう荷物、神威のことも送り届けてくれたんだな!」
「あ、うん……じゃあ僕はこれで」
「待って待って!どうせなら一緒に帰ろう!」
「……いいけど、高原くん戦術の授業は?」
「あー……なんか獅子島先生に休めって言われて」
晴翔は困り顔で答える。
優真は息を吐くと晴翔と共に保健室を出た、そのままバス停まで一緒に歩く。
「高原くん昼間はありがとう」
「え?あぁ、いやいいよ。困ってる人を助けるのは当たり前のことだろ?」
「……そう、キミは優しいね」
「そう?普通のことなんだけどな……」
優真の言葉に晴翔は不思議そうに頭を傾げる。
晴翔にとっては普通のことでも優真にとってはあまりない事だったのだ、絡まれても他の生徒は見て見ぬふりをするくらいで晴翔のような人はいなかった、皆種族が違うせいなのかもしれないが。
優真はバスに乗り込むと1番後ろの席に座る、3人座れるようにする為だ。
「そうだ、昼間なんで絡まれてたんだ?」
「え……わかってて間に入ったんじゃないの?」
「いや、俺あんまり学校来ないしさ分からないんだよね、宮里くんはなんで絡まれたんだよ?」
「……俺の父さん元々エリートだったんだ、なのに急にリストラされて前まで無職だったんだけど、なんか新しい所見つけたって言ってて……でも凄く嫌な感じなんだ……最近じゃ暴力も奮ってきて……」
「宮里くん……」
「よしよし……痛い?」
神威が不意に起こした行動に優真は驚きを隠せないようだった。
その後優真はバスを降りていった、優真の苦しそうな顔が忘れられない。
バスの中で揺れながら思い出すのは鬼の里で起きた事だ、偶然そこに居合わせ巻き込まれた最近増えているという事件。
煌夜の話によると裏で手引きしている人間がいるという、何をしているのかは謎だがその人間は何かの目的の為に子供を集めているのだという。
売る為だけでなく何かの目的の為でもあるようだ。
「ハル、お家着いたよ」
「うん」
気付いた時にはバスを降りており、いつもの家の前に居た、当たり前のように扉を開けると当たり前のように紗綾が待っていてくれている。
それが晴翔にとっては当たり前の事だった。
優真が家に着くと部屋の中では母親がお酒の空き瓶や缶を集めているところだった、街から少し離れた家は寂れた街に近いこともあり近所に人もほとんど居ない、本当は住みやすさと母親が能力者ということから父親の提案でストレスの無さを考慮したというが、それは今となってはまるで何かを隠しているかのようだった。
「おかえり優真、すぐに夕飯の準備するね」
「ありがとう、母さん……あのさ、今度先生が来てくれるから…」
「え……本当?」
「うん」
優真の言葉を聞いた母親の顔は喜びと悲しみで入り交じっていた。
リビングには弟の一希が寝ている、まだ小さな弟はすやすやと寝息を立てながら部屋の隅っこで眠っていた。優真はすやすやと眠る弟の頭を撫でてやるくすぐったそうに体をよじる一希が愛おしい。
「やっと……解放されるよ……」
灯りをつけていない部屋は薄暗い、温かさもなく冷たい部屋にいるようだった。
優真は父親が帰る時間に合わせ透が来るようにしたことを母親に伝えた母親は安堵したように何度も頷きありがとうと伝えてくる。
外の電柱にはその様子を見る2人の影があった。
黒衣の男と着物の少女、2人は優真の家を見下ろしつまらなそうにしている。
「解放されるかよ……お前の父親は終わりだ」
「可哀想に……」
同情の言葉を口にする少女の表情は無だった。
男は不気味に微笑むだけ、まるで終わりを喜ぶかのようにしている。
いつの間にか空は完全に真っ暗になる、夜はその家を包み込み、影を落とした。
仕事から帰ってきた父親は少しだけキツめの香水を身にまとっている、気分が悪くなるようなそんな匂いだった。
幼い弟の一希は鼻を塞ぎうずくまる。
「なんだ」
「お父さん……臭いよ」
「……!」
「一希!お父さん疲れてるのよそんな事言わないで、さぁもうおやすみお兄ちゃんと部屋に行くのよ」
父親の瞳の苛立ちに気付いたのか母親がすぐさま一希の傍により優真に連れていくよう促す。
優真は一希の手を取りすぐにリビングを出て行った。そのすぐ後に大きな音がした。
最近ではそれが日常になってしまっている、何からくる苛立ちなのかは分からないが父親は毎日のように酒を飲み不満や苛立ちを家で撒き散らす、それは時に優真や一希、母親に向けられることもある。
「兄ちゃん……」
「大丈夫だよ一希、兄ちゃんが守ってやるからな」
「うん……」
小さな手が優真の手を力強く掴む、その手は少し震えている。
下ではまだ大きな音や怒鳴り声がする、母の悲鳴が度々聞こえてくることに優真の心を深く傷付ける。
「(僕が守らないと…長男なんだから……)」
「兄ちゃん怖いよぉ」
「大丈夫、大丈夫だから」
「うぅ……」
小さな体を優しく包み込んでやる、早く夜が空ければまた落ち着いて学校に行けるのにと優真は思う。
一希を寝かし付けた優真は部屋を出る下の騒音は止んでいて父親の気配はしない。
静かにリビングの扉を開けると窓を開け放ちカーテンが揺れる中母親が疲れた顔で床を雑巾で拭いていた。その様子に優真に怒りが込み上げそれと同時に悔しさが込み上げる。
「母さん…変わるよ、母さんは座ってて、ご飯食べてないんでしょ?」
「ありがとう優真、優しい子ね……」
「そんなことないよ……」
母は優真の頭を撫でる、その顔は愛おしいものを見るようで綻んでいる。
優真は雑巾を受け取り床を拭き始める、母はソファーに座りため息をつきながら優真を見つめる。
「優真……優真の名前はね、優しく真っ直ぐな子に育って欲しいからそう付けたの。だからね優真、貴方には人に優しく真っ直ぐ生きてほしい自分を見失わないで。お母さんと約束よ優真……大好きよ。一希をよろしくね」
「……!何言ってんの急に……僕はずっとここにいるよ、それに一希も母さんの事も僕が守るから!絶対に!!」
「ありがとう優真……もう……泣かないで、お兄ちゃんでしょ?」
突然おかしな事を言う母に驚きを隠せずに、精一杯の声で言い返す優真の声は震えている。
母は自分や一希の事を思って涙を流してくれる息子が愛おしくてたまらなかった、もう任せても大丈夫なのだと悟る。
部屋の片付けが終わり、優真はリビングのソファーで眠ってしまっていた。
母はそんな優真に布団を掛けて額にキスをする。
「大好きよ優真……私の可愛い子、一希をよろしくね」
まるで別れの言葉を眠っている優真に告げる。
その手は母親としての優しさと子を守る強さが込められている、温かく子を包み込む腕と子を悪いものから守る為の腕、強さと優しさが作り出す想いが溢れて涙が止まらない。
嗚咽を殺し涙を流すその涙を拭ってくれる1番愛した人はもう居ない。