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ーーもう一度やり直せたら。
そう思ったのは、事実だ。
「……様、聖女様?」
名前を呼ぶ声に、ハッと意識が覚醒した。
目を開けば、アシェラを心配そうに見つめる蒼い瞳と目があった。
「私……?」
「随分と熱心に祈っておられましたね。どうかされたのですか?」
気遣わしげにこちらを見ているのは、神官のパルマだ。
そこでようやくここが聖堂であることを思い出す。
どうやら神へ祈りを捧げている最中に、あの「白昼夢」を見てしまっていたらしい。
「ごめんなさい。つい長くなってしまったみたい」
「そうでしたか。あなたは相変わらず信心深いですね。町の者達も、碧の瞳に金色の髪だなんて、まるで物語に出てくる天使のようだと噂していましたよ」
パルマの言葉に、アシェラは曖昧に微笑む。
何故なら、自分がこの世界の悪役だということを思い出してしまったのだから。
アシェラ·グランディルは乙女ゲーム「holy lover」に登場するキャラクターの一人である。
このゲームは、それまで平凡な町娘だったヒロインに秘められた力があることが分かるところから始まる。
その力はこの国の救世主たる「聖女」の力で、ヒロインは突如人々から崇められること存在となり、攻略対象のキャラクター達と様々な苦難を乗り越えながら愛を育んでいく。
そしてどうやら、前世の自分がプレイしていたこの乙女ゲームの世界に、アシェラは転生してしまったらしい。
ただ、アシェラはキャラクターといっても、ヒロインの邪魔をする悪役だった。
ヒロインが現れるまで聖女だったアシェラは、偽物の聖女と蔑まれ、その座を奪還せんとし、しかしほとんどのルートで投獄されるか命を落としてしまう。
まだ私が聖女と呼ばれているのは、ゲーム本編が始まっていないからだ。
だが、その時は必ずやって来る。
それならば。
「……パルマ。イル王子は、まだ私の婚約者かしら」
「……本当にどうされたのです?そのようなことをお尋ねになるなど。聖なる存在は王家に嫁ぐことが伝統ではありませんか」
「ええ、そうね」
だからこそアシェラは慕っていた王子に捨てられ、罵られた。
その事に対して思うところはあるが、もうあの頃のような熱情はない。
いずれ聖女でなくなることが分かっていれば、死ぬ未来は回避できるだろう。
あとは、アシェラが「どうしたいのか」。
それだけだ。
「でも私、婚約を破棄することに決めたから」
捨てられるんじゃない。
捨てるのだ。
復讐ではなく、前に進むため。
呆然としているパルマを横目に、アシェラは祈る手を解き、颯爽と聖堂を出ていく。
(あぁ。こんなに空は高く、大きく広がっていたかしら)
聖女らしくあらなければ。
家の誇りを守らなければ。
あの人にふさわしくあらなければ。
そんな思いに縛られていた少女は、もうどこにもいない。
いるのはただ一人。
運命から解き放たれんとするアシェラという、ただの悪役。
全ては、ここから。
アシェラの旅立ちを祝福するようにして、白い鳩が一羽、大空へと飛び立っていくのだった。