また3人で。 1
5月7日 木曜日 午前5時00分
早朝、深深と降り続く雨が、深い睡眠に落ちていたマオを覚醒させる。
「 雨か 」
ベランダへと続く窓のカーテンを開いたマオは、曇天という言葉がよく似合う空を、懐かしむように見上げていた。
そう、今日はマオ達が2年生になり、はじめて雨が降る日となった。
「いってきます」
朝のランニングを断念したマオは、黒色のジャージに着替え腹筋、腕立て伏せ、背筋などの体幹トレーニングで自分を追い込むとシャワーを浴び、食事と身支度を済ませ、黒い傘を片手に自室を後にする。
「おはよう、みんな」
速い歩みで目的地に着いたマオは、既に学生寮の出入り口付近で、自分の到着を待っていた晋二とユウキと遥に声を掛けた。
「マオくん、おはよ!! 」
遥は、可愛らしいオレンジ色の傘を頭上でクルクルと回しながら返事をした。
「おはよう、マオ」
大きく開かれたロイヤルブルーの傘を右肩に乗せていた晋二は、空いている左手をマオに向かい小さく挙げながら挨拶を返す。
「…… おはよう」
まるでお天気キャスターのような、無色透明の傘を持ったユウキが、いつも通りの無表情で答える。
「遥、朝は久しぶり」
マオは、約2ヶ月ぶりに朝の待ち合わせ場所に姿を見せた遥を歓迎するように微笑んだ。
「4月号の校内新聞が無事に掲示出来たからね!! これで、やっと一緒に登校出来るよ! 」
遥は、夏休み期間中に宿題の呪縛から解放された中学生のように、晴れやかな笑顔で答える。
「今日は雨になったね。俺、嫌いなんだよな。靴が濡れるから」
晋二は、自分の足下の濡れた石畳と、雨が止めどなく降り注ぐ空を忌々しそうに見比べていた。
「たしかに、そうだよね! 靴下濡れるの気持ち悪いし、荷物も増えるしで」
遥は、オレンジ色の傘から、ひょっこりと顔を覗かせながら晋二の意見に賛同した。
「…… でも、雨が降らないと困る…… もう1ヶ月以上も降っていない」
冷静に、ここ最近の天気を思い返していたユウキは、雨の必要性を語りながらも、この空模様が嫌いなのか表情は今日の空のように曇っていた。
「じゃあ、行きますか」
遥と一緒に登校が出来る、その事で場は盛り上がりを見せるが、長い立ち話が続き遅刻をする事を懸念したマオは、さりげなく出発を促し、それを合図に4人は学校へ向かい歩みはじめる。
階段を上り教室へ到着したマオは、自分の机の上に背負っていたカーキ色のリュックを置いた。
「おいっす」
そのマオの背中目掛けて、軽い口調の挨拶が投げかけられた。
「おはよう、猛」
マオは後方へ振り返ると、自分に右手を顔の高さまで挙げながら、歩み寄ってくる猛へ挨拶を返した。
「時差ボケ、どうだ? 」
猛は、目の下にクマをつくり、どこからとなく眠さが伝わってくる様子で話しを続ける。
「帰国した昨日は結構酷かったけど、眠さに耐えて10時に寝たから、今は大丈夫かな」
昨日、睡魔との激闘を制したマオは、その過酷さを思い返すかのように話す。
「マジか! 俺、帰国して朝そのまま寝ちまったから夜に目が冴えちまって、そのせいで。ふぁ〜ぁ」
一方、睡魔に完敗した猛はマオを賞賛したが、今もなお攻撃をうけ続けている様子で、大きなあくびをする。
「よっマオ」
2人が楽しく会話をしていると、1人の男子生徒がマオに挨拶をした。
「正輝! おはよう」
ここ最近、全くコミュニケーションを取っていなかった正輝が自ら声をかけてくれた事を、嬉しく思ったマオは自然な笑顔で返事をする。
「ハワイは楽しめたか? 」
顔が少し痩けて、顔色が死人のように蒼白い正輝は、乾いた砂漠のような笑みで話した。
「あっああ、楽しかったよ。今度は一緒に行こうな…… 」
マオは、正輝の表情と声と立ち振る舞い全てに招待の分からない違和感を覚えながらも会話を続ける。
「ああ、次は行くよ。ヤクソクダ」
目の中の光が消えた正輝は、そう告げると自分の席へと帰ってしまった。
「あいつ最近、本当にどうしたんだ? 」
マオの右隣で2人の会話を聞いていた猛は、椅子に座る正輝を見る目を細めた。
「わからない」
マオは、若干気を落とした様子で答える。
その瞬間、予鈴が校舎内に鳴り響き教室内の生徒達は自分の席に着いて行く。
「みなさん、おはようございます」
予鈴と同時に白衣姿の砂田が、いつも通りの棒読みと無表情で2年Aクラスの教室に入って来た。
「あれ岸田は? 」
「砂田先生? 」
突然の岸田の登場にクラスメイト達は、疑問に満ちた表情をしている。
何故なら、いつもであれば眠そうでやる気の感じられない岸田が、だらだらと教室へ入ってくるはずだからだ。
「岸田先生は終日、夢図書館本部に行っています。ですので、私がその代わりです」
棒読みの砂田が、業務的かつ機械的に岸田の不在を告げた。
その後も時が進み、鐘の音が午前の授業の終わりと昼休みの訪れを伝える。
「…… 」
(今…… 行くよ 遥………… )
次の瞬間、表情の無い正輝は自分の席を立ち、ゆらりと歩き出す。
「シンさんが言っていたのは、ここだな」
正輝は、俯きながら校舎を移動し、南館5階の第3研究準備室の前に到着した。
「これでやっと…… また… 3人だけの時間が…… 待っていてくれ遥、マオ… 俺が今、助け出す…… アトシバラクノシンボウダ」
正輝は、秦から受け取っていた銀色の鍵をズボンのポケットから取り出し、スライドドアを開けた。
『さあ、行きなさい。そして、自由に暴れ人間たちを殺しなさい』
「!? 」
(えっシンさん? )
扉を開けた瞬間、聞き覚えのある男の声が正輝の脳内に聞こえた。
次の瞬間、凶悪な遠吠えと共に300体の狼が一斉に第3研究準備室から飛び出した。
「わあぁぁッ!! 」
驚いて尻餅をついた自分を避けるようにして走り出す狼の群れが、校舎内に解き放たれる。
「待って正輝!! キャァーーーァッ!! 」
物陰から飛び出した遥に、10体の狼が飛びかかる。
「…… えっ? 」
(今の声って、まさか…… 何でここにいんだよ)
ここにいるはずのない遥の悲鳴が聞こえた事で、正輝は現実を確認する為に後方を振り向く。
「遥ッ!! はるかァァァァァ!! 」
狼に襲われる遥を呆然と見ていた正輝は、やっと現状を理解し悲痛に叫んだ。