転入生 1
第1章 進級と転入生
若干の寒さが残る4月3日。
朝日が薄っすらと差し込み、まだ暗く濃い霧で視界のはっきりとしない中、上下黒のジャージを着た10代半ばほどの黒髪短髪で痩せ型の少年が、一定の歩幅を保ったままリズミカルにランニングをしていた。
「はぁ、はぁ、はぁ」
散った桜の花びらが点々と横たわるアスファルトを叩く小気味好い足音と共に、軽快に走る少年の呼吸は落ち着いており、綺麗なランニングフォームは、普段から走り込んでいる事がよく分かる。
太陽が完全に顔を出し、辺りの視界が良くなりだしたのとほぼ同時に、少年の足は静かに止まった。
「……… 」
1時間以上も走り続けたにもかかわらず、少年の呼吸は全くと言っていいほど乱れていなかった。
「ふぅーーー 」
少年の斜め左前には、学生寮と黒い字で書かれた白いプレートが付いた3階建の巨大な木造の建物があり、少年はその学生寮の出入り口へと続く5段の階段の右端に置かれたペットボトルを左手で拾い上げると、右手でキャップを開け喉を鳴らして水を一口飲んだ。
「よし」
右手首に巻かれたストップウォッチ機能付きの腕時計でタイムを確認した少年は、納得のいくタイムだったのか若干口角を上げると、学生寮へと入っていった。
夢粉の誕生と共に世界は大きく変わった。
夢粉は正確なイメージと、その物質を構成する素材や構造を理解する事で誰にでも扱えることから、夢粉に関連した事件が世界中で横行し、その対策として夢粉を取り巻く設備の強化、世界共通の法律が定められた。
同時に夢粉犯罪を取り締まる機関が設立され、夢図書館と名付けられた。
日課である朝のランニングから学生寮に帰ってきた瑠垣マオは、目線よりも若干下の位置に232と小さく金色で書かれた紺色の横開き扉のドアノブに向かって、黒いジャージの上着左ポケットから取り出した、クレジットカードほどの大きさの薄い板をかざした。
すると、施錠されていた扉が機械音と共に開く。
「6時半か」
脱いだ運動靴を玄関に綺麗に揃え部屋に入ったマオは、腕時計で現在時刻を確認した。
部屋の中は、10畳のリビングに8畳のベッドルーム、浴室とトイレは別々になっており、学生が1人で暮らすには十分すぎるほどの広さがあった。
マオは、脱衣所に移動すると着ていたジャージ類を脱ぎ、ドラム式の洗濯機の中に洗剤と洗濯物を入れスイッチを押し、すぐに隣の浴室に向かった。
シャワーを浴び終えたマオは、バスタオルで頭を拭きながら黒い下着姿で脱衣所から出てくると、リビングでハンガーにかかっていた5つの銀色に輝くボタンがあしらわれた上下共に黒い学生服に着替えた。
「朝飯は何にしようか」
マオは、飛び抜けて高いわけでもない自身の身長と同じぐらいの大きさの、白い冷蔵庫を開き、成分無調整の豆乳を取り出しガラスのコップに注ぎ入れ、一気に飲み干した。
「鮭、納豆、豆腐、キャベツとモヤシか…… 今度の土日で買い出しに行かないとな」
マオは、乏しくなった冷蔵庫の中身を見て顎に左手を当てる。
「…… よし」
数秒間、冷蔵庫の中身を凝視しながら思考を巡らせたマオは、朝食の献立が思い浮かんだ様子で頷いた。
マオは、慣れた様子で手際よく焼き鮭と野菜炒め、豆腐とキャベツの味噌汁を作ると、炊飯器からご飯を茶碗によそおい、テーブルへ移動した。
「いただきます」
マオは、銀色のリモコンを箸を持った左手で器用に操作し、目の前のプラズマテレビを起動させると、丁度ニュース番組が始まった。
『朝のニュースの時間です。速報ですが、昨夜未明、法定速度の90キロ以上もオーバーする200キロ以上で自動車を走行させ、警察官2人を鋭利な刃物で斬りつけたとして、神奈川県厚木市在住の男性 自称 プロゲーマーの槙尾 雄哉容疑者45歳が逮捕されました。東名高速道路の上り線で槙尾容疑者が猛スピードで運転する車をパトカーが停車させ、警察官が槙尾容疑者の車に近づいた瞬間。突然、車から出てきた槙尾容疑者が警察官2人をサバイバルナイフの様な鋭利な刃物で斬りつけ車で逃走。しかし、その後、駆け付けた夢図書館の司書により身柄を確保されました。槙尾容疑者は、危険運転致死傷罪、公務執行妨害、殺人未遂に加えて危険物創造資格を取得せずに刃物を創造し、その刃物で他人にケガを負わせたとして、危険物創造法違反の疑いで逮捕されました。槙尾容疑者は取り調べに対し「黙秘権を行使します」と黙秘を続けているとの事です』
テレビは黒いのスーツを着た中年男性のアナウンサーと、容疑者の顔写真、事件現場である高速道路を交互に映し出していた。
「…… 」
マオは、テレビニュースを見ながら朝食を食べ始める。
「ごちそうさまでした」
マオは、そう言って両手を合わせると、食洗機に食器を入れスイッチを押した。
間も無くして、洗濯機が洗濯終了をアラームで知らせる。
「ついでに布団でも干すか」
マオは、洗濯機から洗濯物を取り出し、屋根付きのベランダに干し終わると、リビングの隣にある寝室へ向かった。
「よっと」
マオは、敷き布団と掛け布団を手際よくたたみ両手で持ち上げる。
寝室には備え付けのベットがあるが、マオは実家から持参した布団を使っていた。
「よく晴れそうだ」
マオは、洗濯物が干してあるベランダに布団を干すと、雲が1つもない快晴の空を見上げ嬉しそうに頷いた。
「おっと、そろそろ時間か」
7時20分を示す右手首の腕時計を見たマオは、脱衣所にある洗面台へ向かった。
「…… 」
歯を磨きを終えたマオは、鏡に映った自分を見る。
学生服の左詰襟には、ローマ数字でⅡと型取った金色のバッジが付けられていた。
マオは、まじまじと鏡に映るバッジを見つめた。
「よし! 」
今日から2年生となった事を改めて実感したマオは、嬉しさで緩む表情を引き締める。
「いってきます」
7時25分、カーキ色のリュックを背負ったマオは自室を後にした。
「さすがに正輝は、まだ来てないか」
満開の桜の花びらが風に運ばれる中、誰もいない学生寮の出入り口付近にやって来たマオは、周囲を見回し友人である工藤 正輝がいない事を確認した。
「うい〜す! マオ」
3分ほど経った頃だろうか、あくびを噛み殺しながら放たれた間抜けな声が聞こえ、マオは後方に体を振り向かせた。
「ふぁ〜ぁ」
マオの目の前には、自身よりも僅かに低い身長とオレンジ色のギザギザ頭で、同じ学生服を着た少年が、目が半開きの眠そうな顔で立っていた。
「おはよう正輝、すごく眠そうだね」
その間抜けな声を聞いたマオは微笑した。
「ああ、すげぇねみぃ〜」
正輝は、頭を右手で掻きながら気の無い返事をする。
「じゃあ、行こうか」
「お〜ぉ」
足取りがしっかりしたマオと、眠そうに靴の踵を引きづる正輝の2人は、学校に向かって歩き出した。
「昨日お前らが帰って、そっから遅くまで新刊読んでてなぁ。てかさ、今日から2年になったのに、あんまし変わんないな、俺ら」
マオの左隣を歩く正輝は、しばらく歩いて完全に目が覚めた様子で、右手で持っていた薄く平べったい黒い手提げカバンをブラブラと揺らしていた。
「昨日は正輝の部屋で、遥と一緒に春休みの宿題を片付けて、俺が部屋に戻ったのが夜中の11時ぐらいだから。そこから漫画読んでたの!? さすがに昨日の今日じゃ人間って変わらないよ。だけど、無事に2年生に進級できて、よかった」
マオは、正輝の話に驚きつつも無事に進級できた事に、安心した様子で胸をなで下ろす。
「お前は特になぁ」
正輝は、ジト目になり間延びした返事をする。
「本当にそうだよね。それで、今日って授業あったっけ? 」
これ以上、進級の事を聞かれたくないマオは、誤魔化そうと話題を変えた。
「お前、確認しとけよぉ。今日は午前中が始業式で、それが終わったら午後は基礎能力測定やるから、授業はねぇぞ」
ジト目のままの正輝は、呆れた様子で答える。
「ごめんごめん。でも、いきなり基礎測定かぁ。初日から憂鬱だな」
正輝の話にマオのテンションと声のトーンが同時に下がる。
「憂鬱だと思ってんのは多分お前だけだぞ。てかさ、去年の成績でよく進級できたよな」
正輝は、不思議そうにマオの顔を覗き込む。
「まっ色々あってね。正輝もAクラスだろ、今年もよろしく! 」
マオは、今度は笑って誤魔化した。
「なんだそりゃ、また1年間よろしくな」
マオの様子を見て進級の事をこれ以上、深く追求しない方が良いと思った正輝も笑顔で答えた。
マオと正輝の所属している学校は、夢図書館高等専門学校。
夢図書館が優秀な人材を育成する事を目的とした全寮制高等専門学校、一般高校3年間分の授業と夢粉に関するより専門的な座学、夢粉を使用した戦闘訓練を行う施設。
1年生は一般高校の3年間分に相当する授業および、夢粉に関する基礎を学び、2年生からは各専門分野に分かれての授業となる。
2年生3学期までに、夢粉で創造をする為に必要な電子デバイスである、創造免許の取得試験に合格した生徒のみが3年生へ進級し、夢図書館の採用試験を1年間かけて行う。
採用試験に合格した生徒のみが4年生へ進級し、夢図書館の各部署へ配属され、残りの4年生から5年生の2年間を研修生として過ごす。
なお、1年生を終了した時点で普通高校の卒業資格を取得したものと見なされる。
2年生から分かれる専門クラスは、実戦や事件捜査を行う司書志望のAクラス、司書の補佐や任務における隠密行動および、潜入調査を行うサポーター志望のBクラス、夢粉についての研究を行う研究者志望のCクラス、2年生への進級の条件を満たした生徒全員に希望を取り、適正検査を行いその結果でクラスが決まる。
入学試験は毎年4000人以上の受験者の中から一般入試195人、推薦入学候補者の実技試験から5人の200人定員と決まっている超難関校、留年制度は存在せず、例え学期の途中であっても学校から進級不可と判断されたら、その時点で退学となる。
新入生は1クラス50人の4クラスでスタートし、2年生へと進級できる生徒が毎年100人ほど、3年生時には50人前後、採用試験を合格し4年生へと進級できる生徒は30人ほどと言われている。
教鞭を取るのは、現役で実績のある司書・サポーター・研究者。
2名以上の教師から実力を認められた優秀な生徒については、上の学年、もしくは学生を通り越し夢図書館の構成員にもなる事が可能な飛び級システムが採用されている。
瑠垣 マオは夢図書館の司書を目指している。