幸田露伴「雪たゝき」現代語勝手訳 中
この中編では、前半部分、露伴が色々と調べたかと思われるくらい、堺に関して結構な記述がある。
私の訳の拙さもあって、読みにくいかも知れない。飛ばして読んでも、物語の進行にはさして影響はないと思われるので、自虐的な言い方になるが、興味のない方は飛ばして読み始めてもいいのではと思ったりしている。
中
南北朝の頃から堺は開けていた。正平十九年…1364年…に、この地の道祐という者の手によって論語が刊出され、その他文選…中国の詩文集…等の書物が出されたことは、すでに民戸が繁栄して豊かな地となっていたことを物語っている。
山名氏清が泉州守護職となり、泉府と称してここを本拠地にした後、応永の頃には大内義弘が幕府からこの地を賜った。大内は西国の大大名であった上、ここ堺は四国、中国、九州諸方から京の都への要衝の地であったため、政治上、交通上、経済上、大きな発達を遂げていよいよ繁盛した。大内は西方の国の知識を持ち合わせていたからか、それとも堺の住民が外国と交商してその知識を得たからなのか、我邦の城は総じて、ただ単独で町の内、多くは町の外にあるのが普通で、町は何の防備も有しないのが当たり前であったが、堺は町を繞らして濠を有し、町の出入り口は厳重な木戸木戸を有し、堺全体が支那…中国…の城池のような様相を呈していた。乱世におけるこのような形式は、自然と人民に、自ら治めるのが有利で、しかも何よりも優先すべき重要なことであると悟らせたのであった。
当時の外国貿易に従事する者は、言うまでもなく市中の富有者でもあり、知識も手腕もあって、従って勢力も有り、又多少の武力――と言ってはおかしいが、子分・子方、下人・僮僕…召使いの少年…など、自分の手許に置いておく兵を持つような者もいて、勢力を実現し得ているのであった。それで、それらの勢力が愛郷土的な市民に君臨するようになったか、市民がそれらの勢力を中心として結束し、自分達の生活を幸福にし、それをしっかりと安定させるのを悦んだためであるのか、何時とはなく自治制度のようなものが成立するに至って、市内の豪家、大商人の幾人かの一団に市政を委ねるようになった。
各木戸の権威を保ち、町の騒動や危険事故を防いで、穏やかな社会を作る必要上、警察官的な権能をもそれに持たせた。民事訴訟のもめ事、及び余り重大ではなく、且つ、武士と武士との間に起こったのでもない刑事の裁断の権能をもそれに持たせた。又、公的な租税、夫役等の賦課その他に対する折衝等をもそれに委ねたのであった。実際、このような公私の中間者の発生は、これから栄えて行こうとする大きな活気ある町には必要から生じたものであって、しかも猫の眼のように変わる領主の奉行、――人民をただ納税義務者としか見做していない戦乱の世の奉行などよりは、この公私中間者の方が、どれ程かその土地を愛し、その土地の利を図り、その人民に幸福をもたらすものであったか知れないのであった。
それで足利幕府でも領主でも奉行でも、何時となくこれを認めるようになったのである。これらの人々を当時は、納屋衆、納屋貸衆と言い、それが十人を定員とした時は納屋十人衆などと言ったのであった。納屋とは倉庫のことである。交通の便はまだ十分ではなく、商業機関の発達もなお幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆ど唯一のこの大商業地に必要であったであろう事は言うまでもない。納屋貸衆は多くの信頼できる納屋を有していて、これを貸し、あるいは、その在庫品に対して何らかの商業上の便宜を与えもしたのあろうから、もちろん世の中のためにもなり、自分のためにも都合がよいと考えたのであろう。
早くから外国貿易に従事した堺の小島太郎左衛門、湯川宣阿、小島三郎左衛門等は納屋衆の祖先となったのかも知れない。しかも、納屋衆はほとんど皆、朝鮮、明、南海諸地との貿易を営み、大資本を経営して、もちろん冒険的なことも恐れずに、所有している船を遠くにまで出し、あるいは気軽に渡航視察のようなことを敢えてするなど、なかなか一通りではない者でなくては出来ないことをする人物であるから、たとえ金持ちでもない、丸裸の者であっても、その勇気が逞しく、その経営に筋が通り、番頭、手代、船頭その他のしたたか者、荒くれ者を自由に使いこなしていくだけでも相当の人物でなければならないのであっただろうから、町の人からも尊敬もされ、信頼もされ、そして納屋衆と人民とはお互いに持ち合って、堺の町は月に日に栄えを増していったものであろう。
後に至って、天正の頃、呂宋とを往来して呂宋助左衛門と言われ、巨富を得て、美邸を造り、その死後に、それを大安寺とした者などもまたこれ、納屋衆であった。
永禄年中、三好家が堺を領した時は、三十六人衆と称して、能登屋、臙脂屋がその筆頭であった。信長に至っては、自分の権力を集中させるために、納屋衆の強さを恐れ憎んで、これを殺して晒し首にし、人民を恐怖させざるを得なかった程であった。いや、そんな後のことを説明して納屋衆が堺においてどのような者であったかは言うまでもない。
この物語の一昨年前の延徳三年の事であった。大内義弘滅亡の後は、堺は細川の家領になったが、その賢さでもって変化の機微をうまく察し、冷酷で厳しく、妖術使い、魔法使いと恐れられた細川政元が、信頼しきっていた家臣の安富元家をここの南の荘の奉行にしたが、政元の威権と元家の名誉とを以てしても、どうにもいざこざが起こって治まらなかったのである。安富は細川の家では大したもので、応仁の恐ろしい大乱の時、敵の山名方の幾頭かの勇将軍が必死になって目指して打ち取って、辛くも悦んだそれは安富之綱の首であった。又、討ち死にはしたが、相国寺の戦で敵の総帥の山名宗全を脅かして、老体の大入道に大汗をかかせ、悪戦させたのは安富喜四郎であった。それ程名の通った安富の家の元家が、管領細川政元を笠にきて出て来ても治まらなかったというのは、何故か。納屋衆が突っぱったからでなくて何であろう。
それ程の誇りを持った大商業地、富の地、活気の溢れた地、海の向こうの朝鮮、大明、琉球から南海の果てまで手を伸ばしている太っ腹の強か者がとぐろを巻いて、一種特別の風を吹き出し、海風を吹き入れている地、泣く児と地頭には勝てぬのは違いないが、内々はその諺通りに地頭を――戦乱の世の地頭、銭ばかりを取りたがる地頭を飴ばかりせびり泣く児のように思っている人民の地、文化は勝り、学問諸芸遊伎等までも秀でている地の、その堺の大小路を南へ、南の荘の立派な屋並の中の、その中でも立派な堂々たる家、納屋業の中でも頭株の臙脂屋の奥の、内庭を前にした美しい小室に火桶を右にして暖かげに、又、ゆったりと座り込んでいるのは、五十余りの清らかな赭ら顔の、福々しい肥り肉の男、にこやかに
「フム」
とばかりに、軽く聞いている。何を些細な事を、という調子である。これに対して下座に身を伏せて、いかにも畏まり切っている女は、召使筋の身分ということからだけではなく、恐れと悲しみとで、わなわなと震えている。それは、今下げた頭の元結の端の真中に小波が打っていることでも明らかであり、そして願い出ている内容が差し迫っていることが見て取れた。
「…………」
「…………」
双方とも暫くの間言葉はなかった。落ち着いた様子ではあるが、福々爺の方は僧侶と同じような大きな艶々として前兀頭の中で何か考えているのだろう、にこやかには繕っているが、その眼はジッと女の下げている頭を射透かすように見守っている。女は自分が申し出たことに何の手応えのある言葉もないのに堪えかねたか、やがて少し頭をもたげた。憐れみを乞う切ない眼の潤み、若い女が心の張った時に見せる紅潮した頬、誰が見てもいじらしいものであった。
「どうぞ、そういう訳でございますれば、……のお帰りになります前までに、こちら様のお力でその品をお取り返しくださいますよう」
と、復一度、心から頭を下げた。そして、
「お帰りが近々に迫っておりますことは、そちら様もご存じの通り。お帰りになりますれば、日頃ご重愛の品、手馴染んだ品で、しばらくおもて遊びのなかった後故、直ぐにもお心はそちらに向くのは必定、その時、そのご秘蔵が無いとあっては、お方様のお申し訳が無いのはもとより、ひいてはどのようなことが起こるとも知れませぬ。お方様のきついご心配も並一通りではござりませぬ。それ故に、お方様のたってのお願い、生命にかかることと思し召して、どうぞこちらの手に戻るようにお計らいをと、……」
生命にもかかるの一語は低い声ではあったが、聞き逃す訳には行かなかった。
「ナニ? 生命にもかかる?」
最高級の言葉を使ったのを、福々爺は一寸咎めた迄ではあるが、女にとってはその言葉を発したので気が弾んだのであろう、やや勢い込んで、
「ハイ、そうおしゃられたのでござりまする。全くあの笛が無いということになりますと、わたくし共めまでもどのような……」
「いや、婿殿があれを二つと無いもののように大事にしておられるのは、予て知ってもおるが、……たかが一管の古物じゃまで。ハハハ、何でこのわし程のものの娘の生命にかかることがあろう。帰って申せ、わしが詫びてやる、心配には及ばぬとナ。女は夫を持つと気が小さくなると言うが、娘の時のあれは困るほど気が大きい者であったが、余程婿殿を大事にかけていると見えて、大層女らしくなりおったナ。好いわ、それも夫婦仲が細やかなからじゃ。ハハハハ」
「…………」
「分からぬか、まだ。よいか、わしが無理を言ってこちらに借りてきて、七ツ下りの雨…午後四時頃から降る雨…と五十からの芸事は、とても上がりはしないと譏られるのを構わず、しきりに吹き習っている中に、人の居ない他所へ持って出て、帰る時に落としてしまった。気がついて探したが、どうしても見つからぬ。相済まぬことをした、と指をついてわしが謝ったら婿殿は頬を膨らましてもどうにもなるまい。よいわ、京へ人を遣って、当たりを付けて、痩せ公卿の五、六軒も尋ね廻らせたら、あの笛に似た、あれよりもずんと好い、敦盛が持ったとか誰やらが持ったとかいう名品も何の訳もなく金で手に入る。それを代わりに与えて一寸謝る。それで一切は済んでしまう。たとえ婿殿、心底は不満があるにしてもそれでも腹が治まらぬとは、まぁ言うまい。代わりに遣る品が立派なものなら、劫って喜んで恐縮しようぞ。……帰ってよく言っておけ」
話すにもあからさまには話せない事情を抱いていて、笛のことだけを言ったところを、こうすらりと見事に捌かれて、今更ながら女は窮してしまった。口が利きたくても口が利けないのである。
「…………」
何と言ってよいか、分からないのである。しかし、どうあってもこのまま帰ったのでは何の役にも立たない。これではどうあっても帰れないのである。苧ごけの中に苧は一杯あるのだが、そこから抽出して、よい糸口が得られない苦しみである。いや、糸口はハッキリしていて、それを引き出すことは出来なくて、強いて他の糸口、それは無いに決まっている糸口を見出さなくてはならないので、何とも仕方のない苦しみに心が踠かれているのである。
「…………」
頭も上げ得ず、声も出し得ず、石のようになっている意外さに、福々爺も遂に自分が納得できていないものがあることを感じ出した。その感じは次第次第に深くなった。そして、これは自分の矢の的とすべき魔物がその中にあることはあるに違いないが、何処にいるか分からないので、自分が頼りにしている利器の向け所が分からない悩みに苦しめられ、そして又、今しがた放った矢が明らかに何もないところに取りっぱなしにされた無効さの屈辱に憤りを覚えた。福々爺も、やや福々爺ではなくなった。それでも流石に尖り声などは出さず、優しい気でいじらしいこの女を労るように、
「そうしたのではまずいのか」
と問うた。驚くべき処世の修行鍛錬を積んだ者でなくては出せない口調だった。
女はその調子に惹かれて、それではまずいのでと、あからさまには言いにくい自意識に強く押されていたが、思わず知らず、
「ハ、ハイ」
と答えると同時に、忍び音ではあるが激しく泣き出してしまった。苦悩が爆発したのである。
「何もかも皆わたくしの恐ろしい落ち度から起こりましたので」
自らを責めるより外はなかったが、自ら責めるだけで済むことではない、という思いが直ぐに胸の奥から逼り上って、
「お方様のきついお難儀になりました。もしその笛を取った男が、笛を証拠にしてお帰りなされたご主人様にお方様のことを悪しく申しますれば、証拠のあること故、抜き差しはならず、お方様は大変なことにおなりなされまする。それで、是非ともに、あれを、ご自由の利くこちら様のお手でお取り返しをお願いに、必死になって出ました訳。わたくしめに死ねと言われるなら、わたくしは此処ででも何処ででも死んでもよろしゅうございます。どうぞ、この願いが叶えられますように」
と、しどろもどろになって、代わりの品などが何の役にも立たないことを言う。潜在している事情の何かは分からないが、何か重大なことが感じられて、福々爺も今は難しい顔になった。
「ハテ」
と、ついその一言を漏らしたが、後はしばらく無言になった。眼は半眼になってしまった。しかし、まだ苦しんだ顔にはならない。碁の手でも熟考しているような沈んだだけの顔であった。
「取った男はどんな男だ。その顔つきは」
「額は広く鼻は高く、切れの長い末上がりのきつい目、朶の無いような耳、顎が細く顔全体は面長で、上髭薄く、下髭は疎らに、身の丈はすらりと高い方で」
「フム――。……して浪人か町人か」
「なりは町人でございましたけれど、小脇差。利発そうな感じは確かに浪人と……」
問われるままに女は答えた。それを咎めるというのではなく、
「娘もそなたもそれ程知っていたのに、何で大切な物を取らせた」
と、自然と出て来る疑いを自然な調子で尋ね問われて、女はギクリと行き詰まったが、
「それがわたくしのとんでもない過ちからでござりまして」
と、悪いことは身にかぶって、立て切ってしまう。そして又切なさに泣いてしまう。福々爺の顔は困惑に陥り、明らかに悶えだした。しかし、
「よいよい、そなたを責めるのではない。訳が分からぬから聞くまでじゃ。では顔は見知っても、名はもとより知らぬものじゃナ。前々から知った者でもないナ」
と、責めるではないと言いながら責め立てる。
「ハイ。ハイ。取られましたその夜初めて見ました者で」
と答える。
「フム――。そなた等で承知して奪らせるような訳はないことじゃ。忍び入ることなどは出来ぬようにしてもあるし、又物騒な世であるから、二人、三人の押し入り者が来たとしても、むざむざ奪られぬようにと、用心の男も飼ってある家じゃ。それじゃのに、そなた等、顔は知ったけれども、知らぬ者に、大事な物を奪られたというのか。フム――。そして、何もかもそなたの恐ろしい落ち度から起こったというのじゃナ。その身の罪に責められて、そなたは生命を取られてもと言いおるのじゃナ」
「ハイ、あの有り難いお方様のために、お役に立つことならば、今すぐにでも……」
真紅になった面を上げて、キラリと光った眼に一生懸命の力を現して老主人の顔を一寸見たが、忽ちにして崩折れ伏した。髪は襟元からなだれて、その末は乱れた。まったく、今首を取るぞと言われても後へは退かぬ様に見えた。
心の誠というものは神力のあるものである。この女の心の誠は老主人の心に響いたのであろう。主人の面には甘さも苦さも無くなって、ただ正しい確乎とした真面目さばかりとなった。それは利害などと離れて、ただ正しい解釈と判断を求めようとする真剣さの威光が籠もり満ちているものであった。
「して、その男が婿殿に何を申そうという心配があるのか。何事。何事を……」
的の真っ只中に矢先は触れた。女は何とすることも出来なかった。そのまま死にでもするように、息を詰めるより外はなかった。
「…………」
「…………」
恐るべき沈黙はしばし続いた。そしてその沈黙はホンノしばしであったにも関わらず、三阿僧祇劫…菩薩が修行して仏になるまでのはかりしれない時間…の長さのようだった。
「チュッ、チュッ、チュッ、チュッ」
庭樹に飛んできた雀が二三羽、枝遷りして追随しながら、睦ましげに何か物語るように鳴いた。
「告口……証拠……大変なことになる……フム――」
と口の中で独り呟いていた主人は、突然として、
「アッ」
と言って、恐ろしいものにでも打ちのめされたように大動揺したが、直ちに、
「ム」
と、唇を結んで自ら堪えた。我を失ったのであった。しかし、じっと我慢したのであった。そして、今や満身の勇気を奮い起こしたのであった。勇気は勝った。顔に赤味が差した。
「アア」
と言う一嘆息に、過ぎたことはすべて葬り去ってしまって、
「よいわ。子は親を悩ませ苦しめるようなことをしても、親は子をどこまでも可愛く思う。あれは可愛い、助けてやらねば……」
と、自分で自分を見極めるように言った。確かにそれは目の前の女に対って言ったのではなかった。しかし、その調子はいかにもしんみりしたもので、悧巧なこの女が帰ってその主人に伝え忘れることはないようなものであった。
一切の事情は洞察されたのであった。
女の才覚と態度と真情とは、事の第一原因である自分の女主人の非行に触れることなく、又この家の老主人の威厳を冒すこともなく、巧みに一枝の笛を取り返すことの必要性をこの家の主人に会得させ、その力を借りることを頼み、まさにその目的を達することができたのである。この家の主人のこれまでの老成した世渡り術と、内省の緻密さと、洞察力の鋭敏さは、すべてを一瞬にして看破し、その力を用いて、今まさに娘に不幸が崩れかかろうとしているのを阻止しようと動き始めたのである。しかもその中でも老主人は人の心を掴むことを忘れはしなかった。
「分かった。言う通りにしてやる。それにしてもそちは見上げた器量じゃ。過ちは時の魔というものだ。許してやる。口もよく利ける、気立ても好い、感心に忠義心も厚い。行く末は必ず好い男を見立てて出世させてやる」
と、付け足して、やさしい眼で女を見やった時は、前の福々爺になっていた。女はただ頭を下げて無言で感謝するばかりであった。
「ただナ、惜しいことにはその時そちが今一ト働きしてくれていたら十二分だったものを。そのように深くを望む方が無理じゃが。あれもそこまでは気が廻らなかったのだろうか」
「ト仰りますのは?」
「イヤサ、少し調べれば直に分かることだから好いようなものの、こちらが何の何某というものの家だと、その男めには悟られてしまっていながら、その男めをこちらでは、何処の何という者だと、おおよその見当くらいは付かないままに済ませたのは、分が悪かったからナ」
と、余談混じりに言うと、女は急に頭を上げて勇気に満ちた面持ちで、小声ではあるが、
「イエ、そのことでございまするなら、一旦その男を出して帰らせました後、直ちに身繕いいたしまして、低下駄に提灯無しで、幸い雪の夜道にポッツリと遠く黒く見えます男のあとを、悟られないようにつけて参りました」
と、言いかけると、老主人は思わず知らず声を出して、
「ナニ、直ちにその後をつけたと言うのか」
「ハイ、悟られないよう……、見失わないよう……、もし悟られて逆に捉えられたりしましたならば何といたしましょうか、と随分心細い気持ちもしながら、冷たさに足も痛く、寒さに身も凍り縮みましたけれど、一生懸命、とうとう首尾よくつけ通せました」
主人は感心極まったので、身を乗り出して、
「オオ、ヤ、えらい奴じゃ。よくやりおった。思いついて出たのもえらいが、つけ果せたとは、ハテ恐ろしい。女にしては恐ろしいほどの逞しさ。シテ……」
「イエ何、お方様のお指図でござりましたので、……私はただ不調法を償うだけのため、一生懸命にいたしたまでのことで。それに全く一面の雪の明るさがあったこそで、随分遠く遠く見失いそうになるくらい隔たっても、その男の高い影は見え、こちらは頭から白くはげた古いかつぎを被り、細紐で胴を結んだ格好という身なりでしたので、気づかれる様子もなく、巧くゆきましたのでございまする」
「フム。シテその男の落ち着いたところは?」
「塩孔の南かと思われまする。一丁余りほど離れて、人家が少し途絶え、ばらばら松が七、八本、そのはずれに、大百姓の古家か、何にせよ屋の棟が割合高い家、そこにその姿は隠れて見えなくなりましたのでございまする。ばらばらとした松七、八本が動かぬ目印でございまする」
「ム、よし。すぐに調べはつく。アア、きびしい世の中のため、人は皆、小悧巧なっているとは言え、女子どもまでがそれ程のことをするか。よし、厭なことではあるが、おれも何とかしてやらなくては」
と、強い決意の色を示したが、途端に身の回りを見廻して、手近にあった紙おさえにしてあった小さなものを取って、
「遣る」
と、女に与えた。当座の褒美と思われた。それは唐の狻猊…玉を持った獅子の彫り物…か何かの、黄金色だの翆色だのの美しく華やかに造られたものだった。畳に置かれた白々とした紙の上に、小さな宝玩はその貴い輝きを放った。女はその前に平伏していた。
「チュッ、チュッ、チュ、チュ」
雀の声がほんの一時、閑寂の中に投げ入れられた。
つづく