遂《つい》に
健治は、成人を迎え終えて、二十一の時、一人暮しをすると言うようになり、アルバイトなどで稼いだお金を元に、一人暮し用のマンションに住む事を考えていた。
「一人暮しって大丈夫なの?」と心配そうに私が言った。
健治は「母さんは、『信じなさい』っていつも言って来たじゃないか」と笑って誤魔化した。
「それとこれとは、違います」と私は、怒って言った。
「信頼してくれよ。俺ももう立派な大人なんだからさ」と困った顔で言った。
「それよりも、母さんは、幼馴染の友達と外国に旅行するって約束をして準備をするんじゃなかったのか?」と健治は、又、誤魔化した。
「あっそうだったわ。明日から、私、ウェルストニアという国に旅行へ行く約束していたんだった」とスッカリ、約束をしたのを忘れていて、用意が全然できては、いなかった。
ようやく、旅行する準備が夜おそくにまでかかってしまったが、終わらせる事ができた。 「疲れたー」とそのまま床に倒れて、私は眠ってしまった。
気が付くと、もう朝になっていた。私は、台所へ行って、朝食を作って、家事を全て終らせて、約束の時間の夜間便の飛行機に乗れるように、タクシーに乗って、空港まで行くという計画を再確認して、いつになく、オシャレな服と化粧をして、何度も鏡を見て、それから、約束の時間の前になるまで、普段通りにしていた。
勿論、旅行中の時は、全て健治に家事をまかせて、私は羽根を伸ばす気分で旅行を楽しむ事を決めた。
空港についた時、まだ約束の時間よりも十五分程、早く着いた。
私は、空港の待機場所で待っていた。
何だか、久し振りに小学校からの幼馴染に会えると思うと胸がドキドキした。
待機場所で、一、二度、お手洗へ行き、緊張感が止まらなず、繰り返していた。
すると、そうしている内に時は過ぎて、小学校から初めて友達になった菊井里美という幼馴染の彼女と手を振って、合図し、再会した。
彼女は、保育士を今も勤めているそうで、子供達と元々触れ合うのが好きで、中学生の時から何度も言っていたため、覚えがあった。
私は、彼女の事を里美と呼んでいた。里美は、小学校から高校までは、一緒に仲良く遊んでいたり、話し合ったりして憂さ晴らしをし合っていた。
それ程、仲の良い間柄でした。高校以後の里美は知らずに、時々、どうしているんだろうと想う時もあったりしていた。だから、久し振りの出会いとなって抱き合って喜びを分かち合っていた。
その後に二人がやって来て、二人共、中学校からの友達で、高山裕木と芹田彰太といい、二人は、仲が良くて高山は、ひょろと変った徒名で付けられて理由は、高山の様に背が高いからといった意味で、それだけのことだった為、私にはよくわからなかった。芹田はタタオという徒名で、理由は、芹田彰太の後の田と太が付いて言いにくい為に、タタと男性である事のオを付けたという意味でつけられたのだったと思う…。ひょろは、現在、料理人として店を構えているという。
タタオは、英会話講師をやっていて、外国語の勉強をして、更にワールドワイドに広めたいという。
二人共、私と里美との再会に「よっ」とひょろ「お久し振りだね」とタタオの一言だけだった。
それで私と里美は、苦笑いをしながら見合わせた。「ひょろ…『よっ』…て」と私が、それだけ?と思ったから、つい…言ってしまった。
ひょろは「ひょろって徒名…もうやめてくれよ。高山か裕木にしろよな」と怒っていた。
ひょろは、中学校からの徒名が気に入らなかった様だった。
でも、皆は、相変わらずひょろと高山に言っていた。
それを言う度に、高山は「やめろって」と怒ってしまうのだった。
最後に約束の時間、ギリギリで出口薫という、言わば、お嬢様。
子というべきか、当時(中学校)の出口さんは、上品なやりとりや、毛嫌いが多く、お嬢様っ子を出しきっていた。
それを好む男子もいれば、出入口と小馬鹿にする男子もいて、評判といって良いのか悪いのか、十中八九と言っていい程の悪い性格と想われていた様で、私は、一か二に辺る程、彼女に信頼をしていたし、悪い人とも想ってもいなかった。
あっ話の中での悪い性格といっていたのは、周りの印象です。
徒名は、イヅッチか薫のどちらかで、私は、出口さんと呼んでいる。何だか呼び捨てに言うのは、鼻に付くと思ったからです。
今は、代々の出口家を受け継いで、お嬢様となっているという。
私達と、久し振りに再会しても「お久し振りですわね」とお嬢様振りを醸し出していた。
ようやく、私達は、再会を果たして、予約した夜間飛行便に乗る事となった。