エピローグ
あれから、何年後か経っていました。
私は、メリッカの願っていた夢程にはならなかったけれども、世界に渡って、外国語を習得して、幸せを与えて周っていました。メリッカのいないこの世界の分、私は、尽し、勿論、お母さんの[きまり]は、心に今でも刻んでいます。久し振りの幼馴染と共に旅行をしたあの日も深く心に残っています。
一方で、健治は、一人暮しをして、今は、東京へ上京をして、何をしているかもわからないけども…只、時々、誕生日の日や母の日は、健治の方から、毎年、電話で「おめでとう」や「身体を大切にな」って年とそれ程とっていないというのに、敬うように話す事があります。私は、自信を持つことができました。人を幸せにする事の喜びをメリッカにも伝えたかったです。メリッカのお母さんを時々、会って話したりしています。
「メリッカ…だから、安心して下さい。あなたのお母さんは、伝染病の症状はなくなり、生き抜こうとして完治して、今や、村長の受け継がれとして、あなたの母が、村を守り、儀式を改変して、私も協力をして、供養の行事が日本からウェルス村へ伝わり、亡くなる者が極楽へ導かれるようにと、ファイアウッドを使って、亡くなった日が来る度に、灯されている枝の周りをワイワイと賑やかにも、お祭り騒ぎになっています。もう犠牲となって、捧げる事は、なくなりました。私には、何だか、複雑な気持ちになります。でも、あなたが生きていたからこそ。その気持ちが伝わったのは、確かだと思います。証として、あなたのお母さんは、毎月、一回は、村人に話されています。愛おしい我が子…メリッカの事を」
それから…愛する人へをありがとう……そして、I love you I love Wels people…私は、愛しています。ウェルス村の人たちを愛しています。それは、永劫に…。
お母さん…あなたのようには、強くは、なれませんが…できない事なんて…本当に、なかったと思います。勿論、辛い事だってあります。人生なんですもの…唯、伝えたい事が一つあります。
お母さん…あなたの子供でいられた事、とっても…感謝しています。だから、言います…大好きです。お母さん…ありがとう。
おわり
人生って複雑で切なく、あっというまに過ぎ去ってしまうものです。ですが、そんなときこそ、相手を愛すること、相手を好きになって楽しく過ごすこと、泣いて笑って、怒って、また笑って。人生は、捨てたもんじゃないって思うんです。
by せいちゃん




