開眼編 #91 イエラキ開眼
誇り高き迷いの森の門番にしてイダニコの表向きの最高戦力である第一部隊長イエラキ・ワルドが雄一に対峙する。
「雄一殿。このイエラキが5004番目のお相手をさせていただきます。」
イエラキは腰を折り、雄一に向け頭を垂れる。
「うん。よろしくお願いします。イエラキさん。」
挨拶を済ませると、イエラキが雄一にへりくだる。
「雄一殿の稽古を見ていて、正直、己の無能さ、己の力の小ささを思い知らされるばかりでした。」
「雄一殿。あなたは素晴らしい能力を開花させただけにとどまらず、脳筋ガルニャまでも聖者へ変えられました。」
「そんな雄一殿から我もまた何かを学び取りたい。」
雄一はイエラキの言葉に黙って耳を傾けている。イエラキの表情が苦悶に歪む。
「ですが、情けないことに、我はあなたから何を学び取れば良いかすら気付けていない・・。」
「・・えーっと・・。じゃぁ、イエラキさんは何かを学びたいんだね?」
雄一の言葉にイエラキは光が差したように目を輝かせて頷いた。
「そうです。聖者となったガルニャの様に我にも教えてください。我を・・我も、強者へ成長させてください!」
雄一は暫く天を見つめるように頭を上げ、「まなぶ・・まなぶ・・」と念仏のように呟いた。
「あ、そうだ!・・えっとね?「学ぶ」は「真似る」が転じた言葉なんだって。まねる・・まなぶ・・あははー。「ま」しか合ってないねぇ。」
「はぁ?」
雄一がいつもの調子で異世界へ通じる底なし沼に飛び込み、その中心で「おいでおいで」を始める。
イエラキはガルニャの言葉を思い出していた。「自分の見聞きできる世界だけが真実の世界ではない」・・と。
『我もガルニャの様に聖者になるのだ。その為ならどんな試練にも耐えてみせる!!』
よせばいいのに、イエラキは決意を固め雄一ワールドの大海へと飛び込む。
「そうですね。雄一殿。まさしくその通りです。」
イエラキは無理矢理に話を合わせて雄一の意見に同意する。雄一は「ん?」と少し首を傾げている。
『うっ!違ったか?つっ次だ!まだまだこれからだ!』
その雄一の反応に焦るイエラキ。
雄一は両腕を組んで「うーん・・うーん・・」と唸っている。
「あ、そうだ!あのね?ぼくの国にね、よくばっちゃダメって意味の「あぶはち取らず」って諺があるんだけどぉ、イエラキさんは「あぶ」か「はち」かどっちが欲しい?」
『なにぃ?今度は選択問題だと?』
イエラキに心の焦りが色濃くなる。
『どっ、どっちもいらねえだろ!そんな虫けら・・。』
正直アブもハチも両方いらないイエラキはどちらが正解かわからない。
『とりあえずハチを選んでおくか・・。アブよりも強そうだし、デザインがカッコいいから雄一様の好みに合いそうだ・・。』
「わたくしは、「ハチ」を選びます。」
イエラキの答えを聞いた雄一はまた、「えっ?」と言う表情を見せる。
『くおっ!まさか正解はアブだったのか・・!?』
あからさま「しくじった」表情を浮かべるイエラキをよそに雄一は「うーん」と、また少し考える。
「んー・・。じゃぁねー、イエラキさんはお魚とお肉、どっちが好き?」
「はっはい。お肉が好きです。」
相変わらず質問の意図はさっぱり理解できないが、今度はようやく「まともに」会話が成立したとイエラキは「ほっ」と胸を撫で下ろした。が、雄一の次の質問でイエラキの頭はカオスとなる。
「じゃあ、お肉とお肉だと、どっちが好き?」
「はぁ?・・えっと・・両方・・かな?」
イエラキが「両方」と言う言葉を出した時、雄一は「えっ!?」と声を上げた。
『がはっ!?しまった二択問題に両方はナシか!?』
イエラキはもはや思考が完全に止まってしまう。
「・・いや、雄一殿!間違えました!お肉!お肉の方が好きです。」
イエラキは「これ以上はしくじれない」と慌てて「やっぱりお肉の方が好きです」と答える。
そんなイエラキの返答に雄一は俯いて首をふりふりしながら「はぁーっ」と深い溜息を着く。
「もう、イエラキさん。何を言っているの?さっきから全っ然、ぼくと会話になっていないよ?」
「あ゛あ゛ん!!んなこたぁ分かっとるわ!てか、何を言っているのか知りたいのはこっちの台詞だ小僧!!」
雄一に教えを乞うために固めた決意は簡単に霧散し、イエラキは雄一ワールドから離脱した。
声を荒げて雄一に罵声を浴びせるイエラキを見て雄一が歯を出して笑顔を見せる。
「あははー。」
そして、雄一は左手のグローブを外した。
「おいおいおいおい!なぁーぜこのタイミングで魔導グローブを外す!?」
「えっ?グローブ付けたままの方がよかった?」
残念ながらカオス状態は継続していた。イエラキは、訳も分からないまま、このままガルニャ同様素手で殴られなきゃならないのかと思う。
と、ここでイエラキの頭に雷鳴が落ちたかのような強い光が差す。
『いや、まて・・。学ぶと真似る・・共通点は「ま」だけ・・。お魚とお肉・・お肉とお肉?』
『アブとハチ?ひょっとしてこれは・・。似て非なるもの?魚も同じ肉?でも、捉えようによっては同じではない・・。肉と肉も同じこと・・?』
『ひょっとして、全ては定義が無いと決められないってことか?』
『そんな・・まさか脳KINGの雄一がそんなことを?・・。いや、しかし、もしそうであるならば答えは見えてくる・・。』
漆黒の闇の中、迷える子羊が、出口の光を見つけたように、イエラキの目に叡智の光が宿る。それはまだほんの小さな光だが、確かに力強くその灯は灯ったのだ。イエラキは胸を張り自信を持って雄一へ言葉を投げかける。
「アブやハチを好んで食す者・・例えばクモからすれば両方喉から手が出るほど欲しい獲物でしょうなぁ。」
「イエラキさん・・。」
雄一は頬を緩めて笑う。イエラキの目には、目隠しをしている中で、嬉しそうに目を細めて笑いかけてくれている雄一の姿が映る。
『ああ・・。これか・・。ガルニャの見た世界は・・。』
イエラキの胸が熱くなる。まるで世界が違ったように感じる。
「どうですか?雄一殿。あなたは我に「意識」の問題を投げかけたかったのでしょう?くだらない固定観念などは捨ててしまえとおしゃりたかったのでしょう?」
ポトリ・・。
雄一は、微笑みながら、外した左手のグローブをぽいと落とし、イエラキに向かって構えを取る。
「イエラキさん・・。ぼく、あなたが何を言ってるのかサッパリわかりません。」
「なんでだよ!んじゃあどう解釈すりゃいいんだよ!このクソガキ!!答えを言ってみろやコラ!!」
すると雄一が笑顔のままイエラキに向かって飛び掛かる。
「行くよ!イエラキさん!」
「ぬおっ!?」
お互い魔防道具の無いガチンコの稽古だ。まさに真剣勝負。漸く始まった戦いに会場が大きく湧き立つ。
「やぁ!」
ビュン!
雄一はイエラキに向かってロケットの様に、真っ直ぐ一直線にジャンプすると右片足を突き出した。そう雄一は禁じ手にされていた蹴り技を見せたのだ。
「ドゴッ!!」
「ぐおおっ!」
両腕をクロスして雄一の蹴りを防ぎきるイエラキ。それでも雄一のキックは強烈で、状態が仰け反って体勢を崩してしまう。
「禁じた反則の蹴り技をしてくるのなら、わざわざグローブを外す意味などなかろうに・・。」
文句を呟きながら急いでイエラキは腰を落とし構えを取る。しかし、目の前に雄一はいない。
「ぎょっ!?」
雄一はイエラキの真後ろに背中合わせで立っていた。それに気づいたイエラキが慌てて振り向こうとした時。
「パーン!」
「いてっ。」
イエラキの右目に激痛が走る。
「パーン!」
「ぬおっ!」
再び鳴り響く音と共に今度は左目に激痛が走る。雄一による往復ビンタがイエラキの両目の瞼に炸裂したのだ。イエラキの両瞼はみるみる腫れ上がり、視界を塞いでいく。
「ぐぎぎ。雄一殿!目潰しとは卑怯ですぞ!?」
ベッコ―!
「ぐふうあっ!!」
瞼を腫らし、霞む景色から雄一を探すイエラキの鳩尾に激痛が走る。雄一が上段回し蹴りを放ったのだ。3mの巨体が宙へと舞い上がる。
「ええい、どこだクソガキ!」
イエラキは激痛に堪えながらなんとか体勢を整える。
闇の中、雄一を見失ったイエラキは全神経を耳に集中して雄一を索敵する。しかし雄一の気配など捉えられない。観衆の声援だけが騒音の様に入ってくる。
「くそうっ!雑音だらけで全く分からん!」
ブンブンブンブン・・・。
イエラキは癇癪を起した子どもの様に、闇雲に拳を振るい始める。
当然そんな適当な攻撃が雄一を捉える筈もない。雄一は空気に向かって暴れまわるイエラキを静観するように、近くで佇んでいた。
「ぷっ!ははっ・・。」
「ふふふ・・。」
ブンブンと言う虚しい風切り音と、観衆からの嘲笑がイエラキの耳に入ってくる。
「うおおおお・お・・お・・・。」
力の籠った咆哮が徐々に勢いを無くす。イエラキは今の自分の情けない姿を想像し、目に涙が滲んだ。
『同じ盲目状態だとこの様か・・。呆れられ、笑われても当然だな・・。』
『思えば我は、雄一殿を只者ではないと強く感じつつも、いつもどこかで子ども扱いしていた・・。』
『「お勉強」と称して連れ出せたことで雄一殿に知恵比べに勝った思い込み、見下した言葉を使い続けた。』
『なのにガラニャの変貌ぶりを見るや否や態度を変えて教えを請いだした・・。』
『ふっ、滑稽だな。なんて我は愚かなんだろう・・。自分が一体何者かも分かっていないのだな。』
『所詮、我はラーク様の足元で、ラーク様の真似をする影に過ぎないのだ・・。』
とその時、
『イエラキさーん・・聞こえるー?全身全霊を集中させてー・・。イエラキさーん・・聞こえるー?全身全霊を集中させてー・・。』
イエラキが自分を卑下していると雄一そっくりの声で囁き声が聞こえてきた。
不思議なことにその声は耳を通さず、心に届くように感じた。イエラキが暴れるのをやめて声の主を求めてキョロキョロする。
「ていっ!」
ボッコォ!
「べっふうっ!」
雄一の強烈なドロップキックにより、イエラキの頭蓋骨全体が一瞬「くの字」に歪む。
『くそっ隙を見せたら遠慮なしだな!一瞬、あの声の主が雄一殿かと思ったが、違うようだ・・。』
情け容赦ない雄一の攻撃にイエラキはそう思い、全身の手足を亀の様に縮めて防御態勢を取る。
『あははー。ぼくの声が届いたのら、もう大丈夫だよ。さぁ、神経を内側から外側へ広げて・・。』
またイエラキに雄一そっくりの声が聞こえる。
『うっ。この声・・。やはり雄一殿か?・・神経を内側から外側へ広げろだと・・?』
心に届く声のアドバイスが余りにも抽象的なので、持てる感覚を一つ一つ意識してみる。
「えい!」
ボッコーン!
「うぐおっ!」
その間も雄一からの猛撃は続く。その度に激痛に襲われるイエラキ。
『相変わらず半端ない攻撃力だ・・。雄一殿め、我とバラダーを同列に考えているな。我の体力は無限ではないのだぞ。』
感覚に集中しようにも、襲い続ける激痛がそれを阻害し、霧散させてしまう。雄一の声に導かれようとするも雄一の攻撃はイエラキの作業の超おじゃま虫だった。
『何も見えん!何も聞こえん!雄一殿・・我はもう限界だ・・。』
『ううん。大丈夫だよー?イエラキさん。だって、もうイエラキさんは手に入れてるんだもん。』
「とう!」
ベキョッ!
「ぐふえぇっ!」
心が折れそうなイエラキを雄一はお構いなしにボコボコにシバキ続ける。
『既に手に入れている?我が?・・一体何を・・?』
いい加減、痛覚も体力も限界点を超えた頃、イエラキは突如、その痛覚を自分の感覚から切り離すことに成功する。
いや、痛みを忘れるほどの新しい感覚を覚えたと言った方が正しいかもしれない。
『あははー、よくできました。イエラキさん・・。』
心の中の雄一の声が遠ざかっていくのが分かる。
『ん?ここは・・。どこだ・・?・・んん?こいつは何だ・・?向こうには巨大な・・岩か?』
瞼を閉じるイエラキは未だ暗闇の中。それでも、空間にはかつて感じたことの無いほど世界の広がりを感じる。
そして目の前には、ちょこまかと動き回っている小さな影。離れた場所には3m程の岩がある。ただそれだけの空間。
飛び掛かってくるその小さな影をスイっと避けてみる。
すると、「おおーっ」と大きな歓声が聞こえてきた。
尚もしつこくその小さな影が飛び掛かってくるので、取り敢えずイエラキはその小さな影を、サッカーボールを蹴り上げるように蹴ってみた。
すると、影が避けるように右へずれた。なので、イエラキはズレた方へ蹴り足をずらす。今度は影が左へとずれた。やはり避けようとしているようだ。なので、やっぱりイエラキは蹴りを左へ修正した。これでようやく影を捉えた。
ドゴン!
イエラキの足に確かな手応えが伝わる。その瞬間「わあぁぁぁっ!」と言う大歓声がイエラキの耳に飛び込んできた。
イエラキが蹴り飛ばしたもの。それは紛れもなく雄一だった。5000人組手で雄一へ初めて打撃を与えたのはイエラキ渾身のボールキックだった。
「ふぉっふぉっ。イエラキ・ワルドも遂に立てたのぉ。スタート地点に・・。感謝いたしますぞ雄一王婿。」




