黎明編 #79 トラウマ
裏マザー切っ掛けで起きた世界同時多発テロにより、「マザー」約80億体は一体残らず灰になった。「人類への奉仕」がその中核に刻まれていた「マザー」は戦火で逃げ惑う人々の身代わりになり果てたのだった。
小さな島国で産声を上げた「マザー」は、誕生の瞬間から、最期の瞬間まで母であり続けた。
それでも尚、人間の戦争行為は収まらなかった。表向き、劣悪非情なテロ行為への撲滅行動とされたが、戦争行為を行った各国・各組織の本音は違った。
AIの全権を事実上掌握していた「マザー」がいなくなったことでAIの覇権争いが始まったのだ。
こうなった以上、この戦争の戦勝国が次の時代の支配者となることは確実である。逆に敗戦国は勝戦国の属国になる。
その非情な現実が戦禍を拡大させていく。化学兵器・生物兵器・大量破壊兵器など、人類がこれまでに溜めに溜め込んだあらゆる兵器が投入された。
「な・・。これが人間の作った兵器だと言うの?」
「古代兵器と言うやつじゃな・・。脆弱な肉体で魔法も使えぬ人間を従わせるのには随分と度が過ぎた破壊力じゃ。」
戦争により悉く破壊しつくされていく人・町・都市・国のありのままを見せつけながら、ナレーター役に徹するムウがティアたちに惨たらしい現実を画像・映像を交えて伝える。
「せっかくマザーが多くの人の命を救ってくれたのに、これじゃあ何の意味もないじゃない!」
ムーンはこの間、見るに、聞くに堪えなかったようで、焼け落ちる街の中で、女、子ども問わずに殺されていく人々の姿に目を塞いだ。
親を失い、泣き叫ぶ子どもの悲鳴から逃れようと両手で耳を塞ぎブンブンと頭を振った。
「もうイヤだ!何も見たくない!何も聞きたくない!もうやめて!ムウ!」
苦悶の表情を浮かべながらムーンが呟く。その様子を見ていたケッツァコアトルもまた辛そうに眉間にシワを寄せている。
ララは息苦しそうに肩を上げ、青ざめた表情を浮かべている。それでも、精神的に大きなショックを受けているムーンを優しく抱き寄せ慰めていた。
「はぁ、はぁ。ムーンちゃん・・。戦争はもう終わったみたいよ・・。落ち着いて?ね?」
まるで自分に言い聞かせるようにララはムーンに声を掛ける。
「ララちゃん・・。どうしてこんなことになるの?どうして罪もない多くの人たちが死ななきゃならなかったの?」
「私に・・バカな私に分かるように教えて・・。」
いつもの冷静なララなら、こんな時もムーンの心を優しく包み込み、救いあげられたのだろうが、今のララは様子が違っていた。
ララの心は、カメラアイの能力によって鮮明に蘇った大量のトラウマに襲われてボロボロになっていたのだ。
今のララはムーンの問い掛けに応える余裕などない。自身の崩れそうな精神を何とか保つことで精一杯だった。
「・・ムーンちゃん。ごめんね。私にも分からない。・・実は私のいた世界でも戦争をしていたの。」
「全属性の魔法が使える私もたくさんの人を・・殺した。相手に・・敵に・・勝つためとは言え・・。私は・・多くの人達を・・この手に掛けた。」
明らかに様子がおかしくなったララは虚ろな目をしながら呟くように話しはじめる。ムーンを強く抱きしめる。自身の経験した戦争の記憶により、苦悶の表情を浮かべながら。
「・・知らない人・・知っている人・・。強い者・・弱い者・・。大好きな人・・憎い人・・。人を殺していい理由なんてどこにも無いことなど分かっているのに・・。私も・・人を殺すの?」
ララがまるで何かに憑りつかれたように顔色を青くしている。そして、ムーンを抱き寄せている手が、腕がカタカタと震えだす。
「・・え?・・ララちゃん?」
「ムーンちゃん・・?・・見て?私の手を・・。私の手は・・全身は・・多くの、罪の無い人の血で汚れているの・・。私は・・ムーンちゃんの・・その純粋な心に触れる・・資格すら・・無い・・者・・。」
ララの瞳孔は開ききり、冷たい汗を全身に浮かべている。そのララの異変に、ララの胸に抱かれていたムーンがようやく気付き、咄嗟に今度はララをムーンが優しく抱き寄せ頭を撫でる。
「ララちゃん!大丈夫だよ!?私も大丈夫だからララちゃんも大丈夫だよ!?」
ムーンは崩れ落ちるララの体を抱き寄せ包み込む。
「ありがとう・・。ムーンちゃん。ごめんね・・暫くこのままでいて・・。」
「うん。うん。」
カメラアイ。一瞥記憶能力の弊害。忘れたい記憶も全て鮮明な画像としてララの心に刻まれている。その苦悩とは如何ほどの物であろうか。ケッツァコアトルはララの苦悩の一端を垣間見て同情せずにはいられなかった。
「カメラアイか・・。怖い能力じゃの。4000年を生きる妾がその能力を持っていればとっくに気が触れていたじゃろう・・。」
ティアは顎に手をやり考え込んでいた。
「ムウは何のために残酷シーン満載の、こんな愚かな人類史を見せたのか・・。」
「ふむ。そうじゃのぉ。今のところ「厄災」のやの字も出てきておらんし、ララへの「いじめ」としか思えんのぉ。」
「ララへのいじめ・・。確かにそれも、感じられるけど、もう少し情報を整理して考えてみて。」
「2万年以上前までは人類は生物の生態系の頂点にいたってことよね・・。それは私たちの生きる「現在」からは想像もつかない世界だ。」
「そして自らの手で破壊の限りを尽くし絶滅の危機に瀕している・・。」
ティアが考えをまとめているようにケッツァコアトルの目を見ながら話す。
「・・ふむ。そうじゃな。AI戦争は大いなる変化への切っ掛けじゃったと言うことかの?」
「・・そう。大戦が終わっても、私たちの住む世界より自然環境も穏やかだ。強力・強大なモンスターが一切いない。それに魔法が存在していない・・。」
ティアとケッツァコアトルはムウの思惑を読み解いていく。その時、弱々しくもララが言葉を繋ぐ。
「きっと、ムウは「厄災」のみならず、私たちに「新世界の誕生」を見せる気なんだと思う・・。きっと「厄災」もその時に・・。」
ムーンに体を預けたままだったが、その目はいつものララに戻っていた。
新年を迎えた西暦2113年1月。AI戦争により、200の国は全て滅び、どの国がどの国を、誰が誰を攻撃しているのかも分からなくなり、生き残った自分の周りに、殺すべき人と守るべき人がいなくなって初めて、人は自らの置かれた状況に目を向け、ようやく世界大戦が自然消滅するように終わった。
勝戦国なきこの戦争は、AI戦争と呼ばれ、僅か半年の間に、世界総人口の9割に及ぶ80億の尊い命を奪った。
そして人類は再び復興へ向けて立ち上がる――。