#71 魔法塔内部にて
雄一とバゴクリスがイエラキに拉致されたように連れ去られ、お勉強と言う名の格闘戦をしていた時、ティアたち女性陣はモモカを抱くケッツァコアトルと神妙な話をしていた。
「雄一君を追い出してまで私たちにしたい話と言うことは、ムウ黒印に関する内容かしら?」
『相変わらず勘の鋭い女じゃ!』
少し唇を歪ませるケッツァコアトルは静かに頷く。
「まっ、その通りじゃな。くく。ララは本来の「冷静」なララに戻ったようじゃなぁ。」
ケッツァコアトルはそう答えるとモモカを抱いたままベッドを降り、王室の奥へと進む。
そして何の変哲もない壁を人差し指で複雑な文字を描くようになぞると、ぽっかりと大人一人が通れるほどの穴が開いた。ティアの目が丸くなる。
「ぎょっ!なにこれ。」
「これは、魔法塔の中心へと続く秘密の通路じゃ。案内する故、ついて参れ。」
「いや、驚いたのは、仕掛けの方なんだけど・・まぁ、いいわ。」
ケッツァコアトルは「ふっ」と含み笑いを一つすると秘密の通路へと入って行った。ティアたち3人は一度顔を合わせ頷き合うと、黙ってその後を追った。
出入口こそ狭かったものの、中は4人が肩を並べて歩くことができるほど広かった。その広い通路は等間隔に光源が用意されていて明るく、緩やかに左曲がりにカーブしており、螺旋状に地下へと向かっている。コツコツと足音が響く長い通路を進みながらケッツァコアトルが口を開く。
「新たに見つかったムウの黒印の文書がイダニコ文字で書かれていたのは、内容をそなたたちに読ませたくないからでは無かったらしい。」
「・・でしょうね・・。」
ララの、さも「黒印の内容」を知っているかのような発言の繰り返しに皆が戸惑う。特にケッツァコアトルは「まさか!」と額に汗を浮かべる。
「えっ!?どう言うことララちゃん。まさかもうイダニコ文字が読めるの?」
「うん。昨日、図書館で勉強したからね。」
ムーンの問い掛けにさも当然のような様子で答えるララ。
「でもぉ、イダニコの図書館行ったのは黒印の文字を見てから後だったわよね?黒印の内容までは知らない訳でしょ?」
続け様ムーンの的を射る質問にケッツァコアトルは『やはりハッタリか。勘がいいだけの小娘が!』とフンと鼻を鳴らした。そんなケッツァコアトルを尻目にララがムーンに顔を向けて話し始める。
「そうだねムーンちゃん。イダニコ文字で書かれた黒印を初めて見た時は流石に読めなかったわ。でもね、「記憶」はしていたの。」
「記憶をしていた?」
ムーンはララの言っている言葉の意味を半分も理解していない。引き続き、当たり前ではない話を当たり前のように話すララ。
「そう「記憶」。私、一度見て記憶したものは決して忘れないの。」
「図書館で勉強してイダニコ文字を読めるようになって、あとは頭の中で、黒印を見た時の記憶と照らし合わせたら、ムウの黒印に書かれていた内容が朧げにだけど掴めたの。」
「て・・天才かよ・・。」
ケッツァコアトルの額に浮かんでいた汗が落ちる。
「カメラアイ」と言う能力。目に映る情報をまるで写真を撮るが如く鮮明に記憶する能力。ララはこの稀有な能力を生まれながらに「持たされて」いた。
車で一度通っただけの道を完璧に覚えていたり、ムウの世界の共通語ネアセリニ文字を僅か半日でマスターしてしまったのも、この能力が深く関係している。
カメラアイの能力を知ってか知らずか、その学習能力の高さを何度も目の当たりにしてきたティアとムーンは「さすがララ。」と変に納得してしまうのだった。
「ねぇ、ララ?あなたなら、「ムウの預言書」の雄一が教えてくれない内容を解読できるんじゃない?」
ティアが「お願い」と言う感じではなく、かる~い感じで聞く。
「ふふふっ。そうね。あなたの見た「雄一君の過去の情報」を元にすれば、すぐにでもできるでしょうね。」
「そう。」
ララは解読など簡単だと答えるが、ティアはさほど驚く様子も喜ぶ様子もなく「そう。」とだけ返事をして落ち着いている。やはり「解読に関する依頼」をする様子はない。
そのティアの表情を見て、ララは目を細めて微笑む。
「ティアちゃんって、随分、大人になったわよね。」
「え?どうして?」
ララの言葉にティアは少し驚いた表情で聞き返す。
「私のこんな一瞥記憶の能力より、あなたの過去視の方が格段に上の能力。」
「あなたの過去視の能力があれば、あとは時間の問題で秘密にされた文章なんて簡単に解読できるでしょ?」
ティアは無言でララを見ている。ララはふっと口元を緩めて言葉を続ける。
「でも、ティアちゃん。あなたは解読しなかった。できたのに、しなかった。そうでしょ?」
しかし、ティアは静かに首を横に振った。それからその目をしっかりとララに向けて口を開く。
「ううん。ララ。解読しなかったんじゃない。したくても、どうしてもできなくなったのよ。雄一の壮絶な闘病生活を見ていたら。自分のしようとしていることが、この世のどんな行為よりも醜悪に思えて。・・解読行為そのものがどうしてもできなくなった。」
ティアは今にも泣きだしそうになり下唇を噛む。
「私は職務から逃げた大人ぶって背伸びをしていた小さな子ども。」
「だって、大人はそんなことで放り投げたりしないもの。どんなことがあっても世界中の人々の悲願を諦めたりしないもの。」
「私みたいに公私混同せず、私情を捨てて任務が全うできる者が大人だもの。」
そう言うとティアは少し寂し気にからからと笑いながらララに答える。
ララのティアに向ける目がより一層優しくなる。
「いいえ。ララちゃん。あなたは任務を捨てることを選んだんじゃない。勿論逃げたわけでもないわ。」
「あなたは雄一君を信じる道を選んだのよ。信頼に足る仲間を得て、その仲間を心の底から信頼しきれる人は、大人の中でもほんの一握りよ。」
「ララ・・。」
ティアやメガロス王国、いや、世界にとっても悲願だったムウの暗号解読。
苦しい葛藤を覚えながらも、ティアは雄一の過去を繰り返し暴いた。密かに集めた文言データは、雄一の小学校一年生に始まり、転移する直前までを集めていた。平仮名、カタカナ、漢字、ローマ字、簡単な英語に至るまで。
しかし、雄一への過去視を最後にした日、これをティアは人知れず燃やしたのだった。
暗号解読に必要な準備が十分すぎるほど揃って尚、ティアはその一切を燃やしたのだ。
そう。ティアは「ぼくを信じて。」と言う雄一から貰った言葉を大切にしていた。
ティアは最終的に、ムウの言葉ではなく、雄一の言葉を選んだのである。
苦渋の中で下した、そのティアの決断と選択をララが理解し、評価してくれた。ティアは嬉しかった。熱いものが心を満たし、自然と涙が溢れてくる。
「ララ・・ララ・・私のこと分かってくれて、ありがとう・・。私、もう、ひとりぼっちじゃないんだね。」
嬉しくも言葉を詰まらせながらも心の籠った謝意を伝える。ララは軽く目をつむり、首を横に振り、そっと優しく肩を抱く。
「辛かったね。ティア。頑張ったね。ティア。あなたはもう立派な大人の女性よ。」
「だから焦らないで。私たちを、雄一君を頼って?そして、あなたのペースで一歩一歩を大切に歩んでいって。ねっ?」
「うん・・うん。」
ティアはそのままララの胸へ顔を埋め、頷きながら涙を流す。
ここで話を止めておけば良かったものを、ついララが蛇足をしてしまう。
「みんな自然と大人になっていくものよ。二十歳になって「おしめ」が取れない人なんていないもの。」
悪気も皮肉も何もない。ただ純粋に「物の例え」として口から出た言葉だった。んが、しかし、となりに4000歳を超えてなお「おしめ」を着用して眠る者がいた。4000年間毎晩着けているのだから愛用と言った方が正しいかもしれない。・・それは、イダニコ国女王ケッツァコアトルその人である。
ララも口に出したその瞬間に自分の失言に気が付いた。しかし、覆水盆に返らず。ケッツァコアトルの眉間にはシワが寄り、こめかみには幾つもの青筋が立ち、表情が見る見る険しくなる。
「ごめんなさい!ケッツァコアトルちゃん!私、そんなつもりで言ったんじゃないのよ?私ったら例え方が下手だったよね?ごめん!・・と言うかアレだよね・・。えーっと・・そう!誰でも、おじいちゃん、おばあちゃんになったら、また「おしも」の方が緩んできて「おしめ」するもんね。私だっておばあちゃんになったらするよ!おしめ!その時は付け方教えてね!先輩!・・あはっ。だめかな?」
「ララ・・。あなたそれ全っ然フォローになっていないわよ。ふざけてるってことだけは途轍もなく伝わるけど・・。」
捲し立てるように言い訳を並べたララだったが、素に戻ったティアに一蹴される。
激しくディスられた形のケッツァコアトルの怒りは頂点に達していたが、直前まで「大人」をテーマに話がされて、自身も深く頷いていただけに、ここで喚き叫ぶ醜態を晒す訳にはいかなかった。それこそ、4000歳の「大人の対応」が求められる状況であることは十分理解していた。・・辛うじてではあるが。
「く・・く・・く・・。よい・・よい。」
「ふぅーっ。それよりも話を戻そう。ムウの黒印の文書。カメラアイと言う特殊能力を持つ天才ララが、どれ程の内容を解読されたのか御講義願おうか?」
ケッツァコアトルは引き攣りながらもララに対して皮肉を込めて言う。ケッツァコアトルは、ララが「掴めた内容は朧げ程度である」と言っていたことを思い出し、せめて賢者キャラの限界を暴き、その鼻をへし折ってやろうと考えたのだった。
しかし、頭に血が上っていたケッツァコアトルはララの想定外の知能の高さと、自身の浅はかさを思い知らされることになる。