#69 モモカ
雄一に大き目のパンを咥えさせ、皆は執事の案内でケッツァコアトルの部屋へと案内してもらう。
部屋に入ると、大きなベッドで黒髪の小さな赤ちゃん「モモカ」を胸に抱くケッツァコアトルの姿があった。
モモカへ向けるケッツァコアトルのその目は昨日までとはまるで違う母の眼差し。「女は弱し、されど母は強し」と言う言葉通り、何処までも優しい瞳の奥には、強くたくましい焔が宿り、深い愛情に満ちている。
ティアとララとムーンの3人は、その目を見てドキリと胸が鳴る。女としての母性本能が強い憧れの感情を芽生えさせる。
モモカが騒々しく部屋へ入ってきた雄一たちに気付いて振り向く。くりっくりのドングリ目玉をキョロキョロさせている。目と髪の色は群青に近い黒色だった。
「きゃっ・・可愛いぃぃぃん!」
ティアがモモカの愛らしさに心奪われ両手を広げてモモカに近づいた。
が、ティアの急速な接近にモモカは慌てて母の胸へと顔押し当て、もぞもぞと逃げ隠れる仕草を取る。
この姿がまた可愛らしい。ララとムーンも骨の髄まで蕩けてしまう。
「あー、もうっ!怖がらせてどうすんだ。ティアは距離の取り方が下手なんだ。」
「相手に気付かれないように、ゆっくり、ゆっくり、そ~っと、近づいて・・。」
ムーンはモモカに前傾姿勢を取り、抜き足差し足近づいていく。
「ムーンちゃん。それ、獲物を取る時の野獣の姿勢と変わらないよ。」
「赤ちゃんと目線の高さを同じにして笑顔で近づくといいんだよ。」
三者三様の方法でモモカに近づくが、モモカは母、ケッツァコアトルにしがみつき、ヒトデの様に張り付いている。
雄一とバゴクリスも輪を作る様にモモカの傍へとやってきた。
モモカが雄一をちらりと見る。
「ぱーぱぁー・・ぱーぱぁー」
「「「なにぃ!!?」」」
「くっくく。流石妾の娘じゃ。誰が父親かよく分かっておる。」
モモカの発言に衝撃を受け、暫く場がパニック状態に陥る。
「ねぇ、ケッツァコアトルちゃん?あなたたちディオウサ一族は、幾つになったら「契約の契り」ができるようになるの?」
雄一に対して手を伸ばしているモモカの様子を見て嫌な予感が抑えきれずララが問う。
「ふむ・・。あっと言う間じゃ。3~5歳くらいってところじゃろう。」
「「「はやっ」」」
雄一に抱っこされ「きゃっきゃっ」と喜ぶ天使のモモカがだんだん小悪魔に見えてくる。
数年後、ひょっとしてモモカも「契約の契り」を雄一と結びたがるのではないかと一抹の不安がよぎる。
「くっくく。そなたたちはモモカが雄一様を「契約の契り」のパートナーに選ぶのではと心配しておるのか?くくくく。や~らし~のぉ~。」
皆の表情からケッツァコアトルはその思惑を読み取り、その飛躍した考えを諫めようと言葉を続ける。
「くっくく。まぁ心配するでない。「普通」は女王としての自覚と経験を十分に積んでからの話じゃよ。いくら何でも千年は「契約の契り」に興味など持つまい。」
「それに、他の生き物もそうであるように、妾一族も「普通」親をパートナーに選ぶことを嫌がる。まぁ「近親相姦」は「不自然」で「可能性」を狭くする行為じゃからの。」
『普通?普通って何?不自然って何?今までにその口から「普通の話」がでたことがあるか?起きてることは「不自然」なことばかりだ。その「普通」って言葉が何より恐ろしいのだ。』
と皆が感じる。不安な気持ちは一向に晴れない。今この瞬間だってモモカが雄一を狙っているようにすら感じる。
そんな殺気に似た気配など雄一もモモカも、まるで気にする様子もなく、雄一がケッツァコアトルに上機嫌のモモカを手渡すと、モモカは母の胸で顔を震わせながら欠伸を一つするとそのまま寝てしまった。
そんなモモカの背中を優しくぽんぽんと叩きながら話を続ける。
「くっくく。それに、よく思い出してみろ。ディオウサ一族は出産後間もなく、その身が滅ぶ。いくら妾同様モモカにとって「契約の契り」が重要でも、不老不死の肉体をそうやすやすと捨てたりはしまい。」
『そうだ!そうだった!ディオウサ一族は平均2000年の時を経てパートナーを決めると言っていた。生まれてすぐに滅ぼうとすることは流石にしないだろう。』
ケッツァコアトルの生態について再確認した皆が一様に自分たちの不安が「杞憂」であったと理解し、胸をなでおろす。
しかし、直後、自分たちとディオウサ一族の価値観、考え方の根本的な「差」に愕然とすることになる。
「くっくく。安心できたようで何よりじゃ。妾は可愛い娘を授かり幸せじゃが、この宿命だけはどうにもならんからの。くっくく・・。」
「妾の命も、もう、あと僅か・・。もう、たった70年程度しかない・・。」
「「「なっ70年!!?」」」
皆が悲鳴のように大声で叫ぶ。
ティアが慌てた様子でケッツァコアトルに問い詰める。
「ちょっと!あんたこれから70年も生きるって言うの?」
「ん?そうじゃよ?・・。もう僅か70年しか残されておらん。妾にとっては瞬き程の時間じゃ。」
「ああ、無論、同情心など引くつもりは毛頭無いぞ。後悔など微塵も無い。ディオウサ一族の、出産と引き換えの、この残酷な宿命は嬉々(きき)とし受け入れる。間もなく(70年後)この身が滅んでしまおうともな。」
キリっとしたキメ顔を見せつけるケッツァコアトルだったが、皆の表情は一様に強張っている。
「時間」に対する大きな認識の「ずれ」。70年と言う猶予は人にとって人生一回分の年月に匹敵する。しかし、4000年を生きたケッツァコアトルにとっては余命半年を宣告されるに等しい感覚。この「感覚の差」だけは互いに理解を埋められなかった。
皆の額にぷつぷつと青筋が立っていく。
「騙されたー!ふざけんなこのくそアマー!」
ケッツァコアトルの寝室からティアの叫びに近い怒声が響き渡った。