#67 愛の告白
バラダーに想いを寄せているイエラキの娘、フローラ・ワルド(一目で妖精と分かる垂れ目の美女)を前にしてバラダーはテンパっている。イエラキの娘はイエラキそっくりの看護師だと思い込んでいたから、いまいち状況が掴めていなかった。
バラダーは取り敢えず、フローラに根本的な疑問を投げかける。
「失礼だが、女イエラキ・・いや、君のお父さんそっくりの女性の方がおられたが、あの方は一体・・。」
「女イエラキ?ああ、うふふっ。あれはジェシカ・ワルド。私の叔母さまです。父イエラキの姉に当たる方なんです。・・それにしても、ふふっ、女イエラキ・・。叔母さまとても強くて恐いんですよ?ナイショにしておきましょう、ねっ。」
このフローラの説明で、バラダーは自分の勘違いの殆どが理解できた。と同時に、それならば、バラダーに想いを寄せてくれているのは正真正銘、目の前の美女と言うことになる。とどのつまり両想いだ。
『いやいやいやいや・・。まさか・・そんなバカなことが・・。きっと何かの罠か、冗談だろ?いいか、バラダー。浮かれて傷つくのは自分だ。冷静になれ。自我を保て。』
バラダーは、頬を染めて嬉しそうに話を続けるフローラの顔に釘付けになってはいた。しかし、これまで色恋どころか、人から優しく接してもらう経験すら乏しい彼は、この現実を受け入れられずにいた。嫌われ続けてきた彼の心はガッチガチに閉ざされているのだ。
「そ、そうか・・。叔母様も「ワルド」だったのか。」
「濃紺の髪をした女性を覚えておられますか?あれが、母のキャロライン・ワルドです。母は、ジェシカ叔母さんの義理の妹にあたるのですが、仕事の上司に当たるのと、なかなか結婚相手を見つけないので、母はいつも皮肉を込めて「ワルドさん」って呼んでいるんです。」
時折見せる笑顔がとても可愛い。浮かぶえくぼと、覗く八重歯にバラダーは、ぽーっと見惚れてしまいながらも自分のしでかしたことを改めて再確認した。バラダーは間接的にではあるが、確かに一度フローラをフッているのだ。
「・・そうだったのか・・。勘違いとは言え、私は随分君に失礼なことを言ってしまったな・・。それに君のお父さんにも合わす顔がない。今更遅いが申し訳ない・・。」
「謝らないでください。謝らなければならないのはこっちの方です。私のせいで大好きな父とあなたを傷つけてしまった。」
顔を真っ赤にしてイエラキのベッドに両手をついて娘フローラは話し始めた。バラダーを真っ直ぐ見据えて
近い!美女の顔が近すぎる!うぶなバラダーの胸の鼓動はどんどん高まっていく。フローラの潤んだ瞳から目を離すことができない。
「私は強くてたくましい父のことが大好きで尊敬しています。幼少の頃から父の様な男性のお嫁さんになることを夢見てきました。」
「先日、森から帰ってきた父から、あなたと共にMKSと戦った時の武勇を聞かされました。」
「一人の少年の為にその身を犠牲にして護り、戦い抜いた話を聞いた時、私の胸は高鳴り、理想の方ではないかと胸が躍りました。」
フローラはバラダーに全ての胸の内を明かす。それを受けたバラダーの恋心が、母の愛さえ知らない心の釜戸に火を点ける。バラダーの釜戸の上にあるお鍋の中の心は、凍てつく氷の様に冷え固まっていたが、その暖かな愛の火がゆっくりと溶かし始めていた。
「バラダー様が、ケッツァコアトル様との謁見中に倒れられたと聞いた時、不謹慎にも好機と思い、胸ときめかせて治療に当たりました。外傷確認のためと理由を付けて私はあなたの体をくまなく調べました。」
「鎧の様にたくましい体には無数の古傷。死闘の歴史を目の当たりにした私は益々胸が高鳴りました。鳩尾の抉られた跡を見た時、これが父から聞き及んでいた庇い傷なのだと興奮しました。」
「ですが、その時、魔が差して、つい魔眼であなたの心に、あなたの見る夢の中に触れてしまいました。」
『フローラさんが、わしの体を見て興奮していただと?んなバカな!いや信じられん!』
フローラは、ここまで話すと目をバラダーから下へ逸らし、呟くように話し始める。
「あなたは泣いていました・・。喚き、苦しみ、あがいていました。あなたの心はとても、とても小さく・・。それなのに、無数の傷が深く、深くついていて、原型が分からない程ボロボロでした。その無数の傷からは涙の様な血が次々と溢れて流れていました。」
「私は幻滅しました。・・父の見込み違いだ・・なんて惨めで弱い人・・。こんな哀れに悲鳴を上げる心を私はこれまで見たことがないと・・・頭でそう理解しました。」
『ああ、そうか、心を読まれ、幻滅されたか・・。やはりフローラさんも、わしのことなど好きにはなってくれぬのだ・・。いや、当然だ・・。』
バラダーはまだ、何も得ていないのに、捨てられる恐怖心を覚える。何度も経験し、見放され続けた記憶と共に。
早々に諦めたバラダーだったが、それでも彼女の口から出てくる言葉を心に刻んでいく。
「ですが、幻滅して尚、私の感情はより一層高鳴り、胸が締め付けられる思いがしました。とても切なくて、キューっと熱い手で心を搾り上げられているような感覚に襲われました。」
「私は自分の、この矛盾する気持ちに戸惑いながらも、まるで体が感情に支配されたようになり、気が付けば治療など不必要なのに絆創膏を貼っていました。あなたの心の傷が一つでも癒えて欲しいと言う願いを込めて・・・。」
バラダーはフローラの複雑な感情の移ろいに、一喜一憂、振り回される感覚を覚えながらも胸元をぎゅっと掴んでフローラの愛の言葉を心で受け止める。
「私は不安定な自分の感情が抑えきれず、部屋を出た後、父に、このあなたへの想いを相談しました。」
「私の気持ちを全て聞いた後、父は優しい笑顔で、一言、任せておくように言い、部屋を出ました。」
フローラは再びバラダーの顔に目を向け、話し始める。バラダーの呼吸が荒くなる。
『こ・・この子は本気でわしのことを慕ってくれている・・?まさか・・本当に?』
「その後すぐに、どういう訳か、父とあなたが闘技場で決闘をしていると聞き、母さんたちと闘技場へ慌てて向かいました。」
「目に飛び込んだのは一方的にあなたを殴り続ける父。何がどうしてこうなったのか理解できないまま、父の拳は砕けました。」
「自分の気持ちも現状も理解できないまま、あなたが既に心に決めた人がいるとおっしゃった時、胸が引き裂かれる思いがしました。もう頭が真っ白になって、何も考えられない程に。」
「放心していた私が、顔を血まみれにしたあなたの姿を見て無心に駆けつけていたことに気が付いたのは少し後になってからでした。」
ここまで裸の心を曝け出された経験など、これまで皆無のバラダーの動悸はいよいよ病気レベルにまで上がっていた。心臓への負担が心配だ。
バラダーの心・・。釜戸の心はと言うと、とっくにドッロドロに液状化し溶け切っていた。どころか、ふつふつと泡立ち始めている。フローラの葛藤する心が直接バラダーの心へ触れる。燃える愛の火にふいごで風を送る様なものだ。愛の炎はますます勢いを増していく。
『ちょっと待って?わし、どうすりゃええんだ?わし、どうなってしまうんだ?』
「私はその後も放心状態で療養室へ向かい、運ばれたあなたの治療に当たろうとした時、初めてあなたと二人きりであることに気が付きました。」
「誰もが私のバラダー様を想う気持ちを察してくれていたのでしょう。」
「開いた傷口を治療しながら私はハッキリと気が付きました。私はあなたを愛しているのだと。あなたの強いところも、弱いところも全てが愛おしいのだと。」
「例え、あなたが他の誰を愛しても構わない。叶わぬ想いでも関係ない。私があなたを癒したいのだと気付きました。」
『ぐはっ!!』
もはやフローラの愛の言葉はバラダーの心のキャパを完全に超えてしまった。
「そんな私に、先程あなたは私の心に惹かれたと言ってくださいました。失恋したとばかり思っていた直後ですので、まだ夢を見ているようですが、素直に嬉しいです。」
フローラは、少し俯き、一拍置くと、白く細い手をバラダーの岩のような手に重ねる。そしてバラダーの荒い息がフローラの前髪を揺らす程、顔を近づける。
バラダーは死にかけている。
「バラダー・フルリオ様。私はあなたの心に触れた瞬間から、あなたのことを愛しています。私と一緒になってください。」
力強く。男らしく。フローラは愛の告白した。
バラダーの激しい動悸で全身を駆け巡る血が一気に顔へと立ち昇る。まるで恋に恋する少女の様に、バラダーの顔は真っ赤だ。
釜戸の鍋で温められている心は、ぼこぼこと大きな泡を立て沸騰し、吹きこぼれ寸前だ。
「フ、フ、フローラさん・・。本当に、あなたは・・こんな私を選んでいいのだろうか・・。あなたには私なんかより、相応しい方が・・。」
「生涯において、あなた以外には考えらません。あなたがいいのです。バラダー・フルリオ様。」
大きな目玉をキョロキョロ動かし、失神寸前のバラダーの言葉を遮るフローラ。告白の立場が最早完全にフローラが男でバラダーが乙女のように逆転している。
フローラの愛に溺れ、死にかけ寸前のくせに、ここへきて、尚ももじもじするヘタレのバラダー。
「フ、フ、フローラさんの言うように・・私の心は誰よりも小さく、弱く、傷ついているのに?」
「あなたが千夜悪夢を見るのなら千夜掛けて癒しましょう。万の傷を受けているなら万の夜を共に越えましょう。」
ちゅどどーん!
フローラの男前の言葉を受け、釜戸の湯は止めどなく吹きこぼれた。遂にノックアウトしたバラダーの涙腺が崩壊する。両手を口に当て嗚咽を抑え込むが目から滝のような涙が落ち、頬に川を作る。
フローラはそんなバラダーの顔を両腕で包み込み、胸で優しく抱きしめてやる。
バラダーは堰を切ったようにわんわん泣きじゃくる。
「怖かった・・。本当は、何もかもが、ずっと怖かったんだ・・。」
バラダーはそう言うとフローラの体にその巨体を預けた。そしてまた遠慮なしに涙を零し続けた。まるで迷子の幼子が漸く見つけた母の胸で泣くように。
99%男だらけの縦社会に揉まれ、筋金入りの独身男、彼女いない歴=年齢のバラダー・フルリオ52歳。彼に遅咲きの春が来た。しかし人生最高の春である。おめでとうバラダー。
さて、療養室の外にはドアを背に天を向いて感涙するイエラキと、やれやれと溜息をつく姉のジェシカの姿があった。
『良かった・・。良かったなぁフローラ・・。娘を頼むぞ・・バラダー。』
「で、どこまでが、あんたの計算通りだったんだい?」
愛娘フローラの恋愛成就を祝福しているイエラキにジェシカ姉さんが尋ねる。
「どこまでって、勿論全部だよ。姉さん。」
「嘘をつけ!危うく二人はすれ違ったままで、失恋寸前だっただろうが!この愚弟が!」
ドゴォ!
「ぐほぉっ!!」
ジェシカ姉さんの膝蹴りがイエラキの腹部をくの字に曲げる。
「勘弁してくれ、姉さん。確かに娘に気がないと言われて頭に来て膝蹴りしたのは認めます。」
「ですが、蝶よ華よと大切に育てた娘の幸せを願わない父親などいない。元より娘にバラダーを売り込んでいたのは我だ。娘が彼を気に入ってくれてどれ程嬉しかったか。」
「だけど、幸せは、愛とは綺麗ごとだけでは済まないのです。あの決闘は二人にとっては、我が嫌われ役を買ってでも通らねばならん試練だったんです。」
「お陰で二人の絆はより強固になったでしょう?姉さん。ねっ実際。」
「結果論だバカ。順番が逆だろがぇっ!互いの想いを確認させてから決闘でもど突き合いでも好きにしろってんだこの脳筋野郎が!」
ジェシカ姉さんがイエラキの頭に肘鉄を落とす。後頭部をやられ悶絶し、床でのたうち回っているイエラキを右足で踏みつけるジェシカ姉さん。容赦なし!
「・・しかし、話を聞く分だと、バラダーは私とフローラを勘違いしていたようだな。」
「・・そのようですね。」
一拍間をおいてイエラキを睨みつけながら顔を近づけるジェシカ姉さん。縮まる距離と比例してイエラキの顔がどんどん引き攣る。
「もし、絆創膏を貼ったのが私だったとして、いま療養室にいるのが私だったとしたら、バラダーは何と答えたんだろうなぁ?」
「えぇっ?弟よ。」
「・・。」
「勿論、彼はきっと姉さんを選んだと思いますよ。」
「ふっ!嬉しいことを言ってくれんじゃねぇか。この愚弟!!」
直後ジェシカ姉さんの卍固めがイエラキに決まる。「妖精」は心を読むのが得意だ。それはジェシカ姉さんとて例外ではなかった。
「ギッ・・ギブ!・・ギブっす姉さん!」
卍固めからのコブラツイストを炸裂させるジェシカ姉さんの左目から恋の涙が一滴落ちたことに気付いた者は誰もいなかった。
さて、その日の晩、バラダーはワルド家の多くの親類と共にイエラキの自宅に招かれた。
イエラキ宅の明かりは夜遅くまで消えることは無く、遂にその日、バラダーが城内の自室に戻ることは無かった。
初夏を感じさせるほどの熱ーい夜だった。(野暮)