#66 男と女と父親と
ケッツァコアトルの城にある広い大きな闘技場。
メガロス王国の王城や、インレットブノ大聖堂内にある闘技場のような威厳のある造りではなく、場内は床、壁共に板張りで風通しが良く、神秘性のある造りだった。「闘技場」と言うより「道場」のような感じに近い。そこ、ここにある窓からの柔らかな明かりで、闘技場中心付近が照らし出されており、どこか心が落ち着く。
その闘技場中央に森の番人第一部隊長イエラキと、メガロス王国最強の戦士バラダー将軍が対峙している。
失神して療養室で治療を受けていたバラダー。その時お世話をした医師1人、看護師3人の4人の内、1人がバラダーに心奪われ、添い遂げたいと願った。その1人と言うのがトロルキング、イエラキ・ワルドの一人娘だったのだ。
激昂するイエラキに対し、身に覚えのないバラダーは冷静に対応するが、イエラキは納得せず激しく対立。
迷いの森での決着がついていないことを理由に闘技場にて雌雄を決することとなったのだ。
中央で睨み合う二人を、噂(主にクルガを含めたメガロス王国の元兵士たちが吹聴)を聞き付けた野次馬たちが場を盛り上げる。
「メガロス王国VS妖精国イダニコ」と言った様相で盛り上げる者もいれば、「父親は愛する娘を守れるか」と言った色恋で盛り上げるかのどちらかであったが、城内にいた妖精たち老若男女が続々と集まってきている。
その中にあの医師1人看護師3人の姿もあった。
「森で共に戦ったよしみだ。あの時同様拳以外は封じてやる。力で捻じ伏せ、今後一切の娘への接触を禁じてやる!」
「・・イエラキ。どうでもいいが、この顎の絆創膏にだけは触れるな。傷口が開く。」
ドゴォ!!
イエラキが3mを超す巨体から拳をバラダー目掛け振り下ろす。バラダーは受け身を取らず仁王立ちのままイエラキの拳を胸で受け止める。
胸の筋肉の歪みが波紋のように広がる。だが、バラダーは表情をまるで変えずイエラキの豪拳を受けきる。
「・・・どうした。イエラキ。拳に迷いが見られるぞ?」
「なにぃ!?」
イエラキは左拳を下から突き上げるようにバラダーの脇腹に突き刺す。湧き上がる場内に再びドゴォンと大きな打撃音が鳴り響く。やはりバラダーは受けを取らない。そして平然とした表情で攻撃を受けきる。
「分からぬ・・。イエラキ・・。お前は娘への愛の為にその拳を振るっているのだろう?そうであるならば、何故こうも拳が軽くなる・・・。」
「我の拳が軽いだと?」
イエラキは娘に対する愛の大きさなど知れていると侮辱された気がしてますます憤慨する。
イエラキの体が赤色のオーラに包まれる。イエラキは火炎魔法を右拳に纏わせ爪を剥き出した。開始直前に誓ったスポーツマンシップなどどこ吹く風。イエラキはバラダーを殺すつもりで爪を立てた拳を放つ。
「他の、どこの馬の骨が来ようとも、貴様にだけは娘を渡すことはできん!!」
唸りを上げてバラダーの胴の中心を貫くイエラキ渾身の火炎拳。
しかし、鈍い音と共に床に転げ落ちたのはイエラキの爪だった。負傷したのは爪だけではない。イエラキの右手はひしゃげ、あらぬ方向を向いている。思わず、片膝を着くイエラキ。
バラダーはただ、無表情に見下ろしていた。不死身の将軍バラダー。ステータスカードにおける彼の天職名は「鉄人」。彼に与えられた名に相応しく、剛腕イエラキの一切の攻撃を受けきった。
そう、バラダーは拳を一度も上げることなくイエラキを捻じ伏せたのだった。
苦悶の表情を浮かべ、イエラキはバラダーを見上げる。
「バ、バラダー・・・む・・娘を・・。」
歯を食いしばりながら呟くイエラキにバラダーが小さく溜息を着く。
「イエラキ。安心しろ。お前からお前の娘を奪うつもりは無い。第一、わしにはもう心に決めた女がいる。」
「別に、お前の娘が気に入らないと言っている訳じゃないぞ。お前の娘には俺なんかより相応しい男がいくらでもいるだろう・・と思う。」
バラダーが片膝を着き、イエラキの肩に手を乗せてそう言った。
イエラキの目がカッと見開き、肩をわなわなと震わせる。
「き、きさま・・。どこまでも我が娘を侮辱するか・・。我が娘の心を弄び、我が娘の心を踏みにじるか・・。」
イエラキが再びオーラを身に纏う。その真紅のオーラが地を着いた右膝に集まる。
そして曲げた左足をバネにしてバラダーの顔面目掛けて飛び膝蹴りをかました。
業火を纏った膝蹴りはバラダーの顎を跳ね上げる。
顎の傷口が開き、鮮血が噴水の様に吹き上がり、イエラキの業火に焦がされ黒い煙となる。バラダーはそのまま数メートル吹き飛ばされ仰向けに、そして大の字になって倒れた。
真っ白な絆創膏もまた焼け焦げ、燃え上がり、白い煙となって立ち昇る。まるでバラダーを追いかけるかのように黒い煙に追いつき、混ざり合う白煙。
バラダーは力尽きたかのように動かない。イエラキの度重なる外道攻撃に会場も静まり返っている。
慌てた様子で3人の看護師がバラダーの元へ駆け寄る。
イエラキそっくりの看護師が担架を持ってくるよう指示を出すと、イエラキの方へと歩いて行く。
イエラキが虚ろな目で女イエラキを見ていると、女イエラキは平手でイエラキの頬をぶった。顔を真っ赤にして肩を震わせている。
イエラキは何も言わず、そのまま項垂れ、地を見つめた。
バラダーは本日二度目、再び療養室へ運ばれた。しかし今度、療養室にいるのは一人の看護師だけ。顎の傷口を消毒し、再び大きな絆創膏を顎へ張ろうとしたその時、バラダーが目をつむったまま声を掛ける。
「・・・さっき、わしの顎に絆創膏を張ってくれたのも君か?」
「ひゃっ!?」
気を失っているのだとばかり思っていた看護師は驚いて声を上げ、大きな絆創膏を床へ落としてしまった。慌てて、別の新しい絆創膏を用意する看護師は少し間をおいて答えた。
「・・はい。私です。」
「そうか・・。君が誰かは知らんが、君はわしを悪夢から救ってくれた。とても、とても温かい光で・・・。」
「すまない。どうしても君にもう一度会いたくてわざと倒れた。」
「ええ?わざと?」
「すまなかった。本当に申し訳ない。できれば絆創膏を傷つけずに君を探したかったのだが、イエラキに燃やされた時に咄嗟に思いついた。このまま倒れていれば、また君に会えるのではと。」
「どうして・・私?」
バラダーは暫く沈黙する。目は少し強く瞑り、少し口を震わせる。
「君には迷惑極まりない話だろうが、わし・・いや、私は君に心奪われた・・。顔も名前も知らないのに、絆創膏を張って、悪夢から掬い上げてくれた君に・・・。」
「まるで、直接心に触れられ、心を温かく包んでもらえたようだった。」
「ふっ。恥ずかしい話だな。叶わぬ想いと言うのは百も承知だ。」
「笑ってくれて構わない。52のおっさんの戯言と切って捨ててくれても構わない。」
「だが、本気だ。この気持ちをただ、どうしても君に伝えたかったのだ。」
「・・・でも、あなたには心に決めた人がいるのでしょう?」
看護師はイエラキの言葉を受け絆創膏を胸のあたりでぎゅっと握り締めて言う。
「その女とは、君のことだ。」
バラダーはそう呟いて目を開けた。そこには橙色のロングヘアーをポニーテールに纏めた美女が、垂れた目をうるうるさせ、両手を口に当てている。手に持っていた絆創膏が床へ落ちる。
「わ、私はイエラキの娘よ?私はイエラキの娘フローラ・ワルド。」
「えっ?ワルド?君がフローラ・ワルド?」
バラダーの顔がちょっと驚いた表情になる。女イエラキがフローラだとばかり思っていたバラダーは少し混乱していた。
暫し、二人の間に沈黙が流れる。