#63 妊娠
ケッツァコアトルの突然の懐妊報告を受けて王室内(女子3人)に衝撃が走る。何をどう考えても有り得ない発言にティアが慌ててもう一度確認する。
「ちょっと・・ちょおーっと、よく聞こえなかった。何が身籠ったって?」
「え?赤ちゃん。」
「・・ダレに。」
「妾に・・。」
「・・ダレの。」
「雄一様の・・。」
質問され答える度に恥ずかしさが増し、両頬に手を当てふるふるしながら答えるケッツァコアトル。
ティアの顔がみるみる引き攣る。
「・・ダレに。」
「え?妾に・・。」
「・・ダレが。」
「え?赤ちゃんが。」
「・・ダレの。」
「えっと、ゆーいち様の。ぽっ♡」
「・・ダレを。」
「えっ?誰を?すまぬ、それはちょっと意味が分からぬ。」
最早、ケッツァコアトルの声など届いていない様子で、虚ろな目をしたティアは「ダレは・・ダレが・・ダレに・・ダレから・・ダレを・・」とぶつぶつ呟いている。
ララは石化状態となり、叩けば砕けそうになっている。
ムーンは混乱状態となり、犬(狼)の姿になって「ハッハッ」と舌を出して雄一に襲い掛かり、ひょいと避けられている。
雄一は混沌とした王室内でムーンの攻撃を躱しつつ、何も分かっていない様子で首を少し傾け、人差し指を自分の頬に当てている。
「あのー。自分の如き立場の者が質問するのは烏滸がましいようですが。」
「遠距離攻撃隊ハウルハウンド部隊長バゴクリスか。よい。何でも聞くがよい。」
バゴクリスが申し訳なさそうに挙手をしてケッツァコアトルから質問の機会を得る。
「失礼な言い方かもしれませんが、雄一様はまだ十を数えたばかりの幼子です。性の目覚めがまだ・・」
「むっ。それ以上低劣な表現は聞きたくない。順に説明してやる故、口を閉じるがよい。」
バゴクリスの質問を途中で遮るケッツァコアトル。だが、このやり取りでティア、ララ、ムーンの3人は状態異常から回復する。
『バゴクリスさん!ナイスよ!本当にそうだわ。雄一君はまだ子供だもん。きっと何かの間違いか解釈を間違えてるんだわ。』
『分かった想像妊娠だ。花弁越しのキスなのに雄一との契約の契りの刺激が強すぎて、妊娠したと思い込んで悪阻か何かの症状でもでたんだろう。どうせ、食べ過ぎたかどうかだ!』
『もう待てない・・・。もう待てない・・・。』
いや、異常行動をする者が一匹残っていた。取り敢えず目がヤバい。そんな異常者もララの束縛麻痺魔法の餌食となり床に落ちる。
ケッツァコアトルは自分のお腹に目を向け、優しくさすりながら話し始める。
「昨晩、お腹に宿った我が子の胎動を感じました。」
『はい!出ました!想像妊娠確定ーでーす!!』
ティアが力強く胸の内で突っ込む。
当然そんな風に思われていることなど知る由もなく、ケッツァコアトルは自分の一族の生態系について話し始めた。
「妾たちディオウサ一族は超生命体で不老不死ではあるが生まれ変わることができる。だが、大腸菌の様に自分のコピーを作るという訳ではない。単なる自分のコピーなら生まれ変わる必要はないからのぉ。」
「生物の多くが多種多様な可能性を求め、子を産み育てるように、妾たちもまた可能性を求め変わっていくのじゃ。」
なんだか急にまともな話をし始めるケッツァコアトルにティアとララは心中で茶化すのをやめて、その目と耳と心をケッツァコアトルに向ける。
「妾の一族は理想のパートナーが見つかると、心で繋がる。」
「「生命」との「契約の契り」を執り行う際に妾が感じたインスピレーションが妾のお腹に宿るのじゃ。お腹に宿った子は妾の体と心に直接繋がり、育っていく。今、この瞬間もお腹の子は妾から必要な能力を吸収し、不要な能力は新たに作り変えている。」
「お腹の子が何を是とし何を非と判断するか。その生まれ持つ個性に最も影響を与えるのが契約の契り。これは子を宿すきっかけではない。子の中核を形成する最も重要なプロセス。パートナー選びは断じて妥協できない最優先事項なのじゃ。妾がパートナーから受けるインスピレーションで全てが決まると言っても過言ではないからの。」
ケッツァコアトルはお腹の子に向けていた目をティアとララに向ける。その慈愛に満ちた目に、二人の胸は熱く高鳴る。
「妾は昨日、魔眼を使って雄一様の心に触れ確信した。契りを交わすのは雄一様以外にないと。ティアとララなら理解できるじゃろう。雄一様ほど強く、大きな器を持った者などおらぬことを。妾は見たぞ、この目で。魔眼をフル発動して、雄一様の大きさを。いや、それもまた、雄一様の「一面」にしか過ぎなかったのであろうが・・・。」
「これで妾の心は決まった。結果は最高じゃった。全てが妾の予想以上で理想以上の「契約の契り」ができた。あの瞬間から妾は母となったのじゃ。」
どうやらディオウサ一族は意図的に「想像妊娠で妊娠できる」種族と言うことらしい。つまりプラトニックラブで子ができる。
その愛の形は、両想いかどうかも問題ではない。花弁越しのキスであるかどうかさえ物理的なことなので関係がない。ケッツァコアトルの任意で心と心を繋いでいる瞬間こそが重要だったのだ。
極めて一方的で傲慢である一方、その愛の在り方は限りなく愚直に真っ直ぐである。
愛の原生、根源的な愛のカタチを見せつけ、ケッツァコアトルの、いや、ディオウサ一族の崇高性を高める。
そのことを理解し、ティアとララは自分の無粋さを恥じる。何処までも尊い、一つの「究極の愛の形」を「想像妊娠」と切って捨てた下卑た自分の考えを恥じた。
「普通1500年から2000年程でパートナーを見つけるのじゃが、妾は完璧主義でプライドが高く、いつまで経っても理想のパートナーを見つけられずにいた。そんな中、ムウに出会い、雄一様のことを聞いた。」
「雄一様と会うには更に2000年以上待つ必要があるとも聞かされた。」
「ムウは雄一様が妾にとって特別で大切な人だと言ったが、そんなに待てるか冗談ではない!雄一様は妾の子か孫にでもくれてやろうと初めのうちは思った。」
「じゃから妾はそれからも千里眼を使い様々なパートナーを探して回っていた。当然妾の理想通りのパートナーが現れれば迷わずそちらを選ぶつもりじゃった。」
「じゃが、知らぬ間に妾は理想像を雄一様に重ねるようになった。どのようなタイプの者を見つけても、雄一様ならきっとこうに違いないと、幻想に幻想を重ねていった。」
「その結果、とんでもない究極の理想像ができあがり、妾の作った理想の雄一様の姿に恋い焦がれ、雄一様の幻想に夢中になった。気が付けば、もはや千里眼でパートナーを探しすらしていなかった。ただただ、雄一様と会える日を指折り数え、一日千秋の思いで2000年の時を過ごした。」
「くくく・・。妾は既に雄一様の幻影で骨抜きにされておったのじゃな。」
「何度でも言う。雄一様は最高のパートナーじゃった。妾の想像や理想など遥かに凌駕していた。妾はこれでもう思い残すことは無いのじゃ。」
そう言うと、より一層優しい眼差しでお腹をさするケッツァコアトルにララが訊ねる。
「思い残すことが無いって、まるで子どもができるとあなたが消えてしまうような言い方ね。」
「そうじゃよ。妾の肉体はお腹の子を出産し終えれば間もなく滅びる。」
まるで何事でもないかのように、優しい表情のままお腹を撫でつつケッツァコアトルが答える。
「そ、そんな・・・。」
その言葉とその悠然とした仕草を前にティアとララは愕然とする。
昨日真実を知った時に味わった優越感は露と消える。そんな二人の目の前には只々眩しく輝く大いなる母の姿が映っていた。
勝つ、負ける、取る、取られる、こんな些細なことで自分たちが醜悪に心を囚われていたことを思い出しつつ、同時にそもそも同じ土俵に立ってすらいなかったことを思い知らされる。
「この子の名は「モモカ」。契約の契りの際、雄一様が妾にくれた言葉から付けた。どうじゃ?良い名だろう?」
「うん・・・。うん・・・。とっても良い名だよ。」
「ケッツァ・・コアトルちゃん・・。おめでとう。」
ティアとララが目に涙を浮かべながら笑顔で祝福する。そう、この時は、二人共心の底か祝福していた。
生涯で恋愛し、出産できる機会は一度きり。しかも、子を産めば全てを子に託し、不老不死の肉体が果てる。ケッツァコアトルの母もそのまた母もそのようにしてきた。
愛とは不老不死と言う超生命体をも遥かに超える尊きものであるとケッツァコアトルは示したのだ。
ティアとララにとっては感動的な恋愛観の話も、残念ながら雄一にとっては退屈極まりなく、雄一は少しウトウトしている。目下睡魔と熾烈な戦いを繰り広げていた。
「さて、随分と話したが、ティア、ララ、ムーンには特に聞いてもらいたいことが良き形で話せて妾も嬉しく思う。あと、最後に雄一様に一つ見てもらいたいものがあるのじゃが。・・・雄一様?雄一様?」
「ほら、雄一!呼ばれてるわよ!」
「んぇ?」
ケッツァコアトルからの呼び掛けに、うたた寝をしていて無反応の雄一を肘で突きながらティアが呼び起こす。雄一は妙な声を上げ少し目をこすっている。
「イダニコにもムウの黒印があるのじゃが、雄一様の国の言語で表記されており、2000年の間内容が分かっておらんのじゃ。今から案内する故、雄一様に解読して欲しいのじゃ。」
ムウの未解読黒印があることにティアが強い興味を抱く。
「直ぐに行きましょう。さぁ、雄一立って!立って!・・ん!?ムーン!!あんたまだ正気に戻ってないのか!?いい加減にしろぉ!」
ボコ!
浮き足立って、未だ呆けているムーンの背中にティアが強烈な蹴りの一撃を加える。これまでに見たこともないような見事な蹴りだった。
「う゛う゛う゛・・」と呻き声を上げているムーンにティアは混乱回復魔法コンフュリリースを掛けてやる。すると漸くムーンは目をパチクリとさせ長い混乱から回復した。
「私・・一体・・。ああ・・記憶が途切れ途切れだわ。でもなんだろう、背中が少し痛いわ。」
昨日の見事な仲裁を成し遂げた凛々しい姿と打って変わり今日のムーンは酷すぎる。
雄一は気にもしていない様子だが、他の誰もがムーンに白い眼を向け、ケッツァコアトルの後を付いて行く。ムーンは眠りから醒めたばかりの呆けた表情のまま、どん尻で皆を追いかけるように付いて行った。
移動中、ティアはケッツァコアトルと一般市民となったメガロス兵の今後について、交渉のような話を持ち掛け、手短に纏めていた。