#58 口裏合わせ
雄一とのキスを条件にティアが魔眼能力、過去視を使って雄一とケッツァコアトルのキスシーンを再び覗き見る。いや、覗き見るとはとても言えないほど近い。ティアは二人の息遣いが聞こえるほどの超至近距離で、目を血走らせてガン見している。
美しい花々に囲まれ風に吹かれた花弁が舞い散る最高のシチュエーションにジェラシーを感じながらトラウマシーンが訪れる。
過去は決して変わらない。変えられない。どのような強力強大な能力をもってしても動かすことができない。
残酷な過去はいつまでも残酷なままだ。
過去の二人は見つめ合い、ケッツァコアトルが踵を上げ、瞼を閉じて、その薄く開いた口を雄一へ重ねようとする。
何一つ変わらない過去。至近距離で二人の息遣いすら感じるのが余計辛い。
んが、風に吹かれ舞い散る一片の花弁が雄一の唇とケッツァコアトルの唇の間に入り込み、挟まれた。一つの知られざる真実がティアの心に一筋の灯りを走らせる。
そう、これは花弁越しのキス。花弁が雄一のファーストキスを守った瞬間だった。
ティアの目が真ん丸になる。衝撃と驚愕と歓喜の感情が溢れ出る中、刺さっていた心の棘が霧散した。
過去のケッツァコアトルが頬を染めて雄一に声を掛ける。
「どうじゃった。妾との契約の契りは。」
「・・・。うーん・・。えっとね。桃色の花びらの香りがした。」
「ゆ、雄一様・・。妾との契りを桃の香りと言うてくれるのか。」
「・・?」
ティアは気付く。キスの瞬間雄一は目を開けていた。そしてキスを遮った花弁の色はまさしくピンク。桃色だった。雄一はケッツァコアトルのキスを「桃の香り」と例えたわけではない。ただ、ありのままを言葉にしたに過ぎなかった。
ムーンが違和感を覚えたのはまさにここ。雄一がした契約の契りを「桃色の花弁の香り」と言う風に表現したことに不自然さを感じたのだ。
『よくよく考えれば、あの雄一がこんな気の利いた言葉を言うはずがないわね。ふっ。スッキリしたらなんだか、熱くなってた自分がばかばかしいわ。』
顔を赤くして走り去るケッツァコアトルが見えなくなると、乙女心など欠片も理解せず、とっとと花壇に潜り、何事もなかったように虫の観察に戻る過去の雄一に白い目を向け軽くディスりつつ、過去視を終えるティア。
「どうだった!?ティアちゃん!?」
過去視の瞑目が終わるや否やララが食い気味にティアに話しかける。ティアは小さく頷くと。「ケッツァコアトル様は偉大なり!ケッツァコアトル様は偉大なり!!」と両手を組み叫び始める。その表情、実に穏やかで安らかであった。まるで悟りを開いた高僧のように・・。
ララがそれで全てを察し、ティアの隣に並んで復唱を始めた。あたかもムーンの教戒が彼女たちを変えたように映る。
「「ケッツァコアトル様は偉大なり!ケッツァコアトル様は偉大なり!」」
その後、暫くの間ムーンの部屋からはこの詠唱が繰り返し続いた。二人の詠唱する姿を魔眼、千里眼で覗き見ていたケッツァコアトルのご機嫌が過剰に良くなったのは余談である。
夕刻、そんなドタバタがあったことなど何も知らない泥だらけの雄一はバゴクリスに引っ張り連れられ、再びお風呂を済ませると、昼食同様豪華な夕食をみんなと一緒に摂り、穏やかな夜を過ごした。
翌日、予定通りケッツァコアトルへ謁見するため王室へ案内される雄一たち。
洗濯の済んだ清潔な自分たちの装備を身に纏っている。装備が粉々に粉砕されたバラダーだけはイダニコから渡された服を身に着けている。謁見に相応しいかどうか微妙な格好だが、ティアの小さく揺れる羽の天使衣装に比べたら全ての着衣がまともに見える。
王室内が何やらざわざわと騒がしい様子だったが、ドアを開けるとピタリと静まり返った。
雄一たちはシルフの執事に案内されるまま玉座の前へ並ぶ。
分後、王室の奥から赤いドレスとマントを身に纏い、頭に小さなティアラを乗せたケッツァコアトルが現れ、玉座に座る。
4000年の年季は伊達ではない。幼い容姿に関わらず堂々とした威厳と風格を感じる。
「妾が妖精の国イゴニタを納める女王ケッツァコアトル・ディオウサである。」
雄一以外、片膝を着き胸に手を当て、頭を垂れる。その様子に慌てて雄一も真似をしようとするがケッツァコアトルに制止させられる。
「ああああ、良いのです。雄一様。どうぞ、そのままでいてくだされ。・・ダ・・ダンナ・・サ・マ♡」
顔を真っ赤にして、いっぱいいっぱいな感じで「旦那様」のフレーズを言い終えると両手で顔を覆い隠し、両足をばたつかせ「きゃーっ言っちゃった。」と一人で騒いでいる。
皆が白目をして引き攣っていると、我を取り戻したケッツァコアトルが一つ咳払いすると、再び威厳のあるオーラを撒き散らす。
「あー、他の者たちも、頭を上げて構わぬ。出来ればお互いフェアな立場で話がしたい。」
ケッツァコアトルが手を叩くと、執事たちが全員分の豪華な椅子を用意した。ケッツァコアトルに促され皆用意された椅子に腰かける。
ティアが形式的な歓迎への感謝の挨拶を済ませ、ケッツァコアトルも形式的な挨拶を済ませる。昨日の乱闘などまるでなかったかのような二人の会話がしばし続いた。
その後、ティアが、既に知られていたメガロス王国による「迷いの森平定」の話を始め、本国へは雄一の敗北により平定失敗を報告すると言うことを伝えた。
しかし、ケッツァコアトルの考えは少し違っていた。
「妾はメガロス王国ごときの発展に興味は無いが、雄一様の為にあの国をある程度は見ておった。」
「雄一様は間違いなく世界の救世主となるお方じゃ。世界の王に相応しいお方じゃ。じゃが、敗走したと、失敗報告をすれば、あの国での雄一様の立場が危うくなるじゃろう。そして瞬く間に世界中にその知らせは周り、誤った評価が広がるじゃろう。」
「それに、位階や活動資金はまぁ、どうとでもなるじゃろうが、宝玉授与もされなくなるぞ?」
「妾はもし雄一様が望むのならこの国をメガロス王国の属国にしても構わぬぞ。」
ケッツァコアトルの雄一の立場を心配した申し入れに一寸間をおいてティアが答える。
「いえ、ご存じでしょうが、それではこの国がメガロス王国の喰い物にされてしまいます。ここにいる者は誰もそれを望んでいません。」
メガロス王国の立場からすれば願ってもない話だが、ティアはケッツァコアトルの申し出を断る。
問題は立場違えるバラダーだ。この謁見での裏事情を暴露されては身も蓋もない。ティアがちらと一瞥するが、バラダーは眉一つ動かさず沈黙を守り瞑目している。
「うむ。そうか。」
「それでは、いっそこの国を雄一様の国に致しては如何か。実は妾の一番の望みは雄一様がこの国の王となられることじゃ。」
「えっ!?」
「森の平定などケチ臭い。丸ごとこの国を雄一様のものにすれば良い。」
「雄一様が人間の間では伝説となっている妖精の国イダニコの王として凱旋すればよい。世界中が驚愕し、雄一様は世界の中心に躍り出ることになる。そうなればメガロス王国の愚かな首脳連中も迂闊に手が出せなくなるじゃろう。くっくぁっおっおおぉぅっ。自分で言って興奮するわ。」
明らかに性的興奮を覚えた喘ぎ声を漏らしつつ、ケッツァコアトルは話を続ける。
「そうそう、アース王は信用のできる人物だぞ。あ奴は強力な認識阻害魔法の使いてで、妾も苦労していたが、妾の視線と存在に気付くとあっさり阻害魔法を解除しよった。随分国を纏めるのに苦労しておるようじゃがな。まぁ、これだけの条件を揃えてやれば、あの阿保共を捻じ伏せ約束通り宝玉授与を執り行うだろう。」
「試しにイエラキを筆頭にトロルたちおよそ、5000の軍勢を従え凱旋してみろ。くっくっく。雄一様をおもちゃにしようとしている、きゃつらの怯える顔が目に浮かぶわ。くくく・・。」
ケッツァコアトルは雄一の位階授与式も見ていた。そしてメガロス王国の雄一に対する対応と決定に憤慨した。
その阿保共のお陰で早々に雄一がイダニコへ来る切っ掛けとなった事実など知ったこっちゃない。雄一を愚弄したと言う大罪を許せるはずがなかった。
メガロス王国の下衆な重鎮どもへは機を見て特大の「灸」を据えてやろうと思っていたのだ。
ティアも流石にこの申し出は二つ返事で受け入れたい。願ったり叶ったりの申し出に断る理由も浮かばない。何より申し出の根幹には「雄一第一」が掲げられている。
「バラダー将軍・・この話、受けてもいいかしら。」
ティアが小声でバラダーに声を掛ける。バラダーは瞑目していた目を薄っすらと開ける。
「わしは小僧と出会って、小僧と旅をして真の強者とは何かを知った。」
「・・いや、小僧は余りに巨大すぎた。強者の片鱗を見たと言った方がいい。故に、同時に自分の小ささにも気付いた。」
「小僧は勇者としての資質、実力、器、どれをとっても申し分ない漢の中の漢だ。」
「メガロス王国軍将軍バラダー・フルリオは神谷雄一を唯一無二の救世主と認める。」
「わしの顔色など気にせずともよい。好きにせよ。お前らは・・わしの・・・仲間だ。」
最後の方はぼそぼそと口籠りながら話すバラダーに皆の頬は緩み、目が細くなる。
ティアはほっと息を吐きケッツァコアトルに顔を向け返答しようとする。が、ここでララが発言する。
「ティアちゃん。雄一君にも念のため確認を取って。ねっ?」
「ああ、そ、そうね。ねぇ雄一。この国の王様になってもいいわよね?」
「ううん。ならない。」
雄一は即答で首を横に振って答える。ティアは予想外と言うように驚き、ララは予想通りと言う顔をする。ケッツァコアトルもまた予想通りだったようで、澄ました顔をして雄一に問う。
「ふむ。分かった。じゃが、どうしてじゃ?」
「あははー。なんだかよくわからないけど、ケッツァコアトルちゃん。ぼくのこといっぱい心配してくれてる気持ちは分かったよ?」
「とても嬉しかった。いっぱいいっぱい、ありがとう。」
「でも、ぼくは大丈夫だから心配しないで。それに、こんなことで誇り高き森の番人が兵隊さんになるのは悲しい。」
雄一の言葉を聞きケッツァコアトルは頬を緩ませる。愛しい人へ向ける眼差しの中に少し寂し気な気配を覗かせる。
「心配いらない・・か。・・雄一様らしい返答じゃ。それでこそお仕えし甲斐があると言うものだが・・。今回は妾も雄一様の御意向を尊重するとしよう。」
驚きから抜け出せないティア以外、皆がにっこりと微笑み、雄一もまた満面の笑みをケッツァコアトルに向けて零す。
笑顔に包まれてケッツァコアトルは幸せそうだ。満足気にコクコクと繰り返し頷いている。
暫し王室が和やかな空気に包まれた。と、ここでララが静かに立ち上がり、右手を折り曲げ小さくお辞儀をする。洗練された無駄のない気品に満ちたその仕草にほーっと溜息が出る。
「恐れながら、発言の機会を頂きたいのですが。」
「ほぅ。見事なその身のこなし・・。やはりそなたは美しいのぅ。じゃが、妾はそなたとも仲良くなりたいのじゃ。もっと砕けた言葉を使うがよいぞ?ララ・イクソス。」
昨日の件もあるが淑女の手本の様に優雅で丁寧な物腰のララにケッツァコアトルが目を細めて答える。
向き直ったララの目を見てケッツァコアトルの胸が鳴る。昨日の嫉妬に狂った女とはまるで別人。全身が艶っぽく透明感がある。4000年を生きたケッツァコアトルがその姿に心奪われる。その色っぽさは大人の女性と言うよりも存分に溢れ出る気品によって生まれていることに気付き、尚、思わず見とれてしまう。
ケッツァコアトルがララに陶酔して、ぽーっとしていたその時だった。
「ばばあ・・。」
いや、空耳。ケッツァコアトルの耳には「ばばあ」と確かにそう聞こえたが、ララの可愛らしい小さなその口は1mmたりとも動いてはいなかった。間違いなく空耳。第一ララがそんな下品な言葉を口にする筈もない。
それでも、ハッキリ「ばばあ」と聞こえたケッツァコアトルの笑顔が小さく引き攣った 。