#54 契約の契り
皆がそれぞれ自分の部屋で昼寝をしている中、雄一は頭の上にスライムのシゲルを載せて城の外にある花壇の中へ入っている。時折吹く柔らかな風が大きく開いた花々を散らさんばかりに揺らしている。
雄一は折角お風呂に入って体を洗い、新品の浴衣を身につけていたのだが、まるで気にもせず花壇の中を這いずり廻っている。
するとそんな雄一に声を掛ける者がいた。
「雄一君。そんなところでなにをしているのじゃ?」
声を掛けられた雄一は花壇の花々の間からぴょこんと顔を出す。
そこには雄一よりも少し小さい少女がちんまりと立っていた。
腰まで伸びる長い髪はビリジアンからライトグリーンにグラデーションした色をしており、真っ赤なリボンでツインテールに束ねている。その身を純白で半透明の衣で幾重にも纏い、その衣に負けない程白い肌を覗かせる。背中からは団扇状の透明な羽が生えている。耳は尖り、大きな瞳は少し垂れ、小さな鼻に小さな口をした可愛らしい少女だった。
「ぼくのこと知ってるの?」
「くっくく。妾じゃよ。雄一君。ケッツァコアトルじゃ。」
「へーっ。とても4000歳には見えないね。ぼくより年下かと思った。」
「むうっ。女性に年齢のこと言うは失礼じゃぞ。そんなことより、そんなところで何をしておるのじゃ。」
ケッツァコアトルは口を尖らせてみせるが、雄一はケッツァコアトルの機嫌など関係ないとばかりに満面の笑みを零したため益々拗ねた様子を見せる。
「えへへ。虫さんたちのお話を聞いてるんだよ。楽しいよー。」
「ほう。そいつは驚いた。主は虫の言葉が分かるのか?虫の話はそんなに楽しいのか?」
虫の話を聞くことができる特殊能力などに興味は無いが、雄一に興味のあるケッツァコアトルは話に乗っかる。
「ケッツァコアトルちゃんも一緒にお話し聞く?」
「むぅ。妾をちゃん付けするとは・・・。」
方頬を膨らませるケッツァコアトルに雄一は花壇から身を乗り出し、腕を伸ばす。雄一の目をちらりと一瞥するとケッツァコアトルは小さな鼻を「すん」と膨らませて雄一の小さな掌を更に小さな掌で掴む。
『くくく。明日の謁見など待てやせぬ。悪いが主の本質ここで見極めさせてもらうぞ雄一君。』
花壇の中、二人は花々に囲まれ肩を寄せ合う。雄一は頬を緩ませた穏やかな顔でぼーっとしている。ケッツァコアトルは雄一の視線の方を凝視するが一向に何を見つめているのかわからない。ケッツァコアトルは4000年以上生き続けた自分に聞こえぬ物を10歳の少年雄一が捉えていることに苛立ち始める。
「妾には虫の会話など、とんと聞こえぬのだが。」
「あははー。虫さんたちの声はとても小さいの。でも耳を澄ませばあちこちから聞こえてくるよ。」
「・・・・。」
雄一に言われた通り耳を澄ませるが聞こえてこない。寧ろ耳をすませば城の庭園に飛び交う鳥たちの囀りがよく聞こえてくる。すると雄一が羽を細かく動かしながら花の蜜を吸う蝶を指差した。
「ほら。聞こえる?美味しいよって。次はどこへ行こうかなって。」
『雄一の言っている虫の会話とは、自分が虫の気持ちになるってことか?子ども特有の「感受性が敏感」だと言うことか。』
雄一が指差した蝶の様子を見ながらケッツァコアトルがそんなことを思っていると。また雄一が別の所に指を向ける。指さす方を見ると花の茎から汁を吸うアブラムシをテントウムシが食べている。そして襲われるアブラムシを守る様にクロアリがテントウムシを襲っている。
「凄い闘いでしょ?テントウムシのアブラムシを咀嚼する音や、蟻の牙が激しくぶつかる音聞こえる?」
『んんん?やっぱり音が聞こえているのか?それとも、やはりそう感じているだけなのか?どっちだ?』
その後も雄一はあちこちを指差しケッツァコアトルに説明をする。
飛び交う蝶の恋の歌。それを狙いせっせと巣を張る蜘蛛や鎌を磨く蟷螂の仕草。
地には列をなして歩く蟻の行進。その中には助けたアブラムシから蜜を貰った蟻も見つけ、教える。
朽ちた有機物を貪るダンゴムシ。地中を蠢くミミズに至るまで。聞こえるとも聞こえないとも言える虫たちの息遣いを雄一は話して聞かせた。
「雄一君はこんなのが楽しいのか?」
「うん。みんなぼくたちと一緒。一生懸命生きてる。かっこいい。でも、同じくらい悲しい。色々全部で楽しい。」
『・・・ふむ。面白い。一つ仕掛けてみるか。』
ケッツァコアトルの表情が変わる。雄一の本心を、真意を引き出すため辛辣な言葉で揺さぶりを仕掛けてみる。
「ふん。こんなものちっとも楽しくないではないか。主はこんなちっぽけな虫けらがかっこいいと申すか。妾が知る限り、こ奴らは4000年以上もの間、飽きもせず延々と同じことを繰り返すだけの惨めで哀れな存在じゃ。」
「主が妾に教えてくれたことは虫の会話ではない。主がそう話しているよう感じているだけじゃ。」
しかし雄一はケッツァコアトルの辛辣な言葉に眉一つ動かさない。表情も変わらない。緩ませた頬のまま虫たちを見つめ続けている。
攻撃的な言葉で仕掛けた側のケッツァコアトルだったが軽く躱された格好だ。雄一は気にも留めていない。その様子にケッツァコアトルは雄一を睨みつける。
すると、雄一の虫たちに向ける目を見て、逆に自分の胸に巨杭が突き刺さる感覚を覚え、目を丸くするケッツァコアトル。
その目は只々深く澄み切り、慈愛に満ちた眼差しだった。確かに見覚えがある忘れられないその目。それはケッツァコアトルが4000年以上前に見た「母の眼差し」。それであった。
「・・・ぼくも、自分の気持ちや考えを上手く言葉にできないよ。それでよく皆に迷惑かけてるんだ。えへへ。ぼくも虫けらと同じだね。」
ケッツァコアトルは自分の鼓動が「トクン」と響くのを覚える。
「だけどね。ケッツァコアトルちゃん。虫さんたちみんなちゃあんと「意思」を持っているんだよ。「生きる」って。」
「虫さんたちは全身を使って会話をしているんだよ。でも別に虫さんたちはそのことを誰かに聞いてもらいたいとか、聞かせようとしている訳じゃないんだよ。ぼくが勝手にそれを聞いているだけ。」
「虫さんたちの「もっともっと生きるんだ」って言う声を、ただ聞いているの。我武者羅で、色んなことに抗って、命懸けで出してる声。それってやっぱりかっこいいよね。」
「でも、どうしかな。胸を締め付けられるほど悲しくも感じるんだよ。」
「うっ・・・。」
ケッツァコアトルは言葉を失くす。胸を締め付けられ息ができない。その中で、ケッツァコアトルは決心を固める。
『この子は既に命の本質を見抜いている。今こそ確かめねばならぬ、心の器の大きさを。今こそ触れねばならぬ、妾の魔眼「千里眼」の能力を最大限引き出して。』
暫く沈黙が続く。雄一にすればその時間虫たちの声に耳を傾けていただけだが、その間、考えと思いを巡らせていたケッツァコアトルが続いていた沈黙を破る。
「雄一君・・。妾に一つだけ教えてくれ。何故、我が国に対し負けを認めた。何故わざと負ける必要があった?主が本気で望めばこの国を支配することだってできただろうに・・・。」
少しの間首を傾け考えていた雄一がケッツァコアトルに顔を向け、目を合わせるとにっこりと微笑み答える。
「どうしても変わっていくぼくが、変わっていくぼくであるために。どうしても変わらないぼくが、変わらないぼくであるために。こんなにも美しいこの国がこの美しい国であるために。・・・あれ?・・あははー。ぼく変なこと言ってるかなぁ?やっぱり上手く説明できないー。」
『ああ、妾には分かる。妾には見える。君の器が・・君の心が。今、手を伸ばせば触れられる程近くに、はっきりと。』
『ああ、ようよう君に触れられた。・・何て大きさじゃろう。何て暖かいのじゃろう。君の言葉通りだ。このような器、言葉では説明などできる筈もない。でも雄一君・・君ならきっと・・・。』
ケッツァコアトルの目から自然と涙が溢れ出る。瞬きもせずポロリポロリと落ち続ける涙。
「えっ?あれ?どうしたの?大丈夫?ケッツァコアトルちゃん?」
「雄一君。妾は今から2000年以上前にムウから君のことを聞いた。君は世界にとっても妾にとってもとても大切で特別な少年だと。そのくせムウは詳しいことを教えてくれなかった。自分の目と心で確かめろと。」
ケッツァコアトルは漸く強く瞼を閉じ両手で涙を拭うと勢いよく立ち上がる。
「雄一君!立って。」
ケッツァコアトルは雄一に手を差し伸べ雄一をその場に立たせると両手を優しく握る。
「妾は決めたぞ。妾は雄一君と契約の契りを結ぶ。」
「契約の契り?なぁに?それ。」
優しい風が吹き、花弁が舞い散る中、ケッツァコアトルは少し背を伸ばして瞳を閉じると雄一の唇に唇をそっと重ねた。
ほんの一瞬の口付けだった。柔らか風と花弁がそんな二人を包み込む。
その口づけを交わす二人の様子を偶然見てしまった者がいた。昼寝をしていたはずのティアである。
ティアの頭は真っ白になり、秒程立ち尽くしていたが、胸を押さえ逃げるようにその場を立ち去った。
口を真一文字に縛り、胸に伝わるほんの小さな痛みを、脈打つように確かに刻みながら。




