#52 敗北
雄一一行はイエラキの案内で迷いの森を進んでいる。
イエラキの言うことには、頭首ケッツァコアトルが納める小国イダニコ。
その歴史は4000年を超えるほど古く。ケッツァコアトルが張っている結界要塞「迷いの森」に守られ、過去に侵略されたことは無く、逆に侵略行為も行わず、他国との関係を一切持たない独自独立国家だと言う。
「しかし4000年の歴史とは恐れ入る。そのような長きに渡り迷いの森の結界をどうやって維持し続けることができるのだ?」
バラダーの問い掛けにイエラキが答える。
「我が国イダニコには強力な魔法塔があり、偉大なる我が主ケッツァコアトル様と合わせることで結界は維持されている。」
「ケッツァコアトル様は強力な千里眼を持つ魔術者であると同時に不老不死の妖精である。」
「イダニコ国4000年の歴史と言う年月はそのままケッツァコアトル様の齢となる。実はケッツァコアトル様自身も本当の年齢など覚えていないらしいから実際のことは誰にも分らんのだがな。ぐははは。」
イエラキの返答にティアが慌てて問う。
「妖精ですって?さっき妖精って言った?」
「ん?何を今更言っているのだ?トロルである我も妖精だ。イダニコは妖精の国だ。」
「あなたも妖精・・?」
トロルの容姿を見て誰が妖精と思うだろうか。可愛らしさの欠片も無い巨大な体躯に、ゴリラ顔の毛むくじゃら。どこからどう見ても怪物。モンスターの類にしか見えない。
何とかいいように見ようと、細目で見ても・・やっぱり怪物。愛情を込めた贔屓目で見ても・・残念ながらやっぱり怪物だ。
ティアは無論そんなことを口が裂けても言うわけにいかず、引き攣る顔を見せまいとしてイエラキから顔を背けてしまう。しかし、重要なことはトロルが妖精か否かの問題ではない。ムウの世界において妖精は伝説上の存在。バラダーとムーンは勿論のこと、ティアですら文献での知識しか持ち合わせていない。
「イエラキさん。トロル以外他にも違う種の妖精はおられるのですか?」
「当然だ。ウンディーネ一族。シルフ一族。ブルカン一族。ノーム一族。ドリアード一族。他にもドワーフやエルフと言った亜人種もいる。」
ぐははと笑いながら答えるイエラキ。トロル以外の羅列された一族名を聞いてティアは興奮を隠せない。
「私、震えてるわ。文献では妖精種は2000年以上も前に絶滅したとされていたから。」
「ぐはは。絶滅か。そりゃあいい。他国との交流を嫌う独自独立国家の我らからは好都合だ。」
興奮するティアを尻目に冷静なララがイエラキに質問をする。
「ねぇ、イエラキさん。どうして他国との交流を嫌うの?」
「ぐはは。理由は幾つもある。まずは千里眼を持つ主は世界中の動きを見ておられる。必要な知識や情報、文化と言った類のものは交流を持たずとも手に入れられるのだ。」
「それから主は貨幣制度を非常に嫌っておられる。欲望に溺れる人間共を散々目にされており、貨幣制度は勿論のこと、そんな浅ましい人間に嫌気が差しておられる。」
「他にもあるが、そんな下等な生き物と誰が交流したいと思うか。」
ララはイエラキの言葉に沈黙する。返す言葉もない。貨幣制度の致命的な欠点を突いた正論だった。しかし、ララの目はぐうの音も出ないと言う表情ではない。イエラキを、どこか哀れみの含んだ目で見つめていた。
ララのそんな目に気付きもしないイエラキは自慢げに胸を張っている。
「おっと、さあ着いたぞ。ようこそ我が妖精の国イダニコへ。」
皆がイエラキの案内に従い迷いの森から抜ける。小高い丘から国を一望できる筈なのだが、急に飛び込んだ強い光で目の前が真っ白になるのを感じる。常に薄暗く鬱蒼とした森の雰囲気は微塵も感じられない。雲一つない蒼天が広がり太陽の光が贅沢に降り注ぐ。
「すごい・・。まさか天候まで操っているの?」
「正しく、その通りだ。」
ティアの呟きにイエラキが鼻を高くして答える。
漸く瞼が強い光に慣れ始めるとそこには美しい田園風景が広がった。八方から幾本も通った小川が田畑を潤し、また別の川沿いには幾つもの集落が立ち並ぶ。集落や町並みは国の中央に向かうほど広がりを見せ、その中心には巨大な塔が一本、天を突き抜けるほど高く聳え立っている。
建造物は基本土で作られ漆喰を施された造りのようで、どれも清潔感があり、水色、桜色、薄黄色と言ったシャーベットカラーの色合い。道も街も立体的でゆとりがあるダイナミックな造りだ。
それなのに派手さは無い。デザインが洗練されているからだ。国そのものが、あらゆる要素と調和し、極めて自然で心に沁みる。完成された一つの国としての理想形がそこにはあった。
皆がその景色に心を奪われ立ち竦んでしまう。
「・・・この感動を上手く言葉にできないけれど、まさにここは妖精の国と呼ぶに相応しいわ。」
「ぐはは。ティア殿は世辞が上手いな。」
ティアの言葉や皆の反応にイエラキも満悦な表情を浮かべる。しかし、ここで雄一が発した突然の言葉に皆が困惑する。
「イエラキさん。ぼくを殴って。」
「はぁっ!?」
雄一のとち狂った発言を受け、イエラキの声が裏返る。
「雄一殿?我の聞き間違えだと思うが、我に殴れと申されたか?」
「うん。申された。今すぐ、力いっぱいぼくを殴って。」
雄一はイエラキの正面に立ちはだかる。その顔は真顔で真剣そのものだ。冗談で言っているようには見えないが、意図が全くもって分からない。
ティアが雄一を窘めようとすると、ララがそれを止め、ティアを見つめ小さく首を振る。ムーンもまた後ろに控えたまま腕を組み、何も言わず様子を見ている。
バゴクリスとバラダーは混乱して狼狽えているので放置された。
「この国を守る為なの。とても大事なこと。早くぼくを殴って。」
イエラキが茫然とする。国を守ると言っているが、いくら考えても意味が分からない。
『闘いは終わったのだ。今更我が殴って何になる?この少年は一体何を考えているのだ?』
イエラキは真意を探ろうと雄一の目を覗き込む。
イエラキの背筋がぞくぞくと震え始める。自分の膝の高さもないちっぽけな少年の小さな目に自分の巨体が全て吸い込まれる感覚を覚える。
『こ・・これだ・・。一体何なんだこの子は・・。この・・まるで魅入られる感覚。』
イエラキは雄一の瞳の中の自分がまるで何処までも続く地平線の彼方へ吸い込まれていくようだった。
イエラキは一度ゆっくり目をつぶると、覚悟を決めた。
「ああ、分かったよ・・。お前がそれを望むのならそうしよう。」
イエラキはまるで雄一に操られているかのような感覚の中、固めた拳を天高く振り上げ、体重を乗せ、力の限り雄一の顔面に向け振り下ろした。
雄一は微動だにせずそれを甘んじて受け鼻から血を噴き出した。ティアが思わず目を逸らす。ムーンは下唇を噛み締める。ララは眉間に力を入れ瞑目している。
たった一振りで全身から汗を噴き出すイエラキに対し、一撃を貰った雄一は表情を一切崩さずその場で両膝を着く。
「参りました。ぼくの負けです。」
「ぜーっぜーっ」
跪いた雄一が突然敗北宣言をする。依然としてイエラキの頭は驚きと疑問でいっぱいのままだ。だが、それよりも雄一に一撃を喰らわせた後の脱力感が半端なく、顔を青くして荒い息を吐いている。
「くっくくく。まったく君の行動や発言には興味が尽きないよ。雄一君?」
すると、突然皆の頭の中に声が響き出した。
「えっ?だれ?だれもいないのに声が聞こえるよ。」
雄一が顔を上げキョロキョロ首を左右に振る。他の皆も声の主が分からず雄一と同じように辺りを見回している。しかし、声の主が分からぬまま再び頭に声が響く。
「妾はケッツァコアトル・ディオウサ。」
「これは念話じゃ。主ら皆の心に直接話しかけておる。トロルから話を聞かずともずっと主らのことは見ておったよ。」
「皆疲れているだろう。妾は主らを歓迎する。我が城でゆっくりと体を休めるとよい。」
「さてイエラキ。此度の働きご苦労であった。馬を用意してある故、雄一君以下その者たちを丁重にもてなせ。」
「ぎょっ!御意!!」
イエラキはその場で跪き、焦った様子で答える。ケッツァコアトルの念話はイエラキをもってして余程特別なことのようだ。
森を抜けた一向を大型バスのように巨大で絢爛豪華な馬車が待っていた。