#34 玉
「馬鹿な! 相手は過去視の能力を持っておるのだぞ。しくじったで済まされるか!!」
「しかしナダル殿。日をまたいでいるにも関わらず、大聖堂に一切の動きがないのはおかしい。ひょっとしたら、暗殺計画の実行そのものが、無かった可能性もありますぞ」
「左様。ガボク殿の言う通り。偶発的な事故によりニッコウ・ゲッコウ兄弟の頭が呆けてしまったのやもしれぬ」
ニッコウ・ゲッコウ兄弟は、ティア暗殺計画の実行日翌朝、町のボランティア活動に参加している所を保護された。
二人は健康そのもので、穏やかな笑顔を見せていたが、一切の記憶を失くしていた。
如何なる質問にも答えられず、埒が開かないため、釈放してみたところ、二人して町のボランティア会員に登録し、いそいそと現場へと向かった。
「二人をコントロールするような魔法使用は、一切認められなかったと報告にはあるが。これが人為的に行われたものであれば、恐るべき力だ」
「よもや、神谷による仕業ではなかろうな……」
「極め脳筋に、いくらなんでもそれは……。別動隊の報告によると、彼らが掘っていた大聖堂へのトンネルは崩落していたと聞いている」
「二人して生き埋めになり、長時間の酸欠状態であれば脳へのダメージは深刻。それで人格変化の影響を及ぼした……とすれば」
「それが偶発的な事故の線……か。なるほど、有り得るな」
国家転覆を謀るナダルたちは、ニッコウ・ゲッコウ兄弟による暗殺計画を、事故による未遂と断定した。
そして、ティアに向け、第二の矢を放つことに決めたのだった――。
◇◇◇◇◆◆◆◆
先日から大聖堂に入られた救世主、神谷雄一様。その雄一様が、料理長を務めるこの私に、わざわざ挨拶に来られた。
大人十人前を軽く平らげてしまうので、どんな大男かと思っていたら、なんともかわいい少年だった。
「なんですと!? 雄一様が、このあたくしめの為に手紙を?」
「うん。一生懸命に書いたの。読んでみて?」
「コッコッコッ。では、読ませていただきます……。りょうりちょ、がろぷらさんへ。いっつもう、おいしごはん、ありがとうますございます。かみや、ゆういち……」
「あはは~、文章いっぱい間違ってたね」
「コケコケコ……、とんでもございません。一文字一文字から、雄一様の心が伝わってきます。一生大切にします」
「あはは~、ガロプラさんお~げさ」
「いいえ。このように光栄なことはありません。家宝に致します」
「あはは~、ところでお願いがあります」
「はて、なんでございましょう……」
雄一様が料理を手伝いたいと申された。何たる僥倖。親衛隊の皆、楽しみにしてるがよい。今夜のディナーは雄一様による特別メニューだぞ。
「毎度おおきに~、ご注文のお肉をお届けに参りました~」
おおっと、忘れていた。新鮮なミノタウロスを丸々一頭、購入していたのだった。
「配達員さん。済まんがそこの大型冷蔵庫に運んでくれないか」
「へ~い。野郎共いくぞー」
「「「よいしょ、よいしょ」」」
ずるずる。
「重そうだね。ぼくも手伝うよ~」
「はっはっはっ。小僧、危ないから向こうへ行ってろ」
ひょい。
「「「「なにっ」」」」
「ココでいいかな? えいっ」
どーん。
「コッコッコッ。さすが救世主様。しかし、そちらは冷凍室です」
「あはは~、そうなんだ。でも今日、お肉は使わないし、冷凍しておく方が、いいと思うよ」
「さようでございますか。でしたら、マイナス百二十度の急速冷凍で、新鮮さを閉じ込めておきましょう」
コッコッコッ肉屋の配達員は目を丸くして帰りましたか。我が力を見せた時の様に、誇らしさを感じるものです。
「わんわん雄一様~」
「あ、ムーン」
「お料理してるんですか? もう、お勉強の方はいいのですか? わんわん」
「あはは~、これも、みんなを守るための大切なお勉強。だよ?」
「さすがです! 雄一様。私も何かお手伝いさせてください」
「ありがとうムーン。とっても助かるよ。じゃあね、そこに座ってじっとしててくれる?」
「あおん? それってお手伝い?」
「待てっ、だよ? 上手にできるかな?」
「あお~ん! お安い御用です。ハッハッ……」
コッコッコッ、飼い犬の扱いにも、よく慣れておられる……。
それにしても、驚きました。雄一様の料理は、至極単純で、一見稚拙。でも、誰も真似のできない、真心の詰まった料理でした。
それはまるで、頂いた手紙と同じように、技術ではなく魂で作った料理。
私は目の前で起きている現象が、まるで理解できなかった。化学反応による物質の変化を目の当たりにしたのか。
それとも、多細胞が単細胞へと退化した瞬間を目撃したのか。いや、それこそが進化の瞬間なのか……見当すらつきません。
この料理は一体……。
「うわお~んっ、きれー。雄一様? これは何と言う料理ですか」
「おむすび、って、言うんだよ?」
おむすび……。
それは、五合分の、炊きたてあつあつご飯が、雄一様の手の中で、圧縮と融合を繰り返し、遂に結晶化したもの。
これはまさに、一口サイズの宝玉です。
その後、親衛隊百余名の胃袋の数だけ、奇跡は繰り返されました――。
◇◇◇◇◆◆◆◆
その夜、雄一謹製おむすびモドキと、スープが、食卓に並べられた。
「Is this a orb ?」
「No. it is」
「This is a food」
中学英語、使えない例文。のような言葉が飛び交う。
しかしこの、「食べ物と主張する物体」を口にしても、噛み砕くことは叶わなかった。そのため、多くの者は、丸呑みしてスープで胃袋へ押し込んだのだった。
◇◇◇◇◆◆◆◆
そして、その深夜――。
ガタン! ガタガタ、ゴトゴト……ギイィッ。
厨房の巨大冷凍室から、真っ白なケンタウロスが、もうもうと白煙を上げて出てきた。
ズシン、ズシン……ドシャッ。
膝から倒れたケンタウロスの背中から、黒いスーツにサングラス姿の男が出てきた。
ナダルの放った第二の矢。闇組織の殺し屋、ビーフ・イン・バーグである。
「おおお、さっぶ~っ。普通~、獲れたて新鮮お肉は冷蔵保存だろ! それを、冷凍庫へ直送しやがって……」
「いや、ともかく気づかれずに潜入できたんだ。……早速ターゲットの部屋へ向かうか……」
「小麦粉五十グラムにお塩一グラム……」
「だっ誰だ!」
バーグがペン型ライトを当てた先に、寝間着姿の少年が照らされた。
キッチン台にボウルを載せ、様々な調味料を入れている。
「お水とお砂糖の割合は……一対三百……」
ちょろ、どさどさ。
「ばっバカな! それだと糖分の取り過ぎだぞ!」
バーグに一切の無駄な動きはない。サイレンサー付きの拳銃を抜き、レーザーポインターを少年のこめかみにピタリと合わせた。
「ざらめ、黒糖、はちみつ、水あめ……」
どさどさ、どっさり。
「警告する。今すぐそれを、水で薄めるんだ! 糖尿病になるぞ! 繰り返し、警告する……」
後はないぞと言わんばかりに、撃鉄を起こすバーグ。
「魚卵、鶏卵、排卵、托卵……」
「その内の半数は、たまごの種類じゃねえっ。終わりだ、小僧!」
ぷしゅっ!
微かな発砲音が鳴った。
「……カエルに、ヘビに、イモリの干物……しっかり混ぜてぐーるぐる……」
「ぐあっ! ま、まさかここで、料理を台無しにするとは……」
ガシャン。
コーン……コンコン、コロロロ……。
床に落ちる拳銃。そして転がる、一つのビー玉……。
バーグは、利き腕を押え、がっくり膝を落とした。
「参りました……。俺の名はビーフ・イン・バーグ。あなたは、一体……」
「あはは~、ぼくは、神谷雄一です。ねえ、これ、味見してみて?」
「えっ? いや、それは、ご遠慮願います……」
「ねえ? きっと。おいし~よ?」
「いやいや、ダメだって、最後ゲテモノ入ってたし……うっ、顎を押えて……?」
「めっ。好き嫌い、言わないよ?」
「う、うそ強制? いやいや、いや、いやっ……」
「はい。あ~ん……」
「イヤアアアアッ」
ぱくっ……。――。
甘く、危険な香りだけを残し、厨房は深い静寂を取り戻した。