#33 瑕疵
『聞いた? 過去視が開眼したってことで、奴隷以下の身分だったティアが、神官トップの枢機卿に選ばれたんだって』
『うわ~、最悪~。過去視って、孤独の儀で必須となる能力なんでしょうね? そうじゃなきゃ、ムウ様もあんな、孤児院上がりの能無しを責任者のトップに選んだりしないわ』
『どっちみち、あたしは、あの子の下に付くだなんて、まっぴらごめんよ』
『私だってイヤよ、汚らわしい。転職先探さなきゃ。だわ』
◇◇『待って?』◇◇
『おのれティア……本来、枢機卿に相応しいのはこの俺だ……予言書の条件さえ無ければ……おのれ……』
『絶対神、ムウ様の残された予言の書は絶対です。これには従わざるを得ません。しかし、あなたは大きな求心力をお持ちだ。この際どうでしょう。同志を引き連れ、別の国で布教活動をしませんか? 協力は惜しみませんよ……』
◇◇『みんな、待ってってば』◇◇
『枢機卿などと言う、地位も、どうせ儀式が終わるまでのこと』
『儀式が済めば、あんな小娘用済み。この世界から追放してやる』
『手ぬるい。儀式が済めば、殺せばいい』
◇◇『え?』◇◇
『天涯孤独のティア。埋めようが、沈めようが気に留める者など、誰もいない』
◇◇『やめて!』◇◇
『さあ! お前の役目はもう済んだ。死ね』
『そうだティア。死ね、死ね、死ねっ、死ねっ! それが世の為、人の為……』
「いやああっ!」
……ゆ、夢……。いいえ、これは過去視で見た神官たちの記録の記憶。
私は、ずっと孤独だった。
先の世界大戦中、巻き込まれず平和だったトゥートアリモス連邦国のディスケイニ孤児院に、私は預けられた。
その時のことを私は何も覚えていない。当然だ。生まれたばかりの乳飲み子だったのだから。
マザー・ディスケイニは、当時のことを聞いても、何も語らなかった。
気の通ったシスターは、預けに来たのは、父や母ではなく、祖父だった、と言った。
気の通わないシスターは、明日をも知れぬ、よぼよぼのおじいさんだった、と言った。
こうなると、祖父はおろか、親類だったかどうかさえ怪しいものだ。
預けたひとが誰であれ、私は、誰からも見棄てられた子。それだけは間違いないのだ。
生まれた時も、枢機卿になった時も、きっと、これからも……。
「棄てられることなんか、もう慣れてる。裏切りなんて、平気だわ。人に期待さえしなければ、いいだけだもの……」
「でも、どうしてこんなにも不安なの? まるで心に、大きな穴が開いてるみたいに……」
そうだ、私は死ぬのが怖いんだ。死ぬのが不安なんだ。それで、押しつぶされそうになってるんだ。
そうよ、このまま殺されるなんて、まっぴらよ。
刺客? ふざけんじゃないわよ。だいたいなんで、私が国王のいざこざに巻き込まれて、命狙われなきゃなんないのよ。
……ぃよし。護衛の強化だ。
契約で縛られている召喚獣なら信用できる。紅に二十四時間体制の護衛を組んでもらおう。
ドン!
「ちょっと紅ぃ。お願いが――」
私は意気揚々と、紅の部屋を開ける。
すると、ベッドで休む、半裸のアトラスと、ベッドの傍らで、生着替え中の紅の姿が目に飛び込んだ――。
え~っと、これはどう言うことだ? 確かに私はアトラスの看護を頼んだが……、この状況は……。そーゆーこと……なのか?
「……そーゆーことなら……」
ぱたん……。
「ちょおっと待ってください! そーゆーことじゃありません。誤解です! 誤解なんですディスケイニ様!」
「メビウスロック。あー、構わん構わん。そのまま職務に、専念し続けたまえ」
「彼が眠っている間に、着替えを済ませていただけです。本当です!」
がちゃっ、がちゃがちゃ。どんどん!
「誤解ですってばあぁぁ~」
「むにゃむにゃ、何事ですか? 紅様……なっ?! 紅様! その御姿は……ぶはぁっ」
「きゃあっ! アトラスの顔面が血まみれにぃっ」
施錠魔法を掛けて足早にその場を去る。
ふーっ。それにしても、焦ったわ~……。
しかし困った。紅に頼れないとなると、もう……雄一に頼るしか……。
「でも、あいつバカだしなぁ~。目の前で私が刺客に襲われてても、気付かず笑ってそうだよね」
いや、一応、ムウ様が認めた救世主なんだし、やっぱり雄一に頼もう。
……それに……ララや、ムーンのことは守るって……言ってたらしいし……。そこなんか、無性にムカつくけど……。でも、それは逆に便乗できる要素かも……。
◇◇◇◇◆◆◆◆
雄一たちは、大聖堂内の図書室にいた。
「雄一」
「あれ? ティア様。どうしたの?」
「私。今、刺客から命を狙われているの」
「そうなの?」
「私、怖くて、昨夜は一睡もできなかったわ」
「ふ~ん、大変だね。でも、口元によだれの跡がついてるよ?」
「うっ」
ゴシゴシ!
「お願い雄一」
「何?」
「私を……。いいえ、私も、守ってよ。二人の、ついででも構わないから」
「え?」
え? ってなによ。どうして首をかしげるの? 嫌なの? 私を守るのはごめんだって言うの? この二人は守るってのに?
そう。よ~っく分かったわ。これ以上のトラブルを押し付けてくるなって、言いたいんでしょ? いいわよ。別に期待なんてしてなかったもの。
「ごめんなさい」
「やっぱりね……」
「ついで、なんてできない。ぼく、もう、ティア様のことを守るって決めてたから」
「いいわよ。どうせ私はぼっちよ。これまでだって、これからだって……って、ええっ!? なんて?!」
「あはは~、ティア様は、ぼっちじゃないよ? 最初っから」
「ちょっと待って、雄一。もう決めてた? どういうこと? いつから決めてたの?」
「え?」
また首をかしげだした。え? なに? 思い出さなきゃ出てこないことなの? ええい、まどろっこしいっ。さっさと思い出せよバカ!
「大神殿の門を開けた時、だよ」
「それって。初めて会った時からって……こと。じゃない……?」
「ティア様、泣きべそかきながら、ぼくに駆け寄ってきたでしょ?」
「ソコは忘れてていいっ!」
ちいぃっ。脳筋のくせに。直後、魔法ウイルスで血反、吐いて、倒れたくせに。なーぜソコを覚えている!
「ティア様は、強がりさんだけど弱虫さんなんだね」
「うるさいっ。あの時はちょっと、魔が差したと言うか、感極まってと言うか……」
「でも、ティア様の、ぼくたちを助けたいって気持ちは、すっごく伝わったよ?」
「え……」
「だから思ったの。ぼくもティア様を守りたいって」
「うそ……」
「だから、ぼくが決めたの。ティア様を守るって」
「ゆう……」
「だから、守るのは、ついで、じゃなく。真剣、だよ?」
「いち……?」
なに言ってるんだ? この子は……。私を真剣に守るって言ったよね。
それって……、私は、私の思惑通りに事が運び、手を叩いて喜ぶ……そう言う単純なことで、いいんだよね?
だって、そうじゃないと私、この子の言ってる言葉の意味が、半分も分からないもの……。
でも、それだけじゃ、とても勿体ない気がする……。
今……まさに今。ぽっかり空いた心の穴が、埋められていく実感があるのだから……。
「うふふ、微力だけど、私もティアちゃん守るわよ?」
「ララ……」
「私もだぞ、ティア。雄一様が守る者は私が守る者、だわん」
「ムーン……」
やだ。ちょっとナニコレ。体がじんと痺れちゃう。
喜んでいい、だけの筈なのに、なんでかな。恥ずかしくて、お礼の言葉も浮かばない。
どうしよう……私……泣きそうだ……。
「そ、それより、あんたたち、図書室で何やってたのよ」
うわっ、私ったら、誤魔化すために思わず話を反らせちゃった。それより、とか……最低だーっ。
「あはは~、それはね? あのね? ぼく、お金を全部、お菓子に使っちゃたの。それで、ララ姉ちゃんが、お金のお勉強を教えるって。でも、お勉強は、ぼくもしたかったから丁度良くて……」
「はいはいはいはい、ストップ、ストーップ! ララ? どう言うことか、簡潔に説明して?」
「う~ん、そうね。一部省略すると、雄一君、この世界の文字が読みたいみたい」
「なるほど。わからん」
ララの説明は相当省略されていたが、要はそう言うことだった。
スィーツに百万ってくだりを聞いた時は、呆れ果てたが、それを勉強して、アホを治すのはいいことだ。
それに学習の様子を見ると、意外と雄一は、わりと語学に明るい。
「なつ、の、のはら、は、くさ、ぼー、ぼー。かわ、らも、はた、けも、くさ、ぼー、ぼー。みち、には、なに、やら、とび、はまち……」
「雄一君? そこは、はまちじゃなくて、はねる。だよ?」
「あはは~、そうだった」
「でも、他はよく読めてたよ。それから、はねるの単語は、ここをこうして覚えると……」
「あ、なるほど。わかったー」
「ね? うふふ」
もう、絵本の朗読をしている。雄一が賢いのか、ララの教え方がうまいのか……。
いや、そうだ。教え方がうまいんだ。だって、雄一は脳筋だもん。
「ってか、ララ。あんたも転移者でしょ? どうして雄一にネアセリニ文字が教えられんのよ」
「え? ああ、えへへ。実は私、この世界の文字や歴史に興味があったの。だからこの数日間、時間がある時は、この図書室で勉強してたんだ」
「まさか独学でマスターしたってこと?」
「マスターって程じゃないわ。さわり程度のものよ。古文書や、法律書を理解するには、もう少し時間が欲しいわね。うふふ」
うふふじゃねえよ。どんな頭してんだ。
◇◇◇◇◆◆◆◆
その後も、雄一のお勉強は続いた。
ララに対抗心剥き出しのムーンも教師役をやりたがり、やむなく図工の先生とした。
とは言え、二人で画用紙を並べ、クレヨンで落書きをしているだけだが……。
こうしてララとムーンが、一時間交互に雄一の指導に入る。
食事と入浴以外は夜になっても勉強を続けている。間違いは多いものの、書き方まで始めた。
「十一時か……。昨日はろくに寝らんなかったし、そろそろお開きにしない?」
「ふわぁお~ん、そうね……むにゅむにゅ」
「雄一君、頭を休めるのも大切だから、そろそろ終わりにしましょうか」
「は~い。キリがついたら、自分のお部屋に戻るね? みんな、おやすみなさ~い」
図書室に雄一を一人残して(シゲルは無視)私たちは一つの部屋へと入り、一つのベッドに潜る。何も言わなくても、自然に二人は私を挟んでくれた。
ああ、暖かい。今ならゆっくり考えられそうだ。
今日の雄一から貰った言葉の意味を……。
ムウ様の言う、私の自由な生き方を――。