#2 発達段階
守天と同化した神谷の肉体に劇的な変化が起こる。
苛疾から解き放たれ、留まっていた血液が、全身に流れ始めた。
「ふあ~っ。すんごい変な夢見た~」
神谷が目覚めた。いや、世界を救う脳筋が爆誕した。
「ありゃ? 知らないお部屋。ここ、どこだろう。まだ、夢の中なのかなぁ。ありゃ? ぼく、歩けるよ。これって、ひょっとして、あれは夢じゃなかったのかなぁ。夢じゃないといいなあ」
パジャマ姿の彼は、立ち上がると、そこは薄暗い、まるで豕牢。
神谷はその部屋を固く閉ざす、石造りの扉に手を掛けた。
「おかあちゃ~ん。おとうちゃ~ん……」
ドバキィ! ドシーン!
「ありゃ。ドア壊しちゃった。やっぱり夢だといいな。怒られちゃうから」
ドアノブが粉砕されるにとどまらず、重厚な扉が吹き飛んでしまった。
開かれたその先は、何処までも続く洞穴。……産道。
「でも、夢だとしたら、めいっぱい楽しまないと、ソンだよね」
◇◇◇◇◆◆◆◆
神谷は、ご機嫌で、長い迷宮を進む。
なぜなら、この迷宮には退屈させない仕組みがあったからだ。それは大小様々なトラップである。
いや、少し、様子がおかしい。トラップと言うより、遊具のようなアスレチックだ。
網抜け、トンネル抜け、平均棒やトランポリン。かなり複雑な巨大ジャングルジムを超えた先には、棒登り。足場の悪い砂場に沼地。
雄一は、ことごとくトラップに嵌っていった。なんとも楽しそうに。
「背中に羽が生えたように、体が軽いよ」
「うわーい、次は崖登りだね」
ロッククライミングもあった。パジャマ姿の少年は何度も途中で手を滑らせ落ち、しこたま体を地面に打ち付けた。たが一度も休むことなく挑戦を続け、突破していった。
それらは、まるで基礎体力、向上のための設備。鍛錬、を狙いとしている造り。
幼稚園、小学校、中学校、高等学校と言った体育科の教育課程を踏襲するかのようだ。
「あはは、楽しい夢だね。毎日こんなだったら、いいのに」
雄一の発達段階に応じ、難易度を、徐々に上げ続ける罠たち。
専属トレーナーが用意しているかのような、絶妙カリキュラム。
気が付けば雄一は、一流アスリート並みの、運動能力を手に入れていた。
これ即ち、脳筋成長期。「鉄は熱い内に打て」の言葉通りの状態で、雄一は、今でないと、得られない基礎体力を、育んでいるのである。
更に、その急速な成長を促し、後押ししたのは没頭脳。脳筋細胞が、我を忘れ、活動したため、そのポテンシャルは極限まで高められた。
雄一が、超人の域へ達した頃、トラップは、ようやく、トラップらしくなった。
針の山に、火の山。落とし穴に、飛び交う矢に弾丸。まるで、地獄絵巻だ。
「うわ~、すごい迫力だね、おっとあぶない」
この異常な状況に、雄一本人は、「あはは~、だって夢だもん」と、突き進んだ。
すると突然、雄一は、緑の絨毯が広がる光景を見た。天井のどこからか柔らかい光に包まれた空間。
洞窟を等間隔に照らしていた松明とは明らかに質の違う光だ。緑の絨毯の正体は身の丈、二尺程の長さの草原であった。青々と茂り誇る青草が辺り一面に生えている。
「次の夢かな? でも、随分、はっきりした、夢だね」
雄一は、その草原にそっと寝そべった。長い青草は意思を持つかの如く雄一の体を優しく受け止めた。何処からか吹くそよ風が青草を揺らし雄一を包み込む。
「不思議な場所……光が、ぽかぽか浮かんでる、変な夢。でも楽しい、気持ちいい」
独り言を呟き、目を細めていると、突然辺りが騒がしくなった。
「オラぁ! アッチいけ!!」
「しっしっ! ジャマなヤツだ!」
「なんだろう」
雄一は、身をかがめたまま声のする方を向き、草の茂みからそおっと様子を伺う。
三匹のゴブリンが、草を籠に詰めている。
『うわぁー。さすが夢の中! モンスターがいるよ? 結構、角が立派だね。体は僕より小さいね』
『本で見た感じなら、餓鬼、に近いかなぁ。んん? 一匹は、歯が虫歯で真っ黒だ。汚いなぁ。』
ゴキン! ピューン。
その時、ゴブリンの一匹がゴルフスイングをするかの如く棍棒で何かをぶっ叩いた。叩かれた物は、雄一に向かって飛んできた。
ぽよん。
青いボールかと思い、それを胸の正面で受け止めた雄一。弾力のある、青いボールが雄一の胸に収まる。しかし、よく見ると、それはボールではなかった。
「わっ、これスライムじゃん。わーい」
「あれ? べたべたしないんだね。ツルツルのムチムチだ」
「ぼく、スライム大好きだよ。また工作でつくりたいな」
ぷよぷよと、蠢くだけのスライムに、興奮気味に騒いでいる雄一。
その間に、ゴブリンたちは、雄一を取り囲んだ。三方向、いつでも襲い掛かれるように。
内、一匹は、完全に雄一の、死角をとっている。
「オマエ、だれだ! ココで、なにしてイル!」
やや大きめリーダー格のゴブリンが、棍棒を低く持ち、話しかける。
スライムは、雄一の腕から慌てて飛び出し茂みに隠れた。
「ぼくは神谷雄一です。あなたはだあれ?」
ぺこりとお辞儀をして、聞かれたことを素直に答える雄一。
「ココは、ターブ、サマの、タベモノ、とる、バショ」
「ここは、とてもいい場所だね。風も気持ちいいし、ぽかぽかだし」
「そうそう、ぼく、お腹が空いたんだけど、何か食べる物ないかなぁ」
「スキ、アリィ!」
ごおん!
死角からの、強烈な一撃。
頭が悪いとされる、ゴブリンの作戦に、雄一は負けた。
「うううっ」
雄一の頭は割れたようで、額から血が滴る。
それは、頭を、なでなでと擦った手を汚す。
次の瞬間、雄一の表情が、くちゃくちゃに歪んだ。
「うわあーーーーーん!」
雄一はゴブリンに、頭をしばかれて泣いた。
夢の中で感じる痛みは、大きな不安と恐怖心を煽った。理性など知ったことではない。十の子どもらしい、耳をつんざく見事な叫びだ。
「ヌオオ!?」
この咆哮は、音だけにあらず。同時に、爆発的な衝撃波が放たれた。デス・スクリームだ。
津波のように物質化した音波が、声変わり前の、ビブラートの調に乗せて、虫歯ゴブリンを襲う。
「ウワッ!!?」
ビュン、ベシャ!
虫歯ゴブリンは、成すすべなく、紙屑のように吹き飛ばされ、その身を洞窟の壁へ打ち付けた。
哀れ。鼓膜を完全に破壊され、全身打撲で、瀕死の状態だ。
雄一による、歌系魔法、死の叫び、その、直撃を免れた、残りのゴブリン二匹は、大慌てで洞窟の先へと逃げ去った。
ゴブリンが去ったことに喜ぶスライムたち。
……雄一はその後、三十程泣いた後、「えっくえっく」としゃくり上げながら、ようやく泣き止んだ。
この、ボイストレーニングにより、雄一の肺活量が、飛躍的に伸びたと言う事実は、余談である。
↑ゴブリン
与えられた使命を忘れ、ブタに支配される小鬼。